王様とお妃様は今日も蜜月中~世界でいちばん幸せなふたり~

花乃 なたね

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想いを伝えるチョコレートのお話

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※「完璧淑女の片思いのお話」の続きの話です。

***

 エリーズは近衛騎士のリノンと二人、客間にて客人の訪れを待っていた。とはいってもその出で立ちは王城勤めの女官たちが着るお仕着せとよく似た、飾り気の少ないワンピース姿だった。
 今日はアルクレイド王国の祭日「ヴァレンティナの日」だ。かつて王国に実在した貴族の娘ヴァレンティナは、長年にわたりいがみ合っていた隣の領地を治める家の嫡男に恋をした。彼女は想い人の好物だというチョコレートを渡して愛を告白し、相手もその真心に感銘を受け結婚を申し込んだ。そして両家のいさかいに終止符が打たれた――ヴァレンティナの愛と勇気にあやかり、二人の結婚記念日が女性が恋い慕う男性にチョコレートあるいはそれを使った菓子を贈って想いを伝える日となった。
 もちろんエリーズはヴィオルへ、日頃の感謝をこめて菓子を手作りする。一緒に作らないかとリノンを誘ったところ二つ返事で頷いてくれた。
 そしてもう一人、声をかけたのはグローリエだ。国王の近侍を務めるジギスへの、彼女の秘めたる恋心を知ったエリーズは何か手伝うことができないか考え、一つの結論にたどり着いた。片想いでも両想いでも、大切なのは相手への真心だ。グローリエが一生懸命に作ったチョコレート菓子をジギスに渡せば、彼の心を少しでも動かせるはず、そのための協力を惜しむつもりはない。
 リノンにはグローリエが来ることは伝えてあるが、彼女の想い人の名前は言っていない。エリーズの隣に立っているリノンは緊張しているのか、重心を動かしてかかとだけで立ったり逆に爪先立ちをしたりと落ち着かない様子だ。

「リノン、そんなに不安そうにしなくても大丈夫よ」
「いやー、分かってはいるんだけどね。この間の陛下のお誕生会でご一緒した時もほとんど直接話さないで終わっちゃったからさ。それにあの方、あたしがエリーズの近衛騎士なのもよく思ってなさそうだし……」
「そんなことはないわ。いつもわたしに見せてくれるような笑顔でいればグローリエ様も喜ぶはずよ」
「そうだといいんだけどねぇ……」

 その時、客間の扉が外から叩かれた。エリーズが返事をすると、使用人に連れられたグローリエ・エーデルバルトが姿を現す。金色の髪はすっきり束ねられ、スカートの膨らみの少ないライム色のワンピースドレスを着ている。

「グローリエ樣、お待ちしていました」

 エリーズはにこやかに言い、彼女の元へ歩み寄った。ついてきたリノンが立礼すると、グローリエも挨拶を返す。

「こちらこそ、お誘いありがとうございます……このような格好で良かったかしら」

 グローリエは目線を己の服へ向けた。普段の華やかなドレスとは違う簡素な出で立ちだが、立ち姿は相変わらず貴族のそれだ。

「……大人しい服でも綺麗とか、素材が良すぎだって」

 リノンが感嘆のため息混じりに呟く。エリーズは頷いた。今日のためできるだけ動きやすい服装で、と言ったのはエリーズだ。

「ええ、ぴったりです! ではさっそく行きましょうか」

***

 エリーズはリノンとグローリエを連れ、台所へと向かった。壁に三人分のエプロンがかけてある。一着は料理好きなエリーズのためにヴィオルが贈ってくれた特注のものだ。それを身につけながら、エリーズはリノンに問うた。

「リノン、何を作るか決めてある?」
「いやー、どうしようか迷ってて。あたし料理はたまにするけど、お菓子は全然作ったことないんだ。『計量が命』なんていうから手を出しにくくてさ」
「ローヴァンさん、甘い物はお好きなの?」
「うん。でもあの人、質より量みたいなところがあるからねぇ……ちっちゃいチョコレートじゃ満足しなさそう」
「ふふ、それならチョコレートのパイはどうかしら。大きいのを作ったらきっと喜ぶわ」
「お、いいねー! それにしよっと」

 エリーズは続いてグローリエの方に顔を向けた。

「グローリエ様はどうされますか? 何か作りたいものは?」
「……いえ、恥ずかしながら私、まともな料理の経験はありませんし、あの方がどんなものを好むのかもはっきり分からないのです」

 ジギスが甘い物を食べないというのはエリーズも耳にしていた。だが先日ヴィオルに聞いてみたところ、嫌いというわけではないらしい。元々あまり食に興味がないため、嗜好性の高い菓子をすすんで食べることがないというだけのようだ。

