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十話 楽しいことをたくさん
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「変じゃないわよね……」
寝室に置いてある姿見の前にわたしは立っていた。着ているのは魔術師のローブでも部屋着でもなく、胸元に大きな白いリボンがついた翡翠色のワンピースだ。衣裳だんすの奥に眠っていた、なかなか袖を通す機会がないよそ行きの服。皺になっていなくて良かった。
今日は王都の城下町で年に一度の祭事が開かれる日だ。とはいっても王都の住民や商人が主体になって行われるもので、そこまで規模は大きくない。しかし、街のあちこちで芸が披露されたり、お店の品物が少し安くなったり、思いもよらない掘り出し物が並んでいることがある。
今までは、唯一の友達であるプリシラはあまり自由に外出できる立場ではないため誘えず、かといって一人で遊べる程にわたしの精神は強くなく、そもそも魔術師としての仕事が休めなかったりで思いきり楽しむ機会がなかったのだが、今回は運よく休日が重なった。そして何より、今のわたしにはディオンがいる。
そんなわけでもっと恋人らしいことを色々しようと、二人で祭事へ行くことになった。魔術師と従士という立場を忘れて二人で出かける初めての日だ。
多分、ディオンはすでに支度を終えて一階で待ってくれているはずだ。いつまでも悩んでいても、時間が過ぎていくだけになる。わたしは腹をくくって部屋を出た。
「ディオン、待たせてごめんなさい」
ディオンはシャツとベストの上にベージュのジャケットを羽織り、黒いトラウザーズをはいている。目立つ格好ではないけれど上品だ。
わたしの姿を見て、彼は目を細めた。
「可愛らしいな」
「そう……? ありがとう」
お世辞でも嬉しい。
ディオンと二人、家を出ると、爽やかなそよ風が頬をくすぐった。いい天気で外出にはもってこいの日だ。
「じゃ、行きましょうか」
歩き出そうとしたところで、ディオンに呼び止められた。
「セシーリャ、手は繋がないのか」
「えっ!?」
従士として外出する時のディオンは、いつもわたしの三歩後ろを着いて来る。家の中では手を繋ぐどころか抱き合ったりキスもしているが、外で触れあったことは今までないので……恥ずかしい。
でもせっかく並んで歩くのだから、何もしないのはもったいない。
「えと……じゃあ」
おずおずと差し出した手が、ディオンの大きくて温かいそれに包まれる。ディオンが嬉しそうに笑った。
王都へ続く道を歩きながら、わたしは彼に尋ねた。
「着いたらしたいこととか、買いたいものとかある?」
「いや、俺には特にないから、あなたの好きなようにしてくれ」
ディオンはいつもわたしを優先してくれるけれど、一つくらいやりたいこともあるはずだ。そもそも、彼は何をするのが好きなのだろう。まだまだ知らないことばかりだ。
「ディオン、趣味とかはないの?」
「……無いな。今まで考えたことがなかった」
ディオンは本当にこれまでの時間をすべて、周りから認められるための勉強にあててきたのだろう。でもそれは、好きでやっていたこととは違う。これからは、自分が楽しいと思えることをして欲しい。
とはいってもいきなり趣味を持てというのも難しいだろうから、とりあえず今日はわたしの行きたいところに付き合ってもらうのがいいかもしれない。彼の興味を引くようなものかは分からないけれど……。
「分かったわ。それじゃあ今日は、わたしが行きたいところについて来てくれる? あ、もし向こうで何か気になるものがあったら遠慮なく言ってね」
「ああ。楽しみだ」
***
王都の城下町はいつも賑やかだけれど、今日は立ち並ぶお店に普段は見られないような飾りつけがされていたりして更に楽し気な雰囲気だ。
さっそくわたしが向かったのは、王都にある劇場。観劇はわたしのほぼ唯一の趣味といっていい。今日は少しだけ料金が安くなるので、ぜひとも来たかった。
