獣血の刻印

小緑静子

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二話 異世界への召喚(2)

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 *  *  *


 男に担がれていた悠真はるまは地面へ足をつけたとたん、その場でへたり込んでしまった。

 塔から飛び降りたあと、屋根をつたい、城壁を超えた。終始かつがれていただけだが、追われる緊張と、放たれる矢の恐怖は想像以上の疲弊をもたらした。ふたりとも怪我がないことが不思議なくらいだ。できればもう経験したくない。

 悠真たちは建物を脱出したあと、付近の林藪りんそうに身を潜めていた。

 灯台下暗しといえばいいのか、けたたましかった喧騒が、今は梢の音にかき消されるほど遠い。仰げばすぐそこに、越えてきた城壁がそびえているというのに。

 建物は小さな岩山にあった。まるで城のように街を見渡せる位置にあり、脱出するさい、ここが城郭都市と同じ造りであると確認できた。橙色の屋根が印象的な街。それらを囲う市壁の外側には、荒野がどこまでも続いていた。

 侵略や戦争がある世界なら、おそらくあの武装したひとたちがこの街を守っているのだろう。しかし、それならなおさら、部外者である悠真が追われる理由がわからない。

「なんなんだ、あいつら……」
「アストリオン教会の聖騎士だ。それを知らずにここへ来たのか?」

 男の淡々とした問いに、知っているわけない、と悠真は城壁から目を離す。日本ではないどこかに気がつけばいた。そのことを説明しようとしたのだが、目の前の男はおもむろに鎧を脱ぎだしたので、言いそびれてしまった。手甲や鉄靴が見た目にはんして静かな音をだす。

 男は兜を暑苦しそうに脱ぎ捨てると、赤銅色の髪が現れた。肩にかかるほどの長さが風になびき、まるで獅子のたてがみを彷彿させる。陽にけた体はひとを担ぎ運べるほど猛々しく、彫りの深い端正な顔立ちは異国情緒をかもしだす。どこかかげのある鋭い目には、柘榴石のような虹彩がみえた。歳は二十代後半くらいだろうか。

 言葉を切った悠真に男はそれ以上の興味をしめさなかった。悠真へ一瞥も向けず、そばの岩陰から麻袋を引き抜く。男の荷物だろう。彼は隠していた袋をあさり、何かをさっと飲み下す。続いて取り出した布には板金鎧を乱雑に包み込んだ。

「行くぞ。早く街を出ないと身動きが取れなくなる」

 男は半裸に白い脚衣という姿のまま、全ての荷物を軽々と背負う。

「街を出るって……それはできません! あそこには弟がいるんです」

 悠真は男の言葉にあわてて立ちあがり、悠希の存在を告げた。

 逃してやるという男の言葉は建物の外を意味していると思っていた。しかしそうではなかったようだ。これ以上遠ざかっては、悠希を助けることが難しくなる。

「弟? そいつは捕まったのか」
「だと、思います。あのひとたちは『保護』と言ってましたが、それが本当だとは信じられない」
「保護……そうか。なら弟の命は無事だ。おまえは自覚がないようだが、本当に弟を想うなら、ここに残らないほうがいい」
「どういう、意味ですか?」
「街から出たあとにでも教えてやる」

 不安げに眉根を寄せる悠真へそう言って、男は林藪を下っていく。

 促すように投げられた視線。その瞳の色は寝静まる冬の山のような灰色をしていた。

 虹彩が赤く見えていたのは見間違いだったのだろうか。だが赤色よりずっと男に似合っていると思う。安心する瞳の色あいが好ましく感じた。

 悠真は思考を振り払うように頭をふる。よけいなことを考えている場合ではない、と男の背中を急いで追いかけた。




 ゆるい傾斜にもたつきながら進むと、馬の声が聞こえた。

 林藪を抜けたらしく、木々のあいだから、軒並む白いテントの姿が現れる。

 どうやら露店の集まりらしい。雑貨や果物と思われる商品がテント内に陳列され、客を呼び込んでいる。店主や客が談笑をかわす賑やかな通り。その裏側では一仕事を終えた馬たちが、木陰で草を食んでいた。

