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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】
グレイ・ダージリン(153)
温もりとラベンダーの香り。
唇に柔らかい温もりが触れ、離れていく。
鼻先や頬にくすぐったさが走り、僕が目を開けるとマリーの微笑みが目の前にあった。
「おはよう、グレイ。夕べは随分遅かったのね」
言いながら、すり……と頬ずりをして甘えて来る彼女。
日課はと訊ねると、寒いから遅めに行くそうだ。
昨夜――結局あれから仕事を終えた僕がキャンディ伯爵邸に戻ったのは、何時もなら寝ている時間だった。
起きてくれていた侍女ナーテに風呂を用意しましょうかと言われたけど、明日は新年に備えてゆっくり休む予定だし、申し訳ないので体を拭くお湯と布だけを貰う。
ラベンダーの精油が入った湯で体を拭いた僕は、寝間着に着替えて寝室へと向かい、眠るマリーの隣に滑り込んで就寝。
僕はマリーを抱きしめて、昨日の出来事をぽつぽつと話していく。
商会でラドに出会った事、そしてアールにエスパーニャの銀行についての相談を持ち掛けられた事を。
「まあ、ラドがアルバイトしに来ていたのね」
「アルバ……何でアレマニア語なんだい?」
僕が首を傾げると、マリーはああそうか、と笑って説明する。何でも彼女の前世で『アルバイト』は学生等が本業の傍ら働く事を意味するんだそうだ。
ラドが優秀でジャンが目を掛けている事を話すと、首を傾げるマリー。
「それ程なら、ラドにエスパーニャの銀行を任せる訳にはいかないのかしら?」
「大学生だよ、彼」
「そうだったわ。流石に大学を辞めてもらう訳にはいかないわよね……後でミゲル枢機卿に訊いてみるわ」
「うん、ありがとう。マリーは昨日何していたの?」
「最初、サイアやヨシヒコ達のトラス語教室を覗いて。その後リシィ様に出くわして頼まれて、ヴェスカルを交えたお茶会をしていたの。それから色々あったのよ、色々……」
僕の問いかけに、マリーは遠い目をした。
ヴェスカルの祖父であるルードヴィッヒ卿が訪ねて来て皇女エリーザベトと口論になり。その後色々話していたら女王リュサイに花嫁修業(名目)の件を立ち聞きされてしまったのだという。
「リュシー様が落ち着いてから話をしようと思ってるの」
「ルードヴィッヒ卿は今?」
訊くと、ヴェスカルの部屋の近くの客室に泊って貰っているらしい。
なら今日会う事になりそうだと思っていると、マリーが小さく「あ」と声を上げた。
僕はどうしたの、と訊ねる。
マリー曰く、昨日の夕方近く聖女の能力を使ってレアンドロ王子の状況を確認してみたところ、丁度毒竜の船がエスパーニャの小島に停泊していたという。
レアンドロ王子の船も近かったので誘導したらしい。
「それで……今確認したら、海賊船が拿捕されている光景が見えたの」
頑張って誘導した甲斐があったわ、と微笑むマリー。
エスパーニャの無敵艦隊が毒竜を倒した。レアンドロ王子は無事、私掠許可証を手に入れたようだ。
「これで、レアンドロ王子がエスパーニャの王都へ戻って刻印への口添えしてくれれば疱瘡は収束に向かうでしょうからエスパーニャ支店銀行の従業員も確保しやすくなるわ。
これでアルビオン王国の力は削がれたも同然ね」
マリーはクスクスと笑って僕に口付ける。
「今日は幸先良い日だわ」と嬉しそうにベッドをするりと抜け出した。
***
時を同じくして――エスパーニャ王国とアルビオン王国の間に広がる海域。
そこには何隻もの船が燃え盛り、その煙が天へと立ち上って行く光景が広がっていた。沈みゆく船やマストをへし折られた船もあちらこちらに散在している。
「――見つけたぞ!」
エスパーニャ王国の王太子レアンドロは、拿捕した海賊船の船長室で一枚の羊皮紙を手にしていた。
国の、ひいてはレアンドロの未来の栄光がかかっている。
アルビオン国王による私掠許可証――レアンドロはこれを手に入れる為にありとあらゆる手段を取った。
国庫に唸る銀を大盤振る舞いしてアルビオンの船乗りを買収し、また多くの暗殺者を雇う。彼らの任務はただ一つ――毒竜と称される海賊ヒューズ・ドレイクの命を休む間もなく狙い、陸に安住出来ないようにする事。
アルビオンの王家は表立って海賊を庇いだては出来ない。レアンドロの遣わした密偵が抜け目なく役人に銀の香りを嗅がせると、たちまち毒竜の敵に回った。疲労困憊状態になった海賊ヒューズ・ドレイクは、海に逃げるより他に道は無かった。
未来のエスパーニャ王妃と定めた聖女マリアージュがかつて見せてくれた奇跡が起きたのは、そんな時だった。
不意に目の前にまざまざと浮かび上がる幻影の数々。
それは、海賊ヒューズ・ドレイクが無人島に居る光景だった。
その方向、場所も空を飛ぶ鳥の目の如く示されている。
「おお、神よ! 我に味方し給うか!」
遥か昔、宝を得るべく船で旅をした英雄の如く、聖女を得る為の試練を神が自分を後押しして下さったのだ!
