【続編あり】恋の魔法にかかったら~不器用女神と一途な従士~

花乃 なたね

文字の大きさ
15 / 22

十五話 霜の魔女と氷晶の女神

しおりを挟む
 すっかり雪山と化した道を、わたしはひたすらに進んでいた。冷気が無数の針のようにちくちくと肌に食い込む。厚手の外套がいとうを羽織っているがそれでも防ぎきれない程の寒さだ。
 凍った道にずるりと足が滑り、前につんのめった。何とか体勢を立て直し、再び歩き出す。万が一にも転んで打ちどころが悪かったり、どこかに落ちてしまえば間違いなく凍死してしまう。
 周囲を漂う魔力がじわじわと濃くなっていく。生えている木は一様に霜を張り付けた枯れ木に姿を変え、枝から氷柱つららを垂らしていた。
 斜面だった道が段々と緩やかになってきた。しかし同時に積もる雪の量が増えていき、木々は完全に雪に覆われ、原型をとどめない白い塊と化しているものばかりになった。

「っ!」

 急に強い風が吹き、わたしはたまらず顔を伏せた。冷たい風を受けて耳がちぎれそうに痛む。
 風が止んだ。顔をあげると、頭上でゆらりと一つの影が躍っているのが見えた。凍った木々と濁った灰色の空を背にして、長い髪をなびかせ、全身が霜に覆われた人が宙に浮いている。手足は骨がむき出しになっているみたいに細く無機質で、髪も顔も蝋のように白く生気がないが、目だけが赤く輝いてわたしを見ている。

――<霜の魔女>フロストウィッチだ。

 山も町も瞬く間に氷に閉ざした恐るべき魔物が両手を広げた。その手元に鋭く尖った氷の槍が二本生まれ、立て続けにわたし目がけて飛んでくる。咄嗟に魔力の壁をつくり体が貫かれることは免れたが、生半可な力では止められないほどの威力だ。
 再び攻撃が飛んでくる前に、魔法の火球を<霜の魔女>に向かい放った。氷の魔法ほど上手くは扱えないが、より効果的なはずだ。
 一つはかわされたが、もう一つが魔物の体に命中した。喉奥から絞り出したような甲高い叫び声が響く。魔物の赤い目が、鈍い輝きを放った。
 その瞬間、体中に震えが走った。足の方から、自分のものではない魔力に侵食されていくのを感じる。わたしは急いで体内に魔力を巡らせて、それを押し返した。
 魔術師長が言っていた、<霜の魔女>が持つ力。生き物を体内から凍らせてしまう魔法。確かに、氷の魔術に長けていなければ、これを防ぐのは難しいだろうと感じさせられた。

「……やらなきゃ」

 魔法杖をしっかり握り、わたしは目の前の魔女を見据えた。

 突き付けられる氷の槍を弾き返し、体内に入り込む冷たい魔力を防ぎながら、機会をうかがって炎や稲妻を起こす。
 あらゆる場所で魔力を回転させなければならない。少しでも隙を作ればそこで終わりだ。
 <霜の魔女>は宙を漂いながら、わたしの命まで凍らせようとしてくる。五十年前にこの魔物と戦った大魔術師も死闘の末に決着をつけることができなかった。その大魔術師だってかなりの実力があったはずなのに、今のわたしにそれ以上のことができるのだろうか。
 避けられることもあるが、わたしの攻撃も魔物に何度か当たっている。手ごたえを感じられないわけではないが、決定打は与えられていない。
 魔力が尽きてしまえば、わたしはただの非力な人間になってしまう。その前にけりをつけなければ――焦らずにはいられなかった。
 <霜の魔女>の手が空をかき、無数の氷柱が現れた。それらが生き物の群れのように真っすぐわたしを狙ってくる。
 降り注ぐ氷の矢に、わたしが周りに張り巡らせた魔力の障壁が悲鳴を上げる。ばちんと音を立てて守りが破られた。衝撃で地面に膝をついたわたしに、再び氷の槍が襲い掛かる。守りが追い付かず身をよじって避けたが、槍が肩をかすめ、皮膚を浅く裂いた。生暖かい感触が腕を伝う。
 怖い。魔法杖を支えにして立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。その場から火球を放ったが、ひらりとかわされてしまった。
 魔物の動きを鈍らせることもできないまま、魔力と体力だけが失われていく。次第に、わたしの防戦一方となっていった。

――ごめんなさい、わたしには無理みたい

 氷晶の女神どころか、大魔術師を名乗る資格すらない。わたしの力では何も守れない。
 情けなさと絶望で視界がにじんでいく。なけなしの力で魔物の攻撃を退けてはいるが、だんだんそれすらも辛くなってきた。

