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ランカ男爵の後悔①
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ランカ男爵家当主は自室で頭を抱えていた。
もう何度目になるか分からないため息をつき、整えた髪を手でグシャリとかき乱す。
「こんな……こんなことになるなんて……」
自分の考えがどれだけ甘かったか、そして教育を施していない娘が社交界に出ることがどれだけ恐ろしい事態を招くか、それを理解していなかった自分が恨めしくて仕方ない。
彼がこうなってしまった原因は、今から遡る事数時間前のこと―――。
*
ある日の昼下がり、邸の門前に四頭立ての豪奢な馬車が停まり、そこから青褪めた顔の娘と眉間に皺を寄せた中年の男が出てきた。
上質な仕立ての衣服に身を包んだ男は、馬車に施された家紋から察するにコンラッド侯爵家当主なのだろう。
見れば馬車の中にはその子息と思しき青年もいる。
青年と娘の顔が青褪めてはいたものの、ランカ男爵は目の前の光景に盛大な勘違いをした。
(コンラッド侯爵と共にいるということは……まさか、ビビを子息の新しい婚約者に迎えてくれるのか!?)
パッと顔を喜色に染める男爵を見て、コンラッド侯爵の眼光は更に鋭さを増した。
その射殺さんばかりの眼差しに男爵は体をビクリと体を震わせる。
「ランカ男爵、突然の訪問すまない。倅が勝手にそちらのご息女を連れ出してしまったようでな」
「ご子息がビビを……? さようでございますか」
(共に外出するほど子息はビビとの仲が深いのか!? もしかして体の関係もあるのか……? それならば子息に責任をとって妻にしてもらえるじゃないか! でかしたぞビビ!)
男爵はビビが高位貴族の子息を捕まえたことをひどく喜んだ。
愛人が産んだ娘を引き取ることに妻は難色を示したが、こうやって高位の貴族令息に見初められたので結果的には正解だったというわけだ。
男爵令嬢が名門侯爵家の妻に……と顔をニヤつかせる男爵に告げられた侯爵の言葉は、ひどく残酷で現実的なものであった。
「……そちらの教育に口を出すのもどうかと思うが、もうすこし慎みを覚えさせたほうがいいのでは? 婚約者のいる男に擦り寄り、その婚約者の令嬢の家へ突撃するなど淑女の行動とは思えんな」
「へ………………?」
婚約者の令嬢の家へ突撃した……?
理解できぬ台詞に男爵の思考は一瞬停止してしまった。
「婚約者の令嬢の家へ突撃……? ど、どういうことですか……?」
「どうもこうも、言葉通りの意味だ。うちの倅と共にヴィクトリア伯爵家へと行き、ご令嬢に会わせろと門前で騒いだらしい」
「は……? ヴィクトリア伯爵家の門前で騒いだ……? ご令嬢に会わせろと……?」
何だそれは……正気とは思えない。
ビビはどうしてヴィクトリア伯爵家へ行ったんだ?
しかもご令嬢に会わせろって……、男爵令嬢如きが面識のない格上の令嬢にそんな暴挙を?
