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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。
グレイ・ルフナー(69)
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……こ、これは!
食べると香辛料の絶妙な配合と美味しく程良い辛さが口の中に広がる。
僕はすっかりカレーライスの虜になってしまった。それはアールも同じようで、無言でかきこむ。食べ終わるなり、僕達は先を争うようにおかわりをした。
何杯でも食べられそうだ。
案の定。
うぅ、食べ過ぎた……。
腹がはちきれそう、パンパンだ。腹をさする僕を「凄い勢いで食べてたわよね」と呆れたような目で見て来るマリー。給仕が自分の分が残るのかと心配していたと笑う。
食べ過ぎたのは何時ぶりだろうか。いかんせん、『カレーライス』は美味過ぎた。
「どうかしら? 『カレーライス』はフランチャイズのレストランに出来そう?」
マリーが首を傾げる。それは僕も一瞬考えたけど――香辛料は高価だ。原価を考えると厳しいかも知れない。
「富裕層の多い、王都や大貴族の領都で高級店としてなら出来るかもね」
「あー、やっぱり?」
少し残念そうに言うマリー。彼女も問題点に気付いていたのだろう。
だけど、僕は取っ掛かりとしては悪くないと思っている。彼女は庶民にも広く行き渡らせたいようだけど、いきなりそこへ行くのは無理だ。
高級料理店、しかも異国の誰にも真似出来ないような料理であれば競合も摩擦も少ないだろう。だから参入しやすい。
最初は高級店。そしてだんだんと下へと普及させて拡大していく。そういう形が理想的だろう。
ふと、マリーが溜息を吐いた。どうしたんだろうと思っていると、陰影で濃くなった蜜色の、愁いを帯びた瞳でこちらを見上げて来て――心臓が跳ねる。
「ねぇ、グレイ……。あの、お義父様は……ルフナー子爵家はアルバート殿下に味方するおつもりなのかしら」
縋るような眼差しを受け、僕は先日帰宅した後の事を思い出していた。
***
あの日――マリーやアナベラ様をキャンディ伯爵家へ送って行った後。
兄さんと共に帰宅した僕は、祖父エディアールと父ブルックに内密に話があると切り出す。僕の様子がおかしいと訝るアールには、馬車の中で事情をかいつまんで説明していた。
心配そうな祖母パレディーテと母レピーシェに結婚式の話はまた明日朝食の席で、と微笑んでおく。
いつもの食堂。蝋燭に火が点され、紅茶とお茶請けを供して使用人が下がると、僕は早速切り出した。
「お父様。黙っていたんだね、うちに来ていたギャヴィン殿が実は第一王子殿下だったって事。思い返せば色々とおかしかった。アールが居ない時にしか彼は来なかったから」
「何だ、やっと気付いたのか」
父ブルックはおや、とでもいうようににやりと笑う。祖父も知っていたのか、「さぞかし驚いたじゃろう」と微笑んだ。
「二人共、笑い事じゃないよ!」
怒りを見せた僕に驚愕の表情を浮かべる二人。
僕はウィッタード公爵家であった事を包み隠さず話した。正体を明かされた事、銀行や株式の目的について知られていた事、本気交じりにマリーを正妃にとまで言われた事。
第二王子殿下、その背後の王妃殿下の事。キャンディ伯爵家を取り込もうという動きからマリーが標的になっていて、邪魔な僕が命を狙われる可能性があるという事も。
「アルバート殿下は王位を継ぎ、国王の権力を盤石にすることが目的なんだってさ。それに僕達が協力すれば王となった時に爵位を上げて取り立てて下さるそうだよ」
「その、何が問題なんだ?」
「問題!? 大有りだよ! だってあの方の主だった功績って馬車事業と教育制度。つまり僕達やマリーの功績なんだよ? 未来の爵位という実の無い物を餌に、僕達が得られる筈の物を労せず取り上げようとしているんだ。
大体、爵位で領地を広げたって豊かな領地とは限らない。そこにどれ程の利益が伴うっていうんだ。マリーの事だって、僕が本気で反発しなきゃ王命で無理やり奪われてただろうよ! しかも全部アルバート殿下が王位に就く事前提で提示されたものに過ぎない。万が一殿下が失脚すれば、僕達はどうなるのさ!」
「成る程の……わし等は次期王位継承争いに巻き込まれている、という事じゃのう」
