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六話 二人で夜更かし、知った秘密
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それから更にひと月が過ぎて、ディオンがいる生活がわたしにとって当たり前になりつつあった。相変わらず、彼の前では冷静な魔術師を気取るのは変わらないけれど、この前の蜘蛛事件以来、特にボロは出していない……はず。
明日は貴重な休みなので、わたしは居間のソファに座って、ディオンが淹れてくれたお茶を飲むゆったりとした夜を過ごしていた。
ディオンはまだ台所に立っている。わたしの休日はひと月に大体二、三日で、今までにも数日あったけれど、彼はその日も家事を一手に引き受けてくれているので、実質無休状態だ。わたしがたまには休んでと言っても大丈夫だの一点張り。常にありがとうと伝えるようにはしているけれど、こき使っているようで申し訳なくなってくる。
なかなか聞けずじまいだったけれど、ディオンのもともと住んでいた家や、家族のことは大丈夫なのだろうか? 彼は既婚であることを示す指輪はしていないが、これだけ気が利いておまけに美丈夫なのだから恋人がいて当たり前だ。男女のお付き合いの作法についてはまったく知識がないわたしでも、さすがにふた月も会いに行かないというのはよくないことだと分かる。
一日くらい彼がいなくたって全然平気だ。もともとは一人で生活していたし、いくらなんでもたった一日で部屋を荒れ放題にしたりはしない。
意を決して、わたしはディオンに声をかけた。
「ディオン?」
彼が振り向いた。
「ん、お代わりか?」
「いえ、そうではなくて……明日はお休みでしょう? わたしはゆっくり過ごす予定だから、たまにはあなたも羽を伸ばしたらどうかと思って」
「俺のことは気にしないでくれ。留守は俺が預かるから、あなたの方こそ好きなところに出かけてくるといい」
彼はいつもの調子で笑って言った。だが、今回ばかりは簡単には引き下がれない。魔術師と従士の関係は貴族と召使のそれのような厳しい決まりごとはないため、できる限りは彼と対等でいたい。
「ディオン、あなたが働いてくれるおかげでわたしはすごく助かっているけれど、あなたの生活を奪いたくはないわ。ご家族とか、お友達とか恋人とか……たまには会いに行かないと」
「心配してくれるのはありがたいが、俺に恋人はいない。友人も」
いやいや、恋人はさておき、こんなわたしにもプリシラがいるのだから、さすがに友達が一人もいないってことは……。
ディオンの顔が、少し曇った。
「……家族のところには、帰る必要がない」
家族と上手くいってない? もちろん、世の中の家族が全員仲良しというわけではないと思うけれど……。
恋人も友達もおらず家族とも不仲……一体、今まで彼はどんな風に生きてきたのだろう。
「ディオン、すごく今更なのは分かっているのだけれど、わたし、あなたのことをほとんど知らないままなの。それは良くないと思って……あなたを疑っているとかではなくて、一応わたしは魔術師としてあなたの身を預かっているから、把握しておくべきではないかと思うのよ」
気を悪くされるのは承知だが、ある程度は筋の通った主張だと思う。
それを聞いたディオンは一瞬、考え込むような素振りを見せたが、わたしに向かって頷いた。
「……あなたの言う通りだな。今まで不安にさせてすまなかった」
「気にしないで。せっかくだし、ここにどうぞ」
わたしはそう言って、ソファの右の方に少し寄った。三人がけなので十分余裕はある。
ディオンが自分のティーカップを持って、わたしの隣に座った。ソファの前に置いてある背の低いテーブルにカップを置き、ふっと息をつく。
話すことに気乗りしないような様子だった。
「どうしても話したくなかったら、無理はしなくていいけれど……」
「いや、そうではない。どう話せばいいものかと思ってな」
少しの沈黙の後、ディオンは話し始めた。
「クロウディード伯爵という名に聞き覚えはあるか」
お会いしたことがあるかもしれないけれど、人の顔と名前を覚えるのが苦手なのですぐにはピンとこなかった。
「ごめんなさい、ちょっと分からないわ」
「そうか。いや、いいんだ。……俺の父親は、そのクロウディード伯爵だ」
まさかとは思っていたけれど、本物の貴族だったとは。その割には、料理も上手だし家事も手際がいい。最近の貴族にとっては、そういうことも嗜みのひとつなのかしら。
「とはいっても……不義の子なんだ」
「えっ……」
当主様が浮気をしたとか? 貴族の人間関係はそれなりにドロドロしているとプリシラから聞いたことがあるけれど……。
「使用人だった俺の母が、妻子のいる当主に横恋慕した。彼の飲み物に薬を混ぜて意識を混濁させ……俺を身ごもった」
――そんなことって、現実にあるの!?
