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思いもよらぬ来訪者
石造りの修道院は午後の光を静かに受け止めていた。色とりどりのステンドグラスを透った光が礼拝堂の床に淡い模様を描いている。その中央、祭壇の前でエセルはただひとり、静かに祈りを捧げていた。白いヴェールの奥で彼女は固く目を閉じ、両手を胸の前で組んでいる。
(……まさか、神父様が隣国国王の弟君だったなんて……)
密かに思いを寄せていた孤児院の神父から告げられたその事実はあまりにも衝撃的で、エセルの頭はまだ混乱の渦中にあった。彼は母国の跡目争いから逃れ、この地に身を寄せていたらしい。本名を隠し”フリッツ”という愛称で神父として身を潜めていたという。それだけでも十分に驚くべきことだったのに、さらに彼から求婚され、エセルはいまだ心の整理がつかずにいた。
(私が王族の妻なんて……分不相応にもほどがある)
元子爵令嬢で今は修道女の身。王族の妻など、どう考えても釣り合わない。
諦めるつもりだった恋だ。それなのに、彼のほうから求婚されるなど――想像もしていなかった。
エセルはその場で断った。あまりにも分不相応だからと。だが神父は諦めず、少しだけでも考えてほしいと真剣に願った。正直、その圧は尋常ではなく、エセルも思わずうなずいてしまうほどだった。
──戻ってきたら、お返事を聞かせていただけますか。
眩いばかりの笑顔でそう言われ、あまりの美しさにそれ以上反論する気が起きなかった。
彼は自分の立場を整えるために一時母国へと戻り、それが終わり次第迎えにくると。
正直、内心で「それはもう断る選択肢などないのでは?」と思ったがそれを口にできる空気ではなかった。
(これ……どう考えてもお受けする流れになっている。全ての準備を整えて、わざわざ迎えにきてくれた神父様……いえ、王弟殿下に「ごめんなさい」なんて、とてもじゃないけど言えない……)
もう、求婚を受けるしかないという流れなのはエセルも十分にわかっている。
彼のことは尊敬しているし、愛してもいるのだから求婚自体は嫌ではない。ただ、やはりどうしても王族の妻としての重責を考えると躊躇してしまう。
「どうすれば……」
誰に聞かせるでもない言葉を小さく呟く。答えなど、返ってくるはずもない。
それを答えられるのは自分しかいないのだから。
結局考えがまとまらぬまま、小さく溜息をついたエセルは礼拝堂を後にした。
すると廊下の向こうから年長のシスターが現れ、困った顔をしながら声をかけてくる。
「シスター・エセル、あなたに来客です」
「え? 来客……ですか?」
その申し出にエセルは思わず目を見開いた。
ここは貴族ですら簡単に修道女たちと面会できないというのに、客人として誰かが招かれるなど――あるはずがない、と。
「……驚くわよね。ここは外界から閉ざされた王家管轄の聖域だもの。貴族ですら簡単に足を踏み入れる場所ではないわ。けどね……王族は別よ」
驚きの表情を浮かべるエセルにシスターは囁くように教えてくれた。
「……お客様は王族の方、ということですか?」
「ええ、そうよ。第ニ王女殿下がいらしているの」
「第ニ王女殿下が……?」
まるで面識のない相手からの面会に、エセルの驚きはますます増した。
第二王女の名や顔は知っているが、会って話したことは一度もない。
そもそも一介の下位貴族が王族と話す機会など滅多にあるはずもない。
それなのに、そんな相手が面会に訪れたというその不可解さにエセルは戸惑うばかりだった。
「本来であれば院長がご対応なさるのですが……今日は一日ご不在で、どうしようもなくて……」
客人を受け入れるか否かは普段なら院長が決めるものだ。留守の際は年長のシスターが判断することになっている。だが、客人など滅多に訪れないため、その選択を迫られた経験は一度もない。
相手が王族であれば断ることはできず、入れるしかない――その事情はエセルにもよく理解できた。
「分かりました。お会いします」
「ええ……ごめんなさいね」
エセルが承諾すると、シスターは申し訳なさそうに目を伏せた。
客人は応接室にいるというのでエセルは服装を軽く整えて向かう。
(王女様が私にいったい何の御用なの……?)