「お父様。俺もグレイと同意見だ。第一王子殿下に入れ込み過ぎるのは危険だと思う」
僕から話を聞いた兄さんも懸念を表明する。しかし父は渋っていた。
「しかし、馬車事業は第一王子殿下のお墨付きあって急速に拡大しつつある。せっかく軌道に乗っているものを……確かに王命であれば結果的に三の姫はお前から取り上げられる事になるだろう。だが、グレイ。お前は女一人の為に莫大な利益を放棄するつもりか?」
「その馬車事業はそもそもマリーが考えたものだよ。普通に考えて価値があるのはマリーじゃないか、比べるまでもない。お父様はさ、例えば貴族が『一年後に王国金貨一万枚儲かる当てがあるから千枚貸せ』って言われたら担保も無しにホイホイ貸すの? アルバート殿下の話も殿下が失脚した場合の担保なんて無いんだけど」
僕の切り返しに父ブルックも確かにそうだと思ったのだろう、渋面になって「ううむ」と唸る。
「ブルック。グレイの言う事ももっともじゃ」
そこへ、祖父エディアールが更に援護してくれた。
「キーマン商会もな、異国で権力争いに巻き込まれる事はしょっちゅうじゃった。そんな時、どちらかに味方するのは得策ではない。
どちらにも味方せず、どちらに転んでも良いようにのらりくらりと笑顔で躱して利益を引き出すのが商人のやり方じゃろう?」
お前は時に少し欲をかき過ぎる事がある、と祖父は父を窘める。
「相場の読みにくい二つの品物。仕入れを必ず行わなければならぬ場合はどちらかを仕入れるのではなく、どちらも仕入れて損失を減らす。
お前も知っておるじゃろう。第一王子殿下が優勢であっても、ご自分の力で実績を残せていないのならば、運命の女神が最終的にどちらに微笑むかは分からぬものじゃぞ」
父ブルックは黙ってパイプを取り出すと煙草を詰めた。燭台の蝋燭で火を点け、溜息と共に紫煙を吐き出す。
「はぁ……お前の言い分はよく分かった。かと言って、どうする? 殿下に逆らうのか?」
僕は首を振る。
「あからさまに逆らう事はしない。積極的に味方しないってだけ。勿論第二王子殿下にもね。それに、サイモン様は中立派だ。だから僕もそれに従うつもり。それで、お父様は僕の敵になる? それとも――」
「その前に問いたい。お前は本気で何があっても三の姫と添い遂げるつもりなのか?」
「うん。マリーはもう僕の大切な家族だ。婚姻届けという紙切れを教会に出していないだけで、心では伴侶だと思ってる。
これはアルバート殿下にも言ったけど、もしお母様がどこかの王族に所望されたらお父様は唯々諾々と差し出すの?」
じっと瞳を見詰めると、父ブルックは瞬きの後にゆっくりと首を振った。
「――しないな。そうするぐらいなら爵位返上して国を出る」
「だろうね。僕もだよ。有能な臣下を取り立てて重用する、というのも王としては必要なんだろうけどさ。今のお立場はトラス王陛下の臣下に過ぎないよね。功を立てるのが他人任せであって良い筈が無い。それに、僕はあの方の力になりたいっていう気持ちには到底なれないよ」
「確かにそうだな。俺は少々、その……急き過ぎていたようだ。となると、これからの事を考えなければ。第一王子殿下に少々近付き過ぎた。離れるのも危険な綱渡りになるだろう。ならばグレイ、お前はどうするつもりだ?」
父ブルックの問い掛けに、皆の視線が僕に集中する。
僕はにっこりと微笑んだ。
「僕に考えがあるんだけど――」
***
「そのことなんだけど実は今日話そうと思ってたんだ。あの日、帰ってからお父様に報告して話し合ってね。マリーとしては馬車の事もあって不安に思うよね」
僕は不安に瞳を揺らすマリーを安心させるように抱きしめる。先日話し合った事を彼女に語って聞かせた。
「聞いて、マリー。サイモン様はそもそも中立派だ。僕達ルフナー家もそれに倣う。だからどちらにも味方しないつもりだよ。逆に言えばどちらにも味方する。どちらが王位に就いても構わないように立ち回るつもりだ」
彼女が息を飲む音が聞こえる。そんな選択をして大丈夫なのかと心配してくれているのだろう。
しかし僕は誰にもマリーを譲るつもりはない。もう決めたんだ。
僕の考えを聞いた祖父エディアール、父ブルック、そしてアールは驚き、また妙案だと賛同してくれた。
貴族達は王位継承権争いで二つの派閥と権力しか見えていない。そこが盲点になる。
