貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

文字の大きさ
455 / 758
うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(79)

 海の香り。

 夕闇の中、潮風が優しく髪を撫でていく。
 僕は桟橋で横たわり、波の音を聞いていた。
 そこへ可愛らしい蜜色の子犬がやってきたかと思うと、僕の口をペロペロと舐める。
 思わず顔を逸らして逃れようとするんだけれど、生暖かい風が耳に吹き付けた。驚いて振り仰ぐと、濡れた髪のマリーが目を赤く光らせている。
 よく見ると、腕には鱗があった。これはマリーじゃない。彼女の姿をした、何か――海妖セイレーンだ。

 「ねえ、グレイ。血を少し頂戴、いいでしょう?」

 妖艶にそう言って、マリーの姿をしたセイレーンは僕に肉薄すると首筋に舌を這わせ始める。その赤い瞳に魅入られたように動けなかった。
 子犬の姿はいつの間にか消えていた。
 舐められた後、そこに牙が突き立てられるんだ、と僕には直感的に分かった。
 恐怖を覚え、それから逃れようと身を捩る。

 「逃がさない」

 セイレーンは執拗に追い、弄ぶように首筋に唇を近づけてくる。
 拒もうと手を動かすも、彼女に絡め取られてドボンと海に落ちてしまった。
 クスクスと笑うセイレーンの声。

 い、息が出来ない……!

 そう思ったのを最後に、僕は唐突に目が覚めた。水の感触はどこにもない。

 「……」

 鼻が誰かに摘ままれているような、妙な感触。そして忍び笑い。
 かすかに瞼を開けると、マリーが悪い笑みを浮かべている。

 ――成程、だからあんな悪夢を見たんだ。

 呆れると共に少しだけおかしみを覚えた僕は、隙を見て彼女を抱き込んで懲らしめたのだった。


***


 「この度はご協力感謝致します」

 コスタポリに到着すると、シルヴィオ第一王子殿下とガリア王国のべリザリオ・アスコーナ枢機卿が出迎えてくれた。
 挨拶を交わした後、僕とマリーは軍艦を動かして貰った事のお礼を述べる。
 べリザリオ枢機卿のことは話に聞いていた。サングマ教皇猊下がコスタポリを気にかけているマリーの為に手を回したのだ。
 マリーは素直に喜んでいるけれど、聖女がコスタポリを気にかけている、とガリア王国の人心を掌握する意味もあるだろう。

 港にある、真新しい建物の一室に移動して話をする。
 殿下は首尾よくアーダム皇子達の船を拿捕することに成功したようだ。
 ただ、フレールが言い寄ってきたそうで、辟易している様子。
 僕は懇切丁寧にフレールの所業を伝えることにした。
 フレールがしでかした事は流石に看過できない。表沙汰になれば、伯爵家の出であっても極刑は免れないだろう。
 聖女であるマリーを呪おうとした上……間違ってアーダム皇子を呪った自分の罪をマリーになすり付けて魔女だと言いがかりをつけ、挙句アレマニアの男達に殺させるよう仕向けたという話。
 それを聞いたシルヴィオ殿下とベリザリオ枢機卿は、あまりのことに顔色を悪くしている。

 ベリザリオ枢機卿が体は大丈夫かとマリーに問うている。
 僕も心配で堪らなかった。
 間違ってアーダム皇子を呪ったそうだし、呪い返しをした、と元気そうに言うけれど……
 先刻見た悪夢を思い出す。あれは呪いの残滓か何かだったのだろうか。

 僕が引き受けることでマリーに害がないなら幾らでも……

 そんなことを考えていると、

 「……確認なのだけど、彼女のことは連れ帰って貰えるよね?」

 シルヴィオ殿下はフレールもアーダム皇子も連れて帰って貰いたい様子。
 そりゃそうだ、魔女に片足を突っ込んでいる女と厄介事でしかない北の大国の皇子を留めておくなんて。
 僕でも嫌だ。
 フレールに関しては無理に連れ帰って極刑となると、マリーが傷つくかも知れない。最後の慈悲として本人に決めさせよう。
 そしてアーダム皇子に関しては――

 「……こちらはどうするのが最善なのか。相談に乗って頂ければと思うのですが」

 神聖アレマニア帝国は大国だ。次期皇帝とも目されているアーダム皇子の身柄の扱いは慎重を要する。

 「恐れながら、」

 「発言の許可を」

 前脚ヨハン後ろ脚シュテファンが挙手をする。
 僕がどうぞと促すと、獰猛な獅子を思わせるような笑みを浮かべて海難事故に見せかけて全員殺してしまえばよいと仄めかした。

 ……うーん、それも一つの手ではあるけれど。万が一露見した場合、戦争という流れになると困るなあ。

 彼らの提案に、シルヴィオ殿下は顔を引き攣らせてマリーを見る。
 マリーは思案し、交渉の結果次第で海難事故に遭わせるかどうかを決めても遅くないと口にした。

 「殺せばそこでおしまいだものね……搾り取れるものは絞り取らなくちゃ」

 小さな呟き。
 殺されかけたのに、賠償で解決しようとするなんて。マリーはやっぱり優しいな、と思う。
 ちらりと見ると、シルヴィオ殿下の引きつった顔が蒼白になり、ベリザリオ枢機卿の笑みが固まっていた。

 ……何か問題でもあったのだろうか?
感想 1,014

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

転生皇女セラフィナ

秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。 目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。 赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。 皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。 前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。 しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。 一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。 「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」 そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。 言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。 それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。 転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。 ※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」