貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(66)

 「さて」

 アルバート第一王子殿下はカップを静かに置くとその形の良い指を組んだ。

 「何から話しましょうか――そうですね、最初はほんの悪戯心だったのです。姫に初めてお会いした時、咄嗟にギャヴィンと名乗ったのは」

 マリーを見ると、項垂れたままドレスを握りしめていた。少し心配になる。やがて彼女は顔を上げ、真っ直ぐに殿下を見据える。

 「……発言してもよろしいでしょうか?」

 「どうぞ。この部屋では無礼講としましょう。発言許可も要りませんよ」

 「では。畏れながら、私達をお騙しになっていらっしゃったのですか。何故そのような真似を?」

 「私の紋章は白き鷹ギャヴィンなので、全くの嘘という訳ではないのですよ」

 良く見てみれば、殿下の衣服についている飾りボタンには鷹の紋章が描かれていた。これがそうなのだろう。

 「王子という立場上、人の飾らない姿を見るのが好きでしてね」

 そう言って、殿下は給仕する彼を見遣る。本物のギャヴィン・ウエッジウッド子爵は軽く会釈を返した。

 「彼、ギャヴィンは私の影。自由に動きたい時はかつらを使ってよく入れ替わるのです」

 あの婚約式の時もそうでした、と話す。「すぐに気付かれるかと思ったのですが、お二人とも初対面だったからか一向に気付く様子もなく新鮮で愉快な気持ちになりましたよ」

 くすりと小さく笑う殿下に、何度か我が家で接して来た身としては少々複雑な気持ちになる。父ブルックが恨めしい。子爵という下級貴族の身で僕の年齢だと殿下のような高貴な方と接触する事は稀、だからまんまと騙されたのだろう。
 マリーは黙って宙を見つめていた。殿下は苦笑交じりにアン様を責めないようにと言う。「私が正体を伏せるようにと無理に頼んだのですから」

 マリーが見つめていたのがパーティーの行われている大広間だと気付く。アン様もご存じだったのだ。きっと、ザイン様も。

 「姫とメイソン・リプトンとのやりとりを物陰から見ていた時にアン姫に妹だと教えて頂きました。年頃になっても社交界に出ないと意思表示をしているとは聞いていましたので、てっきり気弱な深窓の御令嬢だと想像していたのですが――なかなかどうしてじゃじゃ馬でいらっしゃる。
 良い意味で裏切られました。数学の知識もそうですが、メイソン・リプトンを相手に翻弄し、私の追及にも怯む事無く啖呵を切ってみせた。あまりにも鮮やかで、強烈で。いやあ、貴族の御令嬢には数多お会いしてきましたが、貴女程印象付けられた人は居なかった。そこで興味を持ったのです」

 「!」

 第一王子殿下が、マリーに、興味を。

 僕の頭の中は真っ白になった。殿下は、まさか。

 「……」

 「アン姫に貴女の事について訊いてみました。マリアージュ姫、貴女はとても頭が良く、家族を大事にする優しい子だそうですね。婚約者ともとっても仲がよろしいようで。貴女だけ独別な教育を受けているのかと更に訊いてみたのですが、いいえと言われました。御姉妹と同じような淑女教育を受けられている。ならば、あの数学的な知識はどこから? と不思議に思ったのですよ」

 明らかに普通の御令嬢の学ぶ範囲を逸脱している、と殿下はマリーをひたとその青で見据えた。確かにあれは貴族の子息が受けるような高等教育の内容だ。

 「まだあります。婚約者はそちらのグレイ・ルフナー殿」

 いきなり僕に話が振られ、ぎくりとする。殿下はキャンディ伯爵家が困窮している訳でもないのにルフナー子爵家と婚約する事が不自然だと疑っていた。それはそうかも知れない。マリーどころか、アナベラ様までも兄さんと婚約したのだから。
 しかもマリーがアールとアナベラ様の仲を取り持ちさえした――その理由を知りたくて殿下は何度かキャンディ伯爵家へ訪問していたらしい。マリーと直接話をしてみたいと。
 殿下が出した結論は、マリーの価値観が根本的に違うという事。アン様やアナベラ様と同じ教育を受けながら、異質な考えを持っている、それが数学的知識と同じ源だと断じた。

 「――違いますか?」

 「……まあ、おかしなことを仰せになりますのね」

 マリーは口元を隠して上品に笑った。教育を受ける以前に生まれつきの性格というものがある事、知識は異国の物語をたまたま思い出したからだと説明する。

 「殿下は私のような小娘を買いかぶっていらっしゃいます。ああ、知らなかった事とはいえ、あの時の御無礼をお許し下さいまし」

 言って頭を下げるマリー。僕も慌ててそれに倣い、気安く接していた事を詫びた。
 しかし第一王子殿下は僕達の謝罪には反応しなかった。マリーの言う、異国の物語は存在しないと王城の司書を持ち出して手を緩めない。
 マリーは薔薇が咲くように笑う。昔に読んだもので、本の題名タイトルも覚えていないとはぐらかした。殿下はふっと息を吐くと、「話は変わりますが、」と話題を振ってくる。
 昔の社交と違い、『お茶会』というものが社交界で流行っている、と奥様のお人柄やキャンディ伯爵家のレシピが秘密の菓子や料理について触れて褒めた後。

 「特に最近は、キーマン商会の扱う茶葉は種類も多く上質だと評判にで、ブルック殿によれば、良い商いになっているそうですね」

 「……お蔭様で」

 言いながら、僕の内側には嵐が吹き荒れていた。
 良い商いどころかうちの独占に近い。お茶会の習慣が新たな社交として広まっているのでかなりの商いだ。そこに焦点を当ててわざわざ僕に振るという事は、キャンディ伯爵家とルフナー子爵家との関係は相当調べ上げられているに違いない。

