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古いやり方
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「いや……これは本当にひどいな……」
大量の書類の束に埋もれたバーティ侯爵家の室内に男の呆れたような声が響く。
声の主は執務机に座る中年の男性。その所作も声も完全に男のそれなのに、身に纏う衣服は貴族の女性が着るような豪奢なドレスだった。
「何がですか、お父様」
ドレス姿の中年男性に尋ねるのは年若く美しい少女。
彼女は両手で大量の資料を運び、それを執務机の脇に置いた。
「いや、もう全てだ。領地経営のやり方も、王宮に提出する報告書の記載も全てだ」
「そこまでひどいのですか……?」
「ああ、まず領地経営のやり方が古い。資料を読んだ限りだと先代……いや、先々代の頃から全くやり方が変わっていない。こういうものは時代と共に新しいやり方を取り入れていくものだ。なのにそれが全く成されていない」
書類を前に悩ましい顔をする女装男性の名はヴィンセント・フロンティア。フロンティア子爵家の現当主だ。
そして彼の仕事を手伝う美しい少女の名はアリッサ。フロンティア子爵令嬢にしてこの女装男性の娘である。
彼女は父親がこのような姿であっても顔色一つ変えることはない。
何故ならこれは彼女が仕向けたことだからだ。
「それは……例えばどのような?」
「そうだな、まず年貢の取り立てなのだが……数十年前までは毎年同じ収穫量を納めるように定めていた。しかし、その年の気候等で収穫量は変わってくる為今は収穫量に対する一定の割合で納めるように変えている。少なくとも我が家ではそうだ」
「それがバーティ侯爵家では違うと……」
「ああ。資料で確認した限りだと、豊作だろうが不作だろうが毎年同じ量を納めさせている。これでは不作の年は領民が飢えてしまうし、豊作の年には余った作物が無駄になる」
領民が育てた作物を領主が集め、それを売りさばくことによって領地の収益を得る。如何に上手く売るかが領主の腕の見せ所とも言われていた。
「領民が飢えてしまうことは言語道断。また、豊作の年には余った作物を安く買い叩こうと悪質な商人が横行する危険性もありますね。そうならない為に領主が過不足なく収穫物を集めるべきですのに……バーティ侯爵はそれを怠っていると」
「そうそう、一昔前はそれが当たり前だったらしいが……ん? アリッサ、お前領地経営学も学んでいるのか?」
「はい。といいましても、初歩しか学んでおりません」
令嬢の身でありながら家政、政治、経営までも学んでいるのか……と子爵は娘が受けた教育内容の濃さにかなり驚いた。それと同時にその教育を施した妻は娘をどうしたかったのだろうと考えてしまう。
「お父様? 急に黙ってどうされたのですか?」
「あ……いや、何でもない。それより、ここの領民の生活状況がどうなっているか気になるな……」
こんな何十年も前のやり方で領民はどのような生活をしているのだろう。
こんな姿でも一つの領地を預かっている身として子爵はバーティ侯爵領の状態が気になった。
「それは確かに……。そういうことでしたら明日にでも視察に行きます?」
「いや……この格好で外をうろついたら駄目だろう。ここに来るのもかなり恥ずかしかったというのに……」
そういえば父はまだドレスに金髪縦ロールの鬘を被った状態だった。
二日で見慣れてしまっていたなとアリッサは改めて父の姿を眺める。
「そういえば選定期間中はその姿でいなくちゃいけませんでしたね」
「お前が言い出したことなんだよ!? それなのに忘れたのか?」
「いやですわ、私ではなくて国王陛下がお決めになったことですよ?」
「その陛下を唆したのは紛れもなくお前だよね!? よくもまあ陛下相手にあそこまでの立ち回りが出来るものだと感心したよ……」
「まあ、そんなことよりお父様が行けないのでしたら私が行くしかありませんね。また侯爵様に許可を貰っておきます」
「”そんなこと”じゃないよ!? お前は一国の王を説き伏せて一家の主に女装を強制しているんだよ! 普通に考えてとんでもないことだから!」
改めて口にすると自分の娘がとんでもない事をしたなと実感する。
自分がこんな姿でここへ訪れることになったのは自分の血を引く愛娘が発端だ。
