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第三章
繋がり
起きたらまず検温し、朝ドラを見ながら、運ばれてきた朝ごはんをもそもそ咀嚼する。
食べるという動作ひとつで息が上がるなんて、十年間寝たきりだった身体は本当にポンコツだ。
ずっとベッドの上で生活するのは退屈だと思っていたけど、
そもそも身体がいうことを聞かないので、退屈かどうかを判断する余裕もない。
実際、目覚めた初日に有馬に会ってからは、母も友人も面会に来る人は一人もいない。
それは今のところなんとも思わない。
十年の月日は人の人間関係をガラリと変えてしまうものだ。
普通の人なら寂しく思うのかもしれないが僕には異世界で暮らした記憶がある。
その記憶が僕を支えてくれていた。
――ああ、異世界での生活が恋しい。
戦うのは大変だったけど、魔法で簡単になんでもできた。
温かい人に囲まれて、自分が必要とされて、世界にとっての本当の幸せを取り戻すことに成功した。
この記憶がある限り、どこでだって生きていける。
そのくらい僕を強くしてくれた。
レミーユやオルフェンさんは元気かな。
アレンはノクトさんと仲良く暮らせているだろうか。
思い出していけばいくほど、もう2度と会えないかもしれない寂しさに落ち込んでしまう。
……ん?
待てよ。
今の僕って、魔法使えるのかな。
自分でもバカみたいだと思うけど、試す価値はある。
もし、使えたなら、それは僕がまだ向こうの世界と繋がっている証明になる。
炎は火事にでもなったら大変だし、花瓶を浮かせるのは割れたらやばいし。
テーブルに置いてあった一本のボールペンを手のひらに乗せる。
魔力に意識を集めて力を注いでいくと、ボールペンがかすかに反応し、さらに魔力を注げば反応が大きくなり、仕舞いには手のひらでくるくると高速に回転を始めた。
「できた!てことはこっちにも魔力はあるんだ」
異世界にいたからか、魔素を浴び続けた身体は、こっちの世界でも魔法を使うことを可能にしてしまうようだ。
嬉しいようなちょっと怖いような。
「月島さーん、朝ごはん食べ終わりましたかー?」
「ひぃっ!」
看護師さんの声に、慌ててボールペンの回転を止めた。
すっと魔力を引っ込めると、ボールペンは何事もなかったように僕の手のひらに収まる。
ドアが開き、看護師さんが笑顔でトレーを取りに来る。
僕は大げさなくらい驚いてしまったけど、彼女は全く気づいていないようで、ただ明るく「食器下げますねー」とだけ言って去っていった。
――危なかった。バレないようにしなきゃ
魔法を使えた喜びで浮かれていた自分を反省しつつ、胸の奥にこっそりと興奮を抱えたまま、心に刻んだ。
鼻のチューブは外してもらい、点滴も減った。
食事はお粥から始まり、少しずつ食べられるものが増え、量も増えた。
車椅子に乗せてもらって少し廊下に出たり、
手すりにつかまりながらゆっくり歩いたり。
そのたびに、筋肉痛のようなけだるさが身体に広がり心臓がバクバクする。
心が折れそうになりながらもどうにか繰り返すことでだんだんと筋肉がついてきた。
個室から大部屋に移されたのもこの頃だ。
「経過が安定してきたので」と言われ、僕はベッドごとゴロゴロと移動させられた。
特に寂しさもない。むしろ、広い空間や人の生活音に不思議な安心を覚えた。
また、人の目を盗んでは魔法を操ることも続けていた。
いつかどこかで役に立つかもしれないし、保険みたいなものだ。それに、この世界でも魔力を感じ取る感覚を忘れないようにしておきたかった。
もっとも、異世界にいた頃と同じようにはいかない。
回復魔法や光属性の魔法は一切使えず、炎や水といった他の属性も、威力は格段に落ちている。
それでも、なんとか「使える」と言える程度には発動できるようだった。
一度だけ、窓のカーテンを手を使わずに魔法で開けた時に、相部屋のおじいちゃんと目が合った。
結果、ガッツリ見られたことで病棟では幽霊騒動が巻き起こり、看護師さんたちの手によって幻覚ということで処理された。
おじいちゃんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。
数日後の午前。リハビリを終えた僕が息を整えていると、
主治医の先生がカルテを手に病室へ入ってきた。
「月島さん、ちょっといいかな?」
穏やかな声で微笑まれる。
ーーー何だろう。
リハビリ後に話しかけられるのは大部屋に移動を伝えられた時以来だった。
「検査結果が安定してきたよ。歩行もゆっくりなら問題ないし、食事量もかなり戻ってきている。そろそろ退院の目途が立ちそうだ」
「退院、ですか」
口から出た言葉が、少しだけ震えていた。
医師は笑ってうなずく。
「もちろん、まだすぐではないよ。体力をもう少し戻す必要があるし、生活に戻る準備も必要だ。だけど、ここでの治療としてはゴールが見えてきた。よく頑張ったね」
胸の奥がじわりと熱くなる。
退院できるのはもっとずっと先の話だと思っていた。
だって、十年も眠っていた身体だ。
歩けるようになるだけでも奇跡みたいなものだった。
医師は続ける。
「次の一週間で最終的な評価をするからね。それまでは今まで通りリハビリを続けてください」
「……はい」
医師が去っていくと、病室に静寂が戻った。
ようやく元通りの生活に戻れる目途が立ちそうで、嬉しいはずなのに、何だか落ち着かない。
僕はベッドの縁を握りしめたまま、しばらく動かずにいた。
(元の生活ってなんだ?)
