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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】
家宝の短剣。
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皆の笑い声が落ち着いてくると、ジュリーヌ夫人がハンス卿の肩に手を置いた。
「貴方、二人の仲を認めた以上はお祝いを致しませんと。幸い雨は既に止んでいるようです。今の季節、上手くすれば蛍が乱舞する様がご覧になれるかと。急ぎ、酒の席を設けさせましょう」
「おお、そうだな。頼むぞジュリーヌ」
えっ、マジで!? やった、今年は蛍鑑賞出来ないと思ってたから嬉しい!
ジュリーヌ夫人は獅子ノ庄の侍女に細々と言い付けると、立ち上がってサリーナに近付いた。
「さあ、サリーナ。今度こそはきちんと髪を結い上げてドレスを着付けましょう。おいでなさい」
少し名残惜しそうに連れて行かれるサリーナ。それを見送っているカールの腕を、
「カール、お前も着替えた方が良いだろう。俺の晴れ着を貸してやる、来い」
とオーギーが引っ張った。
「えっ……ちょ、ちょっとー!?」
引きずるように連れて行かれるカール。
ふむ……蛍の宴席が整うまでに時間がかかるだろうし。
「そうだわ、私も着替えようかしら。二人を祝福したいの」
聖女の衣装セットは持って来てないけれど、出来る限りきちんとした服を着たい。
私の言葉にグレイは微笑んだ。
「良いね。行っておいで」
「では、私が」
サリーナは行ってしまったので、ナーテが着替えの手伝いを申し出てくれた。
ええと、習った婚約を祝福する祝詞は覚えているだろうか。
まあ、万が一を考えてエヴァン修道士に思い浮かべて貰えばいいか。
***
空は薄曇りだったが、風は無く穏やかな獅子ノ庄の泉の畔。
地面はまだじめじめしている。簡素ながら椅子とテーブルが運ばれ、ワインとつまみが用意されていた。
まだ蛍は出ていなかった。鑑賞の妨げになってはいけないので、灯りも強い篝火ではなく、蝋燭ランタンの光だ。
先に来ていたグレイは自分で着替えたらしく、貴族然とした服装になっている。それを見たナーテが少し慌てていた。
グレイも一緒に祝福したいと言ったので承諾する。
暗闇に目が慣れてきた頃、カールとサリーナが着飾った姿で現れた。豪華な衣装を身に纏った二人は、見違える程に良い男ぶり女ぶりである。
「では、皆。これより二人を祝福するとしよう。その後は大いに飲み、楽しむがいい」
父サイモンは挨拶を辞退したらしい。ハンス卿が酒杯を掲げて開始の挨拶を述べる。獅子ノ庄の男達が口々に応と答えた。
ハンス卿は立ち上がり、並ぶカールとサリーナの前に立つと、何か長いものをサリーナに差し出す。
「受け取るが良い。これはお前が嫁に行く時に渡そうと思っていたものだ。剣は夫、鞘はお前が持つようにとな」
差し出されたものは小ぶりの剣のようだった。
サリーナが驚いたように顔を上げる。
「お父様、これは……先祖代々伝わって来た」
「左様、我らが獅子ノ庄の初代様が戦の時に見つけてご主君に献上した大サファイア――その後獅子ノ庄の紋を入れて短剣に加工されたそれを、改めてご主君から褒美として賜ったもの」
何やら家宝のようなものらしい。
「しかしこれは、獅子ノ庄の当主が持つべきものでは……」
逡巡するサリーナに、弟のクルト君が近付いてニコリと笑った。
「姉上様、お気になさらず。僕は初代様が使われていた武具を受け継ぎます故」
「クルト……」
「サリーナ、お前が男であればと何度思った事か。しかし今や聖女マリアージュ様の側仕え。その身代は既に獅子ノ庄の当主を超えていると言っても過言ではない。この短剣を受けとるのに不足があろうものか」
「お父様……ありがとうございます」
サリーナは涙声で短剣を胸に押し頂くように抱きしめる。精神感応を使った時にちらりと垣間見た過去――彼女なりに万感の思いがあるのだろう。
「サリーナ」