レアンドロは歓喜に打ち震え、跪いて天に祈りを捧げた。
訝し気な部下に奇跡で見た事を説明すると、確かにそのような無人島があるという。
――間違いない、毒竜はその島に居る。
レアンドロはただちにその島や周辺に詳しい者を探し出し、部下達を集めて戦略を練った。
そして――本日未明。
黎明の時を見計らい、レアンドロ率いる栄えあるエスパーニャの無敵艦隊はそこを急襲したのである。
眠っていたところを襲われ慌てふためいた海賊達。勝負は数刻も経たずについた。
海賊達はほとんどが捕まったが、悪運高きヒューズ・ドレイクは混戦のに乗じて救命艇で逃げたという。
「毒竜を逃がしたのは惜しかったが、新年の儀を返上した甲斐はあった」
後は王都の大学の数学者達に任せておいた問題の解答を得るのを待つばかり。
既に聖女を妻にしたも同然と、年明けに意気揚々と凱旋するレアンドロだったが――疱瘡の病が蔓延しているエスパーニャ王都の惨状に絶句する羽目になるのであった。
唇に柔らかい温もりが触れ、離れていく。
鼻先や頬にくすぐったさが走り、僕が目を開けるとマリーの微笑みが目の前にあった。
「おはよう、グレイ。夕べは随分遅かったのね」
言いながら、すり……と頬ずりをして甘えて来る彼女。
日課はと訊ねると、寒いから遅めに行くそうだ。
昨夜――結局あれから仕事を終えた僕がキャンディ伯爵邸に戻ったのは、何時もなら寝ている時間だった。
起きてくれていた侍女ナーテに風呂を用意しましょうかと言われたけど、明日は新年に備えてゆっくり休む予定だし、申し訳ないので体を拭くお湯と布だけを貰う。
ラベンダーの精油が入った湯で体を拭いた僕は、寝間着に着替えて寝室へと向かい、眠るマリーの隣に滑り込んで就寝。
僕はマリーを抱きしめて、昨日の出来事をぽつぽつと話していく。
商会でラドに出会った事、そしてアールにエスパーニャの銀行についての相談を持ち掛けられた事を。
「まあ、ラドがアルバイトしに来ていたのね」
「アルバ……何でアレマニア語なんだい?」
僕が首を傾げると、マリーはああそうか、と笑って説明する。何でも彼女の前世で『アルバイト』は学生等が本業の傍ら働く事を意味するんだそうだ。
ラドが優秀でジャンが目を掛けている事を話すと、首を傾げるマリー。
「それ程なら、ラドにエスパーニャの銀行を任せる訳にはいかないのかしら?」
「大学生だよ、彼」
「そうだったわ。流石に大学を辞めてもらう訳にはいかないわよね……後でミゲル枢機卿に訊いてみるわ」
「うん、ありがとう。マリーは昨日何していたの?」
「最初、サイアやヨシヒコ達のトラス語教室を覗いて。その後リシィ様に出くわして頼まれて、ヴェスカルを交えたお茶会をしていたの。それから色々あったのよ、色々……」
僕の問いかけに、マリーは遠い目をした。
ヴェスカルの祖父であるルードヴィッヒ卿が訪ねて来て皇女エリーザベトと口論になり。その後色々話していたら女王リュサイに花嫁修業(名目)の件を立ち聞きされてしまったのだという。
「リュシー様が落ち着いてから話をしようと思ってるの」
「ルードヴィッヒ卿は今?」
訊くと、ヴェスカルの部屋の近くの客室に泊って貰っているらしい。
なら今日会う事になりそうだと思っていると、マリーが小さく「あ」と声を上げた。
僕はどうしたの、と訊ねる。
