ozunu1十字路の木

山田ミネコ

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第八話 インドラ・シェルチャンの待ち伏せ

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 インドラは細い目を吊り上げ、口の中で呪文を唱える。
 ゆらりと、嫌な気配が立ち上った。
 ふっと、小角の抱きしめていた妖魔の目が開く。

「笑さん!」

 がっ、と彼女の手が小角の喉に食い込んだ。

「しまった!」

「ふふふふ、そうそう、そうして彼の精気を吸い取ってしまいなさい、どんどん!」

「やめ…笑さ……」

 小角は必死で彼女の手を引き剥がそうとした。
 だが、呪のかけられている彼女の力は、万力のように小角の喉を締め付ける。
 精気がそのテが触れている場所から流れ出て行くのが感じられた。
 急激に頭が冷たくなる。耳鳴り。
 脳貧血だ…これは。


「パトロールが二人も手に入ってしまいますね。
 素晴らしい。小角はなるべく過酷でサドで嫌らしい人の所に売りつけてあげましょう」

 こいつならやりかねないと、小角はぞっとした。

「きっと美しいペットとして、死ぬまで可愛がってもらえるようにしてさしあげますよ」

『畜生、こいつの声をきかないですむなら、何だってするのに…』

 小角は薄れて行く意識の下でそう思った。
 思っただけでどうすることもできない。
 しかし、笑は小角の意識を吸い尽くす事はしない。
 無意識に遠慮しているのか、インドラの命令なのか。

「わ!」

 パトロール・プルバが肩を抑えて、小角のマシーンから転げ落ちる。

「レーザーガンだ。ちっ、面倒な事になりやがった」

 ハヌマンが軽く舌打ちして、ちょうど鎖の切れた星野を自分のマシーンに乗せた。

「笑さん、ごめん」

 ハヌマンが叫んで腰の山刀で彼女の手首をすぱっと切り放す。

「うわあ、何するんだ」
 
 突然自由になった小角は、後ろにひっくり返る。
 自分のマシーンに倒れ込みながら叫んだ。

「慌てるな、妖魔は手切られたってすぐくっつくよ、跡も残らん。
 それより逃げるぞ」

 ハヌマンは星野を乗せて飛び立った。

「おう!」

 転げ落ちたプルバをマシーンに引き上げ、笑を抱えると、小角は起動スイッチを入れる。
 ハヌマンの言葉通り、笑の手はすぐに元通りぴたりと合わさった。

「ふーん、便利なんだな、妖魔って」

「小角、笑さんに手錠をかけておけ。
 今度襲われたら助からんぞ!」

「わかった」

 小角はハヌマンが投げてよこした、妖魔研究所特製、合成樹脂手錠で彼女を後ろ手にいましめた。

「ごめんよ、呪が解けたらすぐ自由にしてあげるからね」

「馬鹿野郎、何悠長な事言ってんだ!」

 ハヌマンが叫んだ。
 予想はしていたが、インドラの手下もしくは一族の者たちらしきフライングマシーンや乗り物が追いかけて来る。
 
「うへええ、どこから湧いて出たんだ?」

 逃げ切ってカトマンズに入ればよし。
 途中で捕まれば、星野もろとも変態の王様に売り飛ばされる羽目になるだろう。

「冗談じゃねえええ!」

 大抵の相手は小角の顔に騙され誤解するが、その美しい外見とは裏腹に、天性の強烈なストレートだ。
 女性が大好きである。
 恋して、抱きしめたいのは女の子だけだ。
 むろん、変態の小父さんなんか死んでもいやである。

 パトロールスペシャルのフライングマシーンは、ブースター付きで、チューンナップも最高。
 だが敵もさるもの。
 金にあかした競争車並みのマシーンが何台もあるようだ。
 しかもこちらはけが人と、正気でない妖魔というお荷物を抱えている。
 ちらりと横を見ると、ハヌマンも必死で追っ手をかわしている。
 妖魔との追いかけっこで慣れているようだから、心配はいらないだろう。




 ◇

 

 石造りの家々が滑るように後ろに飛んで行き、すぐに街並みは途絶える。
 あとは山、山、山。
 ぐんとそそり立つアンナプルナの壁が、屏風のように左手に見える。
 振り返ればダウラギリ八千百六十七メートル。
 その手前アンナプルナⅠ、八千九十一メートル。
 マナスルとヒマルチュリを左手に見て過ぎれば道は半ばに至る。

