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痴話喧嘩
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「マクス、あの女を妻に迎える気なの……?」
ヘブンズ伯爵邸からの帰りの道中、ジェシカは馬車の中でポツリと呟いた。
「ああ……その、王命だしさ……」
「は? 昨日は嫌がらせをして追い出すって言ってたよね!?」
「え? あっ…………」
侯爵は自分が命じたことをすっかり忘れていた。昨日のことなのに、すっかりと。
「い、いや……でも、王命だし、その…………」
昨日の記憶を段々と思い出し、しどろもどろになりながら侯爵はジェシカから目を逸らした。
「なんで!? 追い出してくれるって言ったよね? ねえ、言ったよね!?」
凄い剣幕で怒鳴るジェシカに侯爵は冷や汗を流した。
昨日今日で言い分がコロコロ変われば彼女が怒るのも当然だろう。
「そもそも今日は婚約を無かったことにしてもらう為に来たんじゃなかったの? なんであの女だけを妻にするような話になっているのよ!?」
「い、いや……それは…………」
確かに昨日はそういう話だった。
だが、侯爵は行きがけに見たアリッサの美しさに心惹かれ、手放すことが惜しいと思ってしまったのだ。
ようは心移りしたせいで言い分も変わったということだ。
「いや……でもさ、最初はそんな話だっただろう? 僕が当主でいる為に貴族の妻を”お飾り”に迎えるって……。ジェシカだって賛成してくれたじゃないか?」
「それはそうだけどっ……! あんなとんでもない女が来るなんて思っていなかったわ! お嬢様っていうからてっきりもっと大人しくて従順な女かと……」
フロンティア子爵家の令嬢を妻に迎えるということはジェシカも事前に了承していた。自分の恋人が別の女と結婚するというのは抵抗があったものの、彼が貴族でいる為には仕方ないと渋々納得したのだ。このまま貴族の妻を娶らなければ彼が当主のままでいるのは危うくなると聞いたから。
“あくまで形だけの、お飾りの妻を娶るだけだ。僕が愛するのはジェシカ唯一人だけだよ”
そう言って安心させてくれたから、妻を迎えることを許した。
高貴な身分の彼が平民の自分をそこまで愛してくれるなんて、まるで物語のヒロインになったようで気分がいい。
それに貴族のお嬢様よりも自分が上になったようで優越感に満たされる。
妻になった貴族のお嬢様はそんな自分達を見てさぞかし悔しい想いをするだろう。
そう考えるだけで気持ちが高揚する。平民の自分が貴族令嬢に嫉妬の眼差しを向けられる機会なんて滅多にないのだから。
どちらが彼に必要とされているか、愛されているかを最初から分からせる為にあえて自分も一緒に婚約者となるお嬢様を出迎えることにした。彼の隣に一目で恋人と分かるような距離でくっついていたらさぞかし悔しがるだろうと。そして、そんな悔しい想いをしても王様の命令だから拒否は出来ないのだと。
だが、蓋を開けてみたらお相手となる令嬢は想像以上にとんでもない女だった。
「貴方もあのお爺さんも“お飾りの妻”って言うけど、あの女は大人しく飾られているようなタマじゃないわよ! むしろ飾っておくだけで害を及ぼすような女よ!」
まるで呪いの人形かのようにアリッサを罵るジェシカ。
多分本人が聞いたところで「言い得て妙ですわね~」と平然と返すだろう。
「いや……だって、あの爺さんが従順な令嬢を用意するなんて言うから……」
「従順な要素なんて砂粒ほども無いわよ! あのお爺さんだってあの女に会ったこともないようだったし、騙されたのよ貴方は!」
とうとう二人共ヘブンズ伯爵を“爺さん”呼びし始めた。
もとはと言えば彼が全ての元凶だ。彼が余計なことさえ言わなければこうしてもめることも無かったというのに……。
「ねえ、今からでも別の人と交換出来ないの? もっと大人しくて従順でか弱いお嬢様でないと“お飾りの妻”なんて成り立たないわよ!」
ジェシカの言葉はその通りであった。大人しく従順で夫の言う事なら何でも聞くような性格の女性でなければ“お飾りの妻”なんて到底成り立たない。相手の女性の気が強ければ反抗されるのは当たり前だからだ。ましてやアリッサは気が強いとかそういうレベルをとっくに超えている。
「いや、それは無理だ。もう王命で“フロンティア子爵家の娘”と定められてしまっている。だからもうどちらかを選ぶしか……」
「ちょっと待って! どちらかって……貴方まさかあの女装中年男も数に入れているの? 嘘でしょう!?」
「ちがっ……そうじゃない! 王命がそうだって話だ!」
「その王命がそもそも有り得ないのよ! ああ、もうっ……あんなのが邸内をウロウロしていると考えただけで嫌!」
もともとジェシカはバーティ侯爵領内にある村で農民として暮らしていたところを侯爵に見初められたのだ。田舎育ちの彼女は女物を着る男というのを見たことが無い。そんな意外にも純朴なところがある彼女にフロンティア子爵の女装姿は衝撃的だった。