マリー曰く、昨日の夕方近く聖女の能力を使ってレアンドロ王子の状況を確認してみたところ、丁度毒竜の船がエスパーニャの小島に停泊していたという。
レアンドロ王子の船も近かったので誘導したらしい。
「それで……今確認したら、海賊船が拿捕されている光景が見えたの」
頑張って誘導した甲斐があったわ、と微笑むマリー。
エスパーニャの無敵艦隊が毒竜を倒した。レアンドロ王子は無事、私掠許可証を手に入れたようだ。
「これで、レアンドロ王子がエスパーニャの王都へ戻って刻印への口添えしてくれれば疱瘡は収束に向かうでしょうからエスパーニャ支店銀行の従業員も確保しやすくなるわ。
これでアルビオン王国の力は削がれたも同然ね」
マリーはクスクスと笑って僕に口付ける。
「今日は幸先良い日だわ」と嬉しそうにベッドをするりと抜け出した。
***
時を同じくして――エスパーニャ王国とアルビオン王国の間に広がる海域。
そこには何隻もの船が燃え盛り、その煙が天へと立ち上って行く光景が広がっていた。沈みゆく船やマストをへし折られた船もあちらこちらに散在している。
「――見つけたぞ!」
エスパーニャ王国の王太子レアンドロは、拿捕した海賊船の船長室で一枚の羊皮紙を手にしていた。
国の、ひいてはレアンドロの未来の栄光がかかっている。
アルビオン国王による私掠許可証――レアンドロはこれを手に入れる為にありとあらゆる手段を取った。
国庫に唸る銀を大盤振る舞いしてアルビオンの船乗りを買収し、また多くの暗殺者を雇う。彼らの任務はただ一つ――毒竜と称される海賊ヒューズ・ドレイクの命を休む間もなく狙い、陸に安住出来ないようにする事。
アルビオンの王家は表立って海賊を庇いだては出来ない。レアンドロの遣わした密偵が抜け目なく役人に銀の香りを嗅がせると、たちまち毒竜の敵に回った。疲労困憊状態になった海賊ヒューズ・ドレイクは、海に逃げるより他に道は無かった。
未来のエスパーニャ王妃と定めた聖女マリアージュがかつて見せてくれた奇跡が起きたのは、そんな時だった。
不意に目の前にまざまざと浮かび上がる幻影の数々。
それは、海賊ヒューズ・ドレイクが無人島に居る光景だった。
その方向、場所も空を飛ぶ鳥の目の如く示されている。
「おお、神よ! 我に味方し給うか!」
遥か昔、宝を得るべく船で旅をした英雄の如く、聖女を得る為の試練を神が自分を後押しして下さったのだ!
レアンドロは歓喜に打ち震え、跪いて天に祈りを捧げた。
訝し気な部下に奇跡で見た事を説明すると、確かにそのような無人島があるという。
――間違いない、毒竜はその島に居る。
レアンドロはただちにその島や周辺に詳しい者を探し出し、部下達を集めて戦略を練った。
そして――本日未明。
黎明の時を見計らい、レアンドロ率いる栄えあるエスパーニャの無敵艦隊はそこを急襲したのである。
眠っていたところを襲われ慌てふためいた海賊達。勝負は数刻も経たずについた。
海賊達はほとんどが捕まったが、悪運高きヒューズ・ドレイクは混戦のに乗じて救命艇で逃げたという。
「毒竜を逃がしたのは惜しかったが、新年の儀を返上した甲斐はあった」
後は王都の大学の数学者達に任せておいた問題の解答を得るのを待つばかり。
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