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十五話 霜の魔女と氷晶の女神
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すっかり雪山と化した道を、わたしはひたすらに進んでいた。冷気が無数の針のようにちくちくと肌に食い込む。厚手の外套を羽織っているがそれでも防ぎきれない程の寒さだ。
凍った道にずるりと足が滑り、前につんのめった。何とか体勢を立て直し、再び歩き出す。万が一にも転んで打ちどころが悪かったり、どこかに落ちてしまえば間違いなく凍死してしまう。
周囲を漂う魔力がじわじわと濃くなっていく。生えている木は一様に霜を張り付けた枯れ木に姿を変え、枝から氷柱を垂らしていた。
斜面だった道が段々と緩やかになってきた。しかし同時に積もる雪の量が増えていき、木々は完全に雪に覆われ、原型をとどめない白い塊と化しているものばかりになった。
「っ!」
急に強い風が吹き、わたしはたまらず顔を伏せた。冷たい風を受けて耳がちぎれそうに痛む。
風が止んだ。顔をあげると、頭上でゆらりと一つの影が躍っているのが見えた。凍った木々と濁った灰色の空を背にして、長い髪をなびかせ、全身が霜に覆われた人が宙に浮いている。手足は骨がむき出しになっているみたいに細く無機質で、髪も顔も蝋のように白く生気がないが、目だけが赤く輝いてわたしを見ている。
――<霜の魔女>だ。
山も町も瞬く間に氷に閉ざした恐るべき魔物が両手を広げた。その手元に鋭く尖った氷の槍が二本生まれ、立て続けにわたし目がけて飛んでくる。咄嗟に魔力の壁をつくり体が貫かれることは免れたが、生半可な力では止められないほどの威力だ。
再び攻撃が飛んでくる前に、魔法の火球を<霜の魔女>に向かい放った。氷の魔法ほど上手くは扱えないが、より効果的なはずだ。
一つはかわされたが、もう一つが魔物の体に命中した。喉奥から絞り出したような甲高い叫び声が響く。魔物の赤い目が、鈍い輝きを放った。
その瞬間、体中に震えが走った。足の方から、自分のものではない魔力に侵食されていくのを感じる。わたしは急いで体内に魔力を巡らせて、それを押し返した。
魔術師長が言っていた、<霜の魔女>が持つ力。生き物を体内から凍らせてしまう魔法。確かに、氷の魔術に長けていなければ、これを防ぐのは難しいだろうと感じさせられた。
「……やらなきゃ」
魔法杖をしっかり握り、わたしは目の前の魔女を見据えた。
突き付けられる氷の槍を弾き返し、体内に入り込む冷たい魔力を防ぎながら、機会をうかがって炎や稲妻を起こす。
あらゆる場所で魔力を回転させなければならない。少しでも隙を作ればそこで終わりだ。
<霜の魔女>は宙を漂いながら、わたしの命まで凍らせようとしてくる。五十年前にこの魔物と戦った大魔術師も死闘の末に決着をつけることができなかった。その大魔術師だってかなりの実力があったはずなのに、今のわたしにそれ以上のことができるのだろうか。
避けられることもあるが、わたしの攻撃も魔物に何度か当たっている。手ごたえを感じられないわけではないが、決定打は与えられていない。
魔力が尽きてしまえば、わたしはただの非力な人間になってしまう。その前にけりをつけなければ――焦らずにはいられなかった。
<霜の魔女>の手が空をかき、無数の氷柱が現れた。それらが生き物の群れのように真っすぐわたしを狙ってくる。
降り注ぐ氷の矢に、わたしが周りに張り巡らせた魔力の障壁が悲鳴を上げる。ばちんと音を立てて守りが破られた。衝撃で地面に膝をついたわたしに、再び氷の槍が襲い掛かる。守りが追い付かず身をよじって避けたが、槍が肩をかすめ、皮膚を浅く裂いた。生暖かい感触が腕を伝う。
怖い。魔法杖を支えにして立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。その場から火球を放ったが、ひらりとかわされてしまった。
魔物の動きを鈍らせることもできないまま、魔力と体力だけが失われていく。次第に、わたしの防戦一方となっていった。
――ごめんなさい、わたしには無理みたい
氷晶の女神どころか、大魔術師を名乗る資格すらない。わたしの力では何も守れない。
情けなさと絶望で視界がにじんでいく。なけなしの力で魔物の攻撃を退けてはいるが、だんだんそれすらも辛くなってきた。
――本当にごめんなさい
ロレーヤの町の人々に、魔術師長や他の魔術師たちに詫びて目を閉じる。全てを手放そうとしたわたしの脳裏に、声が響いた。
