今更、話すことなどございません

わらびもち

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休憩所での話

 その日、ベネディクト伯爵家の休憩所はいつもより人が多かった。十人近い侍女たちが肩を寄せ合うように座り、茶の香りに混じって落ち着かない空気が漂っている。

「ねえ、聞いた? 奥様と若様が激しい口論をなさった話……」

「しっ……声が大きいわ」

 若い侍女が堪えきれずに口を開くと、すぐに隣が肘でつつく。

「でも気になるじゃない!」

「気になるのは皆同じよ。奥様は怪我をなさったとも聞いたし……」

 そう言いながら、彼女の視線はとある人物へと向かった。

「ねえ、あなた確か奥様の専属よね? 何か知っている?」

 声をかけられた人物は隣国の間者としてこの屋敷に潜入している新人メイドだ。
 彼女はエリザベートからエセルを守る、という任務の為にここに滞在している。

「はい。あの日、奥様は若様と王女様の結婚の件で、若様を問いただそうとお部屋へいらしたのです。ですが、すぐに口論になり、それがどんどん激しくなって……ついには若様が酒の空き瓶を奥様に投げつけてしまい――」

 彼女に観察対象であるエリザベートに忠誠心など欠片もない。だからこそ、こうして聞かれて隠す理由もないので素直にあったことを説明した。

「まあ……! なんて乱暴な……」

 あちこちで息を呑む音が重なる。予想よりも荒々しい出来事に温室育ちの侍女達は顔を青くしていた。

「奥様は怪我を……?」

「いえ、幸いにして瓶は壁に当たったので、奥様に怪我はありません。ただ、そうされたショックで寝込んでしまわれました」

「それはそうよね……」

 一瞬、部屋に沈黙が落ちたが、すぐに別の侍女が食い気味に問う。

「そもそも、どうして奥様が若様の結婚に口を挟むの? 言っては悪いけど、後妻にそんな権利はないわよね」

「それはそうよね。若様のご結婚については旦那様がお決めになることですもの。本当の母親でもない、ましてや再婚したばかりの奥様に口を挟む権利はないわ」

 この発言だけでもエリザベートが侍女たちから敬意を払われていないことは察せられた。
 そこに、他の侍女が口を挟む。

「もしかして……あれかしら。若様がエセルお嬢様を見初めて妻にと望んでいらしたって話、聞いたことがあるわ。それなのに王女様との結婚話が出たから奥様は怒ってしまったのかも……」

 ざわ、と空気が揺れる。それを知らない侍女は思の他多かったようで、休憩室が急に騒がしくなった。

「え? なにそれ……若様がエセルお嬢様を? あんなに陰湿な嫌がらせを繰り返していたのに……?」

 陰湿な嫌がらせ、という言葉にメイドの頬がわずかに引きつる。事前の情報で耳にしていたが、仔細までは知らない。なので、思わず「陰湿な嫌がらせ?」と聞き返した。

「……もう、私達の目から見てもひどかったのよ。姿を見つけてはネチネチと嫌な言葉ばっかりぶつけて、悲しむお嬢様の顔を見て喜んでらしたわ」

「そうそう、わざと日当たりが悪く黴臭い部屋をお嬢様にあてがったり、わざと名前を呼ばなかったり……」

「お嬢様の私物をわざと取り上げて返さなかったこともあるそうよ。まるで子供よね」

 侍女達の口から次々と出てくる嫌がらせの内容にメイドは眉を顰めた。
 成人した男のやることとは思えない幼稚な内容の数々に、それは本当なのかと疑いたくなるほどだ。

「それに、よくお嬢様の外見を馬鹿にしてらしたわよね? 地味だとか、奥様に比べて華がないとか」

「え? あんなにお綺麗なお嬢様を? 信じられない……」

「お嬢様は清楚なだけよね。女性の外見を蔑むこと自体が紳士として有り得ないけど、それだけ罵倒しておいて『実は好きでした』と言われても、誰が信じるかしら」

「好きな子ほど虐めたいというやつかしら……。でも、それが許されるのは幼い頃までよね。現にお嬢様は若様の嫌がらせに耐えかねて家出なさってしまわれたのだし……」

「お嬢様が家出なさったのって、若様だけのせいかしら? 奥様のお嬢様への態度も原因だと思うわ。ほら、奥様は旦那様に夢中で、お嬢様のことにはほとんど関心を払っていなかったでしょう? 慣れない屋敷で心細いのに唯一の肉親にそんな態度を取られたら、誰だって参ってしまうわよ」

 話を聞くうちに、そんな状況では家出したくもなるだろうとメイドは思った。
 新たな男に夢中で子供に無関心の母、執拗な嫌がらせを繰り返す義理の兄、居心地の悪い部屋。父を亡くしたばかりの傷心の少女にそのような仕打ちが続けば壊れてしまってもおかしくはない。

(現状に黙って耐え忍ぶのではなく、勇気を出して逃げ出したその行動力はなかなかのもの。誰かに助けてもらうまで待つような、か弱い令嬢よりずっと好感が持てる)

 さすがはフリードリヒ殿下がお選びになった方、とメイドは心の中でエセルを褒め称えた。
 隣国ロレーヌではロザリンド王妃のように行動力のある強い女性が尊ばれる。ここへ来るまで、メイドはエセルを弱い女性だと思っていた。だが実際は現状を打破することもためらわない強い女性だと認識を改めた。

 それはさておき、実の息子があのような恥知らずな振る舞いをしているというのに、当主はなぜ放置していたのかと疑問に思った。今になって連れ子の家出に慌てて手を打とうとしているらしいが、最初から息子を止めていれば、こんな事態にはならなかったはずだ。

 そんな時、別の侍女がふと口を開いた。

「ねえ、旦那様は何故若様の行動を窘めなかったのかしら。執事さんが何度も若様の行動を伝えていたらしいけど、何も変わらなかったじゃない?」

「どうなのかしら……。流石にお嬢様の私物を奪った時は注意していたらしいけど」

「こんなことはあまり言いたくないけど……旦那様がもっと早く手を打っていれば、お嬢様だって家出なさらなかったかもしれないわよね。あれから大変なことばかり起こるし……」

 再び沈黙が落ちる。すると、ぽつりと若い侍女が口を開いた。

「……ねえ」

 その声は小さかったのに、不思議と場に響く。

「このお屋敷……大丈夫なのかな」

 それは、皆がかすかに思っていたこと。王家の怒りを買い、厄介払いのような婚約を押し付けられたベネディクト伯爵家。先行きに不安を感じるのは当然のことだった。

 だからこそ、誰も答えられず沈黙だけが再び場を支配した。

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