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親子の会話
静寂に包まれる仲、天蓋付きの深紅のベッドに横たわる父の横顔をクロエは静かに見つめていた。
ここは父の寝室。まるでひとつの芸術作品のように豪華な調度品が整然と並ぶ。壁には歴代先祖の肖像画がずらりと並び、金の額縁が光を受けてわずかに煌めく。
「お父様、お加減はいかがですか?」
娘の心配そうな声に公爵は薄く目を開け、咳をひとつ漏らした。
「ああ……すまぬな。心配をかけた」
思ったより元気そうな父の姿にクロエは安堵し、ほっと息をついた。
「ええ、執事から門前でお父様がお倒れになったと聞いて心臓が止まるかと思いましたわ。主治医によれば心因性のものだろうとのことです。少々、働き過ぎたのではありませんか?」
「うむ……そうかもしれぬな……」
公爵は倒れた理由が娘の婚約者のあまりにも酷い本性を知った衝撃によるものであるとは、決して口にしなかった。婚約中の不貞だけでは飽き足らず、不貞相手のことで婚約者を責め立てようとする屑だと知れば娘が悲しむ。ただでさえレオナルドの不誠実な態度で心を痛めている娘にこれ以上の心労はかけたくなかった。
「少しお休みになった方がよろしいですよ」
亡き妻に似た面差しで柔らかく微笑む娘を見ていると涙が出そうになる。
父として弱みを見せまいとする公爵は、微かな声で「そうだな……」とだけ告げ、ゆっくりと顔を背けた。
「クロエ……」
「はい、なんでしょうかお父様」
「色々すまなかったな……」
「? 何がですか?」
「……婚約のことだ。よりにもよってあのような屑と婚約させてしまって、さぞかし辛かったろう。お前が悩んでいることも気づかぬ情けない父親ですまない……」
公爵の予想外の発言にクロエは呆然と目を見張った。
娘を顧みることさえなかった厳格な父が、まさかこんなことを言うなんて──。
「いいえ……レオナルド様の本性を見抜けなかったのはわたくしも同じです。お父様だけを責められません。それに、わたくしだって婚約当初は真っ当な方だと思っておりました。女性が原因で堕落するのはリンデン家のお血筋なのかもしれませんね……」
「……ッ!! クロエ、お前はもしや……あの小僧の堕落の要因を知っているのか?」
「ええ、存じております。あの方の不貞相手がわざわざ屋敷まで足を運んでくださいましたから」
本当はそれより前に知っていたが、それを父に話すとややこしくなるので黙っていた。
「なんだと!? そんなことがあったのか……」
娘を傷つけまいと不貞相手のことを黙っていたのに、まさか既に知っているとは。
娘の受けたであろう心の傷を考えると公爵の胸にはレオナルドへの深い憎悪が湧き上がった。
「ええ。それより、お父様こそ何処でレオナルド様の不貞をお知りになったのですか?」
「……最近だ。あの小僧が愚かにも自分から白状しおったわ」
「まあ……婚約者の父親に言ってしまうなんて、救いようがございませんね」
「全くだ。それで、お前はあの小僧との婚約をどうしたい?」
クロエの意志に任せるとは言ったが、公爵としては速やかに婚約破棄をしてしまいたい。レオナルドでは娘を守り、幸せにすることなどどう考えても無理だ。それどころか娘に余計な心労をかけるだけだろう。
「わたくしは……レオナルド様との婚約を解消したいと思っております。わたくしを軽んじ、不誠実な対応をするような方はカレンデュラ家の婿に相応しくありません。それに、リンデン家の二の舞は御免です」
「リンデン家の二の舞か……。そうだな、その通りだ。そもそも、女で破滅するような男の息子を婚約者に定めるべきではなかった。よく考えれば分かることなのに……まったく情けない」
「いえ、お父様は貴族間の均衡を保つためにそうご決断されたのでしょう。リンデン家は曲がりなりにも公爵家、没落されてはその均衡が崩れるやもしれません。わたくしとしましても、このままリンデン家には存続していただきたいと思っております」
「それはそうだが……このまま当家が手を引けばリンデン家は確実に没落するぞ? それともリンデン家の一族の誰かを婿に迎えるのか?」
「いいえ、あちらのお血筋はもはや信用に値しません。女性で身を滅ぼすと親子二代で証明してくださいましたもの。……ですが、リンデン家の血縁者を迎え入れることなく、リンデン家を存続させる方法がひとつだけございます。それを受け入れるかどうかはあちらに委ねましょう」
「ほう? その方法とはなんだ?」
「それは……」
クロエがその方法を語ると、公爵は一瞬驚いたように眉を上げ、すぐに感心したような眼差しで「ほう」と呟いた。
「なるほどな……。確かにそれならばリンデン家の血縁者を当家に入れることなく、あちらの家の名誉は守れるな。少々屈辱かもしれんが……私があちらの立場なら喜んで受け入れる。むしろ願ってもないことだ。よし、では私から婚約解消の話と共にその案を先方へ伝えておくとしよう。それで断ってくるようなら、当家はもう完全に手を引く。そこまでの義理はないからな」
「ええ、ありがとうございます」
「しかし……その、お前達はそのような仲だったのか?」
遠慮がちに公爵が問いかけると、クロエは首を横に振ってきっぱりと否定した。
「いいえ、決してそのような仲ではございません。誤解なさらないでくださいまし。それに、この案を話したのはお父様だけにございます」
