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四十話 理想の現実のために
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その後も義元公はご熱心に大原資良のご報告をお聞きになられたが、
聞けば聞くほど信長の所行に義元公はご不快の表情を露わにされた。
政務は家臣に任せ、開いた時間は遊び回っている。
武家でありながら戯れに女の着物を着て女踊りを踊る。
金を無駄使いし、国の借金を増やして無駄な道を作り、
無駄な土木事業を次々とやった。
それでも尾張は信秀の時代よりも収益があがっていた。
「惑わされてはならぬぞ、これは信秀が美濃と仲違いしたために収益が下がり、
信秀が死んだが故に一時的に利が回復しただけじゃ。
君主が放蕩を続ければ、必ずや家は滅びよう」
義元公は家臣らのそのようにご教授なされた。
しかし、信長は遊び続け、収益は上がり続けた。
不審に思われた義元公は尾張の事情に通じたる一向宗徒服部友貞を呼び、
織田信長という男の素行を聞いた。
「信長という男、尾張では無駄な道ばかり作るうつけと呼ばれておりまする」
友貞は口元に笑いを含みながら言った。
「してその素性はいかなるや」
「拙僧も会うた事がございまするが、
とんだ食わせ者にございまする。
主君になってすぐ、貧しき庶民を救うと言うて銭を集めましたが、
銭ではどうせ信長が放蕩に使うと思うて、
拙僧は穀物と大鍋を大量に持って参りました。
すると、信長はそれを受け取り、大釜を売り飛ばし、
穀物も売り払って、それら集まった金で道を作ったのです」
友貞の話を聞きに来た諸将がざわめいた。
「御坊はその穀物を煮炊きして貧しき者らに振る舞おうとされたのであろう」
「そうでございまする。
貧しき民に食を振る舞うのも御仏の道。
それを、何の銭にもならぬ道を作るなど正気の沙汰とは思えませぬ
言うにことかいて、人は銭や飯など恵んでほしいとは思わぬ、
己で働いて稼いでこそ、やりがいがあるものだ。我は道を作り、
飢えた民に職を与えるなどと屁理屈を言う」
「信長は道を作るのが好きか」
「はい、それはもう、道と堤を作るのがなにより好きでございまする。
どうせ賤しき土手方に裏から銭でも貰うておるに違いございませぬ。
土木業者と癒着して腐敗しておるのでございまする。
まことにけがらわしい」
「それでよう民がついてくるのお」
「それが怪しき技で民をたぶらかしておりまする」
「怪しき技とは何ぞ」
「賤しき河原者の真似をして無知蒙昧な民の前で演劇をやりまする。
己が天人に分し、家臣が眷属に扮装して、
己が第六天魔王であると信じ込ませておりまする」
「第六天魔王は、はるか昔南朝方が後醍醐天皇が化身したと吹聴して
民を騙し、騒乱を起こしていた手口ではないか。
そのような古き手口を蒸し返し、
旧南朝方の古き欲情を目覚めさようとしておるか」
「その通りでございまする。
この世の真の理想など民には知るべくもなく、
ならば物語を演じ、それを見せる事で正しき道へと
導くのだと無茶苦茶な事を言うておりまする。
教養ある者であれば、この世には義があり、
真実と理想がある事が分かっておりまする。
究極の正義がある事を知っておりまする。
それをあの信長はみな虚構であると、
すべては物語であると、
頭の悪いことを言っておるのでございまする」
「それはさすがに頭が悪い。
されど、勉学は努力せねば身に付かず、
怠け者の民にはかえって、そのような欺瞞が受け入れられるものじゃ。
かような天下の害悪は、いつか退治して正義の理想を貫かねばならぬ」
「真に仰せの通りでございまする」
義元公のお言葉に友貞は納得したようにうなずいた。
「ならば、すぐさま信長を討ちましょう。この孕石元泰、
