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四章 それぞれの行く道

3話 いつかまた、必ず

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 そして迎えた約束の日、自警団一行がセイレムと落ち合う予定でいた場所にはすでに彼と、フランシエルの竜ミィミィが待っていた。
 今日フランシエルはミィミィに乗って、セイレムと共に竜人の故郷へと帰る。

「フラン、ほんとうに帰っちゃうのか?」

 アロンが彼女の手をつかんで言った。

「ずっと人間といっしょに住んでたっていいじゃんか……」
「……そうだねアロン。前のあたしならきっと、そうしてたと思う」

 フランシエルは屈んでアロンと目線を合わせた。

「でもね、あたし気づいたんだ。あたしにしかできないことがあるんだって。それは大好きな人間のことを竜人の皆に伝えて、知ってもらうこと。そしたらもっと仲良くなれて、もう二度と戦争なんて起きない世界になると思うの」

 彼女は微笑みながら話を続ける。

「これはね、ニールやアロンたちと色んな冒険をして気づいたことなの。だから応援して欲しいな」
「うん……わかった」

 こくんと頷いたアロンの頭を、フランシエルはよしよしと撫でた。

「ありがと、アロン」
「フランさん、こちらを貴女に」
 
 ルメリオが、フランシエルの持つ虹石こうせきと同じ白い薔薇を彼女に一輪手渡した。

「白い薔薇が意味するのは『深い尊敬』、私から貴女へぜひとも贈りたい言葉です」
「えへへ、ありがとうルメリオ。すっごく綺麗」

 フランシエルは薔薇を胸のポケットに挿し、ゼレーナの方を向いた。

「ゼレーナも、色々ありがとね」
「寂しいって言って欲しいという頼みならお断りしますよ」

 ゼレーナはすぱっと切り捨てるように言ったが、その言葉に棘はなかった。

「何も分かってないヒヨコみたいだった時のことを思えば、あなたは随分と変わりましたよ。だから心配してません」
「僕はやっぱり寂しいよ。フラン……また会えるよね?」

 エンディがフランシエルの顔を見上げて問う。もちろん、と彼女は頷いた。

「また絶対に会いにくるよっ。もう少し大人になったらギーランと一緒にお酒飲みたいし、あとイオにも勝ちたいし!」
「……まあ、お互いに生きてまた会えたんなら付き合ってやってもいいぜ」
「次までにしっかり鍛えておく。あっさり負けるのはしゃくだからな」
「ニール、フランさんがもう行ってしまわれますよ。何も伝えなくていいのですか?」

 ルメリオに言われ、ニールは気の抜けたような声を漏らした。ここまで来る道中は思い出話が尽きなかったのに、いざ別れとなると上手い言葉が見つからない。

「フラン、その……ありがとう。本当に楽しかった」
「ニール……うん。あたしの方こそありがとう」

 そこで、二人の会話は途切れた。一足先にフランシエルが動いた。自分の後ろで出発の時を待っているセイレムとミィミィを見やる。

「……そろそろ行くね。皆、もうちょっと離れた方がいいよ。ミィミィが羽ばたいたら風がすごいから」

 仲間たちが距離をとる中、ニールだけがその場に立ち尽くしていた。動くことができなかった。

「フラン……」

 ニールは騎士の道を選ぶ。そうすれば自由にあちこちへ行くことは難しくなる。次に会えるのはいつだろう。
 フランシエルが困ったように笑う。

「もう、ニール、そんな顔しないでよ。それじゃ二度と会えないみたいじゃない」
「……ごめん」

 笑って別れなければいけないはずなのに、上手く笑顔を作ることもできなかった。顔を曇らせたままのニールの目を、フランシエルがじっと見る。

「ニールなら、絶対に立派な騎士になれるよ。あたしはそう信じてる」

 彼女の言うことは、何でも本当になるような気がした。

「……俺も、フランのことを信じるよ。人間と竜人の世界を繋げてくれるって」

 それが今のお互いの目指すべき道だ。今は進む方向が違っても、いつかまた必ずその道は交わる。

「またね、ニール」

 フランシエルがきびすを返し、ミィミィの元へと向かう。だが途中でその足は止まった。再び方向を変え、ニールの方へ走って来る。
 どうしたんだとニールが聞く前に、彼女はニールにひしと抱き着いた。

「ニール、大好き」

 ささやくような声が聞こえたその次に、ニールの頬に柔らかく温かいものが触れた。

「……え」

 ニールが状況を把握する前に、フランシエルの体が離れる。彼女はもう一度ニールに微笑みかけると、再び亜麻色の髪をなびかせてミィミィの元に戻っていった。

「ルメリオ、なんだよー! 前が見えないぞ!」
「アロンにはまだ早いので。もう少し大きくなってからにしましょうね」
「これは……つまりそういうこと、だよね?」
「よりにもよってニールですか……フラン、苦労しますよ」

