貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】

第二王子ジェレミー⑤

 「いい子だね、オールグリ」

 ジェレミーが目の前で餌を食べる猫の頭を撫でると、返事をするようににゃあと鳴いた。

 青みを帯びた銀色の毛並み。
 聖女マリアージュ姫によく似た蜜色の瞳の優美なその猫は、昔、修道士が暗黒大陸から持ち帰って来たという。

 あの日の祝宴で母サブリナ王妃が兄王子毒殺の罪で離宮への蟄居を命じられた後。
 母のせめてもの慰めにと父王に願い出、許可が下りて離宮で飼われるようになった。
 ちなみにオールグリと名付けたのはジェレミーである。

 母と違い、ジェレミーの身分は王子のまま。私室も王宮に残されているが、ジェレミーは離宮で母サブリナ王妃と共に暮らしている。
 罪を犯したが、ジェレミーには母を憎む事は出来なかった。性格に難があるが、大事な母なのは変わりない。

 離宮での暮らしは寂しい程静かなものだった。
 王宮では毎日のように訪ねて来ていた第二王子派の貴族も学友もさっぱり周囲から居なくなり、たまにドルトン侯爵や訓戒の聖職者がやってくるだけ。

 祝宴の日の後でジェレミーが母の事を詫びる手紙を書くと、聖女マリアージュ姫からは「未遂でしたし、お気持ちだけ頂きますわ。ただ、要らぬ詮索や醜聞でご迷惑をお掛けしてはいけませんので、これまでに……」と手紙のやり取りも途絶えたのだった。

 学友は離れ使用人も数を減らし、王族であっても自分自身でやるべき事が増えたが、ジェレミーは今の生活に満足している。

 このまま権力闘争から離れ、母と共に静かで穏やかな生活を送る事は出来れば。
 それが今のジェレミーの願いであった。

 「あっ、待ってどこに行くの? これから毛を梳くんだよ!」

 食事を終えたオールグリは毛づくろいをしていたかと思うとどこかへ歩いて行く。
 ジェレミーは慌てて後を追いかけた。


***


 「『まあ、可愛い猫ちゃんズュッセ・カッツェ!』」

 気が付けば宮殿まで来てしまっていたようだ。
 猫を追って茂みを掻き分けると、目の前の東屋から玉を転がすような貴婦人の声が飛んで来た。ジェレミーが学んだ事のある、アレマニア帝国の言葉だった。
 そう言えば宮殿にはアレマニア帝国の皇女殿下が滞在していると耳にしていた。そのお方だろうか、とジェレミーが呆然としていると。

 「どなたです?」

 貴婦人の侍女と思われる女性がこちらを見据え鋭く誰何する。ジェレミーは慌てて紳士の礼を取った。

 「お寛ぎの所を大変失礼致しました。アレマニアの皇女殿下とお見受け致します」

 ジェレミーが名乗り、猫を回収したらすぐ退散する旨を伝えると、侍女は驚いた表情で口元を覆った。

 「第二王子殿下……!」

 侍女の後ろに美しい女性が立ち上がった。こちらを覗き込んで目を丸くしている。

 「まあ、お初にお目にかかりますわ。私はアレマニア第一皇女、エリーザベトと申します……きゃっ」

 淑女の礼を取って名乗りを上げる途中、その貴婦人――アレマニア帝国皇女エリーザベト姫は小さな悲鳴を上げた。下では先刻追いかけて来た猫がドレスの裾に纏わりついている。ジェレミーは思わず猫を𠮟りつけた。

 「オールグリ! 皇女殿下に無礼は駄目です!」

 「うふふ、宜しいのよ。私が退屈そうにしていたから遊ぼうって誘ってくれているみたいですわね!」

 焦るジェレミーに、皇女エリーザベトはオールグリの頭を撫でて微笑みかける。丁度庭園の花々を見ながらお茶を愉しんでいたいうことで、そのまま東屋に誘われる事となった。


 最初こそは恐縮し緊張していたが、他愛もない世間話やオールグリの話題をしていくにつれ、ジェレミーの心はだんだん解れていった。
 何より、アレマニアの皇女エリーザベト姫は他者を包み込むような柔らかい雰囲気と美貌を持った女性であり。まるで花咲き誇る花園にいるが如く居心地が良く、不思議と落ち着く。

