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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【2】
地獄への道は善意で舗装されている。
大方「カラスは鳥目ではなかったのか!?」等と考えているのだろう。
先刻一瞬浮かべた笑み――聖女は太陽神の鳥たるカラスを介して全てを見通す(ということになっている)。夜なら聖女がカラスの助力を得られないと考えたのだろうが残念だったな、馬鹿め。
余談だが、実は夜に見えなくなるという所謂『鳥目』は、主にニワトリの目の事を指しているという。
ただ夜に活発に活動しないだけで、カラスは人間と同じ程度には夜でも見えているのだ。これは実際リーダーの視界を借りた時に判明した。
加えて、カラス達には屋敷の敷地内に不審者を見つけたら即騒いで通報するよう教えている。
彼らは、群衆が来た時からずっとこの周辺に居た。
門番を始めとする我が家の人間達が応対して招き入れていたからこそ騒がず様子を見ていただけであり、私の精神感応に反応した彼らは大挙してこちらへ飛んで来た、という訳だ。
私は立ち上がって微笑むと、両手をエスメラルダの方に差し向けた。
「……エスメラルダさん、そして皆さんも――お立ちなさい」
私がここに来て初めて発した声に、エスメラルダがはっと顔を上げる。他の者達も恐る恐るといった感じで顔を上げ始めた。
ティヴリー子爵の邪魔はあったが、当初の目論見通りになったと言えるだろう。
「皆さんの覚悟はよく分かりましたわ。あなた方流浪の民について、皆が納得する形に考えるつもりです。ただ、少し考える時間が必要なので今すぐどうこうとは言えませんの。
ティヴリー子爵、まずは貴方が纏めたという皆の署名を渡して下さらない? ――サイア」
名を呼ぶと同時に精神感応である指示を出す。
サイアは一瞬体を震わせたものの、「かしこまりました」とティヴリー子爵の方に向かっていった。
視界の端で前脚がちらりと私を見、後ろ脚の方からも視線を感じたので、考えがあると精神感応で伝える。
「せ、聖女様! これは大事な署名です、聖騎士殿ではいけないのでしょうか!」
おーおー、焦ってる焦ってる。
そうだよなぁ、本音ではまだ差別意識は抜けていない。サイアに触られたくない、さりとてリーダーが来た今は、元の計画通りに私に近付いて直接渡す勇気も無くなった。
「大事な署名だからこそ、ですわ。サイアは祝福されたコルボの民の長。これだけ大勢が注目している中、子爵は彼が信用ならないとでも仰るのかしら? 何か間違いを起こすと?」
「そ、それは……」
「署名を渡して頂こう」
サイアが手を伸ばす。その手がティヴリー子爵に触れるか触れないかの瞬間、署名の紙束が地に落ちた。
「――おや、大切な署名を落とされるとは」
冷ややかな笑みを浮かべるサイア。ティヴリー子爵は「さ、寒さのせいで手がかじかんで!」と後退り、署名を拾う気配が無い。
サイアはいやにゆっくりとした動作で署名を拾うと、土を払って踵を返した。
「聖女様、どうぞ」
「ありがとう、サイア。大事な大事な署名を拾ってくれて」
勿論私はわざとサイアの手に触れつつ署名を受け取る。
『扇動された人達に子爵の化けの皮を剥がす為とはいえ、嫌な思いをさせてしまってごめんなさいね、サイア』
「いえ、聖女様のお役に立てる事が私の喜びですので」
精神感応で謝罪をしつつ、ちらりと見た限りでは。
エスメラルダの他、年を取った者達が幾人か疑いの眼差しをティヴリー子爵に向けている。
「ティヴリー子爵は寒さで体調が優れないご様子ね、お風邪を召されたのかしら?」
「いえ、聖女様。私はそろそろお暇……」
「マリー、カレル様が来てる。スープの鍋も来たよ」
ティヴリー子爵の及び腰の言葉をぶった切ったグレイの言葉にそちらを見ると、夜会仕様でめかしこんだカレル兄。
背後にはカレル兄付きの隠密騎士、湯気の立つスープの鍋やバスケットやらを持った男達を従えている。
「あら、カレル兄様良いところに。大変なの、ティヴリー子爵がこの寒さでお風邪を引かれてしまったみたいで」
『……ていうのは勿論嘘で』
かくかくしかじか、この場から逃げようとしてるのでこいつ単体を早いとこ父の前にしょっ引いて行って欲しいと精神感応。
カレル兄は任せろ、とニヤリと笑った。
「おお、それは大変だな。ティヴリー卿、不本意とはいえこのような形で我が家にわざわざいらっしゃったのです。
我が父がポーで食事をご馳走になった卿に会いたいと申しておりました。丁度夕食会が始まるところ、料理も充分用意されています。
過日のお返しという事で是非とも邸内へおいで頂きたいのですが、ご同道願えますか?」
……カレル兄の嫌味炸裂の副音声。ティヴリー子爵は自身が不味い状況に置かれていることは感じ取ったらしく、首を必死に横に振っている。
「い、いえ……先程聖女様も仰ったように私は風邪を引いてしまったようです。
夕食会のご招待もされておらず、またキャンディ伯爵家の皆様に風邪を感染してはいけません。
ゴホッゴホッ、手足がかじかんで歩くのもままなりません。署名も既にお渡ししたことですし、彼ら流浪の民達と共に今日はやはり帰らせ――」
「それはいけない、体を冷やしては悪化しますよ! お帰りになるとしても、熱い食事と暖炉で充分温まってからの方が良いでしょう!」
「義弟の言う通りですよ、卿。大丈夫、風邪によく効く我が家の秘伝の薬もあります。ナシアダン、お連れしろ!」
「はっ。ティヴリー子爵様、失礼を」
グレイのナイスパス、それを受けたカレル兄が強硬手段に出る。大柄のナシアダンは巧みにティヴリー子爵に近付くと、有