獣血の刻印

小緑静子

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五話 赫物との遭遇(3)

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 荷馬車のほうで、人垣ができている。そこから逃げるように、女性が子供を抱えて飛びだした。彼女たちへ向けた罵声の勢いが、悠真はるまたちにもとどく。

 御者はなにがあったのかと、転がるように急いで駆け寄った。

「おそらく、あれだろう」

 ジヴァンは荷馬車の付近に横たわる、一頭のジャルガンへ顔を向ける。ことの原因だと示唆されたそれに、悠真はジヴァンの言葉を思い出した。

 ──権能は適合者が死ぬと別の生命にやどる。

 まさか、と悠真は嫌な予感がし、罵倒される女性を見やった。

 彼女は幼い子供を守るように抱きしめ、街道で蹲っていた。「許してください」と何度も悲痛な声をあげている。おそらく、赫物けものになってしまったのは、彼女の子供。

 悠真はジヴァンの腕を力なく離した。

「赫物を殺せても、権能まで消滅させることはできない。それが可能なのは神子か、神子の加護を分け与えられた聖騎士だけだ」

 ジヴァンは灰色の目を細め、静かに言う。

「赫物は四頭いたのに、なんであの子だけ……」
「適合する権能が偶然あったんだろう。運がなかったと諦めるしかない」
「そんな……」

 無差別に赫物となるこの現象は、まさに呪いだ。悠真は目の前で繰りひろげられる出来事に、目を覆いたくなった。

「子供を捨てろ」と老婆は激高する。
「引き返して、教会に行ったほうがいい」と狼狽える中年の男性は、鉤鼻すらも血の気がない。
「いまなら神子さまがいらしているはずだよ」そう言った年嵩な女性は、肥えた腹をふんぞり返らせる。

 御者は興奮を鎮めようと声をあげるが、誰も聞いていない。負傷したという傭兵は剣を持ち出し、うずくまる女性に近づこうとしていた。

 ジヴァンはまた悠真を試す気なのか、隣で脚を止めたまま傍観している。

 母子を助けようと動く者は、この場のどこにもいなかった。

 悠真も彼女たちから逃げるように顔をそむけてしまう。

 ──悠希ゆきなら助けない。だからおれも、そうすることが正しい。

 物心がついた時から、悠希は悠真のすべてだった。容姿や性格、趣味嗜好が同じというのは、双子なのだから当然だと考えていた。だが成長するにつれ、悠希との違いが際立つと、悠真は必死に抗うようになっていた。悠希と同じであることが、悠真に安心を与えていたからだ。

 それなのに、いまは心が落ちつかない。

 ──きっとおれは赫物になって、おかしくなってしまった。

 悠希への想いは変わらないのに、母子へむく悪意を無視できなかった。正義感という綺麗なものではない。ただ、胸へ吹き抜ける悲しさに、いても立ってもいられなかった。

「待ってください!」

 悠真は気がつけば、ひとびとに声を張っていた。

 ジヴァンが悠真を短く呼び止めたが、それを振りはらい、母子を庇うように立つ。背後をそっと窺うと、泣きはらす若い女性の腕の中に、赤い瞳の少女がいた。おそらく六歳にも満たないだろう。事態がのみこめず、ひどく怯えている。

 赫物に襲われるまでは、同じ境遇だった子供だ。急に態度を一変させた大人たちが、どれほど恐ろしかっただろうか。

 悠真は悲愴な面持ちをすぐさましまい、醜悪な群衆へ向きなおる。ひとびとは意外な介入者に、怪訝な表情をみせた。

「この子は赫物じゃありません」

 自若な悠真の一言に「馬鹿をいうな」と老婆は唾をとばす。

「みなさんが知らなくて当然です。これは”細胞内寄生菌“による奇病ですから」
「さいぼう……ってなんだ?」

 男は鉤鼻の頭をかき、首をかしげる。

 医療の概念が地球と異なるのか。はたまた教育水準の差が顕著にあるのか、わからないが、かまをかけて正解だったようだ。おかげで現状を打破できる、と悠真は確信を得た。

「簡単に言えば、適切な薬を使えば治る病気です」

 悠真はローブから木製の小さな筒を取り出す。

 ジヴァンは悠真がなにをする気なのか、察したのだろう。足早に近づいてくる様子が、視界の端に見えた。

 構わず母親の前にしゃがみ、手に赤黒い丸薬をひとつ与える。

 母親は手を震わせた。毒薬を渡されたと思ったのだろう。

「飲ませてあげてください。大丈夫、毒ではないです……女神に誓って」

 彼女たちの信仰心を利用し、優しく促してみる。母親は悠真と丸薬を何度か見つめ、おそるおそる少女に薬を飲ませた。

 少女の瞳の色は徐々に変貌する。柘榴石のような赤色は薄れ、翠銅鉱すいどうこうを思わせる青緑色が瞬いた。

 母親は信じられない思いと安堵が入り混じった表情で、娘の瞳を凝視する。その瞳の色は娘と同じ。ぽろぽろと涙をこぼし、我が子を抱きしめた。

 いつのまにか固唾を飲んでいたひとびとは、目の前の出来事に驚愕し、言葉がでない様子。

 悠真は立ち上がり、御者へ声をかけた。

「これで問題はありませんね。出発できますか?」
「え、ええ……そうですね」

 毅然とした態度で尋ねると、誰もがわずかに顔をふせ、萎縮した。互いに何度も目を見合わせている。ばつが悪いのだろう。赫物だと罵った子がそうではなかった、と思い込んでいるのだから。実際、彼らの勘違いではないが。