 自分がこれまで出会った令嬢達には気後れしたり気圧されたり手も足も出なかったりうんざりしてきたりしたものだが、エリーザベト姫はどの女性とも違った。
 姫自身が聞き上手なのも手伝って、ジェレミーは気が付けば自身の事や悩みを色々と話してしまっていたのである。

 「それは大変なご苦労をなさったのね。お互い、兄の事で色々ありますし、親近感を覚えますわ」

 「エリーザベト殿下も?」

 「ええ。兄の前に出ると萎縮してしまって……。あ、私の事はリシィとお呼びくださいまし」

 「では、私の事もジェレミーと」

 そこからお互いの兄の話で盛り上がり、ジェレミーはエリーザベト――リシィ姫とすっかり打ち解ける。
 その後、ジェレミーは時間を見つけては皇女に会いに行くようになった。
 時には遠くから眺め、時には猫を理由に交流を持ち会話を楽しむ。

 ――こんな女性と結婚出来たら。

 いつしかそんな思いが芽生えた事に気付く。しかし今の自分からすればアレマニアの皇女であるリシィ姫とは身分違いであり、また彼女の瞳は聖女の兄に向けられているのは直ぐに分かった。

 カレル・キャンディ卿――社交界で『麗しき月光の君』と貴婦人や令嬢達に人気のある彼は、背が高く剣技にも秀で、年齢もリシィ姫に近い。
 それに引き比べ、自分は廃嫡こそは免れたが、今や尾羽打ち枯らした身の上。
 兄王子アルバートはメテオーラ姫ガリアの公爵令嬢と婚約が決まり、王太子の座はほぼ揺るがなくなっていた。

 そんな日々。
 離宮にて、猫じゃらしでオールグリと戯れている母が唐突に切り出した。

 「ジェレミー、最近神聖アレマニア帝国の皇女殿下と仲良くしているそうですね」

 「……ええ、偶然お会いしたので」

 「母がこうなってしまった以上……ジェレミー、そなただけでも幸せになって欲しいのです」

 もし、望むなら――その言わんとするところを悟ったジェレミーは曖昧に微笑む。
 母を一人離宮に見捨てて国外に行く事は出来ないし、彼女自身も想い人がいる。
 それに、政略結婚相手としてジェレミー自身にそこまでの価値があるとも到底思えなかった。

 それでも、想うだけなら。
 せめて、リシィ姫がトラス王国滞在中だけでも傍に居たい。

 そんな切ない気持ちは抑えようとする程強くなっていく。やがて渇望と言う名のそれに変化し始めた、そんなある日の事。

 ジェレミーがリシィ姫を訪ねて行くと、異変が起こっていた。
 彼女の部屋からどんどん荷物が運び出されているのである。

 リシィ姫とその侍女も不在だった。まさか、アレマニア帝国に急遽帰る事にでもなったのだろうか。
 慌てて荷物を運ぶ一人を捕まえて問いただすと、リシィ姫は王宮からキャンディ伯爵家に滞在する事になったと言う。

 「トラス王国の貴婦人としてキャンディ伯爵夫人に色々と教わる事になられたそうですよ」

 「もしかすると、花嫁修業かも知れませんわ」

 軽口を叩く従僕や侍女達。
 カレル卿の顔が浮かんだジェレミーの頭に、箍を外された感情と血が一瞬にして上る。

 「……仮にもお預かりした神聖アレマニア帝国皇女殿下の荷物に万が一があってはいけません。私がキャンディ伯爵家に同行し、お届けしましょう」

 ジェレミーはほぼ衝動的に、その言葉を口にしていた。
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