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三章 自警団と虹の石

15話 不穏な客人

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 宿屋「月の雫亭」の女主人、ジュリエナは並んだテーブルを磨いていた。

「姉さん」

 一階奥の台所に繋がる扉から二人の妹、リーサとミアが出て来た。
 客の姿のない様子を見回し、リーサが尋ねる。

「……ニールたち、まだ帰ってこないの?」

 ジュリエナは無言で頷いた。このやり取りは既に数回に及んでいる。
 自警団の噂が王弟のエルトマイン公爵の耳に入り、ニールたちは彼直々のもてなしの誘いを受けた。意気揚々と立派な馬車に乗り込んで王城へ向かっていった彼らは翌日もその次の日も月の雫亭に戻ってくることはなく、かれこれ三日が経過している。
 リーサが眉を下げて首を傾げた。

「一体どうしたんだろう……?」

 自警団の面々で、宿屋で寝泊まりしている者の荷物はずっと二階に置かれたままだ。彼らの噂を聞き、遠方から持ち込まれる魔物退治の依頼を受けて数日戻ってこないことは今までもあったが、王城に呼ばれた彼らが何の知らせもよこさずに出かけたままとなれば何か問題があったのではないかと否が応でも考えてしまう。市場に店を構える知り合いにも自警団の行方について聞きまわってみたが、何も収穫は得られなかった。
 末っ子のミアが不安気に姉二人の顔を見る。その時、宿屋の入り口の扉が開いた。
 もしかして自警団が、と期待をこめてその方を見たジュリエナの目に映ったのは二人連れの、腰に剣を下げた甲冑姿の男だった。一人は黒髪、もう一人は茶髪だ。左胸に騎士の証をつけている。

「騎士さま方、どうなさいました?」

 二人の騎士が大股で三姉妹の元へ歩み寄る。黒髪の騎士が険しい顔で言った。

「自警団はどこだ」

 王城に出かけていった自警団を一体なぜ騎士たちが探しているのか――ジュリエナは戸惑いながらかぶりを振った。

「分からないんです。あの子たち三日も留守にしていて……あたしたちもずっと心配してるんですよ」
「とぼけるな」

 茶髪の騎士が低い声を響かせた。

「奴らをかくまっているんだろう。大人しく引き渡せばお前たちのことは許してやる」

 突拍子もないことを言い出した騎士に、ジュリエナは驚きつつも平静を装って答えた。

「いいえ、ここにはいません。いま言いました通り、自警団はずっと帰ってきてないんです」
「二階を調べるぞ」

 黒髪の騎士が先だって客室へ続く階段を昇ろうとする。ジュリエナは彼らの前に立ちふさがりそれを止めた。

「困ります。この上はお客様のお部屋です。騎士さまといえど簡単にお通しするわけにはいきません」

 ミアを背にかばいながら、リーサもそれに加わった。
 
「あたしたちは本当に何も知りません」
「生意気な女どもが!」

 茶髪の騎士が声を荒げ剣を抜く。刃がぎらりと光り、ミアが小さな悲鳴を上げた。

「自警団をさっさと出せ!」

 武器を持ち出されてはジュリエナたちになす術などない。諦めて二階を気が済むまで調べさせるしかないか――

「何をしているのです」

 突然聞こえて来た声に、二人の騎士ははっとした顔で宿屋の入り口の方を振り返った。緑色の外套がいとうを羽織った男がつかつかと歩み寄って来る。出で立ちからして彼も騎士だ。
 ジュリエナたちに対し高圧的な態度をとっていた二人の騎士は、その姿を見た途端に慌て出した。

「ヒュ、ヒューバート様」
「これには訳が」
「ご婦人方に剣を向けねばならない理由がどこにあるというのですか」
 
 ヒューバートと呼ばれた男の口調は丁寧なものだったが、逆らうことなど許さないという圧力がにじみ出ている。
 茶髪の騎士が慌てて剣を鞘にしまった。

「こんな時間から酒場に入り浸る暇などないはずですね?」
「……っ」

 二人の騎士は悪態をつき、ジュリエナたちに謝罪を述べることなくヒューバートの横をすり抜けて足早に宿屋を出て行く。乱暴に扉が閉められるのを見届け、ヒューバートはジュリエナへ向き直り深々と頭を下げた。