お芝居や小説の中でしか起こりえないような事実を聞かされて、わたしは思わずぽかんとなった。
「その事実が知れ渡ったのは俺が生まれてすぐのことだった。母はすぐさま追い出され、俺は伯爵家に残された。不義の子とはいえ当主の血を継いでいるから、手元に置いておくべきと判断されたんだろう」
とはいうものの、と彼は続けた。
「俺は伯爵家にとっては腫れ物だった。特に当主夫人からの当たりはきつくて、忌み子、あばずれの子だと……散々な言われようだったな。当主がかばってくれることはなかった。物心つく頃からずっと従僕扱いだったが……俺なりに、少しでも役に立てば愛されるかと思って、できることは何でもやったし学べることはなんでも頭に入れた。だが、何をどうしても認められることはなかった」
「そんな……」
「……すまないな、暗い話をして」
彼が謝る筋合いはない。話せと言ったのはわたしだ。
ディオンが何でもできるのは、少しでも周りに喜ばれたくて、役に立ちたいと思って、一生懸命に努力をしてきた結果だったのだ。
知らされた事実が衝撃的すぎて言葉を発せないわたしを見て、ディオンは軽く笑った。いつもの穏やかな笑顔ではなくて、自嘲的な笑みだった。
「……軽蔑するか」
「……いいえ」
わたしは首を振ってみせた。
「ごめんなさい、予想もしなかったことだから驚いただけで……。軽蔑なんてしないわ。だって、どう考えてもあなたは何も悪くないでしょう」
貴族の込み入った事情までわたしには分からないし、伯爵も夫人もある意味では被害者だけれど、だからといってディオンが受けた扱いはあまりにも気の毒だ。生まれる場所を、境遇を選べるなら誰も苦労なんてしない。
わたしの言ったことに、ディオンは少なからず驚いたようだった。
「セシーリャ……」
「さっきも言ったけれど、わたしはあなたが来てくれてすごく助かっているわ。本当よ」
「……ありがとう。あなたにそう言ってもらえるなら光栄だ。無駄な努力だと思っていたが、報われた」
ディオンの表情が柔らかくなった。ひどい仕打ちを受けて、どうして彼はまだこんなに優しい目をしていられるのだろう。わたしだったら周囲を恨むなり自暴自棄になったりして、同じような努力はできない。わたしは魔術の修練は好きだけれど、苦しいと思う時もあった。もし一度も誰にも褒めてもらえていなければ、きっと全部投げ出していたと思う。
「ディオンはすごいのね。辛い状況でも人の役に立ちたくて努力ができるって、尊敬するわ」
「いや、俺はそんなに立派な人間とはいえない。実際、あなたに会う直前まではかなり自棄になっていた」
「そうなの?」
わたしとディオンが初めて会った日――魔物の討伐をしたわたしのところに、彼が急に現れた。
「近くで魔物が出ると聞いたときのことだ。剣術もそれなりに身につけていたから、その魔物を倒せば周りから認められるだろうと思って、安易に森に入っていった。あなたが来るのがあと少しでも遅かったら、俺はあの日に命を落としていただろう」
あの時、剣を持って一人でいたディオンを見て不思議だった。彼は本当に魔物に単身で立ち向かっていくつもりだったのだ。
「だから、少しでもあなたに恩を返したかった。いきなり押しかけてきたのに受け入れてくれて、感謝している」
恩返しとしてはもう十分なのだけれど……。でも、彼が少しでも従士の役目にやりがいを持ってくれるなら、わたしとしてもありがたい。
「そんなに堅苦しく考えないで。元いたところに帰りたくないのなら、ずっとここにいて頂戴」
「ずっと……」
ディオンの瞳が揺らいでいるのに気づき、はっとした。ずっといてくれだなんてあまりにもおこがましい話だ。
「あ、ごめんなさい。あなたを縛るつもりはないから……」
「いや、働かせてくれ。あなたのために」
「そう? なら、これからもよろしくお願いするわね」
ああ、と彼は頷き、じっとわたしを見た。
「セシーリャ、良ければあなたの話も聞かせてくれないか」
「わたしの?」
わたしの生い立ちなんて全然面白くもなんともないのだけれど……。
「あなたは魔術師になって長いのか?」
「ええ……七歳の時に修行を始めたから、その時から数えたら十八年ね」
