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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

ムンクの叫び。

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 その時、部屋の扉がノックされる音が響いた。

 「失礼します、サイモン様。アレマニア帝国の貴族を名乗るお方がマリー様に面会を申し込んでおりますが……」

 入って来たのは領政官のエドガール・コジー前男爵、サリーナの祖父にあたる人物だった。
 祖父でも父でもない、私に面会希望という事で判断を仰ぎに来たらしい。
 父サイモンの視線がこちらに向けられる。「分かりました、お会いしましょう」と私は答えた。

 「あの、聖女様! 私も同席したいのですが……」

 目付きを真剣なものに変えた金太ディックゴルトが申し出る。

 「……構いませんわ」

 許可を出せば「いいのですか?」と逆に少し驚かれた。グレイも意外に思ったようで、容易に許可をして良かったのかと訊いてくる。
 私は鷹揚に頷いた。

 「だって、レーツェルさんの身柄は既に手の内にありますもの。正体も目論見も全て露見した今、レーツェルさんは人質も同然」

 選択肢はないも同然である。私の言葉を聞いた金太ディックゴルトは今気が付いたとでもいうように口をカパリと開けた。
 父サイモンがその様子を面白そうに見ている。

 「ふむ……それもそうだな。当家の警備は厳重でな、ヘルヴェティアの名うての傭兵に感心される程だ。素人が簡単に逃げおおせるなどと思わぬ方が身の為だぞ」

 「レーツェルさん。私からも言っておきますが、聖女であるマリーに嘘や隠し事は一切通用しませんからね」

 「あああああ……」

 グレイの追い打ちに、金太ディックゴルトは名画『ムンクの叫び』さながらの表情でその場に崩れ落ちた。


***


 訪ねてきた神聖アレマニア帝国貴族との面会はサロンで行う事になった。

 「グレイ、来たのは先日伝えてくれていたアレマニアの寛容派の貴族達よね?」

 「だと思う。思ったよりも早かったなぁ」

 移動しながらそんな事を話す。
 数日前アルトガルがヘルヴェティアの傭兵仲間から受け取った手紙に、神聖アレマニア帝国の寛容派の貴族が私とヴェスカルへの面会を求めてこちらに向かっているという知らせがあったそうだ。アーダム皇子とデブランツ大司教の迅速な動きに焦ったのだろうというのはグレイの見立てである。
 その目的は言わずもがな。彼らはヴェスカルを神輿として担ぐつもりなのだろうが――私としてはまだ幼いあの子は政治闘争のドロドロとした世界に関わらせたくない。本人も嫌がっている。
 しかし突っぱねて寛容派貴族を敵に回すのも考えものだとグレイは言った。確かにそうだと私も思う。

 サロンに着く。侍女達がお茶のセッティングをしている中に、先客であるエトムント枢機卿、イドゥリース、スレイマン、アルトガル、そしてヴェスカルの姿があった。
 ヴェスカルは私の姿を認めるなり、泣きそうな顔で走り寄ってくる。

 「聖女様、アレマニアの寛容派貴族がやって来たと聞きました。僕、どうしたら……」

 「ヴェスカル、何度も言っているように貴方は私の弟も同然。私やグレイ、キャンディ伯爵家の皆がついているから安心して」

 「だけど」

 「必ず守るわ。任せておいて頂戴」

 「ごめんなさい、僕のせいで聖女様達には迷惑ばっかりかけて」

 「いいのよ」

 私は安心させるようにヴェスカルの頭を撫でると、ソファーへと促した。金太ディックゴルトは神妙な顔でカールに見張られながら少し離れた場所の椅子に着席する。
 グレイが金太ディックゴルトの事を軽く説明した後、私はエトムント枢機卿に切り出した。

 「お訊きしたいことがありますの。寛容派の貴族はヴェスカルを皇帝候補に、と考えていますのよね? しかしこの子は幼な過ぎると私は思うのです。寛容派貴族の中で、皇帝候補になれるような大貴族にお心当たりはおありかしら?」

 「あるにはあるのですが……不寛容派にも大貴族がおり、寛容派の大貴族が皇帝となろうものなら内乱が起こるでしょう。
 幼くとも皇族であるヴェスカル殿下を皇帝位に据え、聖女様のご威光で不寛容派貴族を懐柔。その上で摂政や宰相を政治的均衡を保つように選ぶ事で国家が安定すると考えているのでは、と推測しております」