「私どもの部下が大変なご迷惑をおかけし申し訳ございません」
「とんでもありませんわ。どうかお顔をあげてくださいな。こちらこそ助けて頂いてなんとお礼をすれば良いか……」

 ジュリエナに言われ、ヒューバートは顔を上げた。今度は胸に片手をあて、軽く礼をする。

「申し遅れました。私はヒューバート・トリエステ。イルバニア王国騎士団剣士隊の副隊長を務めております」
「まあ、副隊長さまがわざわざ……」
「今後、信頼できる部下を近辺に配置します。同じようなことが起こらないよう徹底致しますので安心なさってください」

 剣士隊の副官という立場の彼が助けてくれるのはありがたいことだったが、竜人族との戦争の最中にあってなぜ、一介の宿屋にすぎない月の雫亭を訪れたのだろうか。もしや、このような事態になることを予測していたのか。

「あの……さっきの方たちはどうして自警団を探していたのでしょうか? あたしたち、本当に分からなくて……何かご存じなのでしょうか?」
「……こちらの従業員は、皆さまだけですか」

 ジュリエナが頷くと、ヒューバートはいくらか声を落として話し始めた。

「自警団は……今、王都にはおりません。彼らのことを良く思わない者により命を狙われ、王都から離れることを余儀なくされました」
「そんな、一体誰が……!」

 リーサが声を上げる。

「先ほど訪れた騎士は、その自警団の抹殺を企む者に加担していると思われます。逃げ出した彼らを探しにここまで来たのでしょう」

 そのため、自警団が拠点にしている月の雫亭が彼らを匿っているはずだと疑われたようだ。
 人々を守るはずの騎士が悪事に加担するなんて。だとすれば目の前にいるヒューバートは本当に信用できるのか――ジュリエナの胸中によぎった疑いを察したのか、ヒューバートは真剣な顔つきになった。

「ご婦人、お気持ちは理解できます。ですが私どものことはどうか信用して頂きたい。自警団が逃げられるよう手引きをしたのは、我が隊長と彼が直々に選んだ部下なのです」
「隊長って……ベルモンドさま?」

 そうです、とヒューバートは頷いた。

「今もどうにか彼らを救い出す算段を立てているところです。彼らと関わりのある貴女がたのことも、私どもが責任を持ってお守り致します」

 彼の言うことが正しいのなら、騎士団の中で勢力が二分していることになる。ベルモンドやヒューバートが自警団の味方だとして、彼らの命を狙う者とは一体誰なのだろうか。いや、それよりも気にするべきことは――

「ニールたちは無事なのでしょうか……?」

 リーサがミアの肩に手をまわしてなだめつつ、ヒューバートに問うた。
 
「……確かなことは申し上げられません。私どもにできたのは、彼らをまとめて逃がすことだけでした」

 ヒューバートは目を伏せつつ言った。

「私は彼らと直接に関わったことはありません。貴女がたの方がよくご存じでしょう……彼らは、助からないと思われますか?」
「……いいえ」

 その問いに、ジュリエナは首を横に振った。

「あの子たちはきっと無事ですわ。皆で力を合わせて頑張っているはずです」
「……私もそう思っています」

 ヒューバートの口元にわずかに笑みが浮かんだ。

「私はこれにて失礼しますが、後ほど警護を担当する部下をこちらへご挨拶によこします。何かありましたら遠慮なく彼らを頼ってください。もちろん私のことも」
「はい、本当にありがとうございます。ヒューバートさま」