この時点で男爵はもう気絶してしまいたかった。
ヴィクトリア伯爵家といえば過去に王女が降嫁したこともある名家。
その家の令嬢に、こんな木っ端貴族の、しかも庶子がとんでもない無礼を働いたなどという現実を直視したくない……。
「まあ幸いにもヴィクトリア伯爵令嬢は出来た人なのでな、冷静に対処はしてくれたのだが……門前で騒いだ姿は多くの通行人に見られてしまったようだ」
「ヒイッ…………!?」
男爵の口からか細い悲鳴があがる。
門前で騒ぐこと自体が貴族令嬢として有り得ないのに、さらにそれを多くの通行人に目撃されていたなんて……。
「もしかしてご息女をうちの倅の新しい婚約者に、なんて考えていたら申し訳ないのだが、それは絶対に有り得ない。礼儀もマナーもなっていないような令嬢を、我が侯爵家に迎え入れるなんて御免被るからな」
「そっ……そのような大それたことを考えてなどおりません!」
考えていた。それはもう先ほどまでバッチリ考えていた。
でも、娘の傍若無人な行動を聞いて「是非娘を婚約者に」なんてこと言えるわけがない。
「あ、あの……何故娘はご子息と共にヴィクトリア伯爵令嬢の元へ……?」
恐る恐るといった様子で男爵が尋ねると、侯爵は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。
「……さあな。それはご息女の口から聞くといい」
「あ、はい……そう致します……」
侯爵の顔から察するに、きっとろくでもない目的なのだろう。
今すぐにでも娘を問いただしたいが、聞いたら今以上に絶望しそうだ。
「私がここへ来たのは男爵、貴殿に話があったからだ」
「わ、わたくしめにですか……?」
きっと碌なことではないと予想した男爵の耳に届いた言葉は意外なものだった。
「倅がご息女に迷惑をかけた。金で解決させるようで悪いが、後日慰謝料を払わせてもらう」
「い……慰謝料、ですか?」
「ああ。倅がご息女を連れまわしたせいで、今後碌な嫁ぎ先に恵まれないだろうからな。本来であれば責任取って娶るものだろうが……先に誘いをかけたのはご息女の方だからな。それは理解しているだろう?」
「は、はい。勿論でございます……」
侯爵はビビがデビュタントで無礼にも子息をダンスに誘ったことを言っているのだろう。
それを娘に口から聞いた男爵は「でかした!」と褒めたが、妻は「なんてふしだらなことを!」と激高していた。
あの時は妻は考えが古い、なんて思っていたが、今考えれば彼女が正しい。
女性からダンスに誘うこともそうだが、婚約者がいる令息に擦り寄るなんてはしたない行為だ。
しかもそれを多くの参加者に目撃されているのか、ということに今更ながら気づき、男爵は顔を更に青褪めさせた。
「手切れ金も含めて額は多めに支払おう。倅もご息女に近づかぬよう徹底するので、そちらもそのつもりでいてくれ」
それは二度と息子に近づくな、という意味だろう。
「はい、勿論でございます……」
侯爵は金を支払うことでこの件を手打ちにしたいのだ。
それはこちらとしても有難い。
ヴィクトリア伯爵令嬢に無礼を働いた娘を「責任取って子息の婚約者にしてください」なんて言えるわけがない。
ビビはどうしてヴィクトリア伯爵家に向かったんだ?
ああ、聞くのが怖い……。
侯爵を見送った後青褪めた娘を問い詰めると、とんでもない言葉が返ってくるのであった。
もう何度目になるか分からないため息をつき、整えた髪を手でグシャリとかき乱す。
「こんな……こんなことになるなんて……」
自分の考えがどれだけ甘かったか、そして教育を施していない娘が社交界に出ることがどれだけ恐ろしい事態を招くか、それを理解していなかった自分が恨めしくて仕方ない。
彼がこうなってしまった原因は、今から遡る事数時間前のこと―――。
*
ある日の昼下がり、邸の門前に四頭立ての豪奢な馬車が停まり、そこから青褪めた顔の娘と眉間に皺を寄せた中年の男が出てきた。
上質な仕立ての衣服に身を包んだ男は、馬車に施された家紋から察するにコンラッド侯爵家当主なのだろう。
見れば馬車の中にはその子息と思しき青年もいる。
青年と娘の顔が青褪めてはいたものの、ランカ男爵は目の前の光景に盛大な勘違いをした。
(コンラッド侯爵と共にいるということは……まさか、ビビを子息の新しい婚約者に迎えてくれるのか!?)
パッと顔を喜色に染める男爵を見て、コンラッド侯爵の眼光は更に鋭さを増した。
その射殺さんばかりの眼差しに男爵は体をビクリと体を震わせる。
「ランカ男爵、突然の訪問すまない。倅が勝手にそちらのご息女を連れ出してしまったようでな」
「ご子息がビビを……? さようでございますか」
(共に外出するほど子息はビビとの仲が深いのか!? もしかして体の関係もあるのか……? それならば子息に責任をとって妻にしてもらえるじゃないか! でかしたぞビビ!)
男爵はビビが高位貴族の子息を捕まえたことをひどく喜んだ。
愛人が産んだ娘を引き取ることに妻は難色を示したが、こうやって高位の貴族令息に見初められたので結果的には正解だったというわけだ。
男爵令嬢が名門侯爵家の妻に……と顔をニヤつかせる男爵に告げられた侯爵の言葉は、ひどく残酷で現実的なものであった。
「……そちらの教育に口を出すのもどうかと思うが、もうすこし慎みを覚えさせたほうがいいのでは? 婚約者のいる男に擦り寄り、その婚約者の令嬢の家へ突撃するなど淑女の行動とは思えんな」
「へ………………?」
婚約者の令嬢の家へ突撃した……?