十年前の僕の生活は、もうどこにもない。
家族も友人も距離ができてしまった。
有馬にだって会わないまま。
そして、もう二度と異世界に戻れないかもしれない。
退院は、自由と同時にひとりきりの現実へ放り出される合図のように思えた。
「それでも、大丈夫だ。僕はやれる」
異世界で過ごした時間が、そう言い聞かせてくれる。
胸の奥に小さく残った魔力の気配が、温かく感じた。
翌日から短時間の外出リハビリが許可されるようになった。
とはいえ、病院の敷地内までで、行けるのは庭か、売店か。
よたよたするため、点滴スタンドを引かずに歩くのは、まだ少し怖い。
躓かないように足元を確かめながらゆっくり進む。
たどり着いた庭は静かな場所だった。
ベンチに腰掛け、低い木と、手入れされた花壇を眺める。
風が吹くと、葉が擦れる音がするので目を瞑ってそれを堪能した。
――その瞬間、背中がぞわっとした。
誰かに、見られている。
視線を感じた。
誰だ!と心の中で言いながら、反射的に振り返ってしまう。
……いた。
少し離れた通路の端に、有馬が立っていた。
スーツでもない、私服姿で、ポケットに手を入れて、こちらを見ている。
バッと視線を背けるが、誤魔化しようのないくらい目が合ってしまった。
名前を呼ばれ、声をかけられると思い憂鬱な気分になったが、いつまでもその様子はない。
有馬はただ、そこにいるだけだ。
昔なら、僕を見つけた途端、確実に呼び止めて逃げ道を塞ぐみたいに、近づいてきたはずなのに。
もう一度視線を戻してみるけど、静かに睨み合うだけの時間が過ぎていく。
……なんだこれ。
無視して立ち去ろうか。
もう少しはやく気付けていれば気づかなかったふりもできたのに。
お見舞いに来てくれる人がよりによってこいつだけとかどんな試練?
いや、それは正直どうでもいいか。
なぜかわからないけど、たぶんこいつが好きで来てるんだろう。
それに、僕が話しかけたら、嫌な態度を取られてまた傷つけられるかもしれない。
ああ、もううじうじ考えるのめんどくさい!
考えたところで何かを導けるようなそんな器用な人間じゃないことくらい自分でもわかってる。
結局、僕の方が歩いて近づいていった。
「……もう来ないと思ってたんだけど」
自分でも驚くくらい、普通の声が出た。
「うん」
有馬はそれだけ答えた。
ーーーえ、それだけ?せっかく話しかけたのに。僕もう帰っていい?
踵を返そうとした途端、背中から呼び止められるように話しかけられた。
「歩けるんだ」
「まあね。でも、まだすぐに疲れる」
「無理すんな」
「わかってる」
それきり、会話が止まる。
有馬は真顔のまま、ただ僕をじっと見ているだけで、ぴくりとも動かない。
僕だって、旧友と話すならもっと楽しそうにできると思う。
でも、相手は有馬だ。
聞きたいことも、責めたいことも、本当はたくさんある。
けれど、それをぶつけるには、
僕たちはお互いに距離が出来過ぎてしまった。
沈黙が重くなり始めた、その時。
足から力が抜けて、ふらついた。
「あ——」
声が出るより早く、腕を捕まれ、しっかりと支えられる。
でも、それは一瞬だけで、すぐに手が離れた。
「……ごめん。大丈夫か」
有馬は一歩下がる。
「……うん」
有馬はそれ以上近づいてこないし、
視線も、長く合わせない。
「じゃあ……戻る。無理しないで」
そう言って、有馬は背を向ける。
僕に引き止める理由はない。
去っていく背中を見送りながら、思った。
昔の有馬とは違う感じがする。
傲慢さも意地の悪さも一切なかった。
僕が寝ている間に人格が変わるほどの何かがあったのか。
思い過ごしかもしれない。
けど、僕に対して変な態度をとってこなくなったのは良いことのように思えた。
食べるという動作ひとつで息が上がるなんて、十年間寝たきりだった身体は本当にポンコツだ。
ずっとベッドの上で生活するのは退屈だと思っていたけど、
そもそも身体がいうことを聞かないので、退屈かどうかを判断する余裕もない。
実際、目覚めた初日に有馬に会ってからは、母も友人も面会に来る人は一人もいない。
それは今のところなんとも思わない。
十年の月日は人の人間関係をガラリと変えてしまうものだ。
普通の人なら寂しく思うのかもしれないが僕には異世界で暮らした記憶がある。
その記憶が僕を支えてくれていた。
――ああ、異世界での生活が恋しい。
戦うのは大変だったけど、魔法で簡単になんでもできた。
温かい人に囲まれて、自分が必要とされて、世界にとっての本当の幸せを取り戻すことに成功した。
この記憶がある限り、どこでだって生きていける。
そのくらい僕を強くしてくれた。
レミーユやオルフェンさんは元気かな。
アレンはノクトさんと仲良く暮らせているだろうか。
思い出していけばいくほど、もう2度と会えないかもしれない寂しさに落ち込んでしまう。
……ん?