「というか……貴方はそもそもお爺さんに”王命に従わない”って言っていたじゃない! あれは嘘だったわけ?」
「いや……その、あの時はそういう気分だったから、つい言ってしまったんだ。実際にそれをやるのは重罪だ。爵位没収は免れない……」
「…………っ!?」
爵位没収ということは貴族でいられなくなるということ。
そうなったら今のような贅沢が出来ない……とジェシカは顔を青褪めさせた。
「それにほら、爺さんが陛下にフロンティア子爵令嬢のみを“お飾りの妻”扱いできるよう話してくれると言っていたじゃないか? そうなればあの女装中年男は邸からいなくなるぞ」
「……いや、でもそれじゃあ……最初に言ったようにあの破天荒な女が貴方の嫁になるのよね? あの女が黙って飾られているわけないから意味が無いんだけど」
彼等が思う”お飾りの妻”とは、粛々と仕事のみをこなし、夫である侯爵とジェシカの関係に文句を言わない日陰の存在。どう考えても破天荒極まりないアリッサでは成り立ちそうもない。
「もう……何でこんなことになっているのよ? アタシは今まで通りでいられたらそれで幸せだったのに……。全部あのお爺さんのせいよ……!」
ヘブンズ伯爵が余計な提案をしなければ邸に破天荒な女と女装中年男を入れることもなかった。確かに侯爵は貴族家当主として正当な貴族令嬢を妻に迎える必要があるが、その相手があそこまでとんでもない女である必要はない。
「ジェシカ、落ち着いて……」
「落ち着けるわけがないでしょう!? もう嫌! 今日は邸に帰りたくない! あいつらの顔なんて見たくない!」
金切声で駄々をこねるジェシカに侯爵はウンザリとした。
こんな狭い馬車の中で叫ばれると耳が痛い。
(ああもう、五月蠅いな……三十にもなるのにジェシカはどうしてこう感情的なのだろう。あの令嬢のように落ち着いてくれないものだろうか……)
ふと、侯爵の頭に笑みをたたえたアリッサの顔が浮かぶ。
多少言動に問題があるものの、所作や話し方は淑やかそのもの。まさに淑女と呼ぶに相応しい。
ここにきて侯爵の心がジェシカからアリッサに傾き始めた。
「今日はどこか宿をとって! 気晴らしに豪華な宿で贅沢したい!」
「あ、ああ……分かったよ。すぐに手配する……」
こうなったジェシカは希望通りにしてやらなければ機嫌が直らない。
長年そうして彼女の機嫌を取り続けてきたし、それを面倒と思ったことはない。
だが、何故か今心を占めるのは”面倒だ”という気持ちと婚約者候補となった美しい少女のことばかり。
出来ることならすぐにでも帰ってあの少女の顔が見たい。
実行はされていないとはいえ、嫌がらせを命じておきながら『顔が見たい』と思うのはかなり頭がおかしい考えなのだが、傲慢な侯爵はそれに気づかない。
ヘブンズ伯爵邸からの帰りの道中、ジェシカは馬車の中でポツリと呟いた。
「ああ……その、王命だしさ……」
「は? 昨日は嫌がらせをして追い出すって言ってたよね!?」
「え? あっ…………」
侯爵は自分が命じたことをすっかり忘れていた。昨日のことなのに、すっかりと。
「い、いや……でも、王命だし、その…………」
昨日の記憶を段々と思い出し、しどろもどろになりながら侯爵はジェシカから目を逸らした。
「なんで!? 追い出してくれるって言ったよね? ねえ、言ったよね!?」
凄い剣幕で怒鳴るジェシカに侯爵は冷や汗を流した。
昨日今日で言い分がコロコロ変われば彼女が怒るのも当然だろう。
「そもそも今日は婚約を無かったことにしてもらう為に来たんじゃなかったの? なんであの女だけを妻にするような話になっているのよ!?」
「い、いや……それは…………」
確かに昨日はそういう話だった。
だが、侯爵は行きがけに見たアリッサの美しさに心惹かれ、手放すことが惜しいと思ってしまったのだ。
ようは心移りしたせいで言い分も変わったということだ。
「いや……でもさ、最初はそんな話だっただろう? 僕が当主でいる為に貴族の妻を”お飾り”に迎えるって……。ジェシカだって賛成してくれたじゃないか?」
「それはそうだけどっ……! あんなとんでもない女が来るなんて思っていなかったわ! お嬢様っていうからてっきりもっと大人しくて従順な女かと……」
フロンティア子爵家の令嬢を妻に迎えるということはジェシカも事前に了承していた。自分の恋人が別の女と結婚するというのは抵抗があったものの、彼が貴族でいる為には仕方ないと渋々納得したのだ。このまま貴族の妻を娶らなければ彼が当主のままでいるのは危うくなると聞いたから。
“あくまで形だけの、お飾りの妻を娶るだけだ。僕が愛するのはジェシカ唯一人だけだよ”
そう言って安心させてくれたから、妻を迎えることを許した。
高貴な身分の彼が平民の自分をそこまで愛してくれるなんて、まるで物語のヒロインになったようで気分がいい。
それに貴族のお嬢様よりも自分が上になったようで優越感に満たされる。