 悠真たちの近くにも木に繋がれた馬が二頭いる。他の馬たちとは違い、鞍がついたままだ。その馬のそばには荷馬車が一台あり、忙しなく出入りする年若い男がいる。新参者なのか、あわてて店の準備をしている様子はどこか頼りない。

「これを持ってろ」
「え?」

 男は悠真に麻袋をあずけるとやぶからぬけだした。鎧をまとめた包みだけを持ち、馬のほうへ歩いていく。

 誰かに見つかったらどうするつもりなのか。悠真は男の危険な行動がわからず、つい麻袋を抱きしめてしまう。

 男は馬を刺激しないように近づき、頬をやさしく撫でることで警戒心を解いていた。馬の扱いになれているようだ。しかし、なぜか従順になった馬の鞍に鎧の包みをのせている。そのうえそれを手綱で固定し、鞍から落ちないようにしてしまう。わざと兜だけを包みから覗かせ、おかしな荷物ができあがる。馬の姿が哀れとしか言いようがない。そんな馬の尻を、男は無慈悲にも強くひっぱたいた。

 痛ましい音に二頭の馬はいななき、叩かれた一頭は林を駆けていく。

「馬が盗まれたぞ!」

 男は叫ぶと、近くの藪へ軽々と身を隠した。

 周囲は盗みという言葉にざわめく。自身の馬が一頭いないことに気がついた年若い店主は悲鳴をあげた。すでに馬は遠のき、兜の銀色の輝きがかろうじてわかるほどだった。年若い店主は聖騎士へ助けを求め、転がるようにどこかへ行ってしまう。当事者がいなくなると、通りはあっというまに賑やかさを取り戻していった。

 悠真は一連のできごとを呆然と眺めていた。しかし、すぐさま血相を変える。男が誰もいないのをみはからい、年若い店主の荷馬車へ乗り込んだのだ。

 悠真はあわてて荷馬車にかけよると、頭に茶色いローブがふってきた。

「たいしたものはないな。品数は少なく物は低品。おまえはそれを着ていろ。恰好が風変わりで目立ちすぎる」
「あんた最初から盗むつもりであんなことをしたのか。だったらこれは受け取れない。元の場所に返してください」
「殊勝な道徳心だな。だがな、善をつらぬいても捕まれば意味がない。使えるものはすべて使え」
「それは……」

 悠真は男のいうことを否定しきれなかった。

 この世界の服装は中世の地球に近いようで、どこか印象が異なる。服飾は豊かで、染料の色数も豊富。既製品という概念も存在しているようだ。

 だからこそ、黒のTシャツにジーンズ姿という悠真の服装は、悪い意味で目をひく。追手に面が割れているぶん、騒がずとも、あっというまに捕まるだろう。

「どうせ売れ残るだろう代物だ。使ってやるくらいの気持ちで受け取れ」

 悠真は胸の内で店主に謝罪しながら、しぶしぶローブを羽織り、フードを目深にかぶった。

 男も亜麻色の布を何枚か身にまとい、黒い紐を帯のように結ぶ。乱雑でありながら服が仕上がり、男は荷馬車に転がっていたサンダルもつっかける。

 商品に衣類がないことから、おそらくサンダルは店主の私物だろう。男の踵が半分はみでている。素足でいるよりずっといいが、複雑な心境だ。悠真が着ているローブも店主の持ち物だと思うと、酷く気が滅入ってしまう。