(セシーリャ、俺はあなたを信じている)
ディオンの声。続いて彼の顔が浮かぶ。死ぬかもしれない戦いに赴くわたしを、不安な様子を欠片も見せず送り出してくれた。
そうだ、ディオンがわたしを待っている。<霜の魔女>を倒して戻ってくると信じてくれている。今ここでわたしがすべてを諦めたら、罪なき人々も、魔術師たちも、ディオンも危険な目に遭うかもしれないのだ。
帰らなきゃ。この戦いを終わらせて、彼のもとに。木苺のタルトを二人で分けて、新作の舞台劇を観に行って、他にも楽しいことをたくさんしたいから――
「ディオン……」
その名をつぶやくと、ふつふつと体の底から力が湧いてきた。ふらつくことなく、わたしはしっかりと立った。
「……負けないわ」
だってわたしは独りじゃない。いつも傍には愛する人がいてくれる。
魔法杖を持つ手に力をこめた。わたしに残された魔力には限界がある。効くかどうか分からないが、わたしの一番得意な魔法にすべてをかけるしかない。
相手の動きを注視しつつ、杖をゆっくり振って魔力を動かす。氷の結晶が一つ、また一つ、次々と宙に生まれていく。ただの氷ではなく、魔力がこもった特別な結晶だ。
今までと違う魔法を操るわたしに、<霜の魔女>は様子をうかがう姿勢になっている。しかし、すぐにこちらへ腕を伸ばし、再び攻撃してこようとした。
わたしの方が早かった。十分な量の結晶を、<霜の魔女>に向けて放つ。その体を取り囲んだ結晶が一斉に弾け、魔力を突き刺していく。
魔物が悲鳴を上げる。どうやら効いているようだ。反撃の隙を与えぬよう、持てる魔力を振り絞って氷の結晶を更に生み出して追撃する。
――どうか、これで倒れて!
わたしの祈りが通じたのか、氷の結晶に包まれた<霜の魔女>が大きく体をのけ反らせた。赤い目が輝きを失い、甲高い叫び声が途切れ、真っ逆さまに地面に墜ちていく。
どさりと倒れ伏した<霜の魔女>の白い体が、髪が、銀の砂のようにさらさらと崩れて行った。
それと同時に、周りの氷も解け始めた。茶色い土が顔を出し、木々を覆っていた霜が溶け、白く濁っていた空も晴れていく。<霜の魔女>の魔力が及ばなくなったのだ。ロレーヤの町も、今頃同じような状況になっているだろう。
わたしの勝ちだ。魔力は尽きかなり疲弊したが、肩の傷も致命傷ではない。なんとか歩いて帰ることはできるだろう。
これでまたディオンに会える。ほっと胸を撫でおろした、次の瞬間――
強い冷気が、わたしの体を貫いた。
凍った道にずるりと足が滑り、前につんのめった。何とか体勢を立て直し、再び歩き出す。万が一にも転んで打ちどころが悪かったり、どこかに落ちてしまえば間違いなく凍死してしまう。
周囲を漂う魔力がじわじわと濃くなっていく。生えている木は一様に霜を張り付けた枯れ木に姿を変え、枝から氷柱を垂らしていた。
斜面だった道が段々と緩やかになってきた。しかし同時に積もる雪の量が増えていき、木々は完全に雪に覆われ、原型をとどめない白い塊と化しているものばかりになった。
「っ!」
急に強い風が吹き、わたしはたまらず顔を伏せた。冷たい風を受けて耳がちぎれそうに痛む。
風が止んだ。顔をあげると、頭上でゆらりと一つの影が躍っているのが見えた。凍った木々と濁った灰色の空を背にして、長い髪をなびかせ、全身が霜に覆われた人が宙に浮いている。手足は骨がむき出しになっているみたいに細く無機質で、髪も顔も蝋のように白く生気がないが、目だけが赤く輝いてわたしを見ている。
――<霜の魔女>だ。
山も町も瞬く間に氷に閉ざした恐るべき魔物が両手を広げた。その手元に鋭く尖った氷の槍が二本生まれ、立て続けにわたし目がけて飛んでくる。咄嗟に魔力の壁をつくり体が貫かれることは免れたが、生半可な力では止められないほどの威力だ。
再び攻撃が飛んでくる前に、魔法の火球を<霜の魔女>に向かい放った。氷の魔法ほど上手くは扱えないが、より効果的なはずだ。
一つはかわされたが、もう一つが魔物の体に命中した。喉奥から絞り出したような甲高い叫び声が響く。魔物の赤い目が、鈍い輝きを放った。
その瞬間、体中に震えが走った。足の方から、自分のものではない魔力に侵食されていくのを感じる。わたしは急いで体内に魔力を巡らせて、それを押し返した。
魔術師長が言っていた、<霜の魔女>が持つ力。生き物を体内から凍らせてしまう魔法。確かに、氷の魔術に長けていなければ、これを防ぐのは難しいだろうと感じさせられた。
「……やらなきゃ」
魔法杖をしっかり握り、わたしは目の前の魔女を見据えた。
