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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

自宅警備員の自覚。

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 その時である。
 さあっと風が吹いた。あっと思う間も無く気球がパーゴラの下から離れて飛んで行く。
 私は青褪あおざめた。

 「うっ、馬の脚ィィィ! あれを追え!」

 号令に応じて前脚ヨハンが駆け出す。私達もそれを追いかけた。後ろ脚シュテファンは何故か私達に並走している。
 庭園エリアを過ぎ、小川の橋を超え、敷地の塀近くの小さな薬草・野菜栽培エリアへとひた走る。弟妹達はまだまだ元気だが、運動不足なニートの私はいい加減息が上がってきていた。
 その間にも気球はゆっくりと高度を増しながら風に流されて飛んでいく。やがて何かの拍子で本体に着火してしまった。

 「あっ、落ちる!」

 弟イサークが叫ぶ。
 燃え上がりながら墜落する気球。下の荷車の上に積んであった乾草ほしくさの山にピンポイントで落ちてぼわっと燃え広がった。

 「火事だわ!」

 「あああああーー!」

 メリーの言葉に私は悲鳴を上げた。何でよりによってそこに落ちるかな! 荷車の周りにも乾草が積んであるんだけど。やばい、延焼すればダディに拳骨食らう!
 あわあわと狼狽えていると、馬の脚共が荷車の傍に刺さっていたフォークを手に取った。それで火を叩き消そうというのだろう。しかしなかなか火は消えない。

 「あちちちちちっ!」

 突如として何者かが荷車の中から飛び出して来た。背中に火が付いていて転げまわっている。きっと乾草を布団替わりに寝ていたかどうかしていたのだろう。人が居たなんて気付かなかった。

 「チッ――何か聞こえたと思ったんだ!」

 「ここへ来るべきじゃなかったな!」

 しかし馬の脚共はそいつを見るや否や、何故か救助もせず――それどころか、山賊か追剥さながらに持っていたフォークで凄い勢いで袋叩きし始めたのである。勿論消火もそっちのけ。

 「助けてくれ! 人殺しだ!」

 そいつ――男は哀れな悲鳴を上げながら頭を庇うように丸まっている。
 私は訳の分からない事態に狼狽うろたえた。

 「ちょ、ちょっと助けないの!?」

 「こやつ、屋敷の者ではございませぬ!」

 「曲者でございます!」

 「えっ……曲者?」

 馬の脚共は口々に答えながらも手を止めない。

 「危険です、お下がりください!」と、侍女サリーナが鋭い声を上げて私と弟妹達の前に立ちはだかった。

 消火されぬまま燃え盛る乾草は今や凄い煙を出し始めていた。それが狼煙のろしとなったのか、バタバタと数人の足音。
 黒のベレー、胸に紋章入りのポンチョを思わせる青の短マントをまとっているのは我が家の警備兵達だ。庭師達の姿もある。彼らは剣や銃、農具等を手にこちらへと駆けて来ていた。

 使用人達はどかどかと乾草に群がり、怒号を上げながら荷車の周りに落ちている乾草やまだ燃えていない部分を円状に掻き出して外にやり、これ以上燃え広がらないようにと隔離を始めた。
 警備兵達は私達の傍に留まる他は、馬の脚共と男を囲むように散開し、万が一を警戒している。一人が「私は報告へ!」と叫んで屋敷の方へと戻って行った。
 訳も分からず弟妹を庇うように抱きしめながら様子をうかがっていると、叩かれていたその男は動かなくなっていた。ダメ押しとばかりに前脚ヨハンがその背中にしかかる。

 「し、死んじゃったの?」

 「いえ、気絶しているだけでございます」

 後ろ脚シュテファンがイサークに返事をして、腰に下げていた縄をほどくと、前脚ヨハンと交代する形で男を後ろ手に手際良く拘束し始めた。腰のポーチから取り出した器具で猿轡さるぐつわも噛ませている。

 前脚ヨハンが立ち上がった。もう危険は無いかなと思って少し近寄ると、気絶した男の服が太腿から背中にかけて燃えて無くなっていた。火傷、というか叩かれたのが大半の原因でだろう、赤くなったケツが丸出しになっている。男の尻……意外にぷりっとしたそれをまじまじと見てしまった。

 しかし馬の脚共よ……猿轡の器具、金属の玉に穴が複数開いたそれは、特殊プレイに使われる『ギャグボール』という奴じゃないだろうか。縛り方も後ろ手ながら亀の甲羅のようにも見えるんだが気のせいか?

 改めてよく見ると凄い光景である。このまま新宿二丁目あたりに放り込んだらえらい事になりそうだ。
 しかしそんなアホな事を思っていられたのも束の間だった。

 実に怪しい恰好になった男の体をまさぐってチェックしていた前脚ヨハンが、ブーツや袖口、腰、胸元等から、明らかに一般人は使わなさそうな小型のナイフを次々と探し当てて並べていく。腰のポーチも取り外して中を改めると、怪しげな包みが入っていた。それを開けた前脚ヨハンが、「銀に反応しない毒茸か…」と断定し、警備兵達がざわついた。

 私の背筋も凍りついた。この屋敷は結構警備が厳重な方だと思う。それをかい潜り、身を隠していたぐらいだ。という事は、この間抜けな姿で気絶している曲者はそれなりの手練れという事になる。

 もし、気球が乾草に落ちなかったら。

 尻出し男の雇い主や目的はこれから聞き出すのだろうが、身の安全がおびやかされている。私だけじゃない。両親や兄姉達、弟妹の命も危険にさらされているのだ。

 屋敷の警備を強化せねば! ――私はこの時はっきりと自宅警備員の自覚をした。

「マリアージュ様。この者は如何いかがいたしましょうか」

 前脚ヨハンが男をにらみつけながらわざわざ聞いてきた。確かにこの場で立場が一番上なのは私である。
 ちらほらとこいつ誰的な視線を感じるのは、多分警備兵の幾人かは管轄や行動範囲の関係からニートである私を見知らないからだろうと思う。

 ここは伯爵令嬢としての威厳を見せておかねばなるまい。
 私は震えそうになる体をなんとかなだめて背筋を伸ばし、ツンと顎を反らした。こんな時何て言えば良いんだっけ。いや、言葉の中身よりも自信たっぷりで余裕を見せる事が重要だ。
 余裕、自信、威厳――動転した私の灰色の脳細胞は、何故か少年漫画の最強キャラが言いそうな台詞を思い浮かべてしまった。

 「そうだな……私が直接手を下すまでもない。お前達が適切に処理せよ」

 「「ははっ」」

 馬の脚共がいつものようにかしこまり、警備兵達も一拍遅れたものの頭を垂れた。何を言っているのか自分でも分からないが、動揺しながらも何とか威厳を取りつくろえた、と思う。
 その時にはもう、使用人達の人海戦術で乾草の火も消し止められていた。

 前脚ヨハンと警備兵達が男を引きるようにして連行していく。私と弟妹は後ろ脚シュテファンと侍女サリーナ、他の使用人達と共に屋敷へと戻った。
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