とはいっても、魔術師の界隈から見ればわたしなんてまだまだ小娘だ。
「でもわたし、もともとはここから遠いところの、普通の家の生まれなのよ」
この国には魔術師が何人もいるが、どういった場合に魔術の才能を持って生まれてくるのかは未だに解き明かされていない。魔術師同士が結婚しても、生まれた子供には誰ひとり才能がないということもあるし、わたしのように魔術師とは縁のない家庭から才能のある子が現れる場合もある。
そのような子を探すため、王国内を巡回する役目を持った魔術師がいる。素質を持って生まれた子は、例外なく王都の管理下に置かれることが決まっているのだ。
王都から遠く離れた小さな町の平凡な仕立て屋の娘だったわたしも、巡回にやってきた魔術師によって素質を見出され、親元を離れて王都で暮らすことになった。
「小さな時にご両親と別れることになって、寂しかっただろう」
「そうね……でも、わたしの両親は理解ある人だったわ。陛下のお役に立ちなさい、多くの人を助けられる魔術師になりなさいと言って送り出してくれた」
両親はわたしの前で、悲しむ素振りをまったく見せなかった。わたしは最初のうちは親が恋しくて泣いていたけれど、魔術師として一人前になれれば里帰りして立派な姿を彼らに見せてやれると知ってからは、一生懸命に勉強した。
「ご両親は今も元気でいるのか?」
「それがね……十年前に二人とも亡くなったの。町全体に病気が流行って……。うつるといけないからと、帰らせてもらえなかったし、葬儀もできなかった」
「すまない、辛いことを思い出させた」
「いいの。両親がわたしに宛てた手紙だけは渡してもらえた。本当はわたしを送り出すのは辛かったけれど、成長したわたしに会えるのが楽しみだったと書いてあったわ」
それは叶わなかったし、両親の死からはしばらく立ち直れなかった。
「魔法では解決できないことが、世の中にはまだたくさんあるわ。けれど、学ぶことをやめなければいつかは解決できるようになるかもしれない。両親が味わった苦しみを繰り返さなくてよくなるかもしれない。わたしはそう思っているの」
その思いがわたしの原動力だ。結果として大魔術師の地位に就くことができた。まだまだ実力が伴わないけれど、これからも頑張っていきたい。他のことはからっきしでも、魔術については常に自信を持っていたい。
「……立派な心掛けだ。あなたを尊敬する」
わたしが話している間、ディオンはずっとわたしの方に体を傾けて、じっとわたしの顔を見ていた。わたしの言葉を一言も聞き漏らすまいと思っているようだった。
とても聞き上手な人だ。そのせいか、ついつい色々と――プリシラにも話したことがない内容まで聞かせてしまった。
「そんな、尊敬されるような器ではないわ」
「いや、あなたはとても芯の強い人だ。ここまで強い意志を持てる人間はそう多くない。あなたの従士でいられることを嬉しく思う」
――なぜだろう、とても嬉しい。
褒められることは別に初めてではない。それなりの評価を得て、大魔術師になったわたしがここにいる。なのに、今まで受けた賛辞より、ディオンの褒め言葉が一番嬉しかった。思わず頬が熱くなるくらいに。
心からの称賛だということが、彼の真っすぐな眼差しから感じられた。そういえば、この前の夜会――二度目の出会いの時も、ディオンはわたしを勇敢な人だと言ってくれたっけ。聞き上手なだけでなく、褒め上手でもあるのだ。
「……今まで、あなたに従士がいなかったというのが不思議だ」
「それは……まあ色々あったのよ」
彼はそれ以上追及してくることはなく、ああ、と呟いた。
「もう遅い時間だ。明日は休みとはいえ、そろそろ寝た方がいいだろう」
「そうね。ごめんなさい、長々と」
「いや、とても楽しかった。片付けておくからあなたは先に休むといい。おやすみ、セシーリャ」
驚くことの方が多かったけれど、彼のことが知れてよかった。不安の種がひとつ無くなった。
「ありがとう、ディオン。お休みなさい」
彼の言葉に甘えることにし、わたしは先に二階の寝室へ向かった。
明日は貴重な休みなので、わたしは居間のソファに座って、ディオンが淹れてくれたお茶を飲むゆったりとした夜を過ごしていた。