仮に第一王子殿下が王位継承権を得て王太子と認められたとしても、王妃殿下がそれで引き下がるとは思えない。それに、トラス王陛下もまだお若く、健康に不安があるとも聞こえて来ない。まだまだ在位は続くだろう。時間的猶予は、ある。
だから。
「時間のある限り、ひっそりと力を蓄えて。王でさえ好き勝手出来ない程の力をサイモン様と共に持つ――それが僕の、ルフナー子爵家の答え」
それに、と思う。あの時悲しそうに俯いていた彼女の姿を思い出す。マリーの知恵、恩恵を受けておきながら彼女をまるで化け物であるかの様に言った殿下を僕はどうしても許せなかった。
そっと彼女を放すと、その柔らかく薄っすらと薄紅色を帯びた頬に手を添える。覗き込んだその蜜色はとろりと甘く溶けて、どこまでも僕を魅了してやまない。
マリーは神に遣わされた聖女だ。そして僕の最愛の――女性。
「……だから僕は僕なりのやり方で君を守り切れるだけの力を持とうと思う」
その蜜色の泉から透明な雫が滾々と湧き出し、川が流れるが如くその頬を伝う。美しい顔は緩み、ふるふると震えながら歓喜の表情を生み出した。
「グレイ、素敵……! 大好き、惚れ直したわ!」
マリーは僕の胸に縋り付く。愛おしさに彼女の名を呼び、僕達は深く口付け――お互いを求め合った。
不意にマリーが変な笑い声を上げる。何がおかしいのかと訊くと、お互いカレー臭いと笑い転げている。
――ああ、やっぱりしまらないなぁ。
僕も何だかおかしくなって笑い出す。匂いの強い物を食べた後はキスなんてするもんじゃない。
***
一頻り笑った後。僕は気になっていた事を訊いてみた。
「ところでマリー、メイソンに何をしたんだい?」
途端に挙動不審になって恥ずかしそうにこちらをちらちらと見るマリー。
「えっ……そ、それは、その。殴られた仕返しにちょっと。どうしても知りたい? だったら私、実地でグレイに教えても良いんだけど……。グレイは、ええと……縄で縛られたり、鞭でぶたれたり、蝋燭を垂らされたりするのって大丈夫?」
「えっと……」
不穏な言葉の数々に何となく察してしまった。これ以上は踏み込むな――頼れる勘もそう言っている。
僕は誤魔化すように微笑みを浮かべた。
「ごめんね、マリー。聞かなかった事にしておくよ」
うん、それが良い。昔の人も言っているじゃないか。『賢者は危険を避けるもの』だと。
食べると香辛料の絶妙な配合と美味しく程良い辛さが口の中に広がる。
僕はすっかりカレーライスの虜になってしまった。それはアールも同じようで、無言でかきこむ。食べ終わるなり、僕達は先を争うようにおかわりをした。
何杯でも食べられそうだ。
案の定。
うぅ、食べ過ぎた……。
腹がはちきれそう、パンパンだ。腹をさする僕を「凄い勢いで食べてたわよね」と呆れたような目で見て来るマリー。給仕が自分の分が残るのかと心配していたと笑う。
食べ過ぎたのは何時ぶりだろうか。いかんせん、『カレーライス』は美味過ぎた。
「どうかしら? 『カレーライス』はフランチャイズのレストランに出来そう?」
マリーが首を傾げる。それは僕も一瞬考えたけど――香辛料は高価だ。原価を考えると厳しいかも知れない。
「富裕層の多い、王都や大貴族の領都で高級店としてなら出来るかもね」
「あー、やっぱり?」
少し残念そうに言うマリー。彼女も問題点に気付いていたのだろう。
だけど、僕は取っ掛かりとしては悪くないと思っている。彼女は庶民にも広く行き渡らせたいようだけど、いきなりそこへ行くのは無理だ。
高級料理店、しかも異国の誰にも真似出来ないような料理であれば競合も摩擦も少ないだろう。だから参入しやすい。
最初は高級店。そしてだんだんと下へと普及させて拡大していく。そういう形が理想的だろう。
ふと、マリーが溜息を吐いた。どうしたんだろうと思っていると、陰影で濃くなった蜜色の、愁いを帯びた瞳でこちらを見上げて来て――心臓が跳ねる。
「ねぇ、グレイ……。あの、お義父様は……ルフナー子爵家はアルバート殿下に味方するおつもりなのかしら」
縋るような眼差しを受け、僕は先日帰宅した後の事を思い出していた。
***
あの日――マリーやアナベラ様をキャンディ伯爵家へ送って行った後。
兄さんと共に帰宅した僕は、祖父エディアールと父ブルックに内密に話があると切り出す。僕の様子がおかしいと訝るアールには、馬車の中で事情をかいつまんで説明していた。
