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四話 従士が家にやって来た
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事件が起きた夜会からはや数日。わたしはいつもの日常に戻っていた。
書類を一通りまとめ上げ、ほっと息をつく。部屋を見回すと、煩雑に本が並ぶ棚、床に放り投げられた書き損じの紙や小物が散らばっている。……そろそろ本腰を入れて掃除しないといけない。
わたしの家は、王都から徒歩で行ける場所にある。周辺は背の低い草が生える平原で、管理を任されている北の森が裏手に広がっている。雑音が少なくて過ごしやすい。住まいは単身で住むには少々広すぎるくらいの立派な一軒家だ。木造の二階建てで、一階には居間と台所、小さな浴室があり、二階にはわたしが今いる執務部屋と物置、寝室が二つある。わたしには従士がいないので、二つ目の寝室は無駄なものになってしまっているけれど。
一人暮らしなので、家事もすべて自分自身でこなさなければならない。実際のところ、かなりギリギリの生活を送っている。魔術師の仕事に集中すると今のようにあっという間に部屋を散らかすし、大ごとにしたことはないがわりと物を失くす。食事に興味がないまではいかなくても、一人で食べる分となると作るのは簡単なものばかりだ。しかも、たまに包丁で指を切ったり鍋を焦がしたりする。おまけに朝に弱いので、早い時間帯に用事がある時はいつもどたばたしてしまう。いつも澄ました氷晶の女神の実生活がこんなにだらしないものと知られたらと思うと背筋が寒くなる。
すべて、従士を雇えば解決する話なのは分かっている。掃除も料理も一任して、わたしは仕事に専念すればいいのだ。仕事がひと段落したところで、従士がお茶を持ってきてくれて……なんていうのも羨ましい。
だけど、今更この家に別の誰かが常にいる状況、というのも落ち着かないだろうし、何よりいい年なのに生活力に欠けた女の面倒を喜んで見たいという人もきっといない。
お茶の用意をしようと、わたしは執務室を出て一階に降りた。掃除はちょっと休憩してからやろう。
台所に立ったとき、玄関の呼び鈴が鳴る音が聞こえた。
誰だろう? この家に来客があることは稀だ。魔術師の仕事がらみで人と会うときはわたしから出向くのが基本だし、友人はプリシラ以外いないので誰かが遊びに来ることもない。侵入者ならご丁寧に呼び鈴を鳴らすことはしないだろうし……
出ようか迷って固まっていると、もう一度呼び鈴が鳴った。もしかしたら緊急の用事で、王都から使いが来たのかもしれない。万が一襲撃者だった場合でも、大抵の人間相手なら簡単な魔法で怯ませるくらいのことはできる。
わたしは玄関に向かい、慎重に扉を開けた。
「どなたです……」
か、まで言い終わらないうちに、わたしは訪問者の顔を見て目を白黒させた。
「え……?」
つやつやしている茶色がかった金髪、エメラルドのような緑色の瞳、両手を後ろにまわした、堂々とした立ち姿――
「ディオン……?」
ディオン・アンベルシアは、嬉しそうに目を細めた。今日は動きやすそうな簡素なシャツとベスト姿だ。
「覚えていてくれたのか、セシーリャ」
「ええ、まぁ……」
彼には先日助けてもらったし、さすがにそこまで忘れっぽくない。
ディオンは背中にまわしていた両手をわたしに差し出した。そこには、ピンク色の薔薇でできた花束が握られていた。
「すまない、手ぶらなのもどうかと思ったのだが、こんなものしか用意できなくて」
「え、あ、ありがとう……」
わぁ綺麗。花なんてもらったの初めて……いやいや、どうしてまた急に? とりあえず受け取ったけれど、贈り物をもらうようなことは何もしていない。
「それで、あの……なにかご用?」
まさかこれを渡すためだけに来たとも考えにくい。
困惑していると、ディオンはおもむろに片膝をついて、わたしの右手をとった。
「セシーリャ、頼みがある。俺をあなたの従士にしてもらえないだろうか」
「……へ?」
片手に貰った花束を持ち、もう片方の手はしっかり彼に握られた状態で、わたしは目を瞬かせた。
「あなたには今、従士がいないと聞いた。必ずあなたの役に立つ。少しの間だけでもいい。俺を傍に置いてくれないか。俺の働きに満足できなければ、すぐ追い出してくれて構わない」
――な、なに、どういうこと!?