ディオンはまだ台所に立っている。わたしの休日はひと月に大体二、三日で、今までにも数日あったけれど、彼はその日も家事を一手に引き受けてくれているので、実質無休状態だ。わたしがたまには休んでと言っても大丈夫だの一点張り。常にありがとうと伝えるようにはしているけれど、こき使っているようで申し訳なくなってくる。
なかなか聞けずじまいだったけれど、ディオンのもともと住んでいた家や、家族のことは大丈夫なのだろうか? 彼は既婚であることを示す指輪はしていないが、これだけ気が利いておまけに美丈夫なのだから恋人がいて当たり前だ。男女のお付き合いの作法についてはまったく知識がないわたしでも、さすがにふた月も会いに行かないというのはよくないことだと分かる。
一日くらい彼がいなくたって全然平気だ。もともとは一人で生活していたし、いくらなんでもたった一日で部屋を荒れ放題にしたりはしない。
意を決して、わたしはディオンに声をかけた。
「ディオン?」
彼が振り向いた。
「ん、お代わりか?」
「いえ、そうではなくて……明日はお休みでしょう? わたしはゆっくり過ごす予定だから、たまにはあなたも羽を伸ばしたらどうかと思って」
「俺のことは気にしないでくれ。留守は俺が預かるから、あなたの方こそ好きなところに出かけてくるといい」
彼はいつもの調子で笑って言った。だが、今回ばかりは簡単には引き下がれない。魔術師と従士の関係は貴族と召使のそれのような厳しい決まりごとはないため、できる限りは彼と対等でいたい。
「ディオン、あなたが働いてくれるおかげでわたしはすごく助かっているけれど、あなたの生活を奪いたくはないわ。ご家族とか、お友達とか恋人とか……たまには会いに行かないと」
「心配してくれるのはありがたいが、俺に恋人はいない。友人も」
いやいや、恋人はさておき、こんなわたしにもプリシラがいるのだから、さすがに友達が一人もいないってことは……。
ディオンの顔が、少し曇った。
「……家族のところには、帰る必要がない」
家族と上手くいってない? もちろん、世の中の家族が全員仲良しというわけではないと思うけれど……。
恋人も友達もおらず家族とも不仲……一体、今まで彼はどんな風に生きてきたのだろう。
「ディオン、すごく今更なのは分かっているのだけれど、わたし、あなたのことをほとんど知らないままなの。それは良くないと思って……あなたを疑っているとかではなくて、一応わたしは魔術師としてあなたの身を預かっているから、把握しておくべきではないかと思うのよ」
気を悪くされるのは承知だが、ある程度は筋の通った主張だと思う。
それを聞いたディオンは一瞬、考え込むような素振りを見せたが、わたしに向かって頷いた。
「……あなたの言う通りだな。今まで不安にさせてすまなかった」
「気にしないで。せっかくだし、ここにどうぞ」
わたしはそう言って、ソファの右の方に少し寄った。三人がけなので十分余裕はある。
ディオンが自分のティーカップを持って、わたしの隣に座った。ソファの前に置いてある背の低いテーブルにカップを置き、ふっと息をつく。
話すことに気乗りしないような様子だった。
「どうしても話したくなかったら、無理はしなくていいけれど……」
「いや、そうではない。どう話せばいいものかと思ってな」
少しの沈黙の後、ディオンは話し始めた。
「クロウディード伯爵という名に聞き覚えはあるか」
お会いしたことがあるかもしれないけれど、人の顔と名前を覚えるのが苦手なのですぐにはピンとこなかった。
「ごめんなさい、ちょっと分からないわ」
「そうか。いや、いいんだ。……俺の父親は、そのクロウディード伯爵だ」
まさかとは思っていたけれど、本物の貴族だったとは。その割には、料理も上手だし家事も手際がいい。最近の貴族にとっては、そういうことも嗜みのひとつなのかしら。
「とはいっても……不義の子なんだ」
「えっ……」
当主様が浮気をしたとか? 貴族の人間関係はそれなりにドロドロしているとプリシラから聞いたことがあるけれど……。
「使用人だった俺の母が、妻子のいる当主に横恋慕した。彼の飲み物に薬を混ぜて意識を混濁させ……俺を身ごもった」
――そんなことって、現実にあるの!?