戸惑いを胸に抱えたままエセルは応接室の扉の前で一度だけ息を整え、ノックをして中へ入る。
そこにいたのは、豪奢なドレスに身を包んだ年若い少女だった。気の強そうなその瞳には、はっきりと敵意が浮かんでいる。
「……あなたがエセル?」
挨拶もせず、不躾にじろじろと眺めてくる。その無作法に呆気に取られながらもエセルはすぐに気を取り直し、礼をもって少女に応じた。
「王女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしく。ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」
それは丁寧で洗練された礼だった。一介の修道女とは思えぬほどの美しい所作に少女は一瞬驚きに目を見開く。
だが次の瞬間、カッと顔を赤らめた。
「何なの、それ! わたくしへの当てつけ? 修道女の分際で、そんな綺麗な礼をしてみせるなんて生意気よ!」
「まあ……とんでもございません。殿下に失礼のないよう、礼節をもって応じたつもりでございますが……」
エセルの優美な礼に圧倒され、少女の内に嫉妬が噴き上がる。王女である自分はろくに挨拶もしていないというのに、修道女のエセルは見事な礼を披露している。その対比が少女の胸に恥ずかしさを呼び起こしたのだろう。耳まで赤くし、足で地団太を踏んでいる。
(なんとも子供っぽい王女様ね……。挨拶をしただけでこの怒りよう。忍耐力がまるで足りていないわ)
話しながらエセルは内心で首を傾げた。王族の姫という高貴な身にして、このように感情を剥き出しにするとは到底信じられない。見たところ同年代に違いないがその振る舞いはまるで幼子のようだった。
「厭味ったらしいったらないわ! あなたのせいでアリオスが迷惑しているというのに、よくもまあ平然としていられるものね!」
「アリオス……?」
久しく聞かない名前に一瞬記憶を辿る。
そして思い出した。その名は、嫌味ばかりをぶつけてきた義理の兄だと思っていた赤の他人のものだ。
(……まさか、神父様が隣国国王の弟君だったなんて……)
密かに思いを寄せていた孤児院の神父から告げられたその事実はあまりにも衝撃的で、エセルの頭はまだ混乱の渦中にあった。彼は母国の跡目争いから逃れ、この地に身を寄せていたらしい。本名を隠し”フリッツ”という愛称で神父として身を潜めていたという。それだけでも十分に驚くべきことだったのに、さらに彼から求婚され、エセルはいまだ心の整理がつかずにいた。
(私が王族の妻なんて……分不相応にもほどがある)
元子爵令嬢で今は修道女の身。王族の妻など、どう考えても釣り合わない。
諦めるつもりだった恋だ。それなのに、彼のほうから求婚されるなど――想像もしていなかった。
エセルはその場で断った。あまりにも分不相応だからと。だが神父は諦めず、少しだけでも考えてほしいと真剣に願った。正直、その圧は尋常ではなく、エセルも思わずうなずいてしまうほどだった。
──戻ってきたら、お返事を聞かせていただけますか。
眩いばかりの笑顔でそう言われ、あまりの美しさにそれ以上反論する気が起きなかった。
彼は自分の立場を整えるために一時母国へと戻り、それが終わり次第迎えにくると。
正直、内心で「それはもう断る選択肢などないのでは?」と思ったがそれを口にできる空気ではなかった。
(これ……どう考えてもお受けする流れになっている。全ての準備を整えて、わざわざ迎えにきてくれた神父様……いえ、王弟殿下に「ごめんなさい」なんて、とてもじゃないけど言えない……)
もう、求婚を受けるしかないという流れなのはエセルも十分にわかっている。
彼のことは尊敬しているし、愛してもいるのだから求婚自体は嫌ではない。ただ、やはりどうしても王族の妻としての重責を考えると躊躇してしまう。
「どうすれば……」
誰に聞かせるでもない言葉を小さく呟く。答えなど、返ってくるはずもない。
