吸血鬼と銀の婚約指輪

ウサギ様

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第1話

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 喧騒が聞こえる。 怒鳴り声、発砲音、石造りの家が抉られ崩れる音。
 閑静な住宅街であるはずの街は酷く騒がしい。 近所のやんちゃな男の子達の馬鹿騒ぎでもここまで騒ぐことはないので、異常な事態であることはすぐに分かった。

 学舎でも間抜けと評判の僕としても、何か怖いことが起こっていることは一目瞭然……いや、一目もしていないけれど瞭然で、一人暮らしの自分の身を守るために戸締りの確認をして安堵の息を吐き出した。

 いくらこの王都が治安がいいと言っても、女の我が身では気をつけるに越したことはない。 徐々に離れていく喧騒に安心してベッドに潜り込み目を閉じる。
 すぐに眠気に襲われて眠りにつく。

 日の出と共に目が覚める。 喧騒はとっくの前になくなったらしく撫でる程度の風の音が聞こえるほど静かだ。

 身支度を一通り済ませ、朝食を食べた頃に五時を知らせる鐘の音が街に鳴り、うるさいというわけではないけれど、街が少しだけ活気を帯びてくる。
 何処からともなく聞こえてくる人が生きる音と共に、読みかけの本を開いて窓辺の椅子に腰掛ける。 窓の隙間から入り込んでくる他の家の朝食の匂いに恨ましい気持ちを覚えながら本のページをめくっていく。

 騒がしさが増してきた頃、もう一度鐘の音が鳴り響き、僕は本にしおりを挟んで鞄の中に入れた。 立ち上がって服を整えてからカーテンを閉めて、鞄を手に持つ。

「いってきます」

 一人でそう頭を下げてから、ゆっくりと家から出る。 品のいい人が多いこの街は居心地は良くないけれど、住むにはこれ以上ないところだ。
 何せ治安がいい。 庇護者のいないけどお金だけはある僕のような小娘だと、色々と都合がいいところだ。 危ない目には合わないし、美味しい物は食べれる、学ぶことも出来れば安心して出歩ける。

 だからこそ、昨日の喧騒が不安である。 ガヤガヤと野次馬が集まっているところに目を向けると、魔導銃によって抉られたであろう石の壁と、まだ生々しい赤さの残る血痕が付着していた。

 少しゆっくりと歩き、話し声に耳を傾けると、どうやら吸血鬼という魔物が出たらしい。 聞き覚えのある単語に首を傾げ、後で学校で調べてみることにした。

 学校の図書館に入り、人気の少ない魔物関連の棚を見る。

「吸血鬼、吸血鬼……と、ありました」

 パラパラとめくってから、確かにそれが吸血鬼について書かれている書物であることを確認してから、図書館に備え付けられている椅子に座って読む。
 真新しい折れ線に似たような切っ掛けで開いた人がいたことと、その人なぞんざいな扱いに微妙な気分になりながら見ていくと、既に滅んだ魔物であると書かれていた。 だからすぐに棚に戻したのだろう。

 興味を失いかけたけれど、人にそっくりな姿であるという記述に好奇心を揺さぶられて本を置かずにめくっていく。

 曰く、人に似ているが鋭い牙があり、その牙により人から吸血して生きる。 人より強靭な身体、闇に隠れる特性。 しかしながら日に弱いとか香辛料が苦手とか水が苦手とか、案外弱点が多いらしい。
 それに、銀の武器によって簡単に致命傷を与えられるとか……そうやって淘汰された魔物である。 そう本に書いてあった。

 滅んだのは百年以上前らしく、もし数人生き残っていたとしても自分の敵ばかりの人里にいなければならないのだから絶滅は避けられないだろうと、他人事のように思う。

 おそらく吸血鬼の噂はガセだろう。 生き残っていられるはずがない生き物だ。
 興味を失って棚に戻そうとするが、棚の上の方に戻すのは結構大変だった。 取った時にはあったはずの台はなくなっており、指の先で本の下を引っ掛けるようにして押して、頭上でぐらりと揺れた本に嫌な予感がする。

 ごつん、と硬い装丁の本が落ちて頭にぶつかり、軽く蹲りながら本に手を伸ばす。 捲られたページは丁度特徴を記した挿絵のページであり、人と変わらない姿のそれを見ながら手を伸ばし、僕の手が届くより前に他の白い手が伸びて本に触れる。

「……吸血鬼か」

 男の人の声。 本を片付けようとして頭に落とすなんて間抜けな姿を見られてしまった、と気がついて羞恥心に顔が熱くなるのを感じる。
 まともに顔を見ることも出来ずに立ち上がりながら、パタンと本が閉じられる音を聞く。僕の頭の上に手が伸びて、本が棚に戻される。

「ありがとうございます」

 僕のお礼は聞き流されて、男の人はつまらなさそうに去っていく。
 本の匂いに紛れて薄らと感じる鉄の匂い、すぐにそれは失われて、気のせいだったかと息を吐く。

 本を拾ってくれた金髪の男の人の後ろ姿を見て小さく思う。 あの人間にしか見えない吸血鬼の挿絵で、よく吸血鬼だと判断出来たものだ。
 吸血鬼について知っているというだけでも珍しいというのに。

 ああ、本についていた真新しい折れ線は彼がつけてしまったものなのかもしれない。
 そう思いながら気になる本がないかを探しながら歩いていく。
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