待てよ。
今の僕って、魔法使えるのかな。
自分でもバカみたいだと思うけど、試す価値はある。
もし、使えたなら、それは僕がまだ向こうの世界と繋がっている証明になる。
炎は火事にでもなったら大変だし、花瓶を浮かせるのは割れたらやばいし。
テーブルに置いてあった一本のボールペンを手のひらに乗せる。
魔力に意識を集めて力を注いでいくと、ボールペンがかすかに反応し、さらに魔力を注げば反応が大きくなり、仕舞いには手のひらでくるくると高速に回転を始めた。
「できた!てことはこっちにも魔力はあるんだ」
異世界にいたからか、魔素を浴び続けた身体は、こっちの世界でも魔法を使うことを可能にしてしまうようだ。
嬉しいようなちょっと怖いような。
「月島さーん、朝ごはん食べ終わりましたかー?」
「ひぃっ!」
看護師さんの声に、慌ててボールペンの回転を止めた。
すっと魔力を引っ込めると、ボールペンは何事もなかったように僕の手のひらに収まる。
ドアが開き、看護師さんが笑顔でトレーを取りに来る。
僕は大げさなくらい驚いてしまったけど、彼女は全く気づいていないようで、ただ明るく「食器下げますねー」とだけ言って去っていった。
――危なかった。バレないようにしなきゃ
魔法を使えた喜びで浮かれていた自分を反省しつつ、胸の奥にこっそりと興奮を抱えたまま、心に刻んだ。
鼻のチューブは外してもらい、点滴も減った。
食事はお粥から始まり、少しずつ食べられるものが増え、量も増えた。
車椅子に乗せてもらって少し廊下に出たり、
手すりにつかまりながらゆっくり歩いたり。
そのたびに、筋肉痛のようなけだるさが身体に広がり心臓がバクバクする。
心が折れそうになりながらもどうにか繰り返すことでだんだんと筋肉がついてきた。
個室から大部屋に移されたのもこの頃だ。
「経過が安定してきたので」と言われ、僕はベッドごとゴロゴロと移動させられた。
特に寂しさもない。むしろ、広い空間や人の生活音に不思議な安心を覚えた。
また、人の目を盗んでは魔法を操ることも続けていた。
いつかどこかで役に立つかもしれないし、保険みたいなものだ。それに、この世界でも魔力を感じ取る感覚を忘れないようにしておきたかった。
もっとも、異世界にいた頃と同じようにはいかない。
回復魔法や光属性の魔法は一切使えず、炎や水といった他の属性も、威力は格段に落ちている。
それでも、なんとか「使える」と言える程度には発動できるようだった。
一度だけ、窓のカーテンを手を使わずに魔法で開けた時に、相部屋のおじいちゃんと目が合った。
結果、ガッツリ見られたことで病棟では幽霊騒動が巻き起こり、看護師さんたちの手によって幻覚ということで処理された。
おじいちゃんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。
数日後の午前。リハビリを終えた僕が息を整えていると、
主治医の先生がカルテを手に病室へ入ってきた。
「月島さん、ちょっといいかな?」
穏やかな声で微笑まれる。
ーーー何だろう。
リハビリ後に話しかけられるのは大部屋に移動を伝えられた時以来だった。
「検査結果が安定してきたよ。歩行もゆっくりなら問題ないし、食事量もかなり戻ってきている。そろそろ退院の目途が立ちそうだ」
「退院、ですか」
口から出た言葉が、少しだけ震えていた。
医師は笑ってうなずく。
「もちろん、まだすぐではないよ。体力をもう少し戻す必要があるし、生活に戻る準備も必要だ。だけど、ここでの治療としてはゴールが見えてきた。よく頑張ったね」
胸の奥がじわりと熱くなる。
退院できるのはもっとずっと先の話だと思っていた。
だって、十年も眠っていた身体だ。
歩けるようになるだけでも奇跡みたいなものだった。
医師は続ける。
「次の一週間で最終的な評価をするからね。それまでは今まで通りリハビリを続けてください」
「……はい」
医師が去っていくと、病室に静寂が戻った。
ようやく元通りの生活に戻れる目途が立ちそうで、嬉しいはずなのに、何だか落ち着かない。
僕はベッドの縁を握りしめたまま、しばらく動かずにいた。
(元の生活ってなんだ?)