「ではチョコレート味のクッキーを作りましょう、簡単にできますよ。わたしがしっかりお手伝いします」

 エリーズがそう言うと、グローリエはいくらかほっとしたような表情を浮かべた。
 各々が作業に取りかかる。料理経験のあるリノンはエリーズからチョコレートパイの作り方を聞くと、特に詰まることなく手を動かしていった。せっかくならもうひと手間加えたいとチョコレートクリームの中にオレンジを混ぜ込むことにしたようだ。
 オレンジを薄く切るリノンを、ボウルの中で材料を混ぜていたグローリエが感心した様子で見た。

「器用ですのね」

 雲の上の人物から褒められ、リノンは上ずった声を上げた。

「へっ!? いやぁ、あたしなんて全然ですよ! まぁその、ローヴァンはオレンジ好きなんで入れてあげたら喜ぶかなーって」
「……貴女のような奥さまがいて、ローヴァン殿は幸せだと思いますわ」

 リノンが目をぱちくりさせる。異国の難民あがりの騎士である己を、血統を重んじる根っからの貴族として育ったグローリエが良く思っているはずがない――どうやらそれは杞憂だったようだ。

「えへへ。グローリエ様にそう言って頂けると嬉しいです」

 二人のやり取りに心を和ませながら、エリーズは自分の準備を進めた。ヴィオルのために作るのはチョコレートのケーキだ。喜んで食べてくれるであろう彼のことを想うと気合いが入る。

「王妃様、これでよろしいかしら……?」

 グローリエがおずおずと、手元のボウルをエリーズに見せる。

「はい、素晴らしいですよ!」

 エリーズが笑顔で答えると、グローリエの表情も緩む。

「グローリエ様のお相手も幸せですよねぇ。一体どんな善行を積んだらこんな美女に惚れてもらえるんだか……」

 リノンがしみじみと言った。

「どんな人なんだろ……あ、無理して言わなくていいですからね! 秘密にしたいって気持ちは大切にしてください!」
「……ジギス殿、ですわ」

 グローリエがぽつりと言う。エリーズは驚いて手を止めた。あれほど自分から想い人の名を言うことをためらっていた彼女が、リノンに対し打ち明けるとは思っていなかった。
 リノンはエリーズよりも更に驚いていた。口をぽかんと開け、零れんばかりに見開かれた目がエリーズの方に向く。

「ジギスって……あたしも知ってるあの人? あのジギスさん?」

 グローリエに代わりエリーズが頷く。リノンは額に手をやり、よろめくように数歩ほど下がった。

「はあああ……し、信じられない……あのジギスさんに遂に春が……」

 ぶつぶつと呟いていたリノンだったが、肩を縮めるグローリエを見てぐっとその方に身を乗り出した。

「グローリエ様、応援します! この機会を逃したらあの人一生結婚なんてできなさそうですし、何よりこんなに綺麗で頭が良くてしかも可愛いところもある方からの告白を断るとか罰当たり以外の何物でもないですし!」

 早口でまくし立てられグローリエは驚いて目を瞬かせたが、やがてくすりと笑った。

「……ありがとう、元気が出てきたわ」

 この二人もすっかり打ち解けたようだ。グローリエがエリーズに向き直った。

「王妃様、続きを教えて頂けますか?」
「はい、もちろんです!」

 程なくして台所に、甘い香りが漂いはじめた。

***

 夕刻、グローリエを乗せた馬車が王都の一角に止まった。
 ジギスが国王の近侍に取り立てられた際、彼に与えられた屋敷だ。多忙なジギスがここに帰ってくる機会は少ないのだが、エリーズの頼みを受けたヴィオルがたまには戻ってゆっくり休めと彼に命じてくれた。贈り物を渡す絶好の機会だ。
 グローリエの手には、リボンをかけた小さな箱がある。初めて作ったクッキーの味は悪くないはずだ。エリーズとリノンからも合格をもらった。
 迎えに立った家令の後に続き屋敷に入る。贈り物の用意を終えた後いったん自邸に戻ってつい最近に届いたばかりのドレスを選び、昔から仕えてくれている、グローリエの肌や髪の質を知り尽くした侍女に身だしなみを整えてもらった。
 大勢の注目を浴びる夜会であったとしてもひとつも緊張しないのに、今はただ一人の男性の前に立つというだけで心臓がひどく震える。恋とは実に厄介なものだ。
 客間に通されしばらく待っていると、そう長くないうちに家主が姿を現した。急な来客にも関わらずジギスの着ているフロックコートには少しの乱れもなかった。

「突然で申し訳ございません、ジギス殿」
「いえ、構わないのですが……どのようなご用件でしょうか?」

 今までのグローリエとジギスは、顔を合わせることは多々あれどいつも挨拶を交わす程度で終わっていた。国王に次ぐほどの地位にいるエーデルバルト公爵家の娘が一人で訪ねてくることは想定外だろう。