 「――ここ十年程の新しい流行は、大抵キャンディ伯爵家から生まれているのですよ。それに、あの辻馬車の画期的な運行。キャンディ伯爵家と縁を結んだルフナー子爵家は今や日の出の勢いです」

 案の定、殿下は更なる追及をしてきた。優しい口調だけど、もはや尋問に近い。

 「そうそう、銀行や株式という新たな制度。詳しく知って、驚きましたよ。あれは、便利なようで非常に危険な仕組みです。リプトン伯爵領の置かれた状況も調べさせて頂きました。やり方次第では戦によらぬ支配を進める事が出来る」

 バ レ て る。

 僕は一瞬呼吸を忘れた。ざあっと全身の血が引くような感覚がして、気が遠くなりかけてしまう。
 マリーが僕達兄弟とたまたまご縁があったと言い訳するのをどこか遠くに聞きながら、両手を握りしめて必死に意識を繋ぎとめた。

 その間にもアルバート第一王子殿下とマリーのギリギリの会話が続いていく。

 「そうそう、グレイ殿の引き継がれるキーマン商会は貿易商。国をまたいで大きな商売をなさっていますよね」

 「ええ、美味しい茶葉や珍しい異国の品物を融通して頂いておりますわ」

 それが何か? と問い返すマリー。殿下はさもおかしそうに戦によらぬ支配を進めるのに妨害しうる存在は王の定める法の取り締まりや戦争ぐらいだと述べる。だからマリーが王族を恐れ遠ざけるのだろうとも。

 「――貴女は大した野心家です、マリアージュ姫。少なくともキャンディ伯爵家とルフナー子爵家にまつわる新たなやり方、概念、知識は貴女の発案だと私は確信しています」

 そうしてマリーがただの貴族令嬢ではないと断じる。異質過ぎるのだと。

 「最初から智恵を持った、恐ろしい何かが人としてこの世に受肉したと言われた方がまだ納得出来ます。野放しにすれば、きっと王権を脅かす存在となるでしょう。王位を継ぐ者として、それを看過する訳にはいかないのです」

 殿下の言葉の剣の切っ先が、マリーに突き付けられ、僕ははっとした。殿下の言い分も理解できない事もないけれど、流石に言い過ぎだと憤りを感じる。ちょっと変わってて秘密が多いけれど、僕の見て来た彼女は家族思いで薔薇や馬や鳥が好きなただの可愛い女の子だ――最近は聖女様になってしまったけど。そんな……化け物みたいに言うなんて。
 マリーも傷付いたのだろう、悲しそうに俯いている。僕は彼女にそっと寄り添った。
 殿下と言えども流石にその言葉は酷い、と弱弱しく抗議するマリー。殿下は尚もマリーが一体何なのかと追い打ちをかけるように問う。彼女は勿論普通の貴族令嬢だと答えた。

 「他に何がありまして?」

 それは殿下の望む答えじゃなかったのだろう、アルバート第一王子殿下は自分は忍耐強い方ではないと剣呑な光を瞳に宿したまま不自然な笑みを浮かべる。

 「訊き方を変えましょう、何が目的なのでしょうか?」

 飽くまでもマリーの事を危険視しているらしい。彼女はふうと息を吐くと殿下を真っ直ぐに見つめ返した。ただ静かに穏やかに生きていきたいだけだと言う。アルバート第一王子殿下は怪訝そうにそれなら何故色々と目立つ事をしているのかと疑問を呈する。

 「――何もせず、ただ引きこもっていれば叶う事では?」

 マリーは首を振り、この世に絶対はないと返した。確かに僕もそう思ったことはある。だけどマリーにはマリーの考えがあって、そのお蔭で沢山の人々が助かる可能性があるならそれで良いんじゃないかと思う。聞きようによっては「大人しくしていろ、余計な事をするな」という威圧的な言葉。それだけマリーを恐れているのだろうけれど……。

 「何があろうとも揺るがないように、我が家の繁栄が未来へと続いて行く事に尽力するのは、私が心穏やかにのんびり過ごす事の絶対条件となりますの。そんなにおかしい事でしょうか?」

 「おかしくはありませんね。ただ、少々度が過ぎているようですが」

 殿下はきっとマリーの言葉を信じないだろう。それが真実であっても。いつだって相手の言葉の裏を読み疑い抜き、行動で真実を見るようなそのあり方はきっと王族であるが所以なのだろう。僕達は少しやり過ぎたのかも知れないとも思う。殿下にしてみれば、きっと脅威そのもの。
 殿下が僕達をという未来の脅威をどう処するか。キャンディ伯爵家の力は殿下としても無視できない。辻馬車の運用やマリーの提案したという教育制度の事もある。まだ完全に敵対はしてない状況下、王族が取りうる行動は。

 「私からも宜しいでしょうか。殿下の目的は何でございますの?」

 マリーが殿下に問いかけた。確実に近い予想が脳裏を過って僕は唇を噛む。アルバート第一王子殿下はまるで獲物を目の前にした獅子の如き微笑みを浮かべた。

 「ああ、私の目的は単純かつ明快、この国を継いだ時に王権を盤石にする事です。その為に手っ取り早いのは、貴女を私の正妃として望む事ですね」

 ――ああ、やはり。

 そう、敵対していない脅威ならば取り込んで我が物としてしまえばよい。絶望で目の前が真っ暗になった。
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