突き付けられる氷の槍を弾き返し、体内に入り込む冷たい魔力を防ぎながら、機会をうかがって炎や稲妻を起こす。
あらゆる場所で魔力を回転させなければならない。少しでも隙を作ればそこで終わりだ。
<霜の魔女>は宙を漂いながら、わたしの命まで凍らせようとしてくる。五十年前にこの魔物と戦った大魔術師も死闘の末に決着をつけることができなかった。その大魔術師だってかなりの実力があったはずなのに、今のわたしにそれ以上のことができるのだろうか。
避けられることもあるが、わたしの攻撃も魔物に何度か当たっている。手ごたえを感じられないわけではないが、決定打は与えられていない。
魔力が尽きてしまえば、わたしはただの非力な人間になってしまう。その前にけりをつけなければ――焦らずにはいられなかった。
<霜の魔女>の手が空をかき、無数の氷柱が現れた。それらが生き物の群れのように真っすぐわたしを狙ってくる。
降り注ぐ氷の矢に、わたしが周りに張り巡らせた魔力の障壁が悲鳴を上げる。ばちんと音を立てて守りが破られた。衝撃で地面に膝をついたわたしに、再び氷の槍が襲い掛かる。守りが追い付かず身をよじって避けたが、槍が肩をかすめ、皮膚を浅く裂いた。生暖かい感触が腕を伝う。
怖い。魔法杖を支えにして立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。その場から火球を放ったが、ひらりとかわされてしまった。
魔物の動きを鈍らせることもできないまま、魔力と体力だけが失われていく。次第に、わたしの防戦一方となっていった。
――ごめんなさい、わたしには無理みたい
氷晶の女神どころか、大魔術師を名乗る資格すらない。わたしの力では何も守れない。
情けなさと絶望で視界がにじんでいく。なけなしの力で魔物の攻撃を退けてはいるが、だんだんそれすらも辛くなってきた。
――本当にごめんなさい
ロレーヤの町の人々に、魔術師長や他の魔術師たちに詫びて目を閉じる。全てを手放そうとしたわたしの脳裏に、声が響いた。
(セシーリャ、俺はあなたを信じている)
ディオンの声。続いて彼の顔が浮かぶ。死ぬかもしれない戦いに赴くわたしを、不安な様子を欠片も見せず送り出してくれた。
そうだ、ディオンがわたしを待っている。<霜の魔女>を倒して戻ってくると信じてくれている。今ここでわたしがすべてを諦めたら、罪なき人々も、魔術師たちも、ディオンも危険な目に遭うかもしれないのだ。
帰らなきゃ。この戦いを終わらせて、彼のもとに。木苺のタルトを二人で分けて、新作の舞台劇を観に行って、他にも楽しいことをたくさんしたいから――
「ディオン……」
その名をつぶやくと、ふつふつと体の底から力が湧いてきた。ふらつくことなく、わたしはしっかりと立った。
「……負けないわ」
だってわたしは独りじゃない。いつも傍には愛する人がいてくれる。
魔法杖を持つ手に力をこめた。わたしに残された魔力には限界がある。効くかどうか分からないが、わたしの一番得意な魔法にすべてをかけるしかない。
相手の動きを注視しつつ、杖をゆっくり振って魔力を動かす。氷の結晶が一つ、また一つ、次々と宙に生まれていく。ただの氷ではなく、魔力がこもった特別な結晶だ。
今までと違う魔法を操るわたしに、<霜の魔女>は様子をうかがう姿勢になっている。しかし、すぐにこちらへ腕を伸ばし、再び攻撃してこようとした。
わたしの方が早かった。十分な量の結晶を、<霜の魔女>に向けて放つ。その体を取り囲んだ結晶が一斉に弾け、魔力を突き刺していく。
魔物が悲鳴を上げる。どうやら効いているようだ。反撃の隙を与えぬよう、持てる魔力を振り絞って氷の結晶を更に生み出して追撃する。
――どうか、これで倒れて!
わたしの祈りが通じたのか、氷の結晶に包まれた<霜の魔女>が大きく体をのけ反らせた。赤い目が輝きを失い、甲高い叫び声が途切れ、真っ逆さまに地面に墜ちていく。
どさりと倒れ伏した<霜の魔女>の白い体が、髪が、銀の砂のようにさらさらと崩れて行った。
それと同時に、周りの氷も解け始めた。茶色い土が顔を出し、木々を覆っていた霜が溶け、白く濁っていた空も晴れていく。<霜の魔女>の魔力が及ばなくなったのだ。ロレーヤの町も、今頃同じような状況になっているだろう。
わたしの勝ちだ。魔力は尽きかなり疲弊したが、肩の傷も致命傷ではない。なんとか歩いて帰ることはできるだろう。
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