必ずや信長の首取ってみせましょう」
孕石光尚に同行し、列席を許されていた孕石元泰が叫んだ。
このような場所では若輩の新参者は口を謹むべき処であったが、この親子は何かと煩い。
「勇ましきかな。
その心がけ、武家として感心である。
されど、兵法は戦わずして敵を屈服させるが善の善なり。
まずは織田の得意と致す商いを潰してやろうぞ。さて、御坊」
義元公は友貞に視線を送る。
「ははっ」
友貞が答える。
「これより友野二郎兵衛、一宮宗是らとかたらって
今川家中の悪銭をことごとく集めよ。
そしてそれを尾張熱田や尾張津島の商人たちに融資するのだ」
元実は驚いた。
義元公は敵方の商人を助けると仰せか。
今は米不作や戦乱によって物不足の時勢である。
この時期は多少高くてもよいので銭を使って物を買い占めることこそ得策。
融資をすると言えば、商人だれしも喜んで融資を受けるであろう。
今、尾張商人の物を買い占められれば駿河者の利益が減る。
「お待ちください、御屋形様。敵の商人を助けるのでございまするか」
「さしで口控えよ元実、御前なるぞ」
父、是宗が一喝した。
「よいよい」
義元公は柔和な笑顔を見せられた。
「話はこれで終わらぬ。
一向宗から津島、熱田の商人には望むがまま借金をさせよ。
足りぬ銭は今川家でご用立ていたす。
悪銭であれば、全て無利子で長島願証寺にご用立ていたす」
「ありがたきお言葉、それでは早速……」
服部友貞は顔に気色を浮かべ、
目を見開いてその場を動こうとした。
それを義元公は手のひらを出して制止された。
「待たれよ、ただし条件がある」
「条件とは」
「こちらから悪銭として貸した銭を尾張商人が返金せし時は
必ず良銭をもってなすこと。
すべて良銭でなくば返金叶わず」
「なるほど、これは名案でございまする。尾張は面白きことになりましょうぞ」
友貞は肩を揺らしながら笑顔を見せた。
父、宗是も笑顔で頷いている。
ただ元実だけが意味が分からなかった。
義元公は友貞に申しつけたあとゆっくりと今川の諸将を見渡した。
「そなたらに申しておく。
これより尾張衆には莫大な借金をさせるが、
そなたら努々借金などしてはならぬぞ。
経費を切り詰め、質素倹約を貫き、
断じて借金をしてはならぬ。
欲深き尾張商人共がいかようになるか、見ておくがよい」
「ははっ」
今川の諸将は頭を下げた。
東海地方では長らく冷夏が続き、
米の不作によって米価は高騰し、
民が苦しめられていた。
しかし、伊勢神宮の式年遷宮を過ぎた頃より次第に気候も暖かくなり、
米の実りもよくなってきた。
天文二十年を過ぎた頃よりは豊作の年も珍しくなくなった。
そうなると、米余りが起る。
駿河、遠江、三河でも米が自給できるようになり尾張から米を買わなくなった。
尾張でも忽ち米価が下がり、それに引きずられて諸物価が下落した。
物を売って利益を得、借金を返済していた尾張商人たちは大量の在庫を抱え、
物資を売っても安くでしか売れず、
資金繰りが滞ってたちまち苦境に陥った。
ついには津島神社の神官、氷室氏まで財政破綻に至る大混乱を引き起こしたのである。
天文二十年十月には尾張の国人丹羽氏勝と丹羽氏秀が水利権争い事を起こしたが、
この件において信長が丹羽氏秀に道理があると裁定を下したため、
義元公は甲賀衆を使い、敗訴した丹羽氏勝に火槍と火薬を大量に渡した。
僻地の国人にしてみれば、見たこともない最新兵器を大量に見せられ
意気高揚したのか、信長の裁定に逆らって、
丹羽氏秀を攻めた。
これに怒った信長は丹羽氏勝討伐の兵を起こしたが、
火槍の火薬が炸裂する音に織田の雑兵が驚き、
算を乱して逃げたので、
信長軍は丹羽氏勝を討伐できず撤退する事となった。
この合戦によって弾正忠織田家の権威は地に落ち、
