三つ目の魔術師

山田ミネコ

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第八話 懐かしい手

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 朝、のようだった。

 窓の外では小鳥達のさえずりに混じって、小さい翼竜のクークー鳴く声が聞こえる。
 アルドヴィナはたっぷり睡眠を取った、充実した気分でゆっくりと目を覚ます。

「おはよう、よく眠れたようでよかった」

 ベッドの脇に誰かが腰かけて、笑顔を見せていた。

「おはよう」

 あんまり気持ちの良い目覚めだったので、ついほほ笑んで答えてしまう。

「あれ?」

 アルドヴィナの心に疑問が湧く前に、そっと誰かの手が彼女の肩を抑えて、ほっぺたにおはようのキスをした。

「ちょ、ちょっと待て」

 慌てて起き上がろうとしたが、そう強く抑えられているわけでもないのに、起きる事ができない。
 それは昨日の青年だった。

 ターバンをしていないので、感じが違って見えたのだ。
 今朝は簡素な白いシャツにシンプルな黒いズボンをはいていた。
 そんな質素な恰好が、かえって青年の明るい美しさを引き立てている。

 銀の長い髪、親し気な暖かさに満ちた緑の瞳。
 なぜかとても懐かしい笑顔。
 まるでアルドヴィナが夢見ていた、国王陛下がそばにいるような…。

「こら待て、ちょ、ちょっとやめて…」

 慌てるアルドヴィナの首筋に彼がもう一度キスをした。
 大好きな、あたたかな、勇敢な…誰よりも大切な国王陛下……。
 優しく肩を抑える大きな手は、なぜか夢の中で彼女を抱く陛下のものにそっくりだった。

「にゃ!」

 そしてもう一度、彼女の首におはようのキス。

「やめ、や……、にあああ」

 くすぐったくて気持ちよかった。
 なぜ国王陛下が側にいるような錯覚に陥るんだろう?
 何だか朝の陽ざしに溶けてゆきそうになってしまう。

「私もその服はあなたに一番似合うだろうなと、思っていたんです」

 さんざっぱらくすぐったい思いをさせておいて、青年が邪気のない笑顔でアルドヴィナに笑いかける。

「とてもかわいいですよ」

 そしてもう一度頬っぺたにキス。

「あれ、何故、どうして??????」

 昨夜しっかり鍵をかけたはずなのに…。
 部屋の鍵は鍵穴のあるような、外からも開けられる物ではない。
 がっしりと扉の内側にとりつけられた閂だったはず。

 しかし、断りもなく他人の部屋を使ってしまったのだ。
 ベッドばかりではなくお風呂も…。
 シャンプーと入浴剤もたっぷり。

 それから乾燥した薔薇の花びらは、瓶の半分も残っていない。
 文句を言える筋合いではないわけなのだ。
 旅の途中ではぜったいにしない油断だった。

「ちょ、ちょっとやめ…、こらやめなさい……、にゃああ」

 下から青年を跳ね飛ばして起き上がろうとしたのに、アルドヴィナは動けなかった。
 何故なら、その時青年が彼女の顎の下を指でくすぐったからだ。
 ネルガル国王陛下に、そっくりな指で…。

「にああ」

 とっても気持ちよかった。

 子供の頃、家の前のベンチに腰かけたお母さんの膝の上で、しょっちゅう喉を撫でてもらった。
 海からから良い風が吹いて来て、とてもとてもしあわせだった。
 お日様がいっぱいに当たって、しっぽがふくふくふくらんだ。
 生きている幸せが体中いっぱいになった。

「にあああん」

 気が付くと、青年の腕の中に抱かれて、喉をごろごろ鳴らしていた。
 アルドヴィナの目はうっとりと細められて、最高にご機嫌な顔つきになっていた。
 どうしてこんなに幸せなんだろう?

 おかしい、こんな事をしに来たわけではない。
 変だ、昨日初めて会ったばかりの人なのに……。

 アルドヴィナだって、撫でてくれるなら誰でもいいわけではない。
 ずうっと夢の中で、恐れ多くも国王陛下に撫でてもらうばかりなのである。
 故郷を出てからは、彼女に本当に触って撫でてくれた者はいない。

 だがしかし…、あまりにもネルガル様に似ているような気がした。

「本当に、あなたがここを気に入ってくれて、とても嬉しいです。
 私も一人で暮らすのは淋しいと思っていたんです」

 青年がアルドヴィナのふわふわの長い髪に花崎を突っ込んで言った。

「にゃああう」

 これは喉をなでるのをやめないでほしい、という催促。
 本当は背中を上から下に、おなかをしたから上に逆なでしてもらうと、もっと気持ちいい。
 でもそれは、ちょっと慎みに欠けるので、黙って置く。


「んー」

 アルドヴィナが満足して伸びをすると、青年が喉を撫でる手を止めて言った。

「あのね、私はおなかが空いてしまったんですけど…。
 朝ごはんを何か作ってくれませんか?」


「何で私が…」

 そんな事をしなくちゃならないんだ? という前に、チーズ蒸しパンを全部食べたのを思い出した。
 確かに自分が悪い。
 青年はお茶をどうぞ、とは言ったが、パンを全部食べてしまっていいとは言わなかったのだ。

「朝ごはんを作れないのなら、あなたを頂いてもよろしいんですが」

「お前は食人鬼だったのか?!」

「いえ…、そういう意味ではありませんけれど…」

 青年の目が面白そうに笑った。
 アルドヴィナに対する情愛に満ち溢れた、あの懐かしい笑顔。

 笑うと彼は本当に国王陛下によく似ていた。なぜだろう?
 ネルガル陛下は髪も目も夜のように黒いのに…。 

 情けない事に、彼の額の真ん中のアルドヴィナ自身の目まで楽しそうに細められているではないか。

「わかった、前掛けあるか?」

「そこの引き出しです。あ、スリッパと靴はそっちの戸棚」

 必要な物は何でもそろっているようで、至れり尽くせりだった。
 靴など誂えたようにアルドヴィナの足にぴったりだ。
 エプロンは彼女の趣味から言うと少しフリルだのレースだのが多すぎる。
 まあ、用が足りればかまわない。どうせ他人の持ち物だ。

 自分は用がすめばここから出て行くのだし…。

 ズキン、心のどこかが痛い、と悲鳴を上げた。


「あれ、今のは何だろう?」

 アルドヴィナにはよくわからない。

 彼女はわざと台所のドアを元気よく開けた。




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