ディオンが楽しんでくれるか少し不安だったけれど、気に入ってくれたようだった。
「王都にこんな場所があったなんてな」
「楽しんでくれたなら良かったわ。演目が時々変わるから、また来ましょ」
屋台で買い食いをした後、わたしはもう一つの目的の場所を訪れた。帽子や髪飾りを多く取り扱っている店だ。
夜会に出る格好があまりに質素すぎると最近になってようやく気づいたので、何か一つ買っておきたかった。一人で来ると迷った挙句に変なものを買ってしまいそうだったけれど、ディオンがいれば心強い。
彼と一緒に、青と銀色のきらきらした石が散りばめられた大きいバレッタを選んだ。
「これだけでいいのか?」
「ええ。夜会用にはひとつあれば十分よ」
「……いや、もう一つ買おう」
ディオンはそう言って、並べられた商品からピンク色のカチューシャを一つ、手に取った。左端に、白いレースで作られた花と蝶の飾りがついている。
「うーん、これは……」
「好みとは違うか?」
「とっても可愛いと思うんだけれど、多分わたしには似合わないわ」
花やリボンといった可愛らしいものは好きだけれど、わたしは背が高いうえに切れ長の目なので、一般的な「可愛い」女性とは違っている。こういうのはもっと小柄でふわふわした雰囲気の女性にこそ似合うもので、わたしが夜会にこれを付けていったら変な目で見られそうだ。
「夜会向きじゃなさそうだし……」
「夜会用ではない。あなたが嫌でなければ今、俺のためにこれを付けて欲しい」
「え……」
顔が熱くなるのを感じた。ディオンはわたしに対して我を通そうとすることが滅多にないので、思わぬ不意打ちに何だかドキドキしてしまう。
彼の瞳に男らしさを感じて(普段が男らしくないわけじゃ決してないけれど)わたしは頷くしかなかった。
「わ、分かった……」
ディオンは心底嬉しそうに、カチューシャをわたしの頭につけてくれた。
支払いを済ませ、店を出る。ディオンがわたしの頭に顔を寄せた。
「よく似合っている」
「ありがとう……」
嬉しいけれど、恥ずかしい……。
わたしだけが身につけるものを選んでもらうというのもつまらないので、彼にもわたしが何か見繕おうかしら。
「ディオン、あなたが身につけるものも、わたしに選ばせてくれる?」
「選んでくれるのか、ぜひ頼む」
男性用の小物を扱っている店に入り、ずらりと並ぶ商品を見回す。意外と種類が多い……。
どんなものがいいだろうか。センスのない人間が変に奇をてらおうとするとろくなことにならないので、普段使いができるもの――
「……これがいいんじゃないかしら」
手に取ったのは、ラベンダー色の小さな石が留め具としてついているクラヴァット。普段のちょっとしたお洒落にも、夜会にも使えそうだ。
ディオンの胸にそれを当てると、彼がふふ、と笑った。
「趣味が悪いかしら?」
「いや、留め具の色があなたの瞳と同じだと思って」
「あっ」
言われてみればそうだ。一度冷めた顔の熱が再びぶり返す。こんなのを選ぶなんて、ものすごく重い女だと思われかねない。
「あ、ち、違うのよ。特に深い意味は……いえ、何も考えずに選んだ訳でもないけれど! とにかく、束縛したいとかそういうことではないから! 嫌なら他のにしましょうか!」
あわあわと言葉を並び立てるわたしを見て、ディオンの笑い声が大きくなった。クラヴァットごと、わたしの手を包み込む。
「これがいい。いや、これでなければ駄目だ。大切にする」
「そ、そう……?」
決して変なデザインのものではないし、普通の人ならこの留め具とわたしの目の色が同じだなんていちいち考えないだろう……たぶん。
わたしたちのやり取りを見ていた店主さんが、「いいものを見せてもらった」と、少しクラヴァットの代金をまけてくれた。
***
その後、露店が並ぶ通りをぶらぶらしたり、ベンチに座って休憩しながら遠目で大道芸を眺めたりして――少しいい店で夕食を食べ終えた頃には、すっかり暗くなっていた。淡く光るランタンが道を照らしているので、昼とは違い幻想的な世界になっている。