 ポカラはカトマンズよりぐっとヒマラヤ山脈の懐深く抱かれた町なのである。

 
 いくら月光が明るいとはいえ、真夜中の全力疾走はつらい。
 ハヌマンほど夜目の効かない子角は、大きく張り出した岩や、障害物をよけるだけで精いっぱいだ。
 パトロールの実践で鍛えたテクニックがなければ、とっくにインドラの虜だろう。

「やだやだ」

 変態の王様に体中撫でまわされたように、小角はびくりと首を竦めた。
 ふと振り向くと、笑の閉じた目が、すぐ後ろに迫っている。

「プルバ!頼む、笑さんを抑えていてくれ!」

「わ…かった…」

 答えたが、ほとんど右手が取れそうに深手を負っているプルバは、物の役に立ちそうにない。
 
「頑張れ」

 このままで百キロを走り抜けられるだろうか?」



 ◇

 自信がぐらつき始めたのは、待ち伏せのマシーンの列を見つけたからだ。
 むろんこのマシーンには武器が搭載してあるが、果たして使っていいものか?
 相手は名家シェルチャン家、かたや名もない(いや、名前はちゃんとあるのだが…)一介の公務員。
 しかも一度死んだはずの、時間移民と来ている。

「笑さん!」

 目を閉じたままで、美しい妖魔は小角に身を摺り寄せて来る。
 正気だったら考えられない事だ。

『よかったかも、星野がラリってて…。
まともな時にこんな所見られたら殺されちまう』

 ちらりとハヌマンのマシーンを見やる。
 まだ薬は効いているようだ。

 院行きだな、ありゃ…。

 何日も閉じ込められていた間、ずっと薬漬けにされていたに違いない。
 インドラはやはり、星野を解放する気などないのだ。
 ハヌマンは遠慮会釈もなくマシンガンを乱射している。
 特別待遇の妖魔退治専門家との態度の差だ、と小角は思った。
 ソマ族はカトマンズ市民、いや、人類にとってなくてはならない存在なのだ。
 
「えーい、何とかなるさ、遠慮して今死んだら元も子もない!」

 迫りくる敵に向かって結局レーザーを打ち込みながら小角は叫んだ。

「どけどけどけーっ! 死にたくない奴は逃げろーっ」

 敵は幾万ありとても、パトロールし資格試験に合格する者に勝てる人間はなかなかいない。
 しかも小角は経験四十年のベテランだ。
 外見はぴちぴちの美青年だが、それは血液交換不老法のおかげである。
 ほどなく追いすがる敵を振り切って、月光の草原と緩い起伏の山間のまばらな林へ飛び込む。
 ところが、敵はシェルチャン家の者だけではない。

「あ…っ、笑さん、うわ」

 ぞくん、小角の心臓が踊るようだった。
 そんな、嬉しい、天にも昇る気分だ。たとえ彼女が正気でなくとも、今だけでもいい。
 一瞬だけでいいから、幸福感に浸りたい。
 やめてくれと言えない自分が情けない。
 
 むろん、そこに隙ができるのが敵の狙いだったのだ。
 敵とはインドラシェルチャンである。
 笑を操っているのだ、あの怪しげな呪文で。

「笑さん…、あ…」

 笑は小角の首筋に唇を押し付けた、そのままそっと囁く。

「小角…」

 優しい甘い声。
 夢にまで見たシチュエーション。
 でも、何もこんな時に来なくてもいいじゃないか。
 振り返ってしっかり彼女を抱きしめたい!
 すりすりしたり、一緒に転げ回ったり、もっとあんな事とかこんな事とかしたい。
 したいんだよう!

 不覚ながら小角は、心底女の子が好きである。
 なかでも特に彼女には弱いのだ。
 これが、彼女の石でしている事ではないとわかっているのに…。

「笑さん…」

 だから、ほんのちょっとだけ、小角の注意力が彼女に向いてしまったとしても、無理ない事だった。
 しかし、高速で走っている乗り物を操縦している時は、一瞬の油断も禁物である。
 
 がくん。

 マシンの底が何か固い者に掠った。
 衝撃はそれほどではなかったが、スピードがあった。
 三人を乗せたマシーンは、樹の枝に当たったフリスビーのようにチップした。
 
 小角は虚空に放り出されて、真円を描く月のクレーターの一つ一つまでしげしげと見つめた。


 黒いビロウドのような空。
 ばらまかれた宝石のような星。


 それらを眺めながら、やけにゆっくり飛んだ。


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