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二章
幼い頃の記憶 アレン視点 Ⅲ
ノクトは毎回、帰り際に「もう来ちゃダメだよ」と言った。
この森は魔物の巣窟だから、人間の小さい子供が歩いていたら、いつ襲われてもおかしくないと。
何度言われても、僕は聞く耳を持たなかった。
心配して言ってくれていることだっていうのはわかっているのに、拒絶されているようで悲しかった。
また今日も会いに行ったら彼は困った表情を浮かべるだろう。
それでも、会いたくて、気づけば足が勝手に森へ向かってしまうのだ。
いつ行っても、ノクトはひとりで、静かに本を読んだり、火を見つめたりして過ごしていた。
家族も知り合いもいないから、この森の奥の小さな小屋を訪ねるのは、僕ひとりだけ。
僕が帰ればずっと一人なんだと知って思わず「寂しくないの?」と聞いたとき、
ノクトは読んでいた本を閉じて、少しだけ目を伏せて、穏やかに言った。
――寂しいという感情がわからないんだ
その言葉が胸の奥に引っかかった。
本当は寂しいのだ。
でも、その気持ちを誰かに教えてもらったことがないから、わからないだけなんだと思った。
ノクトがひとりにならないように、僕がそばにいようと思った。
それと同時に、胸の奥で小さく笑っている自分もいた。
ノクトの世界に自分だけがいるということが、嬉しかったのだ。
森の小屋に着くと、ノクトは珍しく小屋の外にいた。
僕が来たことに気づかないで視線はずっと腕の中に向けられている。
何をしているんだろうと、近づいてみれば、ふわふわの毛玉みたいな魔物が、ノクトとぴったりくっついていて、その小さな頭を信じられないほど優しい手つきで撫でていた。
「よしよし、怖かったな。もう大丈夫」
優しい声も、向けている表情も、ぜんぶ。
(僕にしてくれたこと、ない……)
怒りと寂しさの混ざった感情が胸の奥で大きく膨らみ始める。
「ノクト、おはよう‥‥」
声をかけてもまったく気づかず、魔物の耳をそっと撫で、肩を包むように抱き寄せている。
胸がぎゅううっと締めつけられ、
足はじりじりとノクトのところに近づいていく。
「ノクト……ノクト……!」
これだけ呼んでも返事はなし。
その瞬間、僕の中で何かがぷつんと切れた。
「うわああああああああん!!」
突然の大声に、魔物は「ぴぃっ」と小さく震え、ノクトの胸元にくっついて丸くなる。
「わっ!? アレン、どうした!?」
やっと気づいたノクトの視線は一瞬だけ僕に向けられ、すぐに魔物に戻された。
「大丈夫だ、怖くない。ほら、もう大丈夫だから」
また優しく撫でられる魔物。
それを見た瞬間、目から涙がぼろぼろこぼれた。
「ノクトのばかぁぁぁぁ!!僕がいるのに!!なんで見てくれないの!なんでその子ばっかり撫でるの!!」
ノクトは驚いて、困ったように眉を下げた。
「アレン、こいつは怪我してて」
「知ってるよ!!でも……でも……」
泣きじゃくる声は自分でも止められなかった。
「僕も抱っこして撫でてよ!!その子ばっかりずるい!!僕も!僕も!!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、ノクトの服をぎゅっと掴む。
ノクトは一瞬だけ魔物を見ると、軽く息をつき、小屋の中に入ってしまった。
ーーーあ、呆れられた。
小さなことで駄々をこねるから嫌われたんだ。
そう思うと置いてかれたショックでまた、涙が溢れてきた。
しかし、すぐにノクトは小屋から出てきてそして膝を折り、腕を広げる。
「おいで、アレン」
僕を無視したわけじゃなかった。
重たい前髪の隙間から覗いた瞳が、そっと細められる。
その瞬間、
「うわああああああん!!」
思いっきり飛びついた。
ノクトはしっかりと抱きしめ、背中をゆっくり撫でてくれる。