――本当にごめんなさい

 ロレーヤの町の人々に、魔術師長や他の魔術師たちに詫びて目を閉じる。全てを手放そうとしたわたしの脳裏に、声が響いた。

(セシーリャ、俺はあなたを信じている)

 ディオンの声。続いて彼の顔が浮かぶ。死ぬかもしれない戦いに赴くわたしを、不安な様子を欠片も見せず送り出してくれた。
 そうだ、ディオンがわたしを待っている。<霜の魔女>を倒して戻ってくると信じてくれている。今ここでわたしがすべてを諦めたら、罪なき人々も、魔術師たちも、ディオンも危険な目に遭うかもしれないのだ。
 帰らなきゃ。この戦いを終わらせて、彼のもとに。木苺のタルトを二人で分けて、新作の舞台劇を観に行って、他にも楽しいことをたくさんしたいから――

「ディオン……」

 その名をつぶやくと、ふつふつと体の底から力が湧いてきた。ふらつくことなく、わたしはしっかりと立った。

「……負けないわ」

 だってわたしは独りじゃない。いつも傍には愛する人がいてくれる。
 魔法杖を持つ手に力をこめた。わたしに残された魔力には限界がある。効くかどうか分からないが、わたしの一番得意な魔法にすべてをかけるしかない。
 相手の動きを注視しつつ、杖をゆっくり振って魔力を動かす。氷の結晶が一つ、また一つ、次々と宙に生まれていく。ただの氷ではなく、魔力がこもった特別な結晶だ。
 今までと違う魔法を操るわたしに、<霜の魔女>は様子をうかがう姿勢になっている。しかし、すぐにこちらへ腕を伸ばし、再び攻撃してこようとした。
 わたしの方が早かった。十分な量の結晶を、<霜の魔女>に向けて放つ。その体を取り囲んだ結晶が一斉に弾け、魔力を突き刺していく。
 魔物が悲鳴を上げる。どうやら効いているようだ。反撃の隙を与えぬよう、持てる魔力を振り絞って氷の結晶を更に生み出して追撃する。

――どうか、これで倒れて!

 わたしの祈りが通じたのか、氷の結晶に包まれた<霜の魔女>が大きく体をのけ反らせた。赤い目が輝きを失い、甲高い叫び声が途切れ、真っ逆さまに地面に墜ちていく。
 どさりと倒れ伏した<霜の魔女>の白い体が、髪が、銀の砂のようにさらさらと崩れて行った。
 それと同時に、周りの氷も解け始めた。茶色い土が顔を出し、木々を覆っていた霜が溶け、白く濁っていた空も晴れていく。<霜の魔女>の魔力が及ばなくなったのだ。ロレーヤの町も、今頃同じような状況になっているだろう。
 わたしの勝ちだ。魔力は尽きかなり疲弊したが、肩の傷も致命傷ではない。なんとか歩いて帰ることはできるだろう。
 これでまたディオンに会える。ほっと胸を撫でおろした、次の瞬間――
 強い冷気が、わたしの体を貫いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

竜王の「運命の花嫁」に選ばれましたが、殺されたくないので必死に隠そうと思います! 〜平凡な私に待っていたのは、可愛い竜の子と甘い溺愛でした〜

四葉美名
恋愛
「危険です! 突然現れたそんな女など処刑して下さい!」 ある日突然、そんな怒号が飛び交う異世界に迷い込んでしまった橘莉子(たちばなりこ)。 竜王が統べるその世界では「迷い人」という、国に恩恵を与える異世界人がいたというが、莉子には全くそんな能力はなく平凡そのもの。 そのうえ莉子が現れたのは、竜王が初めて開いた「婚約者候補」を集めた夜会。しかも口に怪我をした治療として竜王にキスをされてしまい、一気に莉子は竜人女性の目の敵にされてしまう。 それでもひっそりと真面目に生きていこうと気を取り直すが、今度は竜王の子供を産む「運命の花嫁」に選ばれていた。 その「運命の花嫁」とはお腹に「竜王の子供の魂が宿る」というもので、なんと朝起きたらお腹から勝手に子供が話しかけてきた! 『ママ! 早く僕を産んでよ!』 「私に竜王様のお妃様は無理だよ!」 お腹に入ってしまった子供の魂は私をせっつくけど、「運命の花嫁」だとバレないように必死に隠さなきゃ命がない! それでも少しずつ「お腹にいる未来の息子」にほだされ、竜王とも心を通わせていくのだが、次々と嫌がらせや命の危険が襲ってきて――! これはちょっと不遇な育ちの平凡ヒロインが、知らなかった能力を開花させ竜王様に溺愛されるお話。 設定はゆるゆるです。他サイトでも重複投稿しています。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...