「貴族家当主で、男で、孫がいてもおかしくない年齢の私に女装させて“フロンティア子爵家の娘”だと陛下に一筆かかせ、花嫁候補だとここへ足を運ばせたのはお前だろう?」
今更だが自分のしていることが情けなくなったのか、子爵は娘に向かって責めるような口調で訴えかける。しかしアリッサは父親の必死の訴えを鼻で笑って退けた。
「だから何だというのです? 無関係の私が生贄のように嫁がされてもいいとおっしゃるの?」
「いや……それは……」
「お嫌でしょう? それに、他にいい案があるとでも?」
「いや……無い」
「だったらつべこべ文句をおっしゃらないでくださいな。とりあえず領地の視察は私だけ行ってまいります。お母様により詳しいバーティ侯爵家の財政状況を報せねばなりませんし……」
「あ、ああ……すまない」
アリッサの顔から笑顔が消えたのを目にし、子爵は内心「しまった……」と焦る。
したくもない女装姿をさせられ、しかもそれで人前に出なければいけないという辱めについ口調が荒くなってしまった。だが、こうしなければ何の罪も無い娘は危うくろくでもない男の妻になるところだったのだ。父親が頼りにならないから娘が自分で立ち回っているというのに、それに対して文句を言えるような立場ではないと子爵は改めて自覚する。
「アリッサ……文句を言ってしまってすまない。もう言わないから機嫌を直してくれないか?」
「……別に怒ってなどいませんわ」
嘘だ……! そう子爵は思わず叫びそうになった。
女性のこの台詞は確実に起こっている時に使われるものだと妻で散々学習している。
「本当にすまなかった……勝手なことを言った。どうか機嫌を…………ん? あれ、そういえば先ほどメリッサがどうとか言っていなかったか……?」
先程のアリッサの台詞の中に『母にバーティ侯爵家の財政状況を報せる必要がある』とあったと子爵は気づく。何故この家の財政状況を報せねばならないのか、とアリッサに問いかけたのだが……
「お父様は知らなくていいことですわ」
機嫌を悪くしたアリッサは父親の問いかけを冷たくあしらった。
そんな娘の態度に子爵は冷や汗を流す。
女性の地雷を踏むと後が怖いと分かっているのに、いつもこうして妻や娘相手にやらかしてしまう。
こうなるとしばらくは謝っても態度を軟化させることはない。
諦めて子爵は空気が悪い中、再び仕事にとりかかるのだった。
大量の書類の束に埋もれたバーティ侯爵家の室内に男の呆れたような声が響く。
声の主は執務机に座る中年の男性。その所作も声も完全に男のそれなのに、身に纏う衣服は貴族の女性が着るような豪奢なドレスだった。
「何がですか、お父様」
ドレス姿の中年男性に尋ねるのは年若く美しい少女。
彼女は両手で大量の資料を運び、それを執務机の脇に置いた。
「いや、もう全てだ。領地経営のやり方も、王宮に提出する報告書の記載も全てだ」
「そこまでひどいのですか……?」
「ああ、まず領地経営のやり方が古い。資料を読んだ限りだと先代……いや、先々代の頃から全くやり方が変わっていない。こういうものは時代と共に新しいやり方を取り入れていくものだ。なのにそれが全く成されていない」
書類を前に悩ましい顔をする女装男性の名はヴィンセント・フロンティア。フロンティア子爵家の現当主だ。
そして彼の仕事を手伝う美しい少女の名はアリッサ。フロンティア子爵令嬢にしてこの女装男性の娘である。
彼女は父親がこのような姿であっても顔色一つ変えることはない。
何故ならこれは彼女が仕向けたことだからだ。
「それは……例えばどのような?」
「そうだな、まず年貢の取り立てなのだが……数十年前までは毎年同じ収穫量を納めるように定めていた。しかし、その年の気候等で収穫量は変わってくる為今は収穫量に対する一定の割合で納めるように変えている。少なくとも我が家ではそうだ」
「それがバーティ侯爵家では違うと……」
「ああ。資料で確認した限りだと、豊作だろうが不作だろうが毎年同じ量を納めさせている。これでは不作の年は領民が飢えてしまうし、豊作の年には余った作物が無駄になる」
領民が育てた作物を領主が集め、それを売りさばくことによって領地の収益を得る。如何に上手く売るかが領主の腕の見せ所とも言われていた。
「領民が飢えてしまうことは言語道断。また、豊作の年には余った作物を安く買い叩こうと悪質な商人が横行する危険性もありますね。そうならない為に領主が過不足なく収穫物を集めるべきですのに……バーティ侯爵はそれを怠っていると」