「ごめんね……アレンの声、聞こえなかったんだ」
「ひっく、でも、でも……僕……」
「アレンのことも大事だから。泣かないで」
ぽん、ぽん、と優しく叩かれるたび、胸の苦しさが少しずつほどけていく。
「次は、ちゃんと気づくよ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらも、胸にぎゅっと顔を押しつけて小さく呟いた。
「僕のノクト……」
優しくしてもらえるのも、撫でてもらえるのも、笑いかけてもらえるのも全部、自分だけに向けられたものだと思っていた。
でも、それは永遠じゃない。
約束されたものでもない。
もし、この魔物みたいに、ノクトのそばにいて仲良くなってしまったら
その瞬間、僕だけの特別なんて簡単に消えてしまうんだ。
「落ち着いた?」
頭の上から低く、弱々しい、でも心地よい声が降ってきた。
僕は小さく首を横に振る。
もう涙はとっくに止まっている。
けれど、ノクトが離れようとした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んで、思わず服を掴んで引き留めた。
ノクトはそんな僕を抱っこしたまま、怪我をした魔物の傷を消毒し、手際よく包帯を巻いていく。
片手でやりにくそうなのに、僕は構わずにしがみついていた。
離れたらまた不安が押し寄せてきそうだった。
怪我をした魔物が可哀想だと思う気持ちより、ノクトを取られるかもしれないという恐怖の方がずっと強かった。
困らせて、魔物にあたって……。
僕はなんて嫌な子なんだろう。
「目腫れてるね。うちには氷はないから、帰ったらちゃんと冷やすんだよ」
そんな僕を責めるんじゃなくて、
真っ先に心配してくれるノクトに、さっきまでのぐしゃぐしゃな気持ちが少しずつ溶かされていく。
僕は言葉が出なくて、こくんと頷くだけだった。
そのあとノクトの膝の上に座って飲んだ、いつものお茶が、一段と優しい味に感じた。
夕暮れ。
薄暗い小道をとぼとぼ歩いて孤児院へ戻った。
ひんやりした空気が、さっきまで火照っていた頬に触れて気持ちいい。
扉をそっと開けると、みんなの声が一気に耳に飛び込んできた。
「ねえ見て!今日これ拾ったの!」
「ずるーい、わたしにも見せて!」
いつもの、賑やかな夕方の音。
僕がいなくても何も変わらない世界。
気づかれないように、なるべく自然に子どもたちの輪へ紛れ込むにはもう慣れたものだ。
シスターはそんな僕を見るなり、そっと近寄ってきた。
外に出たことがバレたのかとドキッとしたがどうやら違うようだ。
「アレン、どうしたの? その顔、泣いていたの?」
そういえば、ノクトに「目が腫れてる」と言われたのを思い出す。
「べつに、なんでもない!」
泣いていたのはバレバレだ。
でも誰かに殴られたわけでも、ひどいことを言われたわけでもない。
なんで泣いたのか説明したら、自分の情けない部分まで見せることになる。
それが嫌で、思わず強がってしまった。
シスターは微笑んで、僕の頭を優しく撫でた。
「なんでもない顔じゃ、ないわね。ここにおいで?」
その言葉に逆らえず、そっと近くの椅子に腰掛ける。
しばらく黙っていたが、胸の奥のモヤモヤは消えない。
せめて言えるところだけでも話そうと、思い切って口を開いた。
「あのね、シスター。その……」
言おうとした瞬間、胸にぎゅっと何か詰まる。
この気持ちを説明するには、自分の意地悪な部分を見せなきゃいけない。
それが怖くて、息が少し止まった。
けれどシスターは急かさず、ただ静かに待ってくれた。
僕は自分の膝をつかんで、震える声で続ける。
「僕以外の子を、すごく優しく撫でてたの。その子ばっかり見てて……なんか、苦しくて……泣いちゃって……ぼくも抱っこしてって、言っちゃった……」
言った途端、シスターの顔を見られなくなって、俯いた。
「僕、意地悪な子なの……?