「この後はどうしましょうか。もう開いてるお店はあんまりないわね」
辺りを見回したディオンが、一軒の建物を指した。
「セシーリャ、あそこはどうだ?」
「え、あれは……」
大きな建物の窓からは光が漏れ、かすかにだが音楽が聞こえてくる。
わたしの記憶が正しければ、あそこは平民向けのダンスホールだ。
「えーと……」
「嫌か?」
「嫌っていうんじゃないけど……」
ディオンが行きたいと思う場所なのだから、一緒に楽しみたいけれど……。
「……わたし、ダンスがすごく下手だから」
大魔術師の教養として一応、基本は教えてもらっているのだが、あまり運動神経のよろしくないわたしはその基本でさえ、よろよろと危なっかしい状態になる。
「嫌でなければ、あなたと踊りたい」
「足、踏んじゃうかもしれないわよ?」
ディオンは自信たっぷりに微笑んだ。
「あなたに踏まれたくらいでどうにかなるほど、俺は軟じゃない」
……まあ貴族が集まる場でもないし、多少のヘマは大丈夫だろう。
差し伸べられたディオンの手をとり、わたしは建物に向かって行った。
***
ダンスホールの中は賑わっていて、普段着のまま踊っている人が圧倒的に多い。ステップの踏み方も人によってばらばらで、いつも出席している夜会よりも気を張らず済みそうだった。
流れていた曲が終わったタイミングで、わたしとディオンはホールの中央に進んだ。向かい合って立ち、ディオンが慣れた様子でわたしの手をとって、もう片方の手を腰に回す。わたしも空いた手を、彼の肩に置いた。
「そんなに緊張しないでくれ。俺を信じて欲しい」
曲が流れだした。先ほどは楽し気な旋律が響いていたが、今度はゆったりとした調子だ。
ディオンに導かれ、一歩を踏み出す。今にも彼の足を踏みつけてしまうのではないかと冷や冷やしながら、基本のステップで足を動かす。
けれど、その心配は杞憂に終わった。彼は周りで踊る人にぶつかることもなく、わたしの目をじっと見つめながらも巧みにリードしてくれた。
「上手だ」
「……いいえ、あなたがすごすぎるの」
彼ができないことを探す方が難しい。
足が軽い。まるで雲の上で踊っているみたいだ。周囲の景色がかすんで、二人だけの世界に変わっていく。ダンスが大の苦手だったはずなのに、いつまでもこうしていたいと思えてくる。
こんなに優しく完璧にリードされたら、きっとどんな女性でも彼に心を奪われてしまう。
でも、ディオンの瞳に映っているのはわたしだけ。わたしの瞳の中にいるのも、ただ一人彼だけ。
やがて曲が終わった後も、わたしたちはその場に留まり、見つめ合って余韻に浸っていた。
「誰かしら、あの人たち」
「お忍びの貴族かも」
「あの男の人、すっごく素敵……」
聞こえてきた声に、わたしははっと我に返った。周りの人たちがわたしたちを見ながら、ひそひそとささやきあっている。上流階級が集う場所ではないところで、貴族も顔負けの踊りを披露してしまったなら注目を浴びてもおかしくはない。
「ディオン……」
「すまない、変に目立ってしまったな……行こう」
ディオンは好奇の目からわたしを隠すように肩を抱き、その場から連れ出してくれた。
***
すっかり人気のなくなった道を歩きながら、わたしはディオンに尋ねた。
「ディオン、今日は楽しめた?」
「今までの人生で一番楽しい日だった」
わたしの指に自分のそれを絡めながら、ディオンは答えた。
「良かったわ。わたしもすごく楽しかった」
思えば、今までひとりの人とこんなに長い時間を一緒に過ごしたことがなかった。それでもちっとも疲れていない。それどころか今日という日が終わるのだと考えると、切なさで胸がいっぱいになる。
「……あなたと出会ってから、世界のすべてが輝いて見える」
わたしもディオンに恋をしてから、毎日朝起きてから寝るまでずっと楽しい。
わたしたちは同じ魔法にかかっている。そう思うとたまらなく幸せな気持ちになれる。
「ねえディオン……これから、楽しいことをもっとたくさんしましょうね」
過去のことなんてどうでもよくなるくらい、今を、この先をもっと素敵に彩りたい。