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とはいうものの、と彼は続けた。
「俺は伯爵家にとっては腫れ物だった。特に当主夫人からの当たりはきつくて、忌み子、あばずれの子だと……散々な言われようだったな。当主がかばってくれることはなかった。物心つく頃からずっと従僕扱いだったが……俺なりに、少しでも役に立てば愛されるかと思って、できることは何でもやったし学べることはなんでも頭に入れた。だが、何をどうしても認められることはなかった」
「そんな……」
「……すまないな、暗い話をして」
彼が謝る筋合いはない。話せと言ったのはわたしだ。
ディオンが何でもできるのは、少しでも周りに喜ばれたくて、役に立ちたいと思って、一生懸命に努力をしてきた結果だったのだ。
知らされた事実が衝撃的すぎて言葉を発せないわたしを見て、ディオンは軽く笑った。いつもの穏やかな笑顔ではなくて、自嘲的な笑みだった。
「……軽蔑するか」
「……いいえ」
わたしは首を振ってみせた。
「ごめんなさい、予想もしなかったことだから驚いただけで……。軽蔑なんてしないわ。だって、どう考えてもあなたは何も悪くないでしょう」
貴族の込み入った事情までわたしには分からないし、伯爵も夫人もある意味では被害者だけれど、だからといってディオンが受けた扱いはあまりにも気の毒だ。生まれる場所を、境遇を選べるなら誰も苦労なんてしない。
わたしの言ったことに、ディオンは少なからず驚いたようだった。
「セシーリャ……」
「さっきも言ったけれど、わたしはあなたが来てくれてすごく助かっているわ。本当よ」
「……ありがとう。あなたにそう言ってもらえるなら光栄だ。無駄な努力だと思っていたが、報われた」
ディオンの表情が柔らかくなった。ひどい仕打ちを受けて、どうして彼はまだこんなに優しい目をしていられるのだろう。わたしだったら周囲を恨むなり自暴自棄になったりして、同じような努力はできない。わたしは魔術の修練は好きだけれど、苦しいと思う時もあった。もし一度も誰にも褒めてもらえていなければ、きっと全部投げ出していたと思う。
「ディオンはすごいのね。辛い状況でも人の役に立ちたくて努力ができるって、尊敬するわ」
「いや、俺はそんなに立派な人間とはいえない。実際、あなたに会う直前まではかなり自棄になっていた」
「そうなの?」
わたしとディオンが初めて会った日――魔物の討伐をしたわたしのところに、彼が急に現れた。
「近くで魔物が出ると聞いたときのことだ。剣術もそれなりに身につけていたから、その魔物を倒せば周りから認められるだろうと思って、安易に森に入っていった。あなたが来るのがあと少しでも遅かったら、俺はあの日に命を落としていただろう」
あの時、剣を持って一人でいたディオンを見て不思議だった。彼は本当に魔物に単身で立ち向かっていくつもりだったのだ。
「だから、少しでもあなたに恩を返したかった。いきなり押しかけてきたのに受け入れてくれて、感謝している」
恩返しとしてはもう十分なのだけれど……。でも、彼が少しでも従士の役目にやりがいを持ってくれるなら、わたしとしてもありがたい。
「そんなに堅苦しく考えないで。元いたところに帰りたくないのなら、ずっとここにいて頂戴」
「ずっと……」
ディオンの瞳が揺らいでいるのに気づき、はっとした。ずっといてくれだなんてあまりにもおこがましい話だ。
「あ、ごめんなさい。あなたを縛るつもりはないから……」
「いや、働かせてくれ。あなたのために」
「そう? なら、これからもよろしくお願いするわね」
ああ、と彼は頷き、じっとわたしを見た。
「セシーリャ、良ければあなたの話も聞かせてくれないか」
「わたしの?」
わたしの生い立ちなんて全然面白くもなんともないのだけれど……。
「あなたは魔術師になって長いのか?」
