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空っぽの女
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「私をこんな汚い場所まで連れてきて……いったいどういうつもりよ!?」
姉の元夫によって無理やり連れられた先にあるのは一軒の小屋だった。
屋根も外壁も所々剥がれており、今にも崩れそうなほどボロボロだ。
中に入ると元夫は猿轡を外してくれたのでアンヌマリーは彼に思い切り悪態をついた。
だが彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべるだけで怯むこともない。
「汚い、ね……。家があるだけまだマシなほうだよ。僕は勘当されてしばらくは路上で物乞いをしながら生活していたんだから」
恨みの籠った声にアンヌマリーは恐怖で寒気を感じた。
先ほどまで怒りで真っ赤だった顔は一瞬で青白く染まり、体は小刻みに震えだす。
「毎晩毎晩夢に見るんだ。あのままローズマリーと夫婦でいられたのなら、今頃は暖かい屋敷で旨い食事にありつけて、何不自由なく暮らせていたはずだって……。あの時の僕はどうして君なんかに惹かれたのかと今でも後悔している。冷静に考えれば君を選んだところで何も得はないのに……」
「得はないですって……! ふざけないでよ! あんたみたいな冴えない男が私のように若くて可愛い子を手に入れられるだけで幸せでしょうが!」
「若くて可愛い、ね……。それだけあっても意味はない。だってそれがあっても生活は豊かにならないだろう? それに君程度の容姿はそう珍しいものじゃない。実際、娼館でも君に客はちっとも付かなかったんだろう?」
「あっ……あれは違うわよ! 平民程度に私の高貴な魅力は理解できなかっただけよ!」
「ふーん。でもさ、君の容姿が飛びぬけて美しければそんなことはなかったんじゃないか? 所詮その程度の容姿だったってことだよ」
「ふざけないでっ……!! 私のは公爵家の子息に選ばれたのよ!? そんな私が”その程度”なわけないじゃない! だいたいあんただって顔でお姉様より私を選んだんでしょうが!!」
「あの時は世間知らずだったからね。今はちっとも君が可愛いと思えない。なんていうか腐った性根が外見に滲み出てしまっているんだよね。その怒った顔なんて絵本に出てくる魔女のようだしさ。その公爵家の子息も趣味が悪いし頭も悪い。君なんかを選んで全てを失ったのだから」
「は……? え? 全てを失ったって……何? どういうこと?」
「どうもこうも言葉通りだよ。君を選んだ公爵子息は二度と社交界には出られない。よりにもよって王女様を裏切ったのだから、その罪は僕よりも重いよ。もしかしてもう生きてはいないのかもしれないね?」
「う……うそよ!! そんなわけない! だってセレスタン様は私を必ず迎えにきてくれるって……」
「え? 彼の心配じゃなくて自分が救われるかどうかの心配? どこまでも自分本位だね君は。いっそ清々しいよ」
「あ……ち、ちがっ……! だって彼は公爵家の人間なのよ!? そう簡単に死ぬわけが……」
「何を根拠にそんなこと言っているんだい? いくら公爵家だろうと、この国で王族に盾突いてただで済むはずないじゃないか?」
「それは……でも、だって……」
いくら公爵家といえども、王家の権力に敵うわけがない。
アンヌマリーもそれは分かっていたつもりなのに、どうしてかセレスタンは大丈夫だと思い込んでいた。
「だって……セレスタン様が……。姫様はセレスタン様に心底惚れているから大丈夫だって……」
「え? それが本当なら自分に惚れている王女殿下を裏切って弄んでいたってこと? 僕を上回る屑じゃないか、そいつ。そんな奴のどこがよかったんだ君は?」
「あ……だって、私には優しかったし……」
「優しい? 本当に? ならどうして君はこんな目にあっているんだ?」
「は……? どうしてって……どういう意味?」
「本当に君に優しい男ならば、君をこんな目に遭わせないということだよ。婚約者との関係をきちんと清算したうえでなら、君は娼婦に落ちることもなかったんだ。それを怠り欲望のままに突き進んだから君は不幸な目に遭っているんだよ? そんな男のどこが優しいんだい? ただ自分の欲に忠実なだけじゃないか?」