織田信秀が目をかけていた山口教継まで謀反を策謀する有様であった。
義元公は御自ら戦うことなく、織田信長を衰弱へと導いたのである。
聞けば聞くほど信長の所行に義元公はご不快の表情を露わにされた。
政務は家臣に任せ、開いた時間は遊び回っている。
武家でありながら戯れに女の着物を着て女踊りを踊る。
金を無駄使いし、国の借金を増やして無駄な道を作り、
無駄な土木事業を次々とやった。
それでも尾張は信秀の時代よりも収益があがっていた。
「惑わされてはならぬぞ、これは信秀が美濃と仲違いしたために収益が下がり、
信秀が死んだが故に一時的に利が回復しただけじゃ。
君主が放蕩を続ければ、必ずや家は滅びよう」
義元公は家臣らのそのようにご教授なされた。
しかし、信長は遊び続け、収益は上がり続けた。
不審に思われた義元公は尾張の事情に通じたる一向宗徒服部友貞を呼び、
織田信長という男の素行を聞いた。
「信長という男、尾張では無駄な道ばかり作るうつけと呼ばれておりまする」
友貞は口元に笑いを含みながら言った。
「してその素性はいかなるや」
「拙僧も会うた事がございまするが、
とんだ食わせ者にございまする。
主君になってすぐ、貧しき庶民を救うと言うて銭を集めましたが、
銭ではどうせ信長が放蕩に使うと思うて、
拙僧は穀物と大鍋を大量に持って参りました。
すると、信長はそれを受け取り、大釜を売り飛ばし、
穀物も売り払って、それら集まった金で道を作ったのです」
友貞の話を聞きに来た諸将がざわめいた。
「御坊はその穀物を煮炊きして貧しき者らに振る舞おうとされたのであろう」
「そうでございまする。
貧しき民に食を振る舞うのも御仏の道。
それを、何の銭にもならぬ道を作るなど正気の沙汰とは思えませぬ
言うにことかいて、人は銭や飯など恵んでほしいとは思わぬ、
己で働いて稼いでこそ、やりがいがあるものだ。我は道を作り、
飢えた民に職を与えるなどと屁理屈を言う」
「信長は道を作るのが好きか」
「はい、それはもう、道と堤を作るのがなにより好きでございまする。
どうせ賤しき土手方に裏から銭でも貰うておるに違いございませぬ。
土木業者と癒着して腐敗しておるのでございまする。
まことにけがらわしい」
「それでよう民がついてくるのお」
「それが怪しき技で民をたぶらかしておりまする」
「怪しき技とは何ぞ」
「賤しき河原者の真似をして無知蒙昧な民の前で演劇をやりまする。
己が天人に分し、家臣が眷属に扮装して、
己が第六天魔王であると信じ込ませておりまする」
「第六天魔王は、はるか昔南朝方が後醍醐天皇が化身したと吹聴して
民を騙し、騒乱を起こしていた手口ではないか。
そのような古き手口を蒸し返し、
旧南朝方の古き欲情を目覚めさようとしておるか」
「その通りでございまする。
この世の真の理想など民には知るべくもなく、
ならば物語を演じ、それを見せる事で正しき道へと
導くのだと無茶苦茶な事を言うておりまする。
教養ある者であれば、この世には義があり、
真実と理想がある事が分かっておりまする。
究極の正義がある事を知っておりまする。
それをあの信長はみな虚構であると、
すべては物語であると、
頭の悪いことを言っておるのでございまする」
「それはさすがに頭が悪い。
されど、勉学は努力せねば身に付かず、
怠け者の民にはかえって、そのような欺瞞が受け入れられるものじゃ。
かような天下の害悪は、いつか退治して正義の理想を貫かねばならぬ」
「真に仰せの通りでございまする」
義元公のお言葉に友貞は納得したようにうなずいた。
「ならば、すぐさま信長を討ちましょう。この孕石元泰、
必ずや信長の首取ってみせましょう」
孕石光尚に同行し、列席を許されていた孕石元泰が叫んだ。
このような場所では若輩の新参者は口を謹むべき処であったが、この親子は何かと煩い。
「勇ましきかな。