「ええ……七歳の時に修行を始めたから、その時から数えたら十八年ね」
とはいっても、魔術師の界隈から見ればわたしなんてまだまだ小娘だ。
「でもわたし、もともとはここから遠いところの、普通の家の生まれなのよ」
この国には魔術師が何人もいるが、どういった場合に魔術の才能を持って生まれてくるのかは未だに解き明かされていない。魔術師同士が結婚しても、生まれた子供には誰ひとり才能がないということもあるし、わたしのように魔術師とは縁のない家庭から才能のある子が現れる場合もある。
そのような子を探すため、王国内を巡回する役目を持った魔術師がいる。素質を持って生まれた子は、例外なく王都の管理下に置かれることが決まっているのだ。
王都から遠く離れた小さな町の平凡な仕立て屋の娘だったわたしも、巡回にやってきた魔術師によって素質を見出され、親元を離れて王都で暮らすことになった。
「小さな時にご両親と別れることになって、寂しかっただろう」
「そうね……でも、わたしの両親は理解ある人だったわ。陛下のお役に立ちなさい、多くの人を助けられる魔術師になりなさいと言って送り出してくれた」
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「ご両親は今も元気でいるのか?」
「それがね……十年前に二人とも亡くなったの。町全体に病気が流行って……。うつるといけないからと、帰らせてもらえなかったし、葬儀もできなかった」
「すまない、辛いことを思い出させた」
「いいの。両親がわたしに宛てた手紙だけは渡してもらえた。本当はわたしを送り出すのは辛かったけれど、成長したわたしに会えるのが楽しみだったと書いてあったわ」
それは叶わなかったし、両親の死からはしばらく立ち直れなかった。
「魔法では解決できないことが、世の中にはまだたくさんあるわ。けれど、学ぶことをやめなければいつかは解決できるようになるかもしれない。両親が味わった苦しみを繰り返さなくてよくなるかもしれない。わたしはそう思っているの」
その思いがわたしの原動力だ。結果として大魔術師の地位に就くことができた。まだまだ実力が伴わないけれど、これからも頑張っていきたい。他のことはからっきしでも、魔術については常に自信を持っていたい。
「……立派な心掛けだ。あなたを尊敬する」
わたしが話している間、ディオンはずっとわたしの方に体を傾けて、じっとわたしの顔を見ていた。わたしの言葉を一言も聞き漏らすまいと思っているようだった。
とても聞き上手な人だ。そのせいか、ついつい色々と――プリシラにも話したことがない内容まで聞かせてしまった。
「そんな、尊敬されるような器ではないわ」
「いや、あなたはとても芯の強い人だ。ここまで強い意志を持てる人間はそう多くない。あなたの従士でいられることを嬉しく思う」
――なぜだろう、とても嬉しい。
褒められることは別に初めてではない。それなりの評価を得て、大魔術師になったわたしがここにいる。なのに、今まで受けた賛辞より、ディオンの褒め言葉が一番嬉しかった。思わず頬が熱くなるくらいに。
心からの称賛だということが、彼の真っすぐな眼差しから感じられた。そういえば、この前の夜会――二度目の出会いの時も、ディオンはわたしを勇敢な人だと言ってくれたっけ。聞き上手なだけでなく、褒め上手でもあるのだ。
「……今まで、あなたに従士がいなかったというのが不思議だ」
「それは……まあ色々あったのよ」
彼はそれ以上追及してくることはなく、ああ、と呟いた。
「もう遅い時間だ。明日は休みとはいえ、そろそろ寝た方がいいだろう」
「そうね。ごめんなさい、長々と」
「いや、とても楽しかった。片付けておくからあなたは先に休むといい。おやすみ、セシーリャ」
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