十年前の僕の生活は、もうどこにもない。
家族も友人も距離ができてしまった。
有馬にだって会わないまま。
そして、もう二度と異世界に戻れないかもしれない。
退院は、自由と同時にひとりきりの現実へ放り出される合図のように思えた。
「それでも、大丈夫だ。僕はやれる」
異世界で過ごした時間が、そう言い聞かせてくれる。
胸の奥に小さく残った魔力の気配が、温かく感じた。
翌日から短時間の外出リハビリが許可されるようになった。
とはいえ、病院の敷地内までで、行けるのは庭か、売店か。
よたよたするため、点滴スタンドを引かずに歩くのは、まだ少し怖い。
躓かないように足元を確かめながらゆっくり進む。
たどり着いた庭は静かな場所だった。
ベンチに腰掛け、低い木と、手入れされた花壇を眺める。
風が吹くと、葉が擦れる音がするので目を瞑ってそれを堪能した。
――その瞬間、背中がぞわっとした。
誰かに、見られている。
視線を感じた。
誰だ!と心の中で言いながら、反射的に振り返ってしまう。
……いた。
少し離れた通路の端に、有馬が立っていた。
スーツでもない、私服姿で、ポケットに手を入れて、こちらを見ている。
バッと視線を背けるが、誤魔化しようのないくらい目が合ってしまった。
名前を呼ばれ、声をかけられると思い憂鬱な気分になったが、いつまでもその様子はない。
有馬はただ、そこにいるだけだ。
昔なら、僕を見つけた途端、確実に呼び止めて逃げ道を塞ぐみたいに、近づいてきたはずなのに。
もう一度視線を戻してみるけど、静かに睨み合うだけの時間が過ぎていく。
……なんだこれ。
無視して立ち去ろうか。
もう少しはやく気付けていれば気づかなかったふりもできたのに。
お見舞いに来てくれる人がよりによってこいつだけとかどんな試練?
いや、それは正直どうでもいいか。
なぜかわからないけど、たぶんこいつが好きで来てるんだろう。
それに、僕が話しかけたら、嫌な態度を取られてまた傷つけられるかもしれない。
ああ、もううじうじ考えるのめんどくさい!
考えたところで何かを導けるようなそんな器用な人間じゃないことくらい自分でもわかってる。
結局、僕の方が歩いて近づいていった。
「……もう来ないと思ってたんだけど」
自分でも驚くくらい、普通の声が出た。
「うん」
有馬はそれだけ答えた。
ーーーえ、それだけ?せっかく話しかけたのに。僕もう帰っていい?
踵を返そうとした途端、背中から呼び止められるように話しかけられた。
「歩けるんだ」
「まあね。でも、まだすぐに疲れる」
「無理すんな」
「わかってる」
それきり、会話が止まる。
有馬は真顔のまま、ただ僕をじっと見ているだけで、ぴくりとも動かない。
僕だって、旧友と話すならもっと楽しそうにできると思う。
でも、相手は有馬だ。
聞きたいことも、責めたいことも、本当はたくさんある。
けれど、それをぶつけるには、
僕たちはお互いに距離が出来過ぎてしまった。
沈黙が重くなり始めた、その時。
足から力が抜けて、ふらついた。
「あ——」
声が出るより早く、腕を捕まれ、しっかりと支えられる。
でも、それは一瞬だけで、すぐに手が離れた。
「……ごめん。大丈夫か」
有馬は一歩下がる。
「……うん」
有馬はそれ以上近づいてこないし、
視線も、長く合わせない。
「じゃあ……戻る。無理しないで」
そう言って、有馬は背を向ける。
僕に引き止める理由はない。
去っていく背中を見送りながら、思った。
昔の有馬とは違う感じがする。
傲慢さも意地の悪さも一切なかった。
僕が寝ている間に人格が変わるほどの何かがあったのか。
思い過ごしかもしれない。
けど、僕に対して変な態度をとってこなくなったのは良いことのように思えた。
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