今更、話すことなどございません

わらびもち

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もう、何も期待しないので

から聞いたわよ。昨日、彼に暴力を振るったそうじゃないの。お世話になっている家の子息になんてことをするの!」

 義兄に父の形見の懐中時計を盗られそうになった翌日、母がエセルの部屋へとやってきた。
 怒り顔の母を冷ややかな目で見つめると、母は娘の予想外に冷たい視線にびくりと身を強張らせる。

「……初めてこの部屋を訪れて言うことがそれですか。呆れますね。他に言うことはございませんの?」

「えっ……? な、なにを言っているのよ、あなたは……」

「いえ、お母様が私のを訪れたのは初めてだなと思ったまでです。それと、先程おっしゃった”アリオス”とはどなたのことです? 名ですね」

「なっ……! ふざけているの?」

「ふざけているのはお母様の方でしょう? もしかしてベネディクト伯爵子息様のことをおっしゃっているのかしら。だったら私はあの方の名を存じ上げません。名を名乗られてもいませんし、誰からも紹介されていないのですから」

「え? ……あっ……」

 そこで初めて母はベネディクト伯爵の息子がエセルに自己紹介をしていないこと、そして誰もエセルに彼を紹介していないことを思い出した。

「ごめんね……うっかりしていたわ」

「いえ、別に構いません。それで? お母様はベネディクト伯爵子息様に私を叱りにきたのでしょうか?」

「エセル、そんな意地悪な言い方をしなくても……」

「あら、失礼。では別の言い方をしましょう。他人の大切な物を奪おうとして、情けなく返り討ちにあった”義理の息子”の無念を晴らすべく、”実の娘”を叱りにきたのですよね、お母様……」

 娘の発言は紛れもなく自分を責めるものだった。その事実を突きつけられ、母は言葉を失う。

「先に言っておきますが、叱られようとも私は決して謝罪は致しません。する必要性を感じませんから」

「なっ……! なんて生意気な口を! 淑女が殿方相手に暴力などあってはならないことよ!」

「”暴力”ではなく”防衛”です。他人の物を──しかも亡き父の形見というかけがえのない物を奪おうとする行為の方がよほど乱暴で、暴力とも呼べる行為。それに対抗した私の行いは紛れもなく”防衛”と呼べるもの。文句がお有りなら、名家の子息でありながら泥棒じみた下衆な行為に出た”義理の息子”にどうぞ。被害者である”実の娘”を非難しようとする思考が理解できませんわ」

 淡々と正論を突きつける娘に母は返す言葉が見つからなかった。
 そこで母は普段は大人しいと思っていた娘が実はとても口が立つのだと、今さらのように思い出した。

「そ……それくらい、淑女なら耐えるものよ。愛らしく笑って受け流せばいいのに、わざわざ騒ぎ立てるなんて……」

「それは相手によるでしょう。話の分かる相手ならば私だってあのような手段には出ません。……もっとも、話の分かる人ならば他人の物を盗もうとはしないでしょうけど」

 軽蔑の表情でそう返す娘に母は息を呑んだ。
 どうして娘にそんな顔をされるのか、母は本気で分かっていない。いや、分かろうともしないのだ。自分が娘にどれだけ配慮の無い行動をしているのかを。
 
「お父様の形見を奪おうとした相手に、護身術を使って何が悪いというのです?」

「女の子がそんな乱暴なこと、しちゃ駄目なのよ! わたくしは貴女にそんなものを習わせることには反対だったわ」

「それ、外では言わない方がよろしいですよ? 高位貴族のご婦人にとって護身術は嗜みのひとつですもの。身分が高いほどその身は危険に晒されやすくなりますから自衛手段も淑女教育の一部として組み込まれております。お母様の発言は高位貴族のご婦人の教育を否定するものとご理解ください」

「…………ッ!!」

 言外に”無知”だと突きつけられ、母は羞恥で顔を真っ赤に染めた。男爵令嬢から子爵夫人となった母は高位貴族の作法を知らない。だが、エセルは知っている。そのことが劣等感を刺激し、母は悔しそうに歯を食いしばった。
 母はエセルを叱ろうとしたが言葉にできなかった。なぜなら、エセルの方がよほど怒っていることがその場の空気から痛いほど伝わってくるから。

 どうしてこの子はここまで怒っているのだろう──。母はエセルの怒りを理解しようともしていなかった。

「話がそれだけならお部屋にお戻りください。、広くて快適なご自分のお部屋に……」

 嫌味を込めてそう告げたが、母にはちっとも伝わっていない。母はキョトンとした顔で「え? え?」と困惑している。

「エセル……。何をそんなに怒っているの?」

「……分からないならそれで構いません。もう、お母様には何の期待もしていませんし……」

「え? どういうこと?」

 慌てた様子で近づいてこようとする母を制止し、エセルは立ち上がって扉の方へと向かった。

「私よりも義理の息子を優先するようなお母様に説明しても無駄かと存じます。それでは、私は外出する用事がございますのでもう行きますね」

 呆気にとられる母を残し、エセルは去っていった。
 一人部屋の中に残された母の胸に言葉にできない違和感が芽生えていた。

「エセル……どうして……」

 娘にあそこまで冷たい態度をとられたことなど一度も無かった。
 母はこの期に及んで自分が娘に失望されているのだと気づいていない。エセルが親に負の感情を抱くなど有りえないと、そう信じて疑っていなかった。

「ん……? ここ、なんだか黴臭いわね……」

 不意に、黴の匂いが母の鼻孔を突いた。娘の部屋が黴臭いということに気づいても尚、母はそれがどういうことを意味するかを理解していない。

「あの子も難しい年頃なのかしら……」

 母はエセルの冷たい態度と怒りをそれ以上気に留めなかった。すべては年齢のせい、とそう決めつけて、考えることをしなかった。

 やがて母は自分が何を失ったのか、その理由とともに思い知ることになる。
 今はまだ、それを後悔する未来が待っているとは知らずに……。

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