今更、話すことなどございません

わらびもち

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それに触らないで

 王宮で試験の申し込みを済ませた二人はその足で街で評判の喫茶店へ向かった。貴族御用達のその店は個室仕様となっており、落ち着いた空間の中でエセルはジュリアとの会話を楽しんだ。

「試験内容は年によって多少の違いはあるようですが、主に礼儀作法と教養が問われるらしいです」

「礼儀作法と教養ですか……。それはどの程度を求められるのでしょうか」

「おそらくは高位貴族の令嬢が身に着けている程度を求められると思いますが……問題はないでしょう」

 そんな会話を香り高い紅茶と旬の果実のタルトを味わいながら楽しむ。
 友人との心地よい時間はあっという間に過ぎ、やがて屋敷へ戻る時刻となった。
 帰りの馬車がベネディクト伯爵邸へと近づくに連れエセルの顔から笑みが消えていく。

「……エセル様、何かあればいつでもわたくしを頼ってください」

 そう言ってジュリアはエセルの白くほっそりとした手を握る。
 柔らかな温もりにエセルの顔に笑みが浮かんだ。

「ありがとうございます、ジュリア様……。こんなに色々していただいて、そんなお言葉までいただけるなんて嬉しいです」

 ジュリアに深々と頭を下げ、感謝の言葉を伝えてからエセルは屋敷に到着した馬車を降りた。
 邸内へと足を進めるごとに先程までの楽しい気持ちが嘘のように消えていき、鬱々とした気分に変わっていく。

 ──ああ、やっぱり一刻も早くここを出たい……。

 今日、改めて確信した。この屋敷に住み続けるのはあまりにも辛いのだと。

 邸内に入ると、エセルの存在に気づいた使用人達が義務的に頭を下げる。
 いつもはそこまで気にしないはずなのに、今日はやけにそれが冷たく感じた。
 廊下を通り抜ける際、応接間の扉が開いているのに気づき、近づいてみるとそこから母の声が聞こえた。

「どれも素敵なものばかり。どれにしようか迷ってしまうわ」

 エセルがこっそりと部屋の中を覗くと、そこにはソファーに仲睦まじげに並んで座る母とベネディクト伯爵がいた。正面には商人と思しき人物が色とりどりの布地を言葉巧みに勧めている。

「お美しい奥様にはどれもお似合いでございます。ですが舞踏会で身に着けるならば、やはりこちらの深紅の絹が格別かと思います。、深紅は奥様の金の髪と青い瞳を一層際立たせ、見る者の心を自然に惹きつけます。シャンデリアの光を受けるたびに煌めいて奥様の優雅さがさらに浮かび上がることでしょう」

 商人の言葉に母は「まあ、素敵」とはしゃぐような声を出し、隣にいる伯爵と笑い合っている。
 会話から察するに舞踏会用のドレスを作るために商人を呼んだらしい。

 ──私がこんなにも悩んでいるというのに、お母様はとても幸せそう……。

 娘が何を思っているかには目もくれず、愛する人の隣で幸せそうに笑う姿を目の当たりにして、エセルは母に期待するのを完全に諦めた。自分さえ幸せならばそれでいいと思っている母に、何かを期待するだけ無駄だのだと。

 屋敷に入る前の楽しい気分はすっかり消え失せ、虚しい気持ちが心を満たす。
 エセルは足音を立てぬようその場をそっと離れ、自分の部屋へと向かった。
 
 ──お父様……。

 部屋に戻る途中、ふいにエセルは胸元に手を伸ばし、首にかけた鎖の先にある懐中時計をそっと取り出した。
 父の形見であるそれを眺めて気持ちを落ち着かせようとしたその瞬間、石畳の回廊にかすかな金属音が響いた。

「あ……」

 鎖から外れてしまったのか、懐中時計はエセルの手からこぼれ落ち、後方に転がる。
 慌てて拾おうと振り向いたその瞬間。

「こんなところに落とし物とは不用心だな」

 背後から聞こえた、からかうような声。
 見れば義理の兄が床に落ちた懐中時計を拾い上げていた。

「……ッ!! 返してください、それは――」

「駄目だ」

 即答だった。
 彼は懐中時計を軽く振り、目を細める。一瞬、その重みを確かめるように指先で転がし、光にかざした。
 蓋の縁に埋め込まれた宝石が眩く光る。
 
「……笑えるな、分不相応だ。君の身分にしてはあまりにも高価すぎる品だろう」

 低く、嘲る声で義兄が呟く。彼がそう言うほどにエセルが所持していた懐中時計は一目でかなり上質だと分かる品だった。煌びやかな金色の蓋の外周には精緻すぎるほど均一に宝石が埋め込まれている。
 
 鮮やかなルビー、深い海のようなサファイア、純白の真珠――価値を誇示するような宝石ばかりが選ばれ、互いに一歩も譲らず光を反射していた。細工は異様なほど緻密で、宝石を留める爪一つに至るまで妥協の痕跡がない。
 市場に流通している量産品ではありえない出来に腕利きの職人が魂を込めて作った品だと分かる。

「もう一度言います……返してください」

「こんなものを持つ資格が君にあるとは思えない。私が管理してやろう」

「……返さないおつもりですか?」

「当然だ」

 彼はエセルの反応を見て楽しんでいた。その下卑た顔にエセルは

「君が焦る顔を見るのは、嫌いじゃない」

 エセルは義兄を睨みつけ、そのまま一歩踏み出した。
 怯えるだろうと思った彼女が意外な反応を見せたので義兄は一瞬驚いたが、すぐに余裕の笑みを深める。
 どうせ、非力な令嬢には何も出来やしないだろうと。

「それは……私のものです」

「今は私の手の中だ」

 義兄はわざとエセルの視線の高さまで時計を持ち上げ、そして背中へ隠した。
 その幼稚な行動にエセルは呆れた顔でため息をつく。

 そして──次の瞬間、エセルが動いた。

「――っ、何を……!」

 エセルは一歩踏み込み、義兄の手首を迷いなく掴んだ。
 細い指とは思えぬ確かな力で関節を正確に捻る。

「……っ!」

 悲鳴にならない声が義兄の口から漏れる。
 エセルはさらに一段、無慈悲に力を加える。

「動かないでください」

 感情の起伏が一切ない冷たい声でエセルは告げる。

「折ります」

 義兄の指が開き、懐中時計が滑り落ちる。
 エセルは義兄の手を離し、それを拾い上げた。
 義兄は一歩よろめき、信じられないものを見るような目をエセルに向ける。
 そこには非力な令嬢の面影はなく、格上の気迫を纏った少女が佇んでいた。
 
「……触らないでください。これは私の大切な物です。あなたが簡単に触れていいものではありません」

 その声は低く、刃のようだった。冷え切った瞳で睨むと義兄はビクッと身を震わせる。

「……どこで、こんなことを覚えた……」

「それを貴方に言う必要があります? 次に触れたら……」

 エセルは怯えた顔の義兄を見据え、静かに告げる。

「二度と手を使えないようにして差し上げます」

 その瞬間――義兄の顔にはっきりした恐怖が浮かんだ。
 それを一瞥し、エセルは踵を返してその場を去る。
 背後で義兄が何やら騒いでいたがエセルが振り返ることはなかった。

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