物語の幕は上がらない(本編完結 番外編更新中)

わらびもち

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悪いが、まったく理解できない

 玄関から響く車輪の音に夫人は怪訝な顔をした。
 今日は来客の予定などなかったはずなのに、一体誰が来たのだろう。
 いずれにせよ、とてもじゃないが席を外して対応できる状況にはない。相手がたとえ王族であろうと、目の前の客人以上に重要な存在はいないのだから。

 その時、執事が慌ただしく廊下を駆け抜け、夫人の耳元で控えめに告げる。

「――レオナルド様がお戻りでございます」

「……は? もう?」

 夫人は呆気に取られたように執事の顔を見上げた。
 息子は本日、婚約者に謝罪に向かったはずだ。誠心誠意頭を下げ、きちんと話し合いをしてこいと、きつく言い含めておいたのだから、こんなに早く帰ってくるはずがない。

 その夫人の様子に公爵の眉がわずかに動く。

「おや……ご子息が帰還されたようですな。よろしければご子息と話をしたいのですが、ここへお呼びいただけますかな?」

「え、ええ……勿論です」

 嫌です、と思わず口をついて出そうになったのを必死に押しとどめ、夫人は笑顔で承諾した。
 あのレオナルドがこの場に来てしまったらどんな失言が飛び出すかわかったものではない。そんなことになれば、この御方を取り返しがつかないほど怒らせてしまう危険性が非常に高い。

 それが分かっているのに、この場に呼ぶなど言語道断。だが、それを公爵相手に言えるわけもない。
 これから起こりえるであろう息子の失言に対する不安と恐怖を夫人が必死に耐えていると、応接間の扉がゆっくりと開かれた。

「失礼いたします。閣下がお越しになられたと伺いまして……」

 部屋に入ってきたレオナルドは、緊張と恐れの入り混じった表情で、おずおずと公爵へ視線を向けた。
 礼を取ろうとしたその声に、母の呼吸が重なる。

「レオナルド。――随分と早い帰りね」

 言外に「こんなに戻りが早いなんて、謝罪はうまくいったのか?」と詰めよったが、息子の視線が気まずげに泳いだのを見て全てを察した。

 ──ああ、これはおそらく謝罪を受け入れてもらっていない。

 それほどクロエの怒りが深いのか、もしくはまた無礼な真似をしたか。出来れば後者であってほしくない……と夫人はひどく頭痛を覚えた。それと同時に謝罪ひとつまともに出来ない息子にひどく怒りを覚える。公爵がいなければこの場で平手打ちを食らわせていたくらいに。

 公爵は椅子の背から手を離し、ゆるやかに立ち上がった。
 その姿勢には威圧ではなく静かな権威があった。

「帰宅早々、すまないな、レオナルド君。少々、話を聞かせてもらおうか」

 その言葉にレオナルドの喉がわずかに動く。彼の瞳が母を、そして再び公爵を見た。

「は、はい……なんでしょうか」

 震える声で答えると、公爵の目が冷たく鋭い光を帯びた。
 びくりと肩を震わせるレオナルドに、公爵が厳しい声で問いかける。

「君は、娘との婚約を実は望んでいなかったのか?」

 あまりにも率直な公爵の問いにレオナルドも夫人も驚き、目を見開いた。
 そしてすぐに我に返った夫人は息子の方へと視線を向け、「絶対に肯定するな」と言わんばかりに睨みつけるが、彼は母親のそれに気づかない。

「答えなさい。婚約を纏めた立場として、私は知る権利がある」

 そう促され、レオナルドは口を開いたがすぐには言葉が出てこない。
 沈黙ののち、低く絞り出すような声が応接間に落ちた。

「――私は、彼女との婚約を……まだ受け入れられなかったのです」

 その言葉に、夫人の顔から血の気が引く。
 そして公爵の瞳はまるで氷のように静まり返った。

「受け入れられなかった、とは。我が娘の何が、君にそう思わせた?」

 レオナルドは視線を落とし、拳を握りしめた。外では風が唸り、カーテンが小さく揺れる。
 応接間に漂う緊張はもはや息を呑むほどだった。
 沈黙の中、レオナルドは視線を落としたまま口を開く。

「いえ、クロエがどうというわけではなく……私は、家と家の都合で決められた婚約が嫌だったのです。
 私は……生まれた時から“誰と結婚するか”まで決められているような人生に、ずっと息苦しさを感じてきました」

 息子の返答に夫人の喉がひゅっと鳴った。とんでもないことを口にした息子に戦慄の視線を向ける。
 思わず「なんて馬鹿なことを……」と呟くが、それに反して公爵はそ黙ってレオナルドの言葉を聞いていた。

「お相手が閣下のご息女となれば、家のためにそれを受け入れるのが当然だと、誰もが言う。
 ですが、私にはどうしても――“愛のない結婚”に納得が出来ませんでした」

 レオナルドの拳が膝の上で小さく震えている。夫人はもはや卒倒寸前だ。
 公爵の表情は変わらない。ただ、その瞳の奥に、何かを見極めようとするような深い静けさが宿っている。

「……つまり、君は政略の婚約そのものに抵抗を覚えていたということか」

「はい……左様にございます」

 公爵はしばし黙し、やがて深く息を吐いた。
 その息には怒りではなく、どこか呆れが混じっている。

「……そうか」
 
 短い一言が、重く響いた。公爵の返答を聞き、レオナルドは自分の思いが通じたと胸をなでおろす。
 しかし、次に発せられた公爵の言葉にそこにいる者すべてが言葉を失うこととなる。

「悪いが、私には君の気持ちが全く理解できない。政略結婚は貴族の義務。ましてや君のような継ぐ家のない次男以降は婿入りする以外に貴族の身分を保てる方法がない。義務を果たすことが嫌ならば、さっさと平民になればいいのに……何故、それをしない? まったくもって理解不能だ」

 さらりと厳しい言葉を吐く公爵に、レオナルドも夫人も唖然とした。
 思わず公爵の顔を見ると、嫌味ではなく本気で分からないと言わんばかりの表情だった。
 真剣に「お前、何言ってんの?」という顔をする公爵にレオナルドは何も返せないまま立ち尽くした。

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