綾紋姫長朽木夢誌(あやもんひめながくちきむし)

譚音アルン

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肆拾玖

 一度上昇して、周囲を見渡す。

 遠くの山に煙が幾筋か立っているのが見えた。
 戦場はあちらだろう。

 方角を定めると、私は高度を下げながら飛び始めた。
 城下町を過ぎ、神社やお寺を越え、田園地帯や川を過ぎて行く。

 眼前に、家が燃やされて煙が立ち上っている場所があった。

 村が、襲撃を受けている。

 そのまま無視して通過するのも出来ずに村の上空を飛び回ると、

 「あの人達は!?」

 間違いない、山越えした後泊めてもらった爺さん婆さんが居た。
 村の中ではあちらこちらで男達が戦い、女子供は逃げまどっている。

 爺さんも婆さんを庇うように槍を持って戦っているが、正直押されている。

 考える暇もなく木瓜紋を取り出して光らせた。
 男達が敵味方関係なく倒れていく。

 女達が敵と思われる奴らに縄をかけ始めたのを確認。

 これでよし。

 婆さんはいきなり動けなくなった爺さんと敵に驚いて辺りを見回していたが、やがてこちらに気付くと手を合わせてきた。

 それに手を振り返して、山へ向かう。

 先程の敵はきっと戦場からあぶれて山越えしてきた兵だろうと思う。
 山の木々のてっぺんを滑るように飛ぶ。

 途中、風切り音がして矢が何本も飛んできたが、何故か軌道が途中で逸れて私には当たらなかった。
 三葉利政の言葉を思い出す。
 多分片喰紋のお陰だろう。

 山の頂上を越えた時。
 向こう側に広がっていた平野は、正に戦場になっていた。


***


 戦場から少し逸れた小高い場所に降り立つ。
 背後には竹林がある。

 ここなら。

 私は桐紋刺繍を取り出した。
 あれだけの範囲を覆うような霧を生み出すのは、桐紋一つだけじゃきっと済まない。

 刺繍の桐を光らせる。
 そして喪服の桐。
 両胸、背中、両袖……全て光るように念じた。

 お願い、霧を。
 紋術の効果を切る、戦争を止める、濃い霧を。

 さあ、と上空から風が吹いた。
 湿り気を帯びた空気。

 空の雲が高度を下げ、状態を保ちながら降りて来ていた。

 先程まで聞こえてきていた戦の音がぱったりと静まった。
 視界が利かなければ戦いすら出来ないだろう。

 と。

 ――綾子。

 耳に、母の声が聞こえた気がした。

 ――綾子、どこにいるの。

 いや、空耳じゃない。
 微かだけれど、はっきり聞こえた!

 「お母さーん!」

 叫び返すと、まるで長時間水泳でもしていたかのように体が酷く怠くて重くなっている事に気づく。

 もしかして、帰れる?

 それでも私は声が聞こえた方にふらふらと歩きだした。


***


 濃霧の中、誰かが戦っているような音が聞こえる。
 霧が薄れた所で立派な鎧武者が二人、刀で戦っているのが見えた。

 あれは。

 私は思わず立ち尽くした。
 戦っていたのは、巣守隆康と寿藤惟成だったのだ。

 真剣での勝負、負ければ即ち死を意味する。
 あまりの鬼気迫る様子に立ち去る事が出来ない。

 何度打ち合ったのか。
 火花が散る程の鍔迫り合いの後、二人はぱっと距離を取る。

 と、寿藤惟成がこちらに気付いた。

 「綾子姫か」

 巣守隆康もこちらを見る。
 しかしすぐに寿藤惟成に視線を戻した。

 「何故なにゆえかえらず戦場いくさばに参り給ひしか!」

 叫んで相手に肉薄して剣を振るう。

 「く返り給へ、この霧の彼方をちへ!」

 再び戦いが始まった。

 「私は戦を止めに来た。戦が止まれば帰る!」

 「せさせまいぞ。紋術の使はれざりきとも藤がつはもの退しぞかぬ。綾子姫、よく御覧じ給へ。姫がをうとにならむをのこの勝たむとす、その時を」

 「くっ……」

 巣守隆康は戦いながらもじりじりとこちらへ近づいて来た。
 私を庇うように寿藤惟成を誘導しながら。

 「姫! くここよりはなれ――」

 その時だった。

 「――毒婦、死すべし!」

 ひょう、と風切り音がして。

 「姫!」

 気付いたら、巣守隆康に押し倒されていた。
 肩越しに見える背中に生えたそれを見て息が止まる。

 彼は呻きながら腕を動かすと、歯を食いしばって刺さった矢を抜き放った。
 赤い液体が飛び散って、私の頬にも数滴付いたように思う。

 「今じゃ、惟成。その毒婦諸共にちゅうせよ」

 誰?

 「父君ててき!?」

 寿藤惟成が叫んだ。
 矢を放った人物は、寿藤家の当主であるらしい。

 巣守隆康は、近くに転がっていた刀を拾う。
 それを杖代わりにして何とか立ち上がり、構えようとするも。

 「ど、毒か……きたなき事よ」

 再び足元をふらつかせ、どう、と倒れた。

 毒!?

