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閑話 とある国の王妃の苦悩
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南国より留学の為にやってきた、自由を愛し傲慢を美徳とする誰よりも鮮烈なる王女。
彼女を王宮で世話するようになってから王妃の心は静かに、しかし確実に蝕まれていった。
──これほどまでにわがままな姫には未だかつて会ったことがない。
そう感じるたび、王妃の胸の奥にひやりと冷たいものが広がっていく。
遠慮もなく、礼儀も飾り。まるで自分の居場所であるかのように振る舞い、周囲を振り回す少女。
あちらの国の方が大国だからか、常々こちらを見下すように振る舞う。
気位が高い彼女は気弱そうな女官に理不尽な言いがかりをつけていると聞いた。
それで精神が参ってしまう女官も出ていると報告があった時は、さすがに頭を抱えたものだ。
けれど、それよりも王妃の心を悩ませるものがある。
それは王女がしばしば、王太子の近くに偶然を装って現れること。その報告を受けた時、実際己の目でその姿を見る時、ひどく心がざわついて仕方ない。
(……あの王女は王太子に興味を持っている。それに……気のせいでなければ、王太子までも……)
まさか、と思いたかった。けれど、母親の目は騙せない。微かな変化に気づいたのは、そう難しいことではなかった。ソレイユ王女と会話した後の王太子の表情には戸惑いとときめきが伺える。
(……なんて、愚かな子……)
心の奥に冷たい怒りがこみ上げてくる。王女のせいだけではない。
惹かれかけている王太子自身にも――許せぬ思いがあった。
愚かにも美しく奔放な王女に惹かれ、妻帯者であることを忘れつつある息子に王妃はひどく失望した。
(お前にはもう、素晴らしい妻がいるでしょうに……)
王太子の妻は名門公爵家の娘。
政治的にも、人格的にも申し分のない、穏やかで賢い女性だ。
嫁いできてまだ日が浅いが、彼女はこの宮廷で懸命に役目を果たそうとしている。
王妃は義母として彼女の立場を守るつもりでいた。
(なのに……)
あの王女は、微笑みながら入り込んでくる。無邪気な顔で、無意識のように、心の隙を突いてくる。
そして、愚かにも息子はその術中に足を踏み入れかけている。
(一国の王太子が目先の美しさに惑わされてどうするの……。あれほど”冷静であれ”と育てたはずなのに……)
理性的であれ、と。感情のまま動けば国は傾く、と。
幼い頃からそう教えてきた。
(私は母として、あなたの愚かさを見逃すわけにはいかないの……!)
苦々しく唇を噛み、王妃はドレスの裾を静かに握りしめた。
自分の中の愛情と怒りがせめぎ合う。王太子は彼女が産んだたった一人の息子。
彼の甘さが――国を揺るがしかねない火種になるのであれば、母としてそれを取り除かねばならない。
王妃の瞳がスッと冷たく細められた。
王女を遠ざける。それが母親としての役目ならば、迷いなど要らない。
「……貞淑さの欠片もない淫売は、目移りだって激しいわよね」
王妃は自分が何をしようとしているのか、よくわかっていた。
気を逸らすために、別の“獲物”を差し出す。
それはまるで、猛禽に別の獲物を見せて自分の巣を守るようなものだ。
(本来ならば、このような手を使いたくはなかった。だけど……)
王妃は目を伏せる。
王女は王太子が既婚者だと知っても引かない。だからこそ、ここで一手を打たねばならない。
(彼女には彼女にふさわしい舞台を。気高く、華やかで、彼女の心を奪うような見目の男たちを取りそろえた夜を……)
“社交”という名目で、王女の目を外へと向けさせる。
野心を潰すのではない。別の方向へ、巧みに流すのだ。
「未婚の令息は勿論のこと……既婚でも構わないから、とにかく数を揃えましょう」
招待状をしたためながら王妃の脳裏には候補の顔ぶれが浮かぶ。
誰もが品位を備え、家柄も申し分ない。だが、皆“王家の血”は持たぬ者ばかり。
つまり、あくまで“ほどほど”の相手。
もし彼女がその中に気を引かれる相手を見つけてくれれば、御の字だ。
たとえ本気の恋に発展しなくとも、”目を向けるべき別の男”がいればそれだけで充分。
(王太子を“見せない”のではない。目もくれないように導くのよ……)
王妃の胸に、冷ややかな決意が宿る。
それは母としての愛情であり、王国の未来を守るための理性でもあった。
「夜会の主賓は王女。主役にふさわしく……彼女のために選ばれた夜を用意しましょう。華やかで、美しく、退屈する暇もないように……」
優美な微笑を浮かべた王妃の手には出来上がった夜会の招待状が数枚。品格ある金の縁取りが、その場にふさわしい“格式”を静かに語っている。そこから仄かな白檀の香が漂う。