妻になった貴族のお嬢様はそんな自分達を見てさぞかし悔しい想いをするだろう。
そう考えるだけで気持ちが高揚する。平民の自分が貴族令嬢に嫉妬の眼差しを向けられる機会なんて滅多にないのだから。
どちらが彼に必要とされているか、愛されているかを最初から分からせる為にあえて自分も一緒に婚約者となるお嬢様を出迎えることにした。彼の隣に一目で恋人と分かるような距離でくっついていたらさぞかし悔しがるだろうと。そして、そんな悔しい想いをしても王様の命令だから拒否は出来ないのだと。
だが、蓋を開けてみたらお相手となる令嬢は想像以上にとんでもない女だった。
「貴方もあのお爺さんも“お飾りの妻”って言うけど、あの女は大人しく飾られているようなタマじゃないわよ! むしろ飾っておくだけで害を及ぼすような女よ!」
まるで呪いの人形かのようにアリッサを罵るジェシカ。
多分本人が聞いたところで「言い得て妙ですわね~」と平然と返すだろう。
「いや……だって、あの爺さんが従順な令嬢を用意するなんて言うから……」
「従順な要素なんて砂粒ほども無いわよ! あのお爺さんだってあの女に会ったこともないようだったし、騙されたのよ貴方は!」
とうとう二人共ヘブンズ伯爵を“爺さん”呼びし始めた。
もとはと言えば彼が全ての元凶だ。彼が余計なことさえ言わなければこうしてもめることも無かったというのに……。
「ねえ、今からでも別の人と交換出来ないの? もっと大人しくて従順でか弱いお嬢様でないと“お飾りの妻”なんて成り立たないわよ!」
ジェシカの言葉はその通りであった。大人しく従順で夫の言う事なら何でも聞くような性格の女性でなければ“お飾りの妻”なんて到底成り立たない。相手の女性の気が強ければ反抗されるのは当たり前だからだ。ましてやアリッサは気が強いとかそういうレベルをとっくに超えている。
「いや、それは無理だ。もう王命で“フロンティア子爵家の娘”と定められてしまっている。だからもうどちらかを選ぶしか……」
「ちょっと待って! どちらかって……貴方まさかあの女装中年男も数に入れているの? 嘘でしょう!?」
「ちがっ……そうじゃない! 王命がそうだって話だ!」
「その王命がそもそも有り得ないのよ! ああ、もうっ……あんなのが邸内をウロウロしていると考えただけで嫌!」
もともとジェシカはバーティ侯爵領内にある村で農民として暮らしていたところを侯爵に見初められたのだ。田舎育ちの彼女は女物を着る男というのを見たことが無い。そんな意外にも純朴なところがある彼女にフロンティア子爵の女装姿は衝撃的だった。
「というか……貴方はそもそもお爺さんに”王命に従わない”って言っていたじゃない! あれは嘘だったわけ?」
「いや……その、あの時はそういう気分だったから、つい言ってしまったんだ。実際にそれをやるのは重罪だ。爵位没収は免れない……」
「…………っ!?」
爵位没収ということは貴族でいられなくなるということ。
そうなったら今のような贅沢が出来ない……とジェシカは顔を青褪めさせた。
「それにほら、爺さんが陛下にフロンティア子爵令嬢のみを“お飾りの妻”扱いできるよう話してくれると言っていたじゃないか? そうなればあの女装中年男は邸からいなくなるぞ」
「……いや、でもそれじゃあ……最初に言ったようにあの破天荒な女が貴方の嫁になるのよね? あの女が黙って飾られているわけないから意味が無いんだけど」
彼等が思う”お飾りの妻”とは、粛々と仕事のみをこなし、夫である侯爵とジェシカの関係に文句を言わない日陰の存在。どう考えても破天荒極まりないアリッサでは成り立ちそうもない。
「もう……何でこんなことになっているのよ? アタシは今まで通りでいられたらそれで幸せだったのに……。全部あのお爺さんのせいよ……!」
ヘブンズ伯爵が余計な提案をしなければ邸に破天荒な女と女装中年男を入れることもなかった。確かに侯爵は貴族家当主として正当な貴族令嬢を妻に迎える必要があるが、その相手があそこまでとんでもない女である必要はない。
「ジェシカ、落ち着いて……」
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多少言動に問題があるものの、所作や話し方は淑やかそのもの。まさに淑女と呼ぶに相応しい。
ここにきて侯爵の心がジェシカからアリッサに傾き始めた。
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「あ、ああ……分かったよ。すぐに手配する……」
こうなったジェシカは希望通りにしてやらなければ機嫌が直らない。
長年そうして彼女の機嫌を取り続けてきたし、それを面倒と思ったことはない。
だが、何故か今心を占めるのは”面倒だ”という気持ちと婚約者候補となった美しい少女のことばかり。
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