 ──残った商品をなんとか売って、新しいサンダルとローブを買ってください。

 悠真は「売れ残る」という罪悪を助長する男の言葉を振りはらいつつ、心からそう願うのであった。




 街の出入り口である市壁の門に辿りつく。すでに聖騎士が三人配置されており、検問をしいていた。

 悠真たちは路地裏からその様子を窺う。ふたり連れや、身長が悠真と近いひとは必ず呼び止めているようだ。荷馬車の中もあらため、ひとが入れるほどの荷物は開封している。

 あれをどうすれば突破できるだろう。悠真は思考をめぐらすが、妙案と呼べるものは浮かばない。あまりにも手持ちの情報が少ないせいだと、嘆息する。

「おい」
「なんですか……って、え、樽? これをどうするんですか?」

 悠真をよんだ男は路地裏の奥で、通路にころがる樽を確認していた。そこは酒場の裏手にあたる場所らしく、裏口付近に空き樽をいくつも廃棄していた。男は破損がない樽を見つけると、悠真の前へ置き「入れ」という。

「まさか、これで検問を抜けるんですか?」

 悠真は酒の匂いが染みつく樽を前に、おもわず顔が引きつる。

「察しがいいな」
「でも、この大きさは検品されるんじゃ……」
「さっさと入れ。時間が惜しい」 

 男の表情のなさが言葉以上の圧をかけてくる。悠真は意を決して樽に身をおさめた。蓋をかぶせられると、酒の匂いに溺れそうになったが、盗みと比べればなんてことない、と自身に言い聞かす。

 樽に紐がこすれる音がする。そのあと重心が傾き、一定のリズムで揺れ始める。どうやら男に背負われているようだ。液体をおさめる器なだけあって、光はいっさい差し込まず、何も見えない。しかし、樽に響く雑踏音は、ひとびとの気配をそばに感じさせた。門を取り締まる声がじょじょに近くなり、心臓の鼓動がどくどくと落ち着かない。

「おい、そこの樽を背負っている男。そう、おまえだ。荷物を確認するのでこっちに来い」

 検問にかかり、息を呑む。

「中身はなんだ?」
「マリティマ産の葡萄酒です。旦那様の使いで買いつけに出たのですが、最近あちらの物価が上がったのは有名でしょう。なので、こちらまで足を運んだんですよ」

 軽く樽を小突かれ心臓が跳ねた。が、ひとが変わったような男の気さくな声音に、さらに心臓が口から出そうになる。芸達者にもほどがあるだろう。

「ああ、あの葡萄酒か。ならおまえは運がいいな。近々アウレリアでもマリティマ産の品は物価は上がるって話だ。大きな声では言えないが、最近は俺たちも酒場へ通っているよ。いつ飲み納めになるか、わからないからな」 

 人当たりのいい騎士のようだ。男たちは酒の話題に盛りあがる。

 このまま見逃してもらえないだろうか。そう願い、悠真は組んでいた手に力がはいった。だが「仕事だから確認させてもらうぞ」と、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。危機的状況だ。それなのに男が抵抗する気配はない。むしろ、無駄話を交えながら「どうぞどうぞ」と返している。

 樽が地面に置かれる振動がつたわり、悠真は男に裏切られたのでは、と絶望が押し寄せた。その時、

「そこはもういい! 馬が一頭ぬすまれたそうだ。全員そっちへまわってくれ」

 と、別の男の声があがった。

 近くにあった金属音が遠ざかっていく。その音を聞き、悠真はぐったりと全身の力が抜けた。

 樽は再び男に背負われ、動きだす。ひとや馬がざわめく音の流れにのり、ゆっくりと。そこに恐ろしい金属音の轟きや、謂れのない怒号はひとつもない。

 土を踏む男の足音だけが、穏やかに耳へとどく。

 悠真は鼻の奥がつんとするのを抑えようと、小さく洟をすすった。

「どんくさい商人だとふんではいたが、呆れたな。馬の件がこんなに遅く伝令されるとは思わなかった」

 男は相変わらず淡々という。しかし、それがどこか言い訳がましく聞こえ、少し恨み言をいいたくなった。

「酒くさい、です」
「もう少しひとが散ればだしてやる」

 悠真たちは追手に気づかれることなく、荒野へ出たのであった。
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