私とグレイは中脚とサリーナの前に立った。サリーナに囁いて獅子ノ庄の短剣を借りる。結構存在感のある大きな青い石が嵌め込まれていた。石には獅子ノ庄の紋らしきものが彫ってある。これが先程の話にあったサファイアなのだろう。
獅子ノ庄伝来の短剣を掲げて月光の光に掲げて祈りを捧げる。
ふと思いついて、少し変則的だけれど――
私は精神感応でグレイに囁き、短剣をグレイに渡した。彼は頷いて剣を抜き、カールの前に立つ。
「カール・リザヒル。汝はサリーナ・コジーに心を尽くし、愛を誓いますか?」
「……誓います」
グレイは剣を鞘に納めると、私に渡した。私も同じようにサリーナの前に立って剣を抜く。
「サリーナ・コジー。汝はカール・リザヒルに心を尽くし、愛を誓いますか?」
「はい、誓います」
そう、私達は騎士が忠誠を捧げる儀式のように、身を屈める二人の肩を剣の平で軽く叩きながら二人に問いかけ、婚約の誓いをしてもらったのである。
剣と言えば切ってしまうイメージが強いが、こうすれば。二人は隠密騎士なんだし、丁度良いだろう。
「この剣と鞘がぴたりと一つに合わさるように」とグレイが言い、「二人の仲がいつまでも睦まじくあらんことを」と私が言葉を結ぶ。
剣を鞘に納め、サリーナに返したその時だった。
目の前を通り過ぎる、小さな光。
「おお……」
「蛍だ! 火を消せ!」
灯りが消されると、飛び交う蛍がみるみる内に数十、数百、千……と増えて行く。
大群だ。さながら地上の星である。
凄いな、キャンディ伯爵家の蛍よりも見応えがあるかも。
「うふふ、蛍も祝福してくれているようですわ。皆様、二人に祝いの杯を!」
私が叫ぶと、男達がおおおお! と盛り上がった。
「乾杯!」
「山猫娘、おめでとう!」
「鶏蛇竜、俺達の山猫娘を絶対に幸せにするんだぞ! そうしないと皆で殺しに行くからな!」
口々に杯を捧げ、祝福し、時には物騒な冗談まで。
蛍が飛び交う中、父サイモンが恐縮するハンス卿にワインを注いでやっていたり、カールとサリーナが獅子ノ庄の男達に祝い酒責めをされていたり。
私とグレイはそんな光景を眺めながら、蛍を楽しんだり去年の思い出話に花を咲かせたりしていた。
賑やかに楽しい夜は更けていく。
「貴方、二人の仲を認めた以上はお祝いを致しませんと。幸い雨は既に止んでいるようです。今の季節、上手くすれば蛍が乱舞する様がご覧になれるかと。急ぎ、酒の席を設けさせましょう」
「おお、そうだな。頼むぞジュリーヌ」
えっ、マジで!? やった、今年は蛍鑑賞出来ないと思ってたから嬉しい!
ジュリーヌ夫人は獅子ノ庄の侍女に細々と言い付けると、立ち上がってサリーナに近付いた。
「さあ、サリーナ。今度こそはきちんと髪を結い上げてドレスを着付けましょう。おいでなさい」
少し名残惜しそうに連れて行かれるサリーナ。それを見送っているカールの腕を、
「カール、お前も着替えた方が良いだろう。俺の晴れ着を貸してやる、来い」
とオーギーが引っ張った。
「えっ……ちょ、ちょっとー!?」
引きずるように連れて行かれるカール。
ふむ……蛍の宴席が整うまでに時間がかかるだろうし。
「そうだわ、私も着替えようかしら。二人を祝福したいの」
聖女の衣装セットは持って来てないけれど、出来る限りきちんとした服を着たい。
私の言葉にグレイは微笑んだ。
「良いね。行っておいで」
「では、私が」
サリーナは行ってしまったので、ナーテが着替えの手伝いを申し出てくれた。
ええと、習った婚約を祝福する祝詞は覚えているだろうか。
まあ、万が一を考えてエヴァン修道士に思い浮かべて貰えばいいか。
***
空は薄曇りだったが、風は無く穏やかな獅子ノ庄の泉の畔。
地面はまだじめじめしている。簡素ながら椅子とテーブルが運ばれ、ワインとつまみが用意されていた。
まだ蛍は出ていなかった。鑑賞の妨げになってはいけないので、灯りも強い篝火ではなく、蝋燭ランタンの光だ。
先に来ていたグレイは自分で着替えたらしく、貴族然とした服装になっている。それを見たナーテが少し慌てていた。
グレイも一緒に祝福したいと言ったので承諾する。