「……そうだな」
外で手を繋ぐのを恥ずかしがっていた朝のわたしはどこへやら、わたしたちは寄り添って、家路をたどっていった。
寝室に置いてある姿見の前にわたしは立っていた。着ているのは魔術師のローブでも部屋着でもなく、胸元に大きな白いリボンがついた翡翠色のワンピースだ。衣裳だんすの奥に眠っていた、なかなか袖を通す機会がないよそ行きの服。皺になっていなくて良かった。
今日は王都の城下町で年に一度の祭事が開かれる日だ。とはいっても王都の住民や商人が主体になって行われるもので、そこまで規模は大きくない。しかし、街のあちこちで芸が披露されたり、お店の品物が少し安くなったり、思いもよらない掘り出し物が並んでいることがある。
今までは、唯一の友達であるプリシラはあまり自由に外出できる立場ではないため誘えず、かといって一人で遊べる程にわたしの精神は強くなく、そもそも魔術師としての仕事が休めなかったりで思いきり楽しむ機会がなかったのだが、今回は運よく休日が重なった。そして何より、今のわたしにはディオンがいる。
そんなわけでもっと恋人らしいことを色々しようと、二人で祭事へ行くことになった。魔術師と従士という立場を忘れて二人で出かける初めての日だ。
多分、ディオンはすでに支度を終えて一階で待ってくれているはずだ。いつまでも悩んでいても、時間が過ぎていくだけになる。わたしは腹をくくって部屋を出た。
「ディオン、待たせてごめんなさい」
ディオンはシャツとベストの上にベージュのジャケットを羽織り、黒いトラウザーズをはいている。目立つ格好ではないけれど上品だ。
わたしの姿を見て、彼は目を細めた。
「可愛らしいな」
「そう……? ありがとう」
お世辞でも嬉しい。
ディオンと二人、家を出ると、爽やかなそよ風が頬をくすぐった。いい天気で外出にはもってこいの日だ。
「じゃ、行きましょうか」
歩き出そうとしたところで、ディオンに呼び止められた。
「セシーリャ、手は繋がないのか」
「えっ!?」
従士として外出する時のディオンは、いつもわたしの三歩後ろを着いて来る。家の中では手を繋ぐどころか抱き合ったりキスもしているが、外で触れあったことは今までないので……恥ずかしい。
でもせっかく並んで歩くのだから、何もしないのはもったいない。
「えと……じゃあ」
おずおずと差し出した手が、ディオンの大きくて温かいそれに包まれる。ディオンが嬉しそうに笑った。
王都へ続く道を歩きながら、わたしは彼に尋ねた。
「着いたらしたいこととか、買いたいものとかある?」
「いや、俺には特にないから、あなたの好きなようにしてくれ」
ディオンはいつもわたしを優先してくれるけれど、一つくらいやりたいこともあるはずだ。そもそも、彼は何をするのが好きなのだろう。まだまだ知らないことばかりだ。
「ディオン、趣味とかはないの?」
「……無いな。今まで考えたことがなかった」
ディオンは本当にこれまでの時間をすべて、周りから認められるための勉強にあててきたのだろう。でもそれは、好きでやっていたこととは違う。これからは、自分が楽しいと思えることをして欲しい。
とはいってもいきなり趣味を持てというのも難しいだろうから、とりあえず今日はわたしの行きたいところに付き合ってもらうのがいいかもしれない。彼の興味を引くようなものかは分からないけれど……。
「分かったわ。それじゃあ今日は、わたしが行きたいところについて来てくれる? あ、もし向こうで何か気になるものがあったら遠慮なく言ってね」
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王都の城下町はいつも賑やかだけれど、今日は立ち並ぶお店に普段は見られないような飾りつけがされていたりして更に楽し気な雰囲気だ。
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夜会に出る格好があまりに質素すぎると最近になってようやく気づいたので、何か一つ買っておきたかった。一人で来ると迷った挙句に変なものを買ってしまいそうだったけれど、ディオンがいれば心強い。