「ちが……ちがう、ちがうわ! セレスタン様は姫様と別れたくても無理だったのよ! だってあちらの方が身分が上だもの! 逆らえるわけがないわ!」
「だったら、なおさら君と関係を持ってはいけなかっただろう? 君のことを本当に想うのなら、君が不幸な目に遭うことを避けるはずだ。結局、彼は自分勝手な屑だということだよ」
「そんな……、そんなことない……。違う、違うわ……彼はそんなんじゃ……」
違うと口では否定するが、段々とそうじゃないかと思えてくる。
元々言い寄ってきたのはセレスタンの方だ。
婚約者がいながら言い寄ってきたのはセレスタンだ。
運命の恋だとのぼせ上っていた結果がこれ。
鞭打ちの刑に処され、娼婦に落とされ、姉の元夫に身請けされ汚い小屋に連れ去られた。
もし彼を関係を持たなければどうなっていただろう。
おそらくそこそこの貴族の元に嫁いで、今頃貴族夫人として優雅な生活を送れていたのかもしれない。
ああ、そうだ……。そもそも自分達の関係が発覚した原因は、彼が自分から暴露したからで……。
「ああ、ああ……ああああああ!!」
ここにきて初めてアンヌマリーはセレスタンと関係を持ったことを後悔した。
あの人が言い寄ってこなければ……。
あの人が姫様に自分達の関係を漏らさなければ……。
あの人さえいなければ……不幸にならなかったのに……。
壊れたように泣き叫ぶアンヌマリーを姉の元夫はじっと眺め、しばらくしてポツリと呟いた。
「自業自得だ、君も……僕も。誰かを裏切った報いが返ってきた、それだけだよ……」
*
あの日からアンヌマリーは滅多に声を発さなくなり、ただ虚ろな目で日々を過ごしていた。
姉の元夫とは同居人のような関係を続けており、互いに男女の関係にはなろうともしない。
元夫はアンヌマリーを監視するという生きる目的が出来た。そうすることがローズマリーへの贖罪になると信じているから。
それに対してアンヌマリーにはもう何もない。
生きる目的も、喜びも、希望も、何もない。空っぽだ。
そして自分自身も空っぽな人間だったと気づく。
何も持たない空っぽな人間だったから、他人のモノを奪って満たそうとしたのだ。
ごめんなさい、お姉様、姫様……。
届かない声はボロ屋に吹く隙間風に溶けて消えていった──。
姉の元夫によって無理やり連れられた先にあるのは一軒の小屋だった。
屋根も外壁も所々剥がれており、今にも崩れそうなほどボロボロだ。
中に入ると元夫は猿轡を外してくれたのでアンヌマリーは彼に思い切り悪態をついた。
だが彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべるだけで怯むこともない。
「汚い、ね……。家があるだけまだマシなほうだよ。僕は勘当されてしばらくは路上で物乞いをしながら生活していたんだから」
恨みの籠った声にアンヌマリーは恐怖で寒気を感じた。
先ほどまで怒りで真っ赤だった顔は一瞬で青白く染まり、体は小刻みに震えだす。
「毎晩毎晩夢に見るんだ。あのままローズマリーと夫婦でいられたのなら、今頃は暖かい屋敷で旨い食事にありつけて、何不自由なく暮らせていたはずだって……。あの時の僕はどうして君なんかに惹かれたのかと今でも後悔している。冷静に考えれば君を選んだところで何も得はないのに……」
「得はないですって……! ふざけないでよ! あんたみたいな冴えない男が私のように若くて可愛い子を手に入れられるだけで幸せでしょうが!」
「若くて可愛い、ね……。それだけあっても意味はない。だってそれがあっても生活は豊かにならないだろう? それに君程度の容姿はそう珍しいものじゃない。実際、娼館でも君に客はちっとも付かなかったんだろう?」
「あっ……あれは違うわよ! 平民程度に私の高貴な魅力は理解できなかっただけよ!」
「ふーん。でもさ、君の容姿が飛びぬけて美しければそんなことはなかったんじゃないか? 所詮その程度の容姿だったってことだよ」
「ふざけないでっ……!! 私のは公爵家の子息に選ばれたのよ!? そんな私が”その程度”なわけないじゃない! だいたいあんただって顔でお姉様より私を選んだんでしょうが!!」
「あの時は世間知らずだったからね。今はちっとも君が可愛いと思えない。なんていうか腐った性根が外見に滲み出てしまっているんだよね。その怒った顔なんて絵本に出てくる魔女のようだしさ。その公爵家の子息も趣味が悪いし頭も悪い。君なんかを選んで全てを失ったのだから」