「お時間は取らせませんわ。その……お渡ししたいものがございまして……」

 いつものように堂々と話せない。エリーズから「良ければ一緒に行きましょうか」という申し出はあったが気持ちだけを受け取り断った。これは自分自身との戦いだ。
 グローリエの脳裏に、絶対に大丈夫ですよというエリーズの励ましの言葉、そして応援しますからと言うリノンの笑顔がよぎる。友人たちの存在に背中を押され、グローリエはリボンが巻かれた箱をジギスに差し出した。

「あの、こちらをどうぞ」

 己の前に突き出された箱を、ジギスはやや当惑した表情を浮かべながらも受け取った。

「これは……」
「お口に合わなければ捨てて頂いて構いませんわ」

 彼の反応を待たぬまま、グローリエは頭を下げ部屋を出た。きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。ジギスに見られていなければいいのだが。

 風のように去っていった客人をジギスはぽかんと見つめ、続いて手に持った箱に視線を移した。「口に合わなければ」と言っていたので食べ物だろうか。しかしエーデルバルト公爵家から贈り物を賜る理由に心当たりはない。
 不思議に思いながらもリボンを解き箱を開ける。薄紅色の紙に包まれるようにして収まっていたのは、ひし形や丸形の茶色いクッキーだった。ほんのりチョコレートの香りがする。
 そこで、ジギスはふと日中のことを思い出した。王城ですれ違った年若い女官たちがいつになくうきうきした様子だったことを。耳に入ってきた彼女たちの会話の中に、「ヴァレンティナの日」という言葉があったことを。
 周りの貴族たちからは独り身でありながら女遊びの一つもしない「堅物」の烙印を押されているジギスも、今日という日に女性から男性へチョコレート菓子が渡される意味に気づかないほど鈍感ではなかった。
 頬のあたりにかっと熱が集まる。よりにもよってグローリエが――社交界に咲く最も美しい薔薇と言われ、国王の忠臣としての一面も持つ彼女が、鉄仮面を被った男を選ぶなど考えもしない。それでもこの手にあるのは、グローリエが手渡してくれたものだ。
 クッキーを一つ口に放り込む。貴族なら名のある菓子職人のつてもあるだろうが、おそらく彼女の手作りなのだろう。素朴で優しい味がした。
 こんな時ヴィオルが傍にいたら、どうすればいいか教えてくれそうなものだが――とにかく感謝を伝えねばとジギスは部屋を飛び出した。
 グローリエは今にもエントランスから外に出ようとしていたところだった。家令と言葉を交わす彼女へジギスは呼びかけた。

「グローリエ様!」

 息を切らしながら現れたジギスに、グローリエは目を丸くした。

「ジギス殿?」
「その……私のために、ありがとうございました」

 気の利いたことの一つでも言いたいが、まったく知恵が出てこない。不甲斐ない己が嫌になる。
 それでも、自分なりの誠実さで彼女の気持ちに応えなければならないのは分かっていた。
 
「後日、改めてお礼をさせて頂けますか。食事に……ご招待します」

 その時、ジギスの目にグローリエの周りで幾重にも咲き誇る美しい花が映った。
 目じりを下げグローリエが笑う。

「ええ、楽しみにしていますわ」

 それではとドレスの裾をつまんで礼をし、グローリエは外へと向かう。
 恋とは実に厄介なものだ。妃をめとってからのヴィオルの変貌ぶりを見て、ジギスはずっとそう思っていた。曲がりなりにも貴い身分に生まれたなら結婚も仕事のうち、家のため国のためにするものだった。
 だが今はグローリエにまた会いたいと、そう思う自分が確かにいた。