理解できぬ台詞に男爵の思考は一瞬停止してしまった。
「婚約者の令嬢の家へ突撃……? ど、どういうことですか……?」
「どうもこうも、言葉通りの意味だ。うちの倅と共にヴィクトリア伯爵家へと行き、ご令嬢に会わせろと門前で騒いだらしい」
「は……? ヴィクトリア伯爵家の門前で騒いだ……? ご令嬢に会わせろと……?」
何だそれは……正気とは思えない。
ビビはどうしてヴィクトリア伯爵家へ行ったんだ?
しかもご令嬢に会わせろって……、男爵令嬢如きが面識のない格上の令嬢にそんな暴挙を?
この時点で男爵はもう気絶してしまいたかった。
ヴィクトリア伯爵家といえば過去に王女が降嫁したこともある名家。
その家の令嬢に、こんな木っ端貴族の、しかも庶子がとんでもない無礼を働いたなどという現実を直視したくない……。
「まあ幸いにもヴィクトリア伯爵令嬢は出来た人なのでな、冷静に対処はしてくれたのだが……門前で騒いだ姿は多くの通行人に見られてしまったようだ」
「ヒイッ…………!?」
男爵の口からか細い悲鳴があがる。
門前で騒ぐこと自体が貴族令嬢として有り得ないのに、さらにそれを多くの通行人に目撃されていたなんて……。
「もしかしてご息女をうちの倅の新しい婚約者に、なんて考えていたら申し訳ないのだが、それは絶対に有り得ない。礼儀もマナーもなっていないような令嬢を、我が侯爵家に迎え入れるなんて御免被るからな」
「そっ……そのような大それたことを考えてなどおりません!」
考えていた。それはもう先ほどまでバッチリ考えていた。
でも、娘の傍若無人な行動を聞いて「是非娘を婚約者に」なんてこと言えるわけがない。
「あ、あの……何故娘はご子息と共にヴィクトリア伯爵令嬢の元へ……?」
恐る恐るといった様子で男爵が尋ねると、侯爵は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。
「……さあな。それはご息女の口から聞くといい」
「あ、はい……そう致します……」
侯爵の顔から察するに、きっとろくでもない目的なのだろう。
今すぐにでも娘を問いただしたいが、聞いたら今以上に絶望しそうだ。
「私がここへ来たのは男爵、貴殿に話があったからだ」
「わ、わたくしめにですか……?」
きっと碌なことではないと予想した男爵の耳に届いた言葉は意外なものだった。
「倅がご息女に迷惑をかけた。金で解決させるようで悪いが、後日慰謝料を払わせてもらう」
「い……慰謝料、ですか?」
「ああ。倅がご息女を連れまわしたせいで、今後碌な嫁ぎ先に恵まれないだろうからな。本来であれば責任取って娶るものだろうが……先に誘いをかけたのはご息女の方だからな。それは理解しているだろう?」
「は、はい。勿論でございます……」
侯爵はビビがデビュタントで無礼にも子息をダンスに誘ったことを言っているのだろう。
それを娘に口から聞いた男爵は「でかした!」と褒めたが、妻は「なんてふしだらなことを!」と激高していた。
あの時は妻は考えが古い、なんて思っていたが、今考えれば彼女が正しい。
女性からダンスに誘うこともそうだが、婚約者がいる令息に擦り寄るなんてはしたない行為だ。
しかもそれを多くの参加者に目撃されているのか、ということに今更ながら気づき、男爵は顔を更に青褪めさせた。
「手切れ金も含めて額は多めに支払おう。倅もご息女に近づかぬよう徹底するので、そちらもそのつもりでいてくれ」
それは二度と息子に近づくな、という意味だろう。
「はい、勿論でございます……」
侯爵は金を支払うことでこの件を手打ちにしたいのだ。
それはこちらとしても有難い。
ヴィクトリア伯爵令嬢に無礼を働いた娘を「責任取って子息の婚約者にしてください」なんて言えるわけがない。
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