それを答えられるのは自分しかいないのだから。
結局考えがまとまらぬまま、小さく溜息をついたエセルは礼拝堂を後にした。
すると廊下の向こうから年長のシスターが現れ、困った顔をしながら声をかけてくる。
「シスター・エセル、あなたに来客です」
「え? 来客……ですか?」
その申し出にエセルは思わず目を見開いた。
ここは貴族ですら簡単に修道女たちと面会できないというのに、客人として誰かが招かれるなど――あるはずがない、と。
「……驚くわよね。ここは外界から閉ざされた王家管轄の聖域だもの。貴族ですら簡単に足を踏み入れる場所ではないわ。けどね……王族は別よ」
驚きの表情を浮かべるエセルにシスターは囁くように教えてくれた。
「……お客様は王族の方、ということですか?」
「ええ、そうよ。第ニ王女殿下がいらしているの」
「第ニ王女殿下が……?」
まるで面識のない相手からの面会に、エセルの驚きはますます増した。
第二王女の名や顔は知っているが、会って話したことは一度もない。
そもそも一介の下位貴族が王族と話す機会など滅多にあるはずもない。
それなのに、そんな相手が面会に訪れたというその不可解さにエセルは戸惑うばかりだった。
「本来であれば院長がご対応なさるのですが……今日は一日ご不在で、どうしようもなくて……」
客人を受け入れるか否かは普段なら院長が決めるものだ。留守の際は年長のシスターが判断することになっている。だが、客人など滅多に訪れないため、その選択を迫られた経験は一度もない。
相手が王族であれば断ることはできず、入れるしかない――その事情はエセルにもよく理解できた。
「分かりました。お会いします」
「ええ……ごめんなさいね」
エセルが承諾すると、シスターは申し訳なさそうに目を伏せた。
客人は応接室にいるというのでエセルは服装を軽く整えて向かう。
(王女様が私にいったい何の御用なの……?)
戸惑いを胸に抱えたままエセルは応接室の扉の前で一度だけ息を整え、ノックをして中へ入る。
そこにいたのは、豪奢なドレスに身を包んだ年若い少女だった。気の強そうなその瞳には、はっきりと敵意が浮かんでいる。
「……あなたがエセル?」
挨拶もせず、不躾にじろじろと眺めてくる。その無作法に呆気に取られながらもエセルはすぐに気を取り直し、礼をもって少女に応じた。
「王女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしく。ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」
それは丁寧で洗練された礼だった。一介の修道女とは思えぬほどの美しい所作に少女は一瞬驚きに目を見開く。
だが次の瞬間、カッと顔を赤らめた。
「何なの、それ! わたくしへの当てつけ? 修道女の分際で、そんな綺麗な礼をしてみせるなんて生意気よ!」
「まあ……とんでもございません。殿下に失礼のないよう、礼節をもって応じたつもりでございますが……」
エセルの優美な礼に圧倒され、少女の内に嫉妬が噴き上がる。王女である自分はろくに挨拶もしていないというのに、修道女のエセルは見事な礼を披露している。その対比が少女の胸に恥ずかしさを呼び起こしたのだろう。耳まで赤くし、足で地団太を踏んでいる。
(なんとも子供っぽい王女様ね……。挨拶をしただけでこの怒りよう。忍耐力がまるで足りていないわ)
話しながらエセルは内心で首を傾げた。王族の姫という高貴な身にして、このように感情を剥き出しにするとは到底信じられない。見たところ同年代に違いないがその振る舞いはまるで幼子のようだった。
「厭味ったらしいったらないわ! あなたのせいでアリオスが迷惑しているというのに、よくもまあ平然としていられるものね!」
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