彼と一緒に、青と銀色のきらきらした石が散りばめられた大きいバレッタを選んだ。
「これだけでいいのか?」
「ええ。夜会用にはひとつあれば十分よ」
「……いや、もう一つ買おう」
ディオンはそう言って、並べられた商品からピンク色のカチューシャを一つ、手に取った。左端に、白いレースで作られた花と蝶の飾りがついている。
「うーん、これは……」
「好みとは違うか?」
「とっても可愛いと思うんだけれど、多分わたしには似合わないわ」
花やリボンといった可愛らしいものは好きだけれど、わたしは背が高いうえに切れ長の目なので、一般的な「可愛い」女性とは違っている。こういうのはもっと小柄でふわふわした雰囲気の女性にこそ似合うもので、わたしが夜会にこれを付けていったら変な目で見られそうだ。
「夜会向きじゃなさそうだし……」
「夜会用ではない。あなたが嫌でなければ今、俺のためにこれを付けて欲しい」
「え……」
顔が熱くなるのを感じた。ディオンはわたしに対して我を通そうとすることが滅多にないので、思わぬ不意打ちに何だかドキドキしてしまう。
彼の瞳に男らしさを感じて(普段が男らしくないわけじゃ決してないけれど)わたしは頷くしかなかった。
「わ、分かった……」
ディオンは心底嬉しそうに、カチューシャをわたしの頭につけてくれた。
支払いを済ませ、店を出る。ディオンがわたしの頭に顔を寄せた。
「よく似合っている」
「ありがとう……」
嬉しいけれど、恥ずかしい……。
わたしだけが身につけるものを選んでもらうというのもつまらないので、彼にもわたしが何か見繕おうかしら。
「ディオン、あなたが身につけるものも、わたしに選ばせてくれる?」
「選んでくれるのか、ぜひ頼む」
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どんなものがいいだろうか。センスのない人間が変に奇をてらおうとするとろくなことにならないので、普段使いができるもの――
「……これがいいんじゃないかしら」
手に取ったのは、ラベンダー色の小さな石が留め具としてついているクラヴァット。普段のちょっとしたお洒落にも、夜会にも使えそうだ。
ディオンの胸にそれを当てると、彼がふふ、と笑った。
「趣味が悪いかしら?」
「いや、留め具の色があなたの瞳と同じだと思って」
「あっ」
言われてみればそうだ。一度冷めた顔の熱が再びぶり返す。こんなのを選ぶなんて、ものすごく重い女だと思われかねない。
「あ、ち、違うのよ。特に深い意味は……いえ、何も考えずに選んだ訳でもないけれど! とにかく、束縛したいとかそういうことではないから! 嫌なら他のにしましょうか!」
あわあわと言葉を並び立てるわたしを見て、ディオンの笑い声が大きくなった。クラヴァットごと、わたしの手を包み込む。
「これがいい。いや、これでなければ駄目だ。大切にする」
「そ、そう……?」
決して変なデザインのものではないし、普通の人ならこの留め具とわたしの目の色が同じだなんていちいち考えないだろう……たぶん。
わたしたちのやり取りを見ていた店主さんが、「いいものを見せてもらった」と、少しクラヴァットの代金をまけてくれた。
***
その後、露店が並ぶ通りをぶらぶらしたり、ベンチに座って休憩しながら遠目で大道芸を眺めたりして――少しいい店で夕食を食べ終えた頃には、すっかり暗くなっていた。淡く光るランタンが道を照らしているので、昼とは違い幻想的な世界になっている。
「この後はどうしましょうか。もう開いてるお店はあんまりないわね」
辺りを見回したディオンが、一軒の建物を指した。
「セシーリャ、あそこはどうだ?」
「え、あれは……」
大きな建物の窓からは光が漏れ、かすかにだが音楽が聞こえてくる。
わたしの記憶が正しければ、あそこは平民向けのダンスホールだ。
「えーと……」
「嫌か?」
「嫌っていうんじゃないけど……」