その心がけ、武家として感心である。
されど、兵法は戦わずして敵を屈服させるが善の善なり。
まずは織田の得意と致す商いを潰してやろうぞ。さて、御坊」
義元公は友貞に視線を送る。
「ははっ」
友貞が答える。
「これより友野二郎兵衛、一宮宗是らとかたらって
今川家中の悪銭をことごとく集めよ。
そしてそれを尾張熱田や尾張津島の商人たちに融資するのだ」
元実は驚いた。
義元公は敵方の商人を助けると仰せか。
今は米不作や戦乱によって物不足の時勢である。
この時期は多少高くてもよいので銭を使って物を買い占めることこそ得策。
融資をすると言えば、商人だれしも喜んで融資を受けるであろう。
今、尾張商人の物を買い占められれば駿河者の利益が減る。
「お待ちください、御屋形様。敵の商人を助けるのでございまするか」
「さしで口控えよ元実、御前なるぞ」
父、是宗が一喝した。
「よいよい」
義元公は柔和な笑顔を見せられた。
「話はこれで終わらぬ。
一向宗から津島、熱田の商人には望むがまま借金をさせよ。
足りぬ銭は今川家でご用立ていたす。
悪銭であれば、全て無利子で長島願証寺にご用立ていたす」
「ありがたきお言葉、それでは早速……」
服部友貞は顔に気色を浮かべ、
目を見開いてその場を動こうとした。
それを義元公は手のひらを出して制止された。
「待たれよ、ただし条件がある」
「条件とは」
「こちらから悪銭として貸した銭を尾張商人が返金せし時は
必ず良銭をもってなすこと。
すべて良銭でなくば返金叶わず」
「なるほど、これは名案でございまする。尾張は面白きことになりましょうぞ」
友貞は肩を揺らしながら笑顔を見せた。
父、宗是も笑顔で頷いている。
ただ元実だけが意味が分からなかった。
義元公は友貞に申しつけたあとゆっくりと今川の諸将を見渡した。
「そなたらに申しておく。
これより尾張衆には莫大な借金をさせるが、
そなたら努々借金などしてはならぬぞ。
経費を切り詰め、質素倹約を貫き、
断じて借金をしてはならぬ。
欲深き尾張商人共がいかようになるか、見ておくがよい」
「ははっ」
今川の諸将は頭を下げた。
東海地方では長らく冷夏が続き、
米の不作によって米価は高騰し、
民が苦しめられていた。
しかし、伊勢神宮の式年遷宮を過ぎた頃より次第に気候も暖かくなり、
米の実りもよくなってきた。
天文二十年を過ぎた頃よりは豊作の年も珍しくなくなった。
そうなると、米余りが起る。
駿河、遠江、三河でも米が自給できるようになり尾張から米を買わなくなった。
尾張でも忽ち米価が下がり、それに引きずられて諸物価が下落した。
物を売って利益を得、借金を返済していた尾張商人たちは大量の在庫を抱え、
物資を売っても安くでしか売れず、
資金繰りが滞ってたちまち苦境に陥った。
ついには津島神社の神官、氷室氏まで財政破綻に至る大混乱を引き起こしたのである。
天文二十年十月には尾張の国人丹羽氏勝と丹羽氏秀が水利権争い事を起こしたが、
この件において信長が丹羽氏秀に道理があると裁定を下したため、
義元公は甲賀衆を使い、敗訴した丹羽氏勝に火槍と火薬を大量に渡した。
僻地の国人にしてみれば、見たこともない最新兵器を大量に見せられ
意気高揚したのか、信長の裁定に逆らって、
丹羽氏秀を攻めた。
これに怒った信長は丹羽氏勝討伐の兵を起こしたが、
火槍の火薬が炸裂する音に織田の雑兵が驚き、
算を乱して逃げたので、
信長軍は丹羽氏勝を討伐できず撤退する事となった。
この合戦によって弾正忠織田家の権威は地に落ち、
織田信秀が目をかけていた山口教継まで謀反を策謀する有様であった。
義元公は御自ら戦うことなく、織田信長を衰弱へと導いたのである。
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