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桜の中で

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 月日は経ち、四月三日。外は暖かくなり、散った桜は小夜の通学路を薄桃色に染めていた。

「小夜ちゃん、おはよう。」
「おはようございます。」

 春休み明けでも、街の人たちは変わらぬ優しさで小夜を迎えてくれていた。小夜は今日から高校二年生になる。小夜は心機一転しようとしていたが、まだ苦いコーヒー味の想いは色褪せることを知らなかった。

ーーーー学校ーーーー

 小夜は一年の時とは違う昇降口前に行き、クラス替えの表を見ていた。

「うわ~…、最悪。ヤクザと同じクラスじゃん…。」
「うっわ!かわいそうに。良かった~、応用クラスなんて志望しなくて。」

相変わらず、学校では心無い言葉が飛び交っていた。しかし、小夜にとってそんなことはどうでも良かった。応用クラスに受かっていたことを知り、嬉しさで胸を膨らませていたからだ。
 応用クラスというのは、理系もしくは文系クラスの成績上位四十名だけが入れるクラスである。小夜は理系を選択したため、理系の上位四十名に入れたということになる。

「応用クラスに合格したのか?」

 安心しきっていた小夜の横にきたのは武流だった。小夜は急に耳元で武流が話しかけてきたので、驚いたが以前のように体を退けるようなことはしなかった。

「なんだよ。最近、初めの頃みたいに驚かないよな。」
「毎日やられれば慣れるわよ。」
「ふーん、つまんねぇの。」

 武流は水族館に行った日以来、遠慮なく小夜に近づくようになった。春休み中も毎日百目鬼の屋敷に来ては、小夜と時間を過ごしていた。小夜は最初の頃は急に縮められた距離に戸惑いを隠せなかったが、拒むことはなかった。しかし、武流の好意に応えることもせず、どっちつがずな状況が続いていた。その状況に武流は理解を示し、小夜はそんな武流の優しさに甘え、気持ちの整理に時間をかけていた。

「武流く~ん!久しぶり!」

 二人が話していると、例の武流ファンな女子たちが人混みを掻き分けてこちらに向かって来ていた。

「じゃあ、先教室に行ってるから。」
「ああ。」
「よろしくね。今年も同じクラスで。」

小夜は横目で武流を見て、女子たちが来る前にその場を去った。

「武流くん!!連絡しても全然返信こないから心配したんだよ!元気だった?…武流くん?何笑ってるの?」

武流は小夜の後ろ姿から目を離し、自然と上がった口角を隠すように、手で顔を覆った。

「ん?ああ、久しぶり。携帯買い替えたから連絡気づかなかったよ。ごめんね。」
「買い替えたんなら教えてよー!」

武流はまた作った笑顔を見せていたが、心の中では無邪気な子供のようにニヤけを抑えられずにいた。女子たちが何か話していても頭の中は小夜のことでいっぱいになっていた。

「でねでね、…武流くん聞いてる?」
「え?あ、ごめんね。考え事してた。」
「何考えてたの?」
「……。」
「武流くん?」
「頑張って良かったなって思ってさ。」
「え?あー!そっか!応用クラス受かったんだよね!おめでとう!」
「うん。ありがとう。でもそれじゃなくて…」
「え?」

武流は靴を脱いでいる小夜の横顔に釘付けになっていた。昇降口付近にある桜の花は風に揺られても散ることなく力強く咲いていた。


ーーーー『florist』ーーーー


 昼過ぎ。朔也は淡々と一人で店をまわしていた。店の至る所に小夜との思い出がいる。目を瞑ればすぐそこに小夜がいる。声が聞こえる。笑顔が見える。そんな毎日を送っていた。小夜以上に朔也は小夜への想いに溺れていた。しかし、そんな状態を続ける訳にはいかない。朔也は店の奥底に想いを閉じ込めようと平然を粧って過ごしていた。
 朔也が瞑っていた目を開けると、身長差のある男女二人組が入ってきた。

「いらっしゃいませ。」
「どうも。初めまして。雅樹がお世話になりました。」
「…すみません。何のことだか…。」

急に朔也に頭を下げた女性は朔也の反応に不思議そうな顔をさせ、その隣で男性が大きく溜息をついた。

「涼音。」
「なに?」
「お前にあげた花束を選んだのは女の人だって言ったろ?」
「あ!そうだったね!ごめんごめん。」
「ったく…。」

男性は可愛らしく笑うほんわかとした女性を見ながら溜息をついた。

「すみません。俺、少し前にここで働かれてる女性スタッフさんにお世話になって…。無事に付き合うことができたっていう報告をしたかったんですけど、いらっしゃいませんか?」

男性客の話を聞いて、朔也は小夜がどんな客にも手厚く対応していたことを思い出した。熱心に花の情報や手入れの仕方を勉強し、店が混み合っていても、真剣に手を抜くことなく接客をしていた。その姿を思い出していた。
 朔也は少し間を開けた後に、男性客の目を真っ直ぐに見た。

「あのスタッフは先日、諸事情でやめました。」
「…そうだったんですか。残念です。涼音も楽しみにしていたので。」
「すみません。」
「いやいや、色々あったんですよね。お仕事の邪魔しちゃってすみませんでした。」
「いえ。またのお越しお待ちしております。」

 朔也は二人を外まで見送った後、足元に舞い落ちた一枚の桜の花びらへと目線を落とした。いつの間にか春になり、小夜が居なくなってもうこれほどの月日が経ったのかと切なさに胸を締め付けた。
 その気持ちから逃げるように逸らした目線の先には、壊れていたはずの装飾が綺麗になって花壇の花を引き立てていた。

(あいつ…。買い替えるって言ったのに…。)

 朔也が一人で準備してきた店に、小夜は色々なモノを置いていきすぎた。そのどれもが朔也を苦しめ、小夜への気持ちから逃がしてくれない。
 朔也は店の中に入り、空になった如雨露を持ってその場に立ち尽くした。店の庭にある桜の木は、すでに葉桜になっており、一枚の若葉は決して鮮やかとは言えないような緑を放ち、満開に咲いた桜の横で風に揺られている。
 各々の想いは桜の中で春を迎える。
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