***

「ローヴァン、渡したいものがあるからちょっと待っててっ!」
 
 夕食を終え茶が運ばれてこようかという時、リノンが席を立った。台所の方へ引っ込んだかと思うと、リボンがかかった両手で抱えるほどの箱を持って戻ってくる。

「はいこれ、あたしからローヴァンに!」
「……誕生日は別の日だが」

 眉をひそめたローヴァンに対し、もーう、とリノンが呟いて腰に手を当てる。

「ローヴァン、それでもこの国生まれの人? 今日はヴァレンティナの日でしょ!」

 そう言われはたと気が付いた。今日会った騎士の何人かが妙に浮足立った様子だったのはそのせいだ。だが今まで、リノンがこの日に贈り物を用意してきたことはなかった。

「……今まではね、作るのも自信ないし何を渡したらいいかも分かんなかったの。でも今年はエリーズと一緒に頑張って作ったんだ」

 故国の味が恋しくなった時など、リノンが台所に立つときはある。だが菓子を、それもこの国に伝わるものを作ったのは初めてのはずだ。

「開けてもいいか?」
「もちろん、開けて開けて」

 箱を開けて出てきたのは、それにぎっちりと詰まるほどの大きさのこんがり焼けたパイだった。

「随分と頑張ったな」
「あは。せっかくだからおっきいの作ろうと思って張り切りすぎちゃった」
「さすがに俺でも食べきれん。手伝ってくれるか?」

 リノンの顔がぱっと輝く。

「うん! 一緒に食べよ。えへへ、味見はほんのちょっぴりで我慢したからさ」

 二人で仲良くパイを切り分ける。中に詰まったチョコレートクリームには薄く切ったオレンジが混ぜてあり、爽やかな風味のおかげで食べる手が止まらない。夫のその様子を見て、リノンは楽し気に笑った。

「あは、ローヴァンやっぱり質より量だ。あたしの思った通り」
「いや、美味い」

 妻の目を真っすぐ見つめ、ローヴァンは告げる。

「今まで食べたものの中で、これが一番だ。ありがとう」
「……も、もぉ。ローヴァンいつの間にそんなにお世辞がうまくなったの?」

 照れてもぞもぞと体を動かしたリノンだったが、すぐにまたいつもの調子で大きな口でパイを頬張り、にっと微笑む。

「うん、美味しいね」

***

 夜、政務を終えたヴィオルは王妃の私室へ早足で向かった。ソファに座っているエリーズを見た瞬間、飛ぶように駆け寄って彼女の隣に座りその体を抱きしめる。

「ヴィオル、今日もお疲れさま」
「ありがとう……ああ、元気が出る」
「お食事は? きちんと食べられた?」
「うん、大丈夫だよ」

 それじゃあとエリーズがソファの手前にあるテーブルに手を伸ばし、リボンが結ばれた箱を差し出してきた。

「ヴィオル、いつもありがとう。わたしの気持ちをどうか受け取って」
「え、これってもしかしてヴァレンティナの日の贈り物?」

 エリーズが笑顔で頷く。

「ああ、嬉しいな。ありがとう」

 嬉々としてリボンを解き箱を開ける。甘い香りと共にチョコレートで作られたケーキが顔を覗かせた。

「美味しそう、いま食べてもいい?」
「ふふ、もちろんよ」

 テーブルの上に用意されていたフォークをエリーズが手渡してくれる。さっそく一口食べると、程よい甘さが口いっぱいに広がる。

「僕のために作ってくれたの?」
「ええ、美味しい?」
「一生これだけで生きていきたいくらい美味しい」

 くすくすとエリーズが笑う。彼女の愛がこもった贈り物が心身の疲れを跡形もなく吹き飛ばした。
 あっという間に食べ進め、ついに最後の一口になったところでヴィオルはフォークをエリーズに手渡した。

「エリーズ、最後の一口」
「もう、ヴィオルったら」

 食べたら無くなってしまうのが名残惜しくて甘えると、エリーズは残ったケーキを手ずからフォークでヴィオルの口に運んでくれた。
 ケーキをすっかり腹に収めると、ヴィオルはまたエリーズをすっぽり抱きしめた。

「いつも思うんだ。僕の愛を余すところなく君に伝えるにはどうしたらいいんだろうって」
「もう十分伝わっているわよ?」
「いいや、こんなものではまだまだだ。たとえこのさき千年生きるとして、そのあいだ毎日君に愛してると言ってもまだ足りない」

 すべてをぶつけたら、きっと彼女を押しつぶしてしまう。

「だから『愛が重すぎる』って周りから言われるんだよね。ごめんね」
「謝らないで。わたしとっても幸せだもの」

 ちゅ、と小さな音を立ててエリーズがヴィオルの唇をついばむ。

「あーもう無理、可愛すぎ、大好き。結婚しよう」
「ふふ、もう結婚してるでしょう?」

 でも、とエリーズはヴィオルの胸に顔を寄せた。

「ヴィオルとなら何回でも結婚したいわ」

 その瞬間、とうとうヴィオルの理性は砕け散った。妻のあごに指をかけて軽く持ち上げ唇を奪う。角度を変えて何度も唇を重ねるうち、エリーズの体から徐々に力が抜けていく。それを見計らい、ヴィオルは彼女の体を横抱きにして立ち上がった。

あおったのは君だからね?」

 寝室の扉を開け、寝台にエリーズと共に倒れこむ。彼女は抵抗することもなく、うっとりとヴィオルを見つめるばかりだ。

「エリーズ、僕のヴァレンティナ。明日のことは気にしないで、僕のことだけ考えて」

 これから始まる長い夜は、どんなチョコレートより濃厚で甘い。
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