その封書に溶かした蝋が静かに垂らされ、その上に印章がしっかりと押し当てられる。
王冠の下に二輪の薔薇と、盾を抱く双頭の鷲を象った印章が────。
彼女を王宮で世話するようになってから王妃の心は静かに、しかし確実に蝕まれていった。
──これほどまでにわがままな姫には未だかつて会ったことがない。
そう感じるたび、王妃の胸の奥にひやりと冷たいものが広がっていく。
遠慮もなく、礼儀も飾り。まるで自分の居場所であるかのように振る舞い、周囲を振り回す少女。
あちらの国の方が大国だからか、常々こちらを見下すように振る舞う。
気位が高い彼女は気弱そうな女官に理不尽な言いがかりをつけていると聞いた。
それで精神が参ってしまう女官も出ていると報告があった時は、さすがに頭を抱えたものだ。
けれど、それよりも王妃の心を悩ませるものがある。
それは王女がしばしば、王太子の近くに偶然を装って現れること。その報告を受けた時、実際己の目でその姿を見る時、ひどく心がざわついて仕方ない。
(……あの王女は王太子に興味を持っている。それに……気のせいでなければ、王太子までも……)
まさか、と思いたかった。けれど、母親の目は騙せない。微かな変化に気づいたのは、そう難しいことではなかった。ソレイユ王女と会話した後の王太子の表情には戸惑いとときめきが伺える。
(……なんて、愚かな子……)
心の奥に冷たい怒りがこみ上げてくる。王女のせいだけではない。
惹かれかけている王太子自身にも――許せぬ思いがあった。
愚かにも美しく奔放な王女に惹かれ、妻帯者であることを忘れつつある息子に王妃はひどく失望した。
(お前にはもう、素晴らしい妻がいるでしょうに……)
王太子の妻は名門公爵家の娘。
政治的にも、人格的にも申し分のない、穏やかで賢い女性だ。
嫁いできてまだ日が浅いが、彼女はこの宮廷で懸命に役目を果たそうとしている。
王妃は義母として彼女の立場を守るつもりでいた。
(なのに……)
あの王女は、微笑みながら入り込んでくる。無邪気な顔で、無意識のように、心の隙を突いてくる。
そして、愚かにも息子はその術中に足を踏み入れかけている。
(一国の王太子が目先の美しさに惑わされてどうするの……。あれほど”冷静であれ”と育てたはずなのに……)
理性的であれ、と。感情のまま動けば国は傾く、と。
幼い頃からそう教えてきた。
(私は母として、あなたの愚かさを見逃すわけにはいかないの……!)
苦々しく唇を噛み、王妃はドレスの裾を静かに握りしめた。
自分の中の愛情と怒りがせめぎ合う。王太子は彼女が産んだたった一人の息子。
彼の甘さが――国を揺るがしかねない火種になるのであれば、母としてそれを取り除かねばならない。
王妃の瞳がスッと冷たく細められた。
王女を遠ざける。それが母親としての役目ならば、迷いなど要らない。
「……貞淑さの欠片もない淫売は、目移りだって激しいわよね」
王妃は自分が何をしようとしているのか、よくわかっていた。
気を逸らすために、別の“獲物”を差し出す。
それはまるで、猛禽に別の獲物を見せて自分の巣を守るようなものだ。
(本来ならば、このような手を使いたくはなかった。だけど……)
王妃は目を伏せる。
王女は王太子が既婚者だと知っても引かない。だからこそ、ここで一手を打たねばならない。
(彼女には彼女にふさわしい舞台を。気高く、華やかで、彼女の心を奪うような見目の男たちを取りそろえた夜を……)
“社交”という名目で、王女の目を外へと向けさせる。
野心を潰すのではない。別の方向へ、巧みに流すのだ。
「未婚の令息は勿論のこと……既婚でも構わないから、とにかく数を揃えましょう」
招待状をしたためながら王妃の脳裏には候補の顔ぶれが浮かぶ。
誰もが品位を備え、家柄も申し分ない。だが、皆“王家の血”は持たぬ者ばかり。
つまり、あくまで“ほどほど”の相手。
もし彼女がその中に気を引かれる相手を見つけてくれれば、御の字だ。
たとえ本気の恋に発展しなくとも、”目を向けるべき別の男”がいればそれだけで充分。
(王太子を“見せない”のではない。目もくれないように導くのよ……)
王妃の胸に、冷ややかな決意が宿る。
それは母としての愛情であり、王国の未来を守るための理性でもあった。
「夜会の主賓は王女。主役にふさわしく……彼女のために選ばれた夜を用意しましょう。華やかで、美しく、退屈する暇もないように……」
優美な微笑を浮かべた王妃の手には出来上がった夜会の招待状が数枚。品格ある金の縁取りが、その場にふさわしい“格式”を静かに語っている。そこから仄かな白檀の香が漂う。
その封書に溶かした蝋が静かに垂らされ、その上に印章がしっかりと押し当てられる。
王冠の下に二輪の薔薇と、盾を抱く双頭の鷲を象った印章が────。
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