心配そうな祖母パレディーテと母レピーシェに結婚式の話はまた明日朝食の席で、と微笑んでおく。
いつもの食堂。蝋燭に火が点され、紅茶とお茶請けを供して使用人が下がると、僕は早速切り出した。
「お父様。黙っていたんだね、うちに来ていたギャヴィン殿が実は第一王子殿下だったって事。思い返せば色々とおかしかった。アールが居ない時にしか彼は来なかったから」
「何だ、やっと気付いたのか」
父ブルックはおや、とでもいうようににやりと笑う。祖父も知っていたのか、「さぞかし驚いたじゃろう」と微笑んだ。
「二人共、笑い事じゃないよ!」
怒りを見せた僕に驚愕の表情を浮かべる二人。
僕はウィッタード公爵家であった事を包み隠さず話した。正体を明かされた事、銀行や株式の目的について知られていた事、本気交じりにマリーを正妃にとまで言われた事。
第二王子殿下、その背後の王妃殿下の事。キャンディ伯爵家を取り込もうという動きからマリーが標的になっていて、邪魔な僕が命を狙われる可能性があるという事も。
「アルバート殿下は王位を継ぎ、国王の権力を盤石にすることが目的なんだってさ。それに僕達が協力すれば王となった時に爵位を上げて取り立てて下さるそうだよ」
「その、何が問題なんだ?」
「問題!? 大有りだよ! だってあの方の主だった功績って馬車事業と教育制度。つまり僕達やマリーの功績なんだよ? 未来の爵位という実の無い物を餌に、僕達が得られる筈の物を労せず取り上げようとしているんだ。
大体、爵位で領地を広げたって豊かな領地とは限らない。そこにどれ程の利益が伴うっていうんだ。マリーの事だって、僕が本気で反発しなきゃ王命で無理やり奪われてただろうよ! しかも全部アルバート殿下が王位に就く事前提で提示されたものに過ぎない。万が一殿下が失脚すれば、僕達はどうなるのさ!」
「成る程の……わし等は次期王位継承争いに巻き込まれている、という事じゃのう」
「お父様。俺もグレイと同意見だ。第一王子殿下に入れ込み過ぎるのは危険だと思う」
僕から話を聞いた兄さんも懸念を表明する。しかし父は渋っていた。
「しかし、馬車事業は第一王子殿下のお墨付きあって急速に拡大しつつある。せっかく軌道に乗っているものを……確かに王命であれば結果的に三の姫はお前から取り上げられる事になるだろう。だが、グレイ。お前は女一人の為に莫大な利益を放棄するつもりか?」
「その馬車事業はそもそもマリーが考えたものだよ。普通に考えて価値があるのはマリーじゃないか、比べるまでもない。お父様はさ、例えば貴族が『一年後に王国金貨一万枚儲かる当てがあるから千枚貸せ』って言われたら担保も無しにホイホイ貸すの? アルバート殿下の話も殿下が失脚した場合の担保なんて無いんだけど」
僕の切り返しに父ブルックも確かにそうだと思ったのだろう、渋面になって「ううむ」と唸る。
「ブルック。グレイの言う事ももっともじゃ」
そこへ、祖父エディアールが更に援護してくれた。
「キーマン商会もな、異国で権力争いに巻き込まれる事はしょっちゅうじゃった。そんな時、どちらかに味方するのは得策ではない。
どちらにも味方せず、どちらに転んでも良いようにのらりくらりと笑顔で躱して利益を引き出すのが商人のやり方じゃろう?」
お前は時に少し欲をかき過ぎる事がある、と祖父は父を窘める。
「相場の読みにくい二つの品物。仕入れを必ず行わなければならぬ場合はどちらかを仕入れるのではなく、どちらも仕入れて損失を減らす。
お前も知っておるじゃろう。第一王子殿下が優勢であっても、ご自分の力で実績を残せていないのならば、運命の女神が最終的にどちらに微笑むかは分からぬものじゃぞ」
父ブルックは黙ってパイプを取り出すと煙草を詰めた。燭台の蝋燭で火を点け、溜息と共に紫煙を吐き出す。
「はぁ……お前の言い分はよく分かった。かと言って、どうする? 殿下に逆らうのか?」
僕は首を振る。
「あからさまに逆らう事はしない。積極的に味方しないってだけ。勿論第二王子殿下にもね。それに、サイモン様は中立派だ。だから僕もそれに従うつもり。それで、お父様は僕の敵になる? それとも――」
「その前に問いたい。お前は本気で何があっても三の姫と添い遂げるつもりなのか?」
「うん。マリーはもう僕の大切な家族だ。婚姻届けという紙切れを教会に出していないだけで、心では伴侶だと思ってる。