暗闇に目が慣れてきた頃、カールとサリーナが着飾った姿で現れた。豪華な衣装を身に纏った二人は、見違える程に良い男ぶり女ぶりである。
「では、皆。これより二人を祝福するとしよう。その後は大いに飲み、楽しむがいい」
父サイモンは挨拶を辞退したらしい。ハンス卿が酒杯を掲げて開始の挨拶を述べる。獅子ノ庄の男達が口々に応と答えた。
ハンス卿は立ち上がり、並ぶカールとサリーナの前に立つと、何か長いものをサリーナに差し出す。
「受け取るが良い。これはお前が嫁に行く時に渡そうと思っていたものだ。剣は夫、鞘はお前が持つようにとな」
差し出されたものは小ぶりの剣のようだった。
サリーナが驚いたように顔を上げる。
「お父様、これは……先祖代々伝わって来た」
「左様、我らが獅子ノ庄の初代様が戦の時に見つけてご主君に献上した大サファイア――その後獅子ノ庄の紋を入れて短剣に加工されたそれを、改めてご主君から褒美として賜ったもの」
何やら家宝のようなものらしい。
「しかしこれは、獅子ノ庄の当主が持つべきものでは……」
逡巡するサリーナに、弟のクルト君が近付いてニコリと笑った。
「姉上様、お気になさらず。僕は初代様が使われていた武具を受け継ぎます故」
「クルト……」
「サリーナ、お前が男であればと何度思った事か。しかし今や聖女マリアージュ様の側仕え。その身代は既に獅子ノ庄の当主を超えていると言っても過言ではない。この短剣を受けとるのに不足があろうものか」
「お父様……ありがとうございます」
サリーナは涙声で短剣を胸に押し頂くように抱きしめる。精神感応を使った時にちらりと垣間見た過去――彼女なりに万感の思いがあるのだろう。
「サリーナ」
私とグレイは中脚とサリーナの前に立った。サリーナに囁いて獅子ノ庄の短剣を借りる。結構存在感のある大きな青い石が嵌め込まれていた。石には獅子ノ庄の紋らしきものが彫ってある。これが先程の話にあったサファイアなのだろう。
獅子ノ庄伝来の短剣を掲げて月光の光に掲げて祈りを捧げる。
ふと思いついて、少し変則的だけれど――
私は精神感応でグレイに囁き、短剣をグレイに渡した。彼は頷いて剣を抜き、カールの前に立つ。
「カール・リザヒル。汝はサリーナ・コジーに心を尽くし、愛を誓いますか?」
「……誓います」
グレイは剣を鞘に納めると、私に渡した。私も同じようにサリーナの前に立って剣を抜く。
「サリーナ・コジー。汝はカール・リザヒルに心を尽くし、愛を誓いますか?」
「はい、誓います」
そう、私達は騎士が忠誠を捧げる儀式のように、身を屈める二人の肩を剣の平で軽く叩きながら二人に問いかけ、婚約の誓いをしてもらったのである。
剣と言えば切ってしまうイメージが強いが、こうすれば。二人は隠密騎士なんだし、丁度良いだろう。
「この剣と鞘がぴたりと一つに合わさるように」とグレイが言い、「二人の仲がいつまでも睦まじくあらんことを」と私が言葉を結ぶ。
剣を鞘に納め、サリーナに返したその時だった。
目の前を通り過ぎる、小さな光。
「おお……」
「蛍だ! 火を消せ!」
灯りが消されると、飛び交う蛍がみるみる内に数十、数百、千……と増えて行く。
大群だ。さながら地上の星である。
凄いな、キャンディ伯爵家の蛍よりも見応えがあるかも。
「うふふ、蛍も祝福してくれているようですわ。皆様、二人に祝いの杯を!」
私が叫ぶと、男達がおおおお! と盛り上がった。
「乾杯!」
「山猫娘、おめでとう!」
「鶏蛇竜、俺達の山猫娘を絶対に幸せにするんだぞ! そうしないと皆で殺しに行くからな!」
口々に杯を捧げ、祝福し、時には物騒な冗談まで。
蛍が飛び交う中、父サイモンが恐縮するハンス卿にワインを注いでやっていたり、カールとサリーナが獅子ノ庄の男達に祝い酒責めをされていたり。
私とグレイはそんな光景を眺めながら、蛍を楽しんだり去年の思い出話に花を咲かせたりしていた。
賑やかに楽しい夜は更けていく。
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