「は……? え? 全てを失ったって……何? どういうこと?」
「どうもこうも言葉通りだよ。君を選んだ公爵子息は二度と社交界には出られない。よりにもよって王女様を裏切ったのだから、その罪は僕よりも重いよ。もしかしてもう生きてはいないのかもしれないね?」
「う……うそよ!! そんなわけない! だってセレスタン様は私を必ず迎えにきてくれるって……」
「え? 彼の心配じゃなくて自分が救われるかどうかの心配? どこまでも自分本位だね君は。いっそ清々しいよ」
「あ……ち、ちがっ……! だって彼は公爵家の人間なのよ!? そう簡単に死ぬわけが……」
「何を根拠にそんなこと言っているんだい? いくら公爵家だろうと、この国で王族に盾突いてただで済むはずないじゃないか?」
「それは……でも、だって……」
いくら公爵家といえども、王家の権力に敵うわけがない。
アンヌマリーもそれは分かっていたつもりなのに、どうしてかセレスタンは大丈夫だと思い込んでいた。
「だって……セレスタン様が……。姫様はセレスタン様に心底惚れているから大丈夫だって……」
「え? それが本当なら自分に惚れている王女殿下を裏切って弄んでいたってこと? 僕を上回る屑じゃないか、そいつ。そんな奴のどこがよかったんだ君は?」
「あ……だって、私には優しかったし……」
「優しい? 本当に? ならどうして君はこんな目にあっているんだ?」
「は……? どうしてって……どういう意味?」
「本当に君に優しい男ならば、君をこんな目に遭わせないということだよ。婚約者との関係をきちんと清算したうえでなら、君は娼婦に落ちることもなかったんだ。それを怠り欲望のままに突き進んだから君は不幸な目に遭っているんだよ? そんな男のどこが優しいんだい? ただ自分の欲に忠実なだけじゃないか?」
「ちが……ちがう、ちがうわ! セレスタン様は姫様と別れたくても無理だったのよ! だってあちらの方が身分が上だもの! 逆らえるわけがないわ!」
「だったら、なおさら君と関係を持ってはいけなかっただろう? 君のことを本当に想うのなら、君が不幸な目に遭うことを避けるはずだ。結局、彼は自分勝手な屑だということだよ」
「そんな……、そんなことない……。違う、違うわ……彼はそんなんじゃ……」
違うと口では否定するが、段々とそうじゃないかと思えてくる。
元々言い寄ってきたのはセレスタンの方だ。
婚約者がいながら言い寄ってきたのはセレスタンだ。
運命の恋だとのぼせ上っていた結果がこれ。
鞭打ちの刑に処され、娼婦に落とされ、姉の元夫に身請けされ汚い小屋に連れ去られた。
もし彼を関係を持たなければどうなっていただろう。
おそらくそこそこの貴族の元に嫁いで、今頃貴族夫人として優雅な生活を送れていたのかもしれない。
ああ、そうだ……。そもそも自分達の関係が発覚した原因は、彼が自分から暴露したからで……。
「ああ、ああ……ああああああ!!」
ここにきて初めてアンヌマリーはセレスタンと関係を持ったことを後悔した。
あの人が言い寄ってこなければ……。
あの人が姫様に自分達の関係を漏らさなければ……。
あの人さえいなければ……不幸にならなかったのに……。
壊れたように泣き叫ぶアンヌマリーを姉の元夫はじっと眺め、しばらくしてポツリと呟いた。
「自業自得だ、君も……僕も。誰かを裏切った報いが返ってきた、それだけだよ……」
*
あの日からアンヌマリーは滅多に声を発さなくなり、ただ虚ろな目で日々を過ごしていた。
姉の元夫とは同居人のような関係を続けており、互いに男女の関係にはなろうともしない。
元夫はアンヌマリーを監視するという生きる目的が出来た。そうすることがローズマリーへの贖罪になると信じているから。
それに対してアンヌマリーにはもう何もない。
生きる目的も、喜びも、希望も、何もない。空っぽだ。
そして自分自身も空っぽな人間だったと気づく。
何も持たない空っぽな人間だったから、他人のモノを奪って満たそうとしたのだ。
ごめんなさい、お姉様、姫様……。
届かない声はボロ屋に吹く隙間風に溶けて消えていった──。
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