ディオンが行きたいと思う場所なのだから、一緒に楽しみたいけれど……。
「……わたし、ダンスがすごく下手だから」
大魔術師の教養として一応、基本は教えてもらっているのだが、あまり運動神経のよろしくないわたしはその基本でさえ、よろよろと危なっかしい状態になる。
「嫌でなければ、あなたと踊りたい」
「足、踏んじゃうかもしれないわよ?」
ディオンは自信たっぷりに微笑んだ。
「あなたに踏まれたくらいでどうにかなるほど、俺は軟じゃない」
……まあ貴族が集まる場でもないし、多少のヘマは大丈夫だろう。
差し伸べられたディオンの手をとり、わたしは建物に向かって行った。
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ダンスホールの中は賑わっていて、普段着のまま踊っている人が圧倒的に多い。ステップの踏み方も人によってばらばらで、いつも出席している夜会よりも気を張らず済みそうだった。
流れていた曲が終わったタイミングで、わたしとディオンはホールの中央に進んだ。向かい合って立ち、ディオンが慣れた様子でわたしの手をとって、もう片方の手を腰に回す。わたしも空いた手を、彼の肩に置いた。
「そんなに緊張しないでくれ。俺を信じて欲しい」
曲が流れだした。先ほどは楽し気な旋律が響いていたが、今度はゆったりとした調子だ。
ディオンに導かれ、一歩を踏み出す。今にも彼の足を踏みつけてしまうのではないかと冷や冷やしながら、基本のステップで足を動かす。
けれど、その心配は杞憂に終わった。彼は周りで踊る人にぶつかることもなく、わたしの目をじっと見つめながらも巧みにリードしてくれた。
「上手だ」
「……いいえ、あなたがすごすぎるの」
彼ができないことを探す方が難しい。
足が軽い。まるで雲の上で踊っているみたいだ。周囲の景色がかすんで、二人だけの世界に変わっていく。ダンスが大の苦手だったはずなのに、いつまでもこうしていたいと思えてくる。
こんなに優しく完璧にリードされたら、きっとどんな女性でも彼に心を奪われてしまう。
でも、ディオンの瞳に映っているのはわたしだけ。わたしの瞳の中にいるのも、ただ一人彼だけ。
やがて曲が終わった後も、わたしたちはその場に留まり、見つめ合って余韻に浸っていた。
「誰かしら、あの人たち」
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「あの男の人、すっごく素敵……」
聞こえてきた声に、わたしははっと我に返った。周りの人たちがわたしたちを見ながら、ひそひそとささやきあっている。上流階級が集う場所ではないところで、貴族も顔負けの踊りを披露してしまったなら注目を浴びてもおかしくはない。
「ディオン……」
「すまない、変に目立ってしまったな……行こう」
ディオンは好奇の目からわたしを隠すように肩を抱き、その場から連れ出してくれた。
***
すっかり人気のなくなった道を歩きながら、わたしはディオンに尋ねた。
「ディオン、今日は楽しめた?」
「今までの人生で一番楽しい日だった」
わたしの指に自分のそれを絡めながら、ディオンは答えた。
「良かったわ。わたしもすごく楽しかった」
思えば、今までひとりの人とこんなに長い時間を一緒に過ごしたことがなかった。それでもちっとも疲れていない。それどころか今日という日が終わるのだと考えると、切なさで胸がいっぱいになる。
「……あなたと出会ってから、世界のすべてが輝いて見える」
わたしもディオンに恋をしてから、毎日朝起きてから寝るまでずっと楽しい。
わたしたちは同じ魔法にかかっている。そう思うとたまらなく幸せな気持ちになれる。
「ねえディオン……これから、楽しいことをもっとたくさんしましょうね」
過去のことなんてどうでもよくなるくらい、今を、この先をもっと素敵に彩りたい。
「……そうだな」
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