【続編あり】恋の魔法にかかったら~不器用女神と一途な従士~

花乃 なたね

文字の大きさ
5 / 22

五話 悩める快適生活

しおりを挟む
「セシーリャ、木苺のタルトが焼きあがったんだが、休憩にしないか?」
「セシーリャ、外出用の外套がいとうの端が少しほつれていたから直しておいた」
「セシーリャ、先ほど片付けをしていたらこれを見つけた。失くしたと言っていた本ではないか?」

 ……何から何まで、完璧すぎる。
 ディオンを従士として迎えてひと月が経とうとしている。最初は一体どうなることかと冷や冷やしていたけれど、彼は恐ろしいほどに有能な人だった。
 家事はもちろんのこと、魔術師の仕事内容についても基本的なことは一週間ほどで覚え、わたしの予定もしっかり管理してくれる。わたしが何か言う前に、先回りして欲しいものを用意してくれることがほとんどだ。たまに何かお願いしても嫌な顔ひとつしない。
 今までの生活はなんだったのかと思うほどの快適な日々をわたしは手に入れていた。余計なことは考えなくてよくなったので、以前より更に魔法の修練や仕事に集中できるようになっている。
 彼があまりにも甲斐甲斐しいので、何か裏があるのでは……とも思ったけれど、今のところ寝首をかかれることも、物を盗られた形跡もない。
 それにしても、ディオンは何者なのだろうか。わたしより三つ上の二十八歳、そこそこ裕福な家の出身であるということ以外は分からない。さすがに、人間じゃないというわけではなさそうだけれど……。
 彼の働きぶりには文句のつけようがないが、わたしは新たな問題に直面していた。今までは家が唯一、大魔術師、氷晶の女神セシーリャの名を忘れてのんびりできる場所だったのに、ディオンがいることでわたしは家でも仮面を被る羽目になってしまっているのだ。
 彼が用意してくれる美味しい料理の数々に、何度も顔をほころばせそうになって踏みとどまっている。(美味しいとはちゃんと伝えているけど)
 快適だけど、ある意味で窮屈な生活。一体なぜ、彼を従士として受け入れてしまったのか……今更出て行ってくれというのも忍びないし、彼に助けられているのも事実だ。
 あともう一つ、少し気になることがある。気のせい……だと思うのだけれど、わたしがディオンを呼ぶと、彼は心なしかすごく嬉しそうな顔をするのだ。でも、名前を呼ばれただけで喜ぶ理由もよく分からない。
 わたしは居間でお茶を飲みながら、台所に立って洗い物をするディオンの背中を見つめた。……ちょっと試してみよう。

「ディオン?」
「どうした?」

 手をとめて、彼がくるりとわたしの方へ体を向ける。作業を途中で遮られたら面倒に思いそうなものなのに、やっぱりその表情は――どこか楽しそうだった。

「あ、ええっと……」

 呼んだだけ、というのはあんまりなので、わたしは急いで話題を探した。

「次の魔術師協会への訪問予定はいつだったかしら」
「三日後だ。修練生たちの指導を半日行う手はずになっている」
「そ、そうだったわね。ありがとう」

 本当に、完璧すぎる……。

***

 翌日、わたしは執務室で机に向かい、書類にペンを走らせていた。ディオンが来る前は綺麗な状態であることの方が珍しい部屋だったけれど、今は彼のおかげですっきり整頓されている。机に向かうのはもともとあまり苦ではないけれど、周りが綺麗だと更にやる気が増す。
 机の上の本をとろうと顔を上げた時、何かが本の上にぽとりと落ちてきた。

「ん?」

 わたしの苦手な蜘蛛だった。しかも、少し大きめ。

「きゃーーーーっ!」

 驚いたわたしは叫んで体勢を崩し、不覚にも椅子から落ちてしまった。部屋にどん、と音が響いた。

「いたた……」

 身を起こそうとしていると、階段を駆け上がる足音が聞こえた。かなり急いでいる。

――あ、どうしよう、聞かれちゃった。

 部屋の扉が勢いよく開かれる。

「セシーリャ、何があった!」

 現れたディオンは床に座り込むわたしを見て、青ざめた表情で駆け寄り肩に手を置いた。

「どうしたんだ、大丈夫か?」
「あ、え、あの……」

 何にもないとごまかすにはあまりにも苦しいけれど、蜘蛛に驚いて椅子から落ちた、とは恥ずかしくて言えない……。

「具合が悪いのか、医者を……」
「ま、待って! 大丈夫よ!」

 それは困る。観念して白状することにした。

「いきなり、目の前に蜘蛛が落ちてきて……驚いただけ」

 さすがに呆れられるか苦言を呈されるかだと思ったけれど、ディオンは息をつき、

「そうか。何事もなくて良かった」

 先ほどまでの焦った様子から一変、心底安心したような表情に変わった。そして手を伸ばし、ふわりとわたしの体を持ち上げて横抱きにした。

「ひゃっ!」

 驚いたのもつかの間、優しく椅子に座らされ、彼はわたしの横に膝をついた。

「どこか打っていないか? 痛いところは?」
「ありがとう、本当に大丈夫。……心配かけてごめんなさい。情けないわ。たかが蜘蛛くらいで」
「はは、苦手なものくらい誰にでもある。あなたが無事ならそれでいい」