「そうそう、一昔前はそれが当たり前だったらしいが……ん? アリッサ、お前領地経営学も学んでいるのか?」
「はい。といいましても、初歩しか学んでおりません」
令嬢の身でありながら家政、政治、経営までも学んでいるのか……と子爵は娘が受けた教育内容の濃さにかなり驚いた。それと同時にその教育を施した妻は娘をどうしたかったのだろうと考えてしまう。
「お父様? 急に黙ってどうされたのですか?」
「あ……いや、何でもない。それより、ここの領民の生活状況がどうなっているか気になるな……」
こんな何十年も前のやり方で領民はどのような生活をしているのだろう。
こんな姿でも一つの領地を預かっている身として子爵はバーティ侯爵領の状態が気になった。
「それは確かに……。そういうことでしたら明日にでも視察に行きます?」
「いや……この格好で外をうろついたら駄目だろう。ここに来るのもかなり恥ずかしかったというのに……」
そういえば父はまだドレスに金髪縦ロールの鬘を被った状態だった。
二日で見慣れてしまっていたなとアリッサは改めて父の姿を眺める。
「そういえば選定期間中はその姿でいなくちゃいけませんでしたね」
「お前が言い出したことなんだよ!? それなのに忘れたのか?」
「いやですわ、私ではなくて国王陛下がお決めになったことですよ?」
「その陛下を唆したのは紛れもなくお前だよね!? よくもまあ陛下相手にあそこまでの立ち回りが出来るものだと感心したよ……」
「まあ、そんなことよりお父様が行けないのでしたら私が行くしかありませんね。また侯爵様に許可を貰っておきます」
「”そんなこと”じゃないよ!? お前は一国の王を説き伏せて一家の主に女装を強制しているんだよ! 普通に考えてとんでもないことだから!」
改めて口にすると自分の娘がとんでもない事をしたなと実感する。
自分がこんな姿でここへ訪れることになったのは自分の血を引く愛娘が発端だ。
「貴族家当主で、男で、孫がいてもおかしくない年齢の私に女装させて“フロンティア子爵家の娘”だと陛下に一筆かかせ、花嫁候補だとここへ足を運ばせたのはお前だろう?」
今更だが自分のしていることが情けなくなったのか、子爵は娘に向かって責めるような口調で訴えかける。しかしアリッサは父親の必死の訴えを鼻で笑って退けた。
「だから何だというのです? 無関係の私が生贄のように嫁がされてもいいとおっしゃるの?」
「いや……それは……」
「お嫌でしょう? それに、他にいい案があるとでも?」
「いや……無い」
「だったらつべこべ文句をおっしゃらないでくださいな。とりあえず領地の視察は私だけ行ってまいります。お母様により詳しいバーティ侯爵家の財政状況を報せねばなりませんし……」
「あ、ああ……すまない」
アリッサの顔から笑顔が消えたのを目にし、子爵は内心「しまった……」と焦る。
したくもない女装姿をさせられ、しかもそれで人前に出なければいけないという辱めについ口調が荒くなってしまった。だが、こうしなければ何の罪も無い娘は危うくろくでもない男の妻になるところだったのだ。父親が頼りにならないから娘が自分で立ち回っているというのに、それに対して文句を言えるような立場ではないと子爵は改めて自覚する。
「アリッサ……文句を言ってしまってすまない。もう言わないから機嫌を直してくれないか?」
「……別に怒ってなどいませんわ」
嘘だ……! そう子爵は思わず叫びそうになった。
女性のこの台詞は確実に起こっている時に使われるものだと妻で散々学習している。
「本当にすまなかった……勝手なことを言った。どうか機嫌を…………ん? あれ、そういえば先ほどメリッサがどうとか言っていなかったか……?」
先程のアリッサの台詞の中に『母にバーティ侯爵家の財政状況を報せる必要がある』とあったと子爵は気づく。何故この家の財政状況を報せねばならないのか、とアリッサに問いかけたのだが……
「お父様は知らなくていいことですわ」
機嫌を悪くしたアリッサは父親の問いかけを冷たくあしらった。
そんな娘の態度に子爵は冷や汗を流す。
女性の地雷を踏むと後が怖いと分かっているのに、いつもこうして妻や娘相手にやらかしてしまう。
こうなるとしばらくは謝っても態度を軟化させることはない。
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