 私は巣守隆康の持つ脇差を抜いた。
 鎧の紐を切り、着物をずらして傷口を露《あら》わにする。
 そこに口を付けると血を吸い取っては吐き出し始めた。

 「無駄じゃ、無駄じゃ。その毒は……」

 寿藤父がせせら笑ったその時、幟を背中に差した兵が駆け寄ってきて勢いよく跪いた。

 「――注進ちゅうしんたてまつる! 片喰かたばみいくさ、我が城を破竹のせいにて落としたりとの事! 疾く城へ戻り給へ!」

 「……斯かる時に。全軍退け! 惟成、そやつは秘毒を用ひし故、長く無かるべし。せめて武士もののふとしてかしらを取りてやれ。恥をすすぎし後、疾く追ひて参れ!」

 言って、舌打ちをして去って行く。
 抜き身の刃を持った寿藤惟成が近づいて来た。

 私は血を吸うのを止め、じっと睨み付ける。
 しかし彼は刀を静かに鞘に収めた。その表情が苦悩に歪む。

 「こは如何いかなる事ぞ。おもてはし巣守隆康を破りたきと思ひたりけれど、斯くの如くなりしとは。こは我が敗北なり」

 寿藤惟成は兜を脱ぐと、そっと巣守隆康の傍らに置いた。

 「秘毒は種々くさぐさくちなはどくを混ぜたるものなり。解毒がやくを持ちたるは父君ててきのみなれば、我に術無すべなかりけり」

 「嘘……そんな」

 「姫よ、許し給へ」

 懺悔するように黙祷し、寿藤惟成は去った。

 私は半狂乱になって傷口の血を吸っては吐き出す。
 しかしだんだん握っている彼の手の温度が下がって行くのが分かった。

 もうピクリとも動かないし、駄目かも知れない。
 片喰紋があるから、巣守隆康は私を庇う事なんてなかったのに。
 私は彼の体に取りすがり、泣き伏した。

 死なないで。
 お願いだから、死なないで。

 神様――!

 『なり、あれは不二山ふじやまさうらふ。藤が地におはしたる、この大火水蛭島だいひひるがしまいち高き神の山なり』

 ふと、鷹司義嗣の言葉が脳裏に蘇った。

 富士山……ふじ……藤……!!

 私ははっとして寿藤惟成が置いて行った兜を引っ掴んだ。

 藤紋!

 かぐや姫は月に帰る前に不老不死の薬を帝に差し上げたけれども、帝はそれを富士山の頂きで燃やした。
 富士山の名前の由来の一つにもなっている。

 同じ音の藤紋にもその力があるのなら!

 お願い、少しでいい。
 私の寿命を削ってもいい。

 巣守隆康に、『』を!!

 あらん限り強く祈ったその時、紋が眩いほどの閃光を放った。
 明らかに体からごっそり抜けて行く、何か。

 誰かの手が頭を撫でてくれたように思ったけれども。
 それっきり私の意識は闇の中に沈んだ。


【後書き】
何故なにゆえかえらず戦場いくさばに参り給ひしか!」
→「何故帰らず戦場に参られたのか!」

く返り給へ、この霧の彼方をちへ!」
→「早く帰りなさい、この霧の彼方に!」

「せさせまいぞ。紋術の使はれざりきとも藤がつはもの退しぞかぬ。綾子姫、よく御覧じ給へ。姫がをうとにならむをのこの勝たむとす、その時を」
→「させないぞ。紋術が使えなくなったとしても藤の兵は退かない。綾子姫、よく御覧じなされ。姫の夫になる男が勝利を収めるその時を」

「姫! くここよりはなれ――」
→「姫!早くここから離れ――」

「――毒婦、死すべし!」
→「――毒婦、死ね!」

「今じゃ、惟成。その毒婦諸共にちゅうせよ」
→「今だ、惟成。その毒婦諸共止めを刺せ」

父君ててき!?」
→「父上!?」

「ど、毒か……きたなき事よ」
→「ど、毒か……卑怯な事だ」

「無駄じゃ、無駄じゃ。その毒は……」
→「無駄だ、無駄だ。その毒は……」

「――注進ちゅうしんたてまつる! 片喰かたばみいくさ、我が城を破竹のせいにて落としたりとの事! 疾く城へ戻り給へ!」
→「――申し上げます! 片喰の軍勢、我が城を破竹の勢いで落としておりますとの事! 速やかに城にお戻りを!」

「……斯かる時に。全軍退け! 惟成、そやつは秘毒を用ひし故、長く無かるべし。せめて武士もののふとしてかしらを取りてやれ。恥をすすぎし後、疾く追ひて参れ!」
→「……こんな時に。全軍退けい! 惟成、そいつは秘毒を使ったから、長くはないだろう。せめて武士として首を落としてやれ。恥を雪いだ後、すみやかに追って来い!」

「こは如何いかなる事ぞ。おもてはし巣守隆康を破りたきと思ひたりけれど、斯くの如くなりしとは。こは我が敗北なり」
→「なんという事だ。正々堂々と巣守隆康を打ち負かしたかったのに、こんな形になるとは。これは我が敗北だ」

「秘毒は種々くさぐさくちなはどくを混ぜたるものなり。解毒がやくを持ちたるは父君ててきのみなれば、我に術無すべなかりけり」
「秘毒は数種類の蛇の毒を混ぜたものだ。解毒薬は父上しか持っていないので、私にはどうしようもない」

「姫よ、許し給へ」
→「姫よ、すまぬ」

なり、あれは不二山ふじやまさうらふ。藤が地におはしたる、この大火水蛭島だいひひるがしまいち高き神の山なり』
→『そうです、あれは不二山です。藤の地におありになる、この大火水蛭島だいひひるがしまで一番高い神の山です』
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