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誰かの祈りに応えるものよ

誰かの祈りに応えるものよ③

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 突然服を脱ぎ始めたユユリラにニエが勢いよく飛びついてその手を掴んで止める。

 胸の半ばまで見えていた肌が再び濡れた服で隠されていく。

「な、何してるんですかっ」
「えっ、いや、濡れてるから……」
「男の人の前ですっ!」
「あー、まぁ冒険者してると普通にあることだから気にしないッスよ?」
「私は気にしますっ。カバネさんの前じゃダメですからっ!」

 別の部屋に移動した方がいいのだろうが、あまり素性のしれない人物をニエと二人にさせるのも気が引ける。

「あー、ニエ、俺も包帯がわりの布を変えたいからちょっと手伝ってくれ」
「えっ、あっ、はい。あ、ユユリラさん、そこにある棚の中の服なら着ていていいですから」

 二人で俺が使っている部屋に入り、俺は上着を脱いで包帯を剥がしていく。傷痕から染み出した血が包帯に染み込み固まることで皮膚にペタリと張り付いている。

 剥がれないところは無理に剥がすのはやめておき、新しい皮膚が出来るのを待つことにする。
 一通り剥がせるところは剥がし終わり、改めて見ると全身余すところなく怪我をしているのが分かった。

 感染症のリスクも考えられるが……だからといって何か出来るわけではないので運を天に任せるしかない。

「……すみません。こんなに傷だらけで」
「ニエが謝ることじゃないだろ。俺がどうしてもニエが欲しかったから、龍から横取りしただけだ」

 俺の言葉に頷くものの、ニエの顔が晴れることはない。無言で包帯を新しいものに変えていく。

 ……互いに負い目を感じている。
 命を救ったといえば聞こえはいいが、それ以外のものは奪い尽くしている。
 正直なところ、俺は頭が悪いらしく人との付き合いが苦手だった。
 元気が出るような都合のいい言葉は出てこない。俺の怪我を気にしないでいられるような言い訳を考えつかない。

「……これからどうしたい?」
「えっ、あっ……な、何がですか?」
「街に行くことになるが、どういう生活をしたいかは聞いておこうと思ってな。まぁ、望む通りにするのは難しいだろうが」
「えっと……その、二人でいたいです。今みたいに、二人で生きていきたいです」

 ニエの声は雨音よりも小さく、それでも不思議とよく響いた。
 泣いた後の目の腫れが未だに収まっていない。もっと上手く龍を倒せばこんな風に泣かさなくて済んだのに……と、染み込むような罪悪感を覚えるが、それと同時に彼女の意識を自分の方に引けていることに喜びを感じる。
 自分の浅ましさに呆れてしまう。

「……ああ、俺もそう思っている」

 その浅ましさがバレないよう、ニエから俺の顔が見えないように、彼女を抱きしめて頭を押さえる。
 血と雨の匂いに混ざって、少女の甘い匂いがする。雨で下がった室温で少し冷える肌には心地の良い暖かさ、ドクリドクリと感じるニエの心音。

「カバネさんも、緊張してくれているんですね。触れていると、雨よりも大きな音が聞こえます」
「……悪いか」
「えへへ」

 こうやって異性と触れ合う意味が分かっているのだろうか。強まっていく雨音、より暗くなっていく室内。
 遠くに雷の音が聞こえたが、そんなものは気にならなかった。

 ニエが俺の方に顔を向けて目を閉じる。よほど緊張しているのか、顔は真っ赤に染まり、唇が不自然なほどにツンと尖らされていた。

 幾らコミュニケーションが得意ではないと言えども、その仕草の意味は分かる。
 薄桃色の薄い唇に顔を近づける。目を閉じていても、ほのかに感じるニエの体温と吐息の具合でどれほどの距離にいるかが分かってしまう。

 子供相手だという考えのせいで寸前のところで止まる。

 ……常識的に考えてダメじゃないか。
 いや、異世界の常識は分からないし、異世界にいるのに日本の常識で物事を捉えるのはどうなのだろうか。

 死にかけながら戦ったご褒美にキスをするぐらいは倫理的にもセーフではないだろうか。嫌がられているわけじゃないし、むしろ求められている。
 そもそもダメというのなら、こんな子供に惚れ込んで「好きだ、好きだ」と言い寄る時点で大概だろう。

 俺が葛藤していると、ニエはパチリと目を開き、照れたように話す。

「あ、あの、もしかして石像だったから、ちゅーが分からないんですか? お母さんが言っていたんですけど、好きな人と唇をくっつけると気持ちいいそうなんです」
「……そ、そうなのか」
「と、ということで……どうぞ」

 再びニエが目を閉じた瞬間、部屋の扉がバッと開く。

「着替えありがとうッス。食料買ってきたッスけど、食べますッス?」
「えっ、あっ……た、食べますッスです」
「……悪いな」

 ユユリラを憎みそうになる感情を抑えながら立ち上がっていつもの部屋に戻る。

 今更だが、金銭なんてあったんだな。まぁ田舎だから今まで見なかっただけか。
 結構な量の食料を買ってきたようだ。まぁ三人分だったらこんなもんか。

「あっ、私、料理しますね」
「頼むッスね」

 いつものようにニエが率先して動き、ユユリラは椅子に座って手足をブラブラと動かす。

 ニエの母の服を着ているようだが、サイズがあまり合っていないようで全体的に窮屈そうに見える。
 ユユリラも比較的小柄な体型をしているので、ニエの母がよほど小さかったのだろうことが分かる。

 小柄ではあるが、胸だけはそこそこあるように見えてその分窮屈そうだ。

「それで今後の予定なんスけど。雨が止み次第ここから一番近い街に移動しようと思うッス。目的の街までは遠回りにはなるんスけど、子供もいるなら多分乗り合い馬車に乗った方が総合的には早くて、早く到着する分だけ食費が抑えられるだろうって算段ッス」

 俺は頷く。この世界については何も知らないので、この娘の言うことを聞いておいた方がいいだろう。

「それにしても雨強いッスね。少し遅くなってたら危なかったかもしれないッス」
「そうだな。そう言えば、領主様から依頼が出されてやってきたとして、行き来に三日かかるんだろ。早すぎないか?」
「えっ、普通に三日かけて歩いてきたッスよ?」
「……ニエ、何日寝ていたんだ?」
「二日と少しぐらいですよ。……起きてくれて、本当に良かったです」

 ……思っていたよりも重症だったな。
 ニエがあれだけ心配して泣くのも分かるというものだ。

 ニエが作った料理を食べる。
 雨雲があって分かりにくいが、まだ朝か昼かで何もすることがない。
 いつも忙しなく狩りをしていて気がつかなかったが、この家には暇を潰せるような娯楽がない。

 暇だったので、なんとなくニエを見つめる。こてりと首を傾げて不思議そうに俺を見返す。とても可愛い。
 しばらくニエに見惚れていると、ユユリラが大きく欠伸をする。

「あっ、眠いのでしたら、そちらの部屋のベッドを使っていただけると。寝巻きも好きに使っていただいて大丈夫です」
「んー、ありがとッス。野宿で疲れてたんでありがたいッス」

 フラフラとユユリラはニエがいつも寝ている部屋に向かう。

 再びニエと二人になった部屋。この世界の制度に付いて不見識すぎるので尋ねようとしたとき、ニエは椅子を俺の隣に持ってきて、そこに座る。

「……えっと、その……んぅ」

 ニエは顔を俺の方に向けて目を閉じる。
 ……どうしよう。
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