 仲間たちが背後で話す言葉がニールの右耳から左耳へと抜けていく。初めて抱いたこの気持ちにつく名前を、ニールはまだ知らない。
 ニールが我に返ったのは、ミィミィが大きく羽ばたいて地面を離れた時だった。

「ありがとー! みんなー! ずっと友達だよー!」

 ミィミィの手綱を握りながら空いている手を振り、フランシエルが声を張り上げる。
 ニールもそれに応え、両手で大きく手を振った。

「フラン! セイレム! 元気でなー!」

 あらん限りの声でニールは叫んだ。
 ミィミィが空の彼方へ消えていく。ニールはその姿が見えなくなるまで、仲間と共に見守り続けた。

***
 
「……良い仲間をもったな」

 空を飛ぶミィミィの背の上、フランシエルの後ろに座るセイレムが声をかけてきた。

「うん。ほんとにそう思う」

 本当は別れたくなかった。明日も明後日も、今までのように皆で集まって過ごしたかった。
 だが、もう自警団は必要なくなるはずだ。そうなるような未来をニールがこの先つくっていく。生きる場所が違っていても、思い描く理想の未来は同じだ。そのためにフランシエルも自分のやるべきことをする――そう決めた。

「親父が話したがっている」
「長さまが?」
 
 フランシエルはセイレムの方へ振り向いた。竜人を束ねる長にしてフランシエルの伯父――しかし、言葉を交わしたことはない。足が悪く一族から爪はじきにされていた母が人間との間にもうけた子、フランシエルの存在は長にとっては忌むべきものだった。

「そっか、長さまきっとかんかんだよね。あたし、勝手なことばっかりして……」
「いや、そうではなく……謝りたいと、言っていた。お前とシルヴァーナに」

 自警団を離れて故郷へ戻り、ありのままの自分でいられるかフランシエルは少しだけ不安だった。しかしそれは杞憂かもしれない。きっとすでに、物事は良い方向へ進み始めている。

「……じゃあ、急いで帰らなきゃ! ミィミィ、速度上げてっ!」

 フランシエルの呼びかけに、竜は元気よく吠えて応えた。

***

 明け方、ニールは宿屋の部屋をそっと出て一階へと降りて行った。
 読みは当たっていた。今にも月の雫亭を出て行こうとする人影に、ニールは呼びかけた。

「ギーラン」

 名前を呼ばれたギーランが、ニールの方へ振り向いて小さく舌打ちをする。肩にはしっかりと戦斧せんぷを担いでいた。

「ったく。目ざてぇ奴だな大将は」
「いつもより、飲んでた酒の量が少ない気がしてさ」

 この日が来ることは、ニールにも何となく分かっていた。ギーランは常に強敵との戦いを求めている。これからの王都でその機会に恵まれることはないと判断したのだろう。

「……アロンが寂しがるよ」
「お前から上手いこと言っとけ」

 もちろんニールに彼を引き留めるつもりはない。ただ、ここまでついてきてくれたギーランにきちんと別れを告げておきたかった。

「今までありがとうな。ギーランがいてくれて、本当に助かったよ」

 大酒飲みで、ぶっきらぼうで、いつも力で押す戦い方ばかり。だが自分より弱いものをいたぶって楽しむことはせず、どんな相手にも恐れず立ち向かう姿はニールの目指す騎士と重なるものがある。

「大将、てめえは……なかなか面白ぇ奴だ。騎士なんぞになっても、変わってくれるなよ」

 ギーランが誰かを褒めることなど滅多にない。必要以上に他人と関わりを持たず、余計な情を抱かないようにして生きてきた男だ。その孤独な日々に、ニールは少しでも何かを与えてやれただろうか。

「ああ。いつかまた、一緒に戦おうな」
「しゃあねえな。次に会う時までは死に物狂いで生きてやるよ。だから足手まといになんじゃねえぞ」
「うん……引き留めてごめん。元気でな、ギーラン」
「おう。あばよ、ニール」

 ニールは驚いてギーランの顔を見た。彼はにやりと笑い、そのまま月の雫亭を出て行く。扉が静かに閉まった。

「……初めて名前で呼んでくれたな」

 ニールは微笑んだ。ギーランが遠く離れた地でも、同じように戦斧を振り回して存分に暴れ回れることを祈った。

 ――そして、幾ばくかの月が過ぎた。
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