「そ、そうか……。まあ、次の婚約はお前の意志で決めていいと言ったからな。好きになさい」
娘の案に動揺を隠せない公爵はそれだけ告げると気恥ずかしそうに目を逸らした。
ここは父の寝室。まるでひとつの芸術作品のように豪華な調度品が整然と並ぶ。壁には歴代先祖の肖像画がずらりと並び、金の額縁が光を受けてわずかに煌めく。
「お父様、お加減はいかがですか?」
娘の心配そうな声に公爵は薄く目を開け、咳をひとつ漏らした。
「ああ……すまぬな。心配をかけた」
思ったより元気そうな父の姿にクロエは安堵し、ほっと息をついた。
「ええ、執事から門前でお父様がお倒れになったと聞いて心臓が止まるかと思いましたわ。主治医によれば心因性のものだろうとのことです。少々、働き過ぎたのではありませんか?」
「うむ……そうかもしれぬな……」
公爵は倒れた理由が娘の婚約者のあまりにも酷い本性を知った衝撃によるものであるとは、決して口にしなかった。婚約中の不貞だけでは飽き足らず、不貞相手のことで婚約者を責め立てようとする屑だと知れば娘が悲しむ。ただでさえレオナルドの不誠実な態度で心を痛めている娘にこれ以上の心労はかけたくなかった。
「少しお休みになった方がよろしいですよ」
亡き妻に似た面差しで柔らかく微笑む娘を見ていると涙が出そうになる。
父として弱みを見せまいとする公爵は、微かな声で「そうだな……」とだけ告げ、ゆっくりと顔を背けた。
「クロエ……」
「はい、なんでしょうかお父様」
「色々すまなかったな……」
「? 何がですか?」
「……婚約のことだ。よりにもよってあのような屑と婚約させてしまって、さぞかし辛かったろう。お前が悩んでいることも気づかぬ情けない父親ですまない……」
公爵の予想外の発言にクロエは呆然と目を見張った。
娘を顧みることさえなかった厳格な父が、まさかこんなことを言うなんて──。
「いいえ……レオナルド様の本性を見抜けなかったのはわたくしも同じです。お父様だけを責められません。それに、わたくしだって婚約当初は真っ当な方だと思っておりました。女性が原因で堕落するのはリンデン家のお血筋なのかもしれませんね……」
「……ッ!! クロエ、お前はもしや……あの小僧の堕落の要因を知っているのか?」
「ええ、存じております。あの方の不貞相手がわざわざ屋敷まで足を運んでくださいましたから」
本当はそれより前に知っていたが、それを父に話すとややこしくなるので黙っていた。
「なんだと!? そんなことがあったのか……」
娘を傷つけまいと不貞相手のことを黙っていたのに、まさか既に知っているとは。
娘の受けたであろう心の傷を考えると公爵の胸にはレオナルドへの深い憎悪が湧き上がった。
「ええ。それより、お父様こそ何処でレオナルド様の不貞をお知りになったのですか?」
「……最近だ。あの小僧が愚かにも自分から白状しおったわ」
「まあ……婚約者の父親に言ってしまうなんて、救いようがございませんね」
「全くだ。それで、お前はあの小僧との婚約をどうしたい?」
クロエの意志に任せるとは言ったが、公爵としては速やかに婚約破棄をしてしまいたい。レオナルドでは娘を守り、幸せにすることなどどう考えても無理だ。それどころか娘に余計な心労をかけるだけだろう。
「わたくしは……レオナルド様との婚約を解消したいと思っております。わたくしを軽んじ、不誠実な対応をするような方はカレンデュラ家の婿に相応しくありません。それに、リンデン家の二の舞は御免です」
「リンデン家の二の舞か……。そうだな、その通りだ。そもそも、女で破滅するような男の息子を婚約者に定めるべきではなかった。よく考えれば分かることなのに……まったく情けない」
「いえ、お父様は貴族間の均衡を保つためにそうご決断されたのでしょう。リンデン家は曲がりなりにも公爵家、没落されてはその均衡が崩れるやもしれません。わたくしとしましても、このままリンデン家には存続していただきたいと思っております」
「それはそうだが……このまま当家が手を引けばリンデン家は確実に没落するぞ? それともリンデン家の一族の誰かを婿に迎えるのか?」
「いいえ、あちらのお血筋はもはや信用に値しません。女性で身を滅ぼすと親子二代で証明してくださいましたもの。……ですが、リンデン家の血縁者を迎え入れることなく、リンデン家を存続させる方法がひとつだけございます。それを受け入れるかどうかはあちらに委ねましょう」
「ほう? その方法とはなんだ?」
「それは……」
クロエがその方法を語ると、公爵は一瞬驚いたように眉を上げ、すぐに感心したような眼差しで「ほう」と呟いた。
「なるほどな……。確かにそれならばリンデン家の血縁者を当家に入れることなく、あちらの家の名誉は守れるな。少々屈辱かもしれんが……私があちらの立場なら喜んで受け入れる。むしろ願ってもないことだ。よし、では私から婚約解消の話と共にその案を先方へ伝えておくとしよう。それで断ってくるようなら、当家はもう完全に手を引く。そこまでの義理はないからな」
「ええ、ありがとうございます」
「しかし……その、お前達はそのような仲だったのか?」
遠慮がちに公爵が問いかけると、クロエは首を横に振ってきっぱりと否定した。
「いいえ、決してそのような仲ではございません。誤解なさらないでくださいまし。それに、この案を話したのはお父様だけにございます」
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