 困ったような笑みを浮かべるエトムント枢機卿。皇族である事が条件なのか。

 「要は大人しい神輿が欲しいのね」

 「少し違うよ、マリー。寛容派貴族は聖女という存在こそを欲しているんだ。聖女無くしてヴェスカルを皇帝にしようものなら寛容派大貴族が皇帝になるよりも酷い事になる」

 「グレイ様の仰る通りです」

 「だったら、私が寛容派の大貴族を認めれば――」

 そう言いかけた時。

 「失礼致します。神聖アレマニア帝国、ズィクセン公爵閣下、ヴィルバッハ辺境伯様ご一行がお見えになりました」

 客人の入室許可を求める声。私は怯えたように硬直したヴェスカルの手を握る。
 全員で客人を迎えるべく立ち上がった。
 ヨハン、シュテファン、サリーナとナーテがスッと私の周囲を固めるように動く。

 「選帝侯か……」

 「はい」

 父サイモンとアルトガルの短いやり取り。
 選帝侯……皇帝選挙において選挙権を持つ人物。いきなり寛容派貴族の親玉が来るなんて。

 侍女に先導されながらサロンへ入って来た一団。
 少しくたびれてはいるが、煌びやかで目を引くのは先頭の短いマントに忌まわしきちょうちんブルマー姿のおっさん二人。おっさん達が寛容派貴族なのだろうが、視覚的にかなりキツい。しかし股袋コッドピースを装着していないだけ、どこぞのゴリラ皇子よりはるかにマシである。
 二人のおっさん以外は黒を基調とした地味な姿をしていた。シンプルなズボンにブーツ、スリットの入った提灯袖の上着――彼らは供の者達だろう。

 「おお……貴女様が聖女様でいらっしゃいますな?」

 「ヴェスカル殿下、よくぞご無事で……!」

 おっさん達は私とヴェスカルの姿を見るなり、感動したように声を上げて近付いて来ようとした。

 「その辺で止まられよ」

 ヨハンの鋭い制止。
 しかし彼らは気を悪くした様子もなくそれに従う。全員がその場に膝を折った。

 「旅装のままの姿で聖女様を始めとする貴き方々の御前に罷り越した無礼をお許しください。
 私はズィクセン公爵ラインハルト。隣にいるのはヴィルバッハ辺境伯オスカーと申します」

 「我ら、アレマニアの地より聖女様とヴェスカル殿下に一目お会いせんが為に参りました。そして、儀式こそは立ち会えませんでしたが、賢者様の誕生を心からお喜び申し上げます」

 おっさん二人が口上を述べる。
 丁寧な挨拶に、こちらも礼を失する訳にはいかない。私は瞬時に父サイモン、グレイと目配せし合った。

 「アレマニア帝国の皆様、遠路遥々我が領へよくぞおいで下された。私はキャンディ伯爵サイモン。こちらにいるのは我が娘のマリアージュ、隣がその夫で名誉枢機卿のダージリン伯爵グレイです。お見知りおきを」

 「お初にお目にかかります。グレイ・ダージリンと申します」

 「私はマリアージュ・ダージリン。人には聖女と呼ばれておりますわ。
 皆様は旅装もまだ解かれていないご様子。急ぎ挨拶に来て下さったお気持ちだけで嬉しいですわ。どうぞお立ち下さいまし」

 彼らを立たせて椅子を勧める。サリーナ達に目配せをすると、ティーカップに紅茶が注がれていった。
 全員が着席したところで私達も座る。

 「旅を終えられたばかりでさぞかしお疲れの事と存じます」

 全員の自己紹介が終わったタイミングで、ひとまずお茶とお菓子をどうぞと続けようとした私。そこへ前置きも無くヴィルバッハ辺境伯オスカーがいきなり前のめりでがばりと頭を下げる。

 「聖女様、どうか伏してお願い申し上げます。ヴェスカル殿下を何卒次期アレマニア皇帝に!」

 「……アレマニア人は真面目で正直、率直という美徳を持つと聞くが、時として裏目に出る事もあるようだ」

 父サイモンが皮肉な笑みを浮かべてヴィルバッハ辺境伯を一瞥いちべつ。私もまったく同感だ。
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