平静を保とうとする心はとうに消えてなくなっていた。何から何まで唐突すぎて、まったく思考が追い付かない。二度しか会っていないし、会話らしい会話をしたわけでもない相手のもとに押しかけて従士にしてくれと頼むなんて、わたしの理解を超えている。
大混乱のわたしの気持ちを知ってか知らずか、ディオンは期待に満ちた目でわたしの返事を待っている。
とりあえず、何か言わないと――
「あの……」
緊張で、口の中が乾いている。
「よろしく、お願いするわ」
「本当か! ありがとう。先ほども言ったように必ず役に立って見せる。何でも言ってくれ」
先ほどまで従士がいればと考えていたせいか、彼の目があまりにも真っすぐだったからか、驚きと戸惑いとで完全に思考停止状態になっていたためか――あろうことか、わたしはディオンの申し出を受け入れてしまったのである。
書類を一通りまとめ上げ、ほっと息をつく。部屋を見回すと、煩雑に本が並ぶ棚、床に放り投げられた書き損じの紙や小物が散らばっている。……そろそろ本腰を入れて掃除しないといけない。
わたしの家は、王都から徒歩で行ける場所にある。周辺は背の低い草が生える平原で、管理を任されている北の森が裏手に広がっている。雑音が少なくて過ごしやすい。住まいは単身で住むには少々広すぎるくらいの立派な一軒家だ。木造の二階建てで、一階には居間と台所、小さな浴室があり、二階にはわたしが今いる執務部屋と物置、寝室が二つある。わたしには従士がいないので、二つ目の寝室は無駄なものになってしまっているけれど。
一人暮らしなので、家事もすべて自分自身でこなさなければならない。実際のところ、かなりギリギリの生活を送っている。魔術師の仕事に集中すると今のようにあっという間に部屋を散らかすし、大ごとにしたことはないがわりと物を失くす。食事に興味がないまではいかなくても、一人で食べる分となると作るのは簡単なものばかりだ。しかも、たまに包丁で指を切ったり鍋を焦がしたりする。おまけに朝に弱いので、早い時間帯に用事がある時はいつもどたばたしてしまう。いつも澄ました氷晶の女神の実生活がこんなにだらしないものと知られたらと思うと背筋が寒くなる。
すべて、従士を雇えば解決する話なのは分かっている。掃除も料理も一任して、わたしは仕事に専念すればいいのだ。仕事がひと段落したところで、従士がお茶を持ってきてくれて……なんていうのも羨ましい。
だけど、今更この家に別の誰かが常にいる状況、というのも落ち着かないだろうし、何よりいい年なのに生活力に欠けた女の面倒を喜んで見たいという人もきっといない。
お茶の用意をしようと、わたしは執務室を出て一階に降りた。掃除はちょっと休憩してからやろう。
台所に立ったとき、玄関の呼び鈴が鳴る音が聞こえた。
誰だろう? この家に来客があることは稀だ。魔術師の仕事がらみで人と会うときはわたしから出向くのが基本だし、友人はプリシラ以外いないので誰かが遊びに来ることもない。侵入者ならご丁寧に呼び鈴を鳴らすことはしないだろうし……
出ようか迷って固まっていると、もう一度呼び鈴が鳴った。もしかしたら緊急の用事で、王都から使いが来たのかもしれない。万が一襲撃者だった場合でも、大抵の人間相手なら簡単な魔法で怯ませるくらいのことはできる。
わたしは玄関に向かい、慎重に扉を開けた。
「どなたです……」
か、まで言い終わらないうちに、わたしは訪問者の顔を見て目を白黒させた。
「え……?」
つやつやしている茶色がかった金髪、エメラルドのような緑色の瞳、両手を後ろにまわした、堂々とした立ち姿――
「ディオン……?」
ディオン・アンベルシアは、嬉しそうに目を細めた。今日は動きやすそうな簡素なシャツとベスト姿だ。
「覚えていてくれたのか、セシーリャ」
「ええ、まぁ……」
彼には先日助けてもらったし、さすがにそこまで忘れっぽくない。
ディオンは背中にまわしていた両手をわたしに差し出した。そこには、ピンク色の薔薇でできた花束が握られていた。
「すまない、手ぶらなのもどうかと思ったのだが、こんなものしか用意できなくて」
「え、あ、ありがとう……」
わぁ綺麗。花なんてもらったの初めて……いやいや、どうしてまた急に? とりあえず受け取ったけれど、贈り物をもらうようなことは何もしていない。
「それで、あの……なにかご用?」
まさかこれを渡すためだけに来たとも考えにくい。
困惑していると、ディオンはおもむろに片膝をついて、わたしの右手をとった。
「セシーリャ、頼みがある。俺をあなたの従士にしてもらえないだろうか」
「……へ?」
片手に貰った花束を持ち、もう片方の手はしっかり彼に握られた状態で、わたしは目を瞬かせた。
「あなたには今、従士がいないと聞いた。必ずあなたの役に立つ。少しの間だけでもいい。俺を傍に置いてくれないか。俺の働きに満足できなければ、すぐ追い出してくれて構わない」
――な、なに、どういうこと!?
平静を保とうとする心はとうに消えてなくなっていた。何から何まで唐突すぎて、まったく思考が追い付かない。二度しか会っていないし、会話らしい会話をしたわけでもない相手のもとに押しかけて従士にしてくれと頼むなんて、わたしの理解を超えている。
大混乱のわたしの気持ちを知ってか知らずか、ディオンは期待に満ちた目でわたしの返事を待っている。
とりあえず、何か言わないと――
「あの……」
緊張で、口の中が乾いている。
「よろしく、お願いするわ」
「本当か! ありがとう。先ほども言ったように必ず役に立って見せる。何でも言ってくれ」
先ほどまで従士がいればと考えていたせいか、彼の目があまりにも真っすぐだったからか、驚きと戸惑いとで完全に思考停止状態になっていたためか――あろうことか、わたしはディオンの申し出を受け入れてしまったのである。
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