 どうしてこんなに優しいのだろう。戸惑うわたしにディオンは微笑みかけてくれた。

「そうだ、せっかくだから少し休憩にしよう。紅茶に砂糖は二つでいいか?」
「……ええ、そうね。お願いできる?」
「すぐに用意する」

 そう言って、彼は颯爽と部屋を出て行った。
 ……一方のわたしは、さっき抱き上げられた時に彼の顔がすごく近くにあったのを不意に思い出して、変にドキドキしてしまっていた。

***

 それから日が経ち、わたしはディオンを伴って魔術師協会を訪れていた。用事を済ませ、帰ろうと廊下を歩いていると、前からやって来る人の姿があった。

「よう、女神サマ。元気そうだな」

 ランドルフだ。後ろには、いつものように従士が控えている。

「ほー、噂にゃ聞いてたが……驚いたぜ。従士は必要ない、ってぬかしてたお前がまさか……なぁ」

 品定めをするように、ランドルフがディオンをしげしげと眺める。

「ディオン、彼はランドルフ。わたしと同じ大魔術師よ」
「気軽にランドルフ様、と呼んでくれていいぜ」

 冗談めかした言葉に、ディオンは眉ひとつ動かさなかった。

「……よろしく」

 どうしたのだろう。やけに素っ気ない。先日、プリシラに引き合わせたときはとても丁寧に挨拶していたのに。

「ディオン、なかなか使えそうな奴だな。俺んとこ来ねえ? 侯爵家の使用人の枠なら空いてるぜ。従士やるより待遇も良いぞ」
「残念だが、俺はセシーリャの従士だ」
「……あっそ」

 ランドルフはわたしとディオンの顔を交互に見て、口の端を吊り上げてにやりと笑った。

「ふーん……ま、頑張れよ」

 じゃあな、と言ってひらひらと手を振りながら、彼は去っていく。従士のエラルドがわたしたちに軽く頭を下げ、その後を追った。
 その姿が見えなくなってから、わたしは口を開いた。

「彼、ああ見えて実力はあって……」

 そう言いながらディオンの顔を見たわたしは、思わず言葉を切った。

――すごい怖い顔してる!

 いつも穏やかな表情を崩さないディオンが、別人が乗り移ったみたいに険しい顔をしてランドルフが去った方を睨んでいた。何が気に障ったのだろう……。

「彼は、いつもあなたにあんな態度をとるのか?」

 わたしの方を見ないまま、ディオンが問うてきた。
 もしかしたら、わたしがランドルフに虐められていると思ったのかもしれない。だとしたら余計な心配はかけたくない。実際に違うし。

「そうね、でも本当に傷つくことを言ってきたり、嫌がらせをされるわけではないわ」
「……そうか」

 それでもディオンの表情は変わらなかった。彼は真面目だから、ランドルフのような飄々ひょうひょうとした人は鼻につくのかしら。……それなら気持ちは分からなくもない。
 それから家に着く頃にはいつものディオンに戻った。
 ……彼は優しい人には違いないけれど、時々、考えていることがよく分からない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

竜王の「運命の花嫁」に選ばれましたが、殺されたくないので必死に隠そうと思います! 〜平凡な私に待っていたのは、可愛い竜の子と甘い溺愛でした〜

四葉美名
恋愛
「危険です! 突然現れたそんな女など処刑して下さい!」 ある日突然、そんな怒号が飛び交う異世界に迷い込んでしまった橘莉子(たちばなりこ)。 竜王が統べるその世界では「迷い人」という、国に恩恵を与える異世界人がいたというが、莉子には全くそんな能力はなく平凡そのもの。 そのうえ莉子が現れたのは、竜王が初めて開いた「婚約者候補」を集めた夜会。しかも口に怪我をした治療として竜王にキスをされてしまい、一気に莉子は竜人女性の目の敵にされてしまう。 それでもひっそりと真面目に生きていこうと気を取り直すが、今度は竜王の子供を産む「運命の花嫁」に選ばれていた。 その「運命の花嫁」とはお腹に「竜王の子供の魂が宿る」というもので、なんと朝起きたらお腹から勝手に子供が話しかけてきた! 『ママ! 早く僕を産んでよ!』 「私に竜王様のお妃様は無理だよ!」 お腹に入ってしまった子供の魂は私をせっつくけど、「運命の花嫁」だとバレないように必死に隠さなきゃ命がない! それでも少しずつ「お腹にいる未来の息子」にほだされ、竜王とも心を通わせていくのだが、次々と嫌がらせや命の危険が襲ってきて――! これはちょっと不遇な育ちの平凡ヒロインが、知らなかった能力を開花させ竜王様に溺愛されるお話。 設定はゆるゆるです。他サイトでも重複投稿しています。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...