 剣術士隊の副官は丁寧に頭を下げ、月の雫亭を出て行った。

「まさか、こんな大変なことになるなんて……」

 宿屋の扉を見つめながら、リーサが呟くように言う。いつも明るい彼女も不安がぬぐえないようだ。

「ニールおにいちゃん、フランおねえちゃん、アロン……」

 ジュリエナは今にも泣き出しそうなミアの前にしゃがみ、優しく抱き寄せた。

「大丈夫よぉ。ニールくんたちは元気でいるわぁ」

 愛用の剣を一振りだけ携えてニールが月の雫亭にやって来たことを、ジュリエナは昨日のことのように思い出せる。
 彼の仲間はどんどん増えて、宿屋はずいぶんと賑やかになった。人々の暮らしを守るために一日じゅう走り回って、時には土塗れで帰ってくる自警団のために風呂を焚き、温かい食事を用意することがジュリエナたちの楽しみになっていた。

「きっと、お腹を空かせて帰ってくるわねぇ」

 その時、月の雫亭の扉が控えめな音を立てて再び開いた。今度の客人はミアとあまり変わらない年頃の、薄い桃色の髪をした子供だった。

「あらぁ? どうしたの坊や、迷子かしらぁ?」

 ジュリエナが近づくと、子供はぺこりと頭を下げた。

「初めましてです。ミューシャといいます。ルメリオさまのお手伝いをしています」
「まあ、ルメリオさんの……」
「ルメリオさま、ずうっと帰ってこないのです。ミューシャは心配で……もし何かあったらここに来なさいとルメリオさまは言っていたのです。だから来たのです」
「そうだったのねぇ……ルメリオさんとお仲間はね、急に遠くへ行かないといけなくなったみたいなのよ。だから、今は待つしかないの」
「そう……なのですか……」

 ミューシャの水色の瞳が落胆に沈む。きっとわらにもすがる思いで一人でやって来たのだろう。ジュリエナは彼の小さな手を握った。

「一人でここまで来るの、大変だったでしょぉ。ちょっとゆっくりしていくといいわぁ。ミア、ミューシャとお話ししてあげて」

 ミアが頷く。ジュリエナが彼女とミューシャをテーブルにつかせると、リーサが飲み物を用意しに台所へ向かった。
 身の安全を保障するというヒューバートの言葉を信じ、今は各自にできることをするしかない。
 自警団が戻ってきたらすぐに疲れを癒せるように。

***

 グレイルはエルトマイン公爵の執務室に繋がる扉を叩いた。しかし返事はない。
 扉を開けて入ると、部屋はもぬけの殻となっていた。いつからか公爵のものとなっていた執務机の上にはペン立てとその上の羽ペンしかない。

「公爵はここにはおられませんよ」

 背後から聞こえた声にグレイルは振り返った。エルトマイン公爵の側近、マークスが部屋の入口に立っていた。何の感情もこもっていない目でグレイルをじっと見ている。

「……どこに行った?」
「全てを成し遂げるために出発なさいました」

 グレイルは一瞬にして全身の血を抜き取られたかのような感覚に陥った。こんなにも早く公爵が動くとは思っていなかった。
 もう少し早くに戻っていれば――悔しさからグレイルは執務机を殴りつけた。不敬をマークスがとがめることはなかった。それどころか変わらぬ調子でグレイルに語りかける。

「どうしたのです、貴殿も望んでいたことのはずでは?」
「間違っていた! 何もかも!」

 グレイルは声を荒らげた。公爵に協力すれば、王国と竜人族は手を取り合うことができる。そしてまた愛した女性に会える――それだけを支えにしてきた。しかし、その彼女はもういない。
 グレイルは脱兎のごとく駆け出し、マークスの脇をすり抜けて執務室を飛び出した。
 このまま公爵を野放しにしていれば、王国の民、そして竜人族からも更に多くの犠牲が出る。己の願いのため、その恐るべき野望に手を貸したことは決して許されることではない。しかし裁きを受ける前に、成さねばならないことがある。

 城を飛び出し王都を離れ、グレイルは人目につかない場所で指笛を吹いた。潜んでいた黒豹の魔物が音もなく姿を現す。

「すまない。無理をさせることになる」

 魔物は何も答えなかった。その額に埋められた虹石が淡い赤色に光る。
 グレイルは魔物の漆黒の毛で覆われた背中に跨り、風のように駆け出した。
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