 御者は悠真に促されると、荷物の確認をすませ次第、出発すると周囲に告げた。

「あんた、医者なのかい?」

 まだ納得がいかない様子の女性が、丸い腹を突きだし問うので、

「医学に関心がある者です」

 とだけ返す。もちろん嘘だ。悠真は教育学部の生徒であり、医学生ではない。たまたま本で見かけた単語を言っただけだ。

 女性は問いただす要素がたいしてなかったのだろう。悠真の態度に負けじと鼻を鳴らすと「うつされるのはごめんだよ」ときびすを返した。

 彼女の他にも、納得できない様子の者はいたが仕方がない。悠真は時間を稼げればそれでいいと考えていた。

 少女が赫物になったという事実は変わらない。それならこれからどうするのか。親子で話しあう必要があったからだ。

 ヴェルムテラまで一緒に行こうとは、安易に言えなかった。この世界の事情をなにも知らないからだ。

 ──ジヴァンには悪いけれど、おれは決めた。

 悠真は手の中の小さな筒を握った。そしていまだ座り込んだままの親子に向かって、再びしゃがむ。

 母親は悠真へ感謝を伝える機会を窺っていたらしい。目線が近くなると「ありがとうございます」と何度も頭をさげた。

 彼女の姿に悠真は胸が痛んだが、やるべきことをしなくては、と自身を鼓舞する。

「すみません。実は感謝されるようなことは、なにもできてないんです」
「どういう、ことですか?」

 言葉の意味を理解できず、母親は憂色をただよわせる。

「薬の持続効果は二日間だけです。だから、これからどうするのか、よく考えてください」

 悠真は母親に薬がはいった筒を握らせた。数量は充分に残っているはずだ。どこかに隠れて暮らす選択もできるだろう。だからこれ以上、彼女たちが指弾されないことを願う。

 そう考え、悠真は選択した。

 ──ジヴァンとここで別れて、ひとりでヴェルムテラに行く。

 もともと薬はジヴァンが与えてくれた手段だった。それを手放すのだ。これ以上の迷惑をかける気はない、と悠真は決心していた。

 すると突然、肩を強く掴まれる。振り返り、仰ぎ見ると、ジヴァンが冷厳な目で悠真を見下ろしていた。

「いい加減にしろ」

 低い声はさらに低く、重い。赤銅色の髪がいまは業火のようだと錯覚する。そんなジヴァンの様子に、母親は怯えたのか、肩を跳ねさせた。

 悠真は両者を刺激しないよう、悠揚な態度をたもつ。肩を掴む大きな手に触れ、「ちゃんと説明する」とジヴァンをまっすぐ見つめ返した。

 ジヴァンに反論される前に、悠真は母親に向きなおる。そうして、安心するよう笑みを浮かべた。

「彼は心配しているんです。この薬はとても貴重だから。なので、誰にも見つからないように所持して、服用してください」

 母親が浅く頷くと同時に、御者が出発を告げる。荷馬車に乗るよう悠真が促すと、母親は深々と頭をさげ、娘と歩いていった。

「ジヴァン……」

 いまだ肩に置かれた手の存在が、正直、怖く、悠真は口の中が乾いていくのがわかった。

 ジヴァンはいま、どんな表情をしているのだろうか。先ほどのように目顔で咎められるならまだいい。だが出会った当初から、感情の乏しい顔が、悠真を非難し歪むのは見たくなかった。勝手な話だ。

 悠真は唇を湿らせる。自分の考えを伝えよう。そう思い、振り返ろうとした。しかし、ジヴァンに無言で腕を掴まれた。乱暴に立たされ、そのまま引きずられてしまう。止まるよう何度も背中に呼びかけたが、無視され、無理矢理、荷馬車に放り込まれた。

 担ぎ上げられ、尻から落ちたことで痛みがはしる。まったく弁明の余地がない。

 ジヴァンが傭兵の代わりに御者台に座ると、荷馬車はゆっくりと進み始めた。

 帆布はんぷで覆われた荷馬車の中。乗客は悠真とジヴァンの関係に興味がわいたのか、意味深げな視線を悠真に投げてくる。なんとも居心地が悪い。悠真は荷馬車のすみに体を寄せ、意識を外へ逃した。

 草叢くさむらを突き抜けるように街道は伸びている。点在する木々は風で穏やかに揺れ、赫物の件などどこ吹く風。

 ちらりと、悠真は御者台を盗み見る。短躯な御者と並ぶジヴァンの姿は、普段以上に大きく感じ、怒りを背負っているように思われた。

 恩を仇で返すとはまさにこのことだろう。

 悠真は今晩の野営地が決まるまで、ジヴァンと一言も会話することができなかった。
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