これはアルバート殿下にも言ったけど、もしお母様がどこかの王族に所望されたらお父様は唯々諾々と差し出すの?」
じっと瞳を見詰めると、父ブルックは瞬きの後にゆっくりと首を振った。
「――しないな。そうするぐらいなら爵位返上して国を出る」
「だろうね。僕もだよ。有能な臣下を取り立てて重用する、というのも王としては必要なんだろうけどさ。今のお立場はトラス王陛下の臣下に過ぎないよね。功を立てるのが他人任せであって良い筈が無い。それに、僕はあの方の力になりたいっていう気持ちには到底なれないよ」
「確かにそうだな。俺は少々、その……急き過ぎていたようだ。となると、これからの事を考えなければ。第一王子殿下に少々近付き過ぎた。離れるのも危険な綱渡りになるだろう。ならばグレイ、お前はどうするつもりだ?」
父ブルックの問い掛けに、皆の視線が僕に集中する。
僕はにっこりと微笑んだ。
「僕に考えがあるんだけど――」
***
「そのことなんだけど実は今日話そうと思ってたんだ。あの日、帰ってからお父様に報告して話し合ってね。マリーとしては馬車の事もあって不安に思うよね」
僕は不安に瞳を揺らすマリーを安心させるように抱きしめる。先日話し合った事を彼女に語って聞かせた。
「聞いて、マリー。サイモン様はそもそも中立派だ。僕達ルフナー家もそれに倣う。だからどちらにも味方しないつもりだよ。逆に言えばどちらにも味方する。どちらが王位に就いても構わないように立ち回るつもりだ」
彼女が息を飲む音が聞こえる。そんな選択をして大丈夫なのかと心配してくれているのだろう。
しかし僕は誰にもマリーを譲るつもりはない。もう決めたんだ。
僕の考えを聞いた祖父エディアール、父ブルック、そしてアールは驚き、また妙案だと賛同してくれた。
貴族達は王位継承権争いで二つの派閥と権力しか見えていない。そこが盲点になる。
仮に第一王子殿下が王位継承権を得て王太子と認められたとしても、王妃殿下がそれで引き下がるとは思えない。それに、トラス王陛下もまだお若く、健康に不安があるとも聞こえて来ない。まだまだ在位は続くだろう。時間的猶予は、ある。
だから。
「時間のある限り、ひっそりと力を蓄えて。王でさえ好き勝手出来ない程の力をサイモン様と共に持つ――それが僕の、ルフナー子爵家の答え」
それに、と思う。あの時悲しそうに俯いていた彼女の姿を思い出す。マリーの知恵、恩恵を受けておきながら彼女をまるで化け物であるかの様に言った殿下を僕はどうしても許せなかった。
そっと彼女を放すと、その柔らかく薄っすらと薄紅色を帯びた頬に手を添える。覗き込んだその蜜色はとろりと甘く溶けて、どこまでも僕を魅了してやまない。
マリーは神に遣わされた聖女だ。そして僕の最愛の――女性。
「……だから僕は僕なりのやり方で君を守り切れるだけの力を持とうと思う」
その蜜色の泉から透明な雫が滾々と湧き出し、川が流れるが如くその頬を伝う。美しい顔は緩み、ふるふると震えながら歓喜の表情を生み出した。
「グレイ、素敵……! 大好き、惚れ直したわ!」
マリーは僕の胸に縋り付く。愛おしさに彼女の名を呼び、僕達は深く口付け――お互いを求め合った。
不意にマリーが変な笑い声を上げる。何がおかしいのかと訊くと、お互いカレー臭いと笑い転げている。
――ああ、やっぱりしまらないなぁ。
僕も何だかおかしくなって笑い出す。匂いの強い物を食べた後はキスなんてするもんじゃない。
***
一頻り笑った後。僕は気になっていた事を訊いてみた。
「ところでマリー、メイソンに何をしたんだい?」
途端に挙動不審になって恥ずかしそうにこちらをちらちらと見るマリー。
「えっ……そ、それは、その。殴られた仕返しにちょっと。どうしても知りたい? だったら私、実地でグレイに教えても良いんだけど……。グレイは、ええと……縄で縛られたり、鞭でぶたれたり、蝋燭を垂らされたりするのって大丈夫?」
「えっと……」
不穏な言葉の数々に何となく察してしまった。これ以上は踏み込むな――頼れる勘もそう言っている。
僕は誤魔化すように微笑みを浮かべた。
「ごめんね、マリー。聞かなかった事にしておくよ」
うん、それが良い。昔の人も言っているじゃないか。『賢者は危険を避けるもの』だと。
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