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ピアノの音
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静まり返ったサロンに柔らかな陽の光がカーテンの隙間から差し込む。
それが金の縁取りを施されたピアノの蓋に反射し、淡い輝きを放っていた。
その前に腰掛けるのは、一人の貴婦人。先代ガーネット侯爵の寡婦、イザベラである。
身に纏う絹のドレスが優雅に波打ち、薄手の手袋をはめた指が鍵盤にそっと触れた。
肩を落とし、背筋をすっと伸ばして、まるで楽器と一体となったかのような佇まいである。
やがて、指が静かに動き出す。最初の一音が空気を震わせると室内は一変する。
彼女の瞳は遠くを見つめ、まるで過ぎ去った時代の記憶をたどるかのよう。
旋律に乗せて、誰も知らぬ心の物語が語られていく。
その姿は気品に満ち溢れ、誰もが言葉を失うほどに美しく、そして儚かった。
静まり返った一室に、ピアノの音色が柔らかく響き渡る。貴婦人の指先が鍵盤の上を舞うたび、音は花のように咲いては消え、空気に香り立つようだった。
最後の音が、そっと空中に溶けて消える。曲が終わると部屋には余韻と静けさが満ちた。
——その静けさを破ったのは控えめな拍手だった。
「……まあ、なんて、なんて素晴らしいのかしら」
驚いて振り向くと、部屋の扉近くにうっとりとした顔のセシリアが佇んでいた。
「……驚いた。いつからそこにいたの?」
「少し前からですね。別邸から綺麗な演奏が聞こえてきたから、つい……」
「つい、じゃないでしょう……。約束の時間はまだ先だというのに……もう」
窘める口調だが声には親しみが込められていた。
出会ってからまだ数日しか経っていないにもかかわらず、既に二人の間には互いに気を許し合うような雰囲気が流れていた。
「約束より早くお邪魔してすみません。私のことは構わず、演奏を続けてください」
イザベラとお茶の約束をしていたセシリアはまだ早い時間なのに彼女の家から聞こえてきたピアノの音に誘われ、ついそちらへ足を運んでしまった。音の聞こえる方へと向かい、そこにはピアノを演奏するイザベラの姿があった。陽の光を浴びて鍵盤を弾く姿は幻想的でとても美しく、彼女が奏でる音色は心が震えるほど素晴らしい。盗み聞きはお行儀が悪いが、声をかけてその演奏を止めてしまうのは忍びなかったのだ。
「いえ、いいわ。何かわたくしに用があったのでしょう?」
「用といいますか……お義母様とお話が出来れば、と」
少し照れながら言うセシリアをイザベラは素直に“可愛い”と感じた。
尊大で不遜、不屈とおよそ可愛いとは反対の性格をしている彼女だが、こうした女性らしい仕草がよく似合う。中身は覇王じみているが、外見はとびきり可憐だからだろう。
「いいわ。お茶を飲みながら話しましょう」
「ですが、お義母様の演奏がとても素晴らしかったので、もう少しだけ聞いていたいです」
「……ッ! そ、そう? また今度演奏してあげるわよ……」
素直な賛辞にイザベラは照れるあまり耳まで真っ赤に染まった。
その様を見てセシリアは「可愛い」と呟きニヤリと口角をあげる。
「もう! からかうんじゃないの! ……それより、エリオットと話は出来たの?」
そう尋ねると、セシリアは顔を顰めた。それだけで何となく察してしまった。
それが金の縁取りを施されたピアノの蓋に反射し、淡い輝きを放っていた。
その前に腰掛けるのは、一人の貴婦人。先代ガーネット侯爵の寡婦、イザベラである。
身に纏う絹のドレスが優雅に波打ち、薄手の手袋をはめた指が鍵盤にそっと触れた。
肩を落とし、背筋をすっと伸ばして、まるで楽器と一体となったかのような佇まいである。
やがて、指が静かに動き出す。最初の一音が空気を震わせると室内は一変する。
彼女の瞳は遠くを見つめ、まるで過ぎ去った時代の記憶をたどるかのよう。
旋律に乗せて、誰も知らぬ心の物語が語られていく。
その姿は気品に満ち溢れ、誰もが言葉を失うほどに美しく、そして儚かった。
静まり返った一室に、ピアノの音色が柔らかく響き渡る。貴婦人の指先が鍵盤の上を舞うたび、音は花のように咲いては消え、空気に香り立つようだった。
最後の音が、そっと空中に溶けて消える。曲が終わると部屋には余韻と静けさが満ちた。
——その静けさを破ったのは控えめな拍手だった。
「……まあ、なんて、なんて素晴らしいのかしら」
驚いて振り向くと、部屋の扉近くにうっとりとした顔のセシリアが佇んでいた。
「……驚いた。いつからそこにいたの?」
「少し前からですね。別邸から綺麗な演奏が聞こえてきたから、つい……」
「つい、じゃないでしょう……。約束の時間はまだ先だというのに……もう」
窘める口調だが声には親しみが込められていた。
出会ってからまだ数日しか経っていないにもかかわらず、既に二人の間には互いに気を許し合うような雰囲気が流れていた。
「約束より早くお邪魔してすみません。私のことは構わず、演奏を続けてください」
イザベラとお茶の約束をしていたセシリアはまだ早い時間なのに彼女の家から聞こえてきたピアノの音に誘われ、ついそちらへ足を運んでしまった。音の聞こえる方へと向かい、そこにはピアノを演奏するイザベラの姿があった。陽の光を浴びて鍵盤を弾く姿は幻想的でとても美しく、彼女が奏でる音色は心が震えるほど素晴らしい。盗み聞きはお行儀が悪いが、声をかけてその演奏を止めてしまうのは忍びなかったのだ。
「いえ、いいわ。何かわたくしに用があったのでしょう?」
「用といいますか……お義母様とお話が出来れば、と」
少し照れながら言うセシリアをイザベラは素直に“可愛い”と感じた。
尊大で不遜、不屈とおよそ可愛いとは反対の性格をしている彼女だが、こうした女性らしい仕草がよく似合う。中身は覇王じみているが、外見はとびきり可憐だからだろう。
「いいわ。お茶を飲みながら話しましょう」
「ですが、お義母様の演奏がとても素晴らしかったので、もう少しだけ聞いていたいです」
「……ッ! そ、そう? また今度演奏してあげるわよ……」
素直な賛辞にイザベラは照れるあまり耳まで真っ赤に染まった。
その様を見てセシリアは「可愛い」と呟きニヤリと口角をあげる。
「もう! からかうんじゃないの! ……それより、エリオットと話は出来たの?」
そう尋ねると、セシリアは顔を顰めた。それだけで何となく察してしまった。
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