なんでこんな気持ちになるのか、わからない……」
しばらく沈黙が落ちた。
僕は膝の上で固く手を握りしめて、小さく小さく縮こまった。
その肩に、そっと温かい手が置かれる。
「アレン。あなたは意地悪なんかじゃないわ」
シスターの声は驚くほど柔らかかった。
「大事な人が、他の子に優しくしているのを見て胸が痛くなることは、誰にだってあるの」
ゆっくりした声が、胸の奥に染みていく。
「嫉妬はね、その人を好きという気持ちのいちばん素直で、いちばん幼い形なのよ」
僕は顔を上げられず、小さく呼吸する。
胸の奥の固まっていたものが、ほんの少し溶けていく。
「泣いちゃったのも、やきもち焼いたのも、あなたがその人を、とても大切に思っている証拠よ。悪い子じゃないわ」
もう一度、優しい手が僕の頭を撫でた。
気づけば、胸の奥からぽつりと声が漏れていた。
「僕……ノクトのこと、好きなんだ」
「ええ。誰かに優しくしているのを見て胸が痛くなるくらいには、ね」
言われた瞬間、僕はぎゅっとシスターの服を掴んだ。
胸の奥の、あの苦しくて熱い感情に初めて名前がついた気がした。
「そっか……これ、好きなんだ」
ぽつりと呟くと、シスターは少しだけ目を丸くして、
それからとても優しく頷いた。
この森は魔物の巣窟だから、人間の小さい子供が歩いていたら、いつ襲われてもおかしくないと。
何度言われても、僕は聞く耳を持たなかった。
心配して言ってくれていることだっていうのはわかっているのに、拒絶されているようで悲しかった。
また今日も会いに行ったら彼は困った表情を浮かべるだろう。
それでも、会いたくて、気づけば足が勝手に森へ向かってしまうのだ。
いつ行っても、ノクトはひとりで、静かに本を読んだり、火を見つめたりして過ごしていた。
家族も知り合いもいないから、この森の奥の小さな小屋を訪ねるのは、僕ひとりだけ。
僕が帰ればずっと一人なんだと知って思わず「寂しくないの?」と聞いたとき、
ノクトは読んでいた本を閉じて、少しだけ目を伏せて、穏やかに言った。
――寂しいという感情がわからないんだ
その言葉が胸の奥に引っかかった。
本当は寂しいのだ。
でも、その気持ちを誰かに教えてもらったことがないから、わからないだけなんだと思った。
ノクトがひとりにならないように、僕がそばにいようと思った。
それと同時に、胸の奥で小さく笑っている自分もいた。
ノクトの世界に自分だけがいるということが、嬉しかったのだ。
森の小屋に着くと、ノクトは珍しく小屋の外にいた。
僕が来たことに気づかないで視線はずっと腕の中に向けられている。
何をしているんだろうと、近づいてみれば、ふわふわの毛玉みたいな魔物が、ノクトとぴったりくっついていて、その小さな頭を信じられないほど優しい手つきで撫でていた。
「よしよし、怖かったな。もう大丈夫」
優しい声も、向けている表情も、ぜんぶ。
(僕にしてくれたこと、ない……)
怒りと寂しさの混ざった感情が胸の奥で大きく膨らみ始める。
「ノクト、おはよう‥‥」
声をかけてもまったく気づかず、魔物の耳をそっと撫で、肩を包むように抱き寄せている。
胸がぎゅううっと締めつけられ、
足はじりじりとノクトのところに近づいていく。
「ノクト……ノクト……!」
これだけ呼んでも返事はなし。
その瞬間、僕の中で何かがぷつんと切れた。
「うわああああああああん!!」
突然の大声に、魔物は「ぴぃっ」と小さく震え、ノクトの胸元にくっついて丸くなる。
「わっ!? アレン、どうした!?」
やっと気づいたノクトの視線は一瞬だけ僕に向けられ、すぐに魔物に戻された。
「大丈夫だ、怖くない。ほら、もう大丈夫だから」
また優しく撫でられる魔物。
それを見た瞬間、目から涙がぼろぼろこぼれた。
「ノクトのばかぁぁぁぁ!!僕がいるのに!!なんで見てくれないの!なんでその子ばっかり撫でるの!!」
ノクトは驚いて、困ったように眉を下げた。
「アレン、こいつは怪我してて」
「知ってるよ!!でも……でも……」
泣きじゃくる声は自分でも止められなかった。
「僕も抱っこして撫でてよ!!その子ばっかりずるい!!僕も!僕も!!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、ノクトの服をぎゅっと掴む。
ノクトは一瞬だけ魔物を見ると、軽く息をつき、小屋の中に入ってしまった。
ーーーあ、呆れられた。
小さなことで駄々をこねるから嫌われたんだ。
そう思うと置いてかれたショックでまた、涙が溢れてきた。
しかし、すぐにノクトは小屋から出てきてそして膝を折り、腕を広げる。
「おいで、アレン」
僕を無視したわけじゃなかった。
重たい前髪の隙間から覗いた瞳が、そっと細められる。
その瞬間、
「うわああああああん!!」
思いっきり飛びついた。
ノクトはしっかりと抱きしめ、背中をゆっくり撫でてくれる。
「ごめんね……アレンの声、聞こえなかったんだ」
「ひっく、でも、でも……僕……」
「アレンのことも大事だから。泣かないで」
ぽん、ぽん、と優しく叩かれるたび、胸の苦しさが少しずつほどけていく。
「次は、ちゃんと気づくよ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらも、胸にぎゅっと顔を押しつけて小さく呟いた。
「僕のノクト……」
優しくしてもらえるのも、撫でてもらえるのも、笑いかけてもらえるのも全部、自分だけに向けられたものだと思っていた。
でも、それは永遠じゃない。
約束されたものでもない。
もし、この魔物みたいに、ノクトのそばにいて仲良くなってしまったら
その瞬間、僕だけの特別なんて簡単に消えてしまうんだ。
「落ち着いた?」
頭の上から低く、弱々しい、でも心地よい声が降ってきた。
僕は小さく首を横に振る。
もう涙はとっくに止まっている。
けれど、ノクトが離れようとした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んで、思わず服を掴んで引き留めた。
ノクトはそんな僕を抱っこしたまま、怪我をした魔物の傷を消毒し、手際よく包帯を巻いていく。
片手でやりにくそうなのに、僕は構わずにしがみついていた。
離れたらまた不安が押し寄せてきそうだった。
怪我をした魔物が可哀想だと思う気持ちより、ノクトを取られるかもしれないという恐怖の方がずっと強かった。
困らせて、魔物にあたって……。
僕はなんて嫌な子なんだろう。
「目腫れてるね。うちには氷はないから、帰ったらちゃんと冷やすんだよ」
そんな僕を責めるんじゃなくて、
真っ先に心配してくれるノクトに、さっきまでのぐしゃぐしゃな気持ちが少しずつ溶かされていく。
僕は言葉が出なくて、こくんと頷くだけだった。
そのあとノクトの膝の上に座って飲んだ、いつものお茶が、一段と優しい味に感じた。
夕暮れ。
薄暗い小道をとぼとぼ歩いて孤児院へ戻った。
ひんやりした空気が、さっきまで火照っていた頬に触れて気持ちいい。
扉をそっと開けると、みんなの声が一気に耳に飛び込んできた。
「ねえ見て!今日これ拾ったの!」
「ずるーい、わたしにも見せて!」
いつもの、賑やかな夕方の音。
僕がいなくても何も変わらない世界。
気づかれないように、なるべく自然に子どもたちの輪へ紛れ込むにはもう慣れたものだ。
シスターはそんな僕を見るなり、そっと近寄ってきた。
外に出たことがバレたのかとドキッとしたがどうやら違うようだ。
「アレン、どうしたの? その顔、泣いていたの?」
そういえば、ノクトに「目が腫れてる」と言われたのを思い出す。
「べつに、なんでもない!」
泣いていたのはバレバレだ。
でも誰かに殴られたわけでも、ひどいことを言われたわけでもない。
なんで泣いたのか説明したら、自分の情けない部分まで見せることになる。
それが嫌で、思わず強がってしまった。
シスターは微笑んで、僕の頭を優しく撫でた。
「なんでもない顔じゃ、ないわね。ここにおいで?」
その言葉に逆らえず、そっと近くの椅子に腰掛ける。
しばらく黙っていたが、胸の奥のモヤモヤは消えない。
せめて言えるところだけでも話そうと、思い切って口を開いた。
「あのね、シスター。その……」
言おうとした瞬間、胸にぎゅっと何か詰まる。
この気持ちを説明するには、自分の意地悪な部分を見せなきゃいけない。
それが怖くて、息が少し止まった。
けれどシスターは急かさず、ただ静かに待ってくれた。
僕は自分の膝をつかんで、震える声で続ける。
「僕以外の子を、すごく優しく撫でてたの。その子ばっかり見てて……なんか、苦しくて……泣いちゃって……ぼくも抱っこしてって、言っちゃった……」
言った途端、シスターの顔を見られなくなって、俯いた。
「僕、意地悪な子なの……?
なんでこんな気持ちになるのか、わからない……」
しばらく沈黙が落ちた。
僕は膝の上で固く手を握りしめて、小さく小さく縮こまった。
その肩に、そっと温かい手が置かれる。
「アレン。あなたは意地悪なんかじゃないわ」
シスターの声は驚くほど柔らかかった。
「大事な人が、他の子に優しくしているのを見て胸が痛くなることは、誰にだってあるの」
ゆっくりした声が、胸の奥に染みていく。
「嫉妬はね、その人を好きという気持ちのいちばん素直で、いちばん幼い形なのよ」
僕は顔を上げられず、小さく呼吸する。
胸の奥の固まっていたものが、ほんの少し溶けていく。
「泣いちゃったのも、やきもち焼いたのも、あなたがその人を、とても大切に思っている証拠よ。悪い子じゃないわ」
もう一度、優しい手が僕の頭を撫でた。
気づけば、胸の奥からぽつりと声が漏れていた。
「僕……ノクトのこと、好きなんだ」
「ええ。誰かに優しくしているのを見て胸が痛くなるくらいには、ね」
言われた瞬間、僕はぎゅっとシスターの服を掴んだ。
胸の奥の、あの苦しくて熱い感情に初めて名前がついた気がした。
「そっか……これ、好きなんだ」
ぽつりと呟くと、シスターは少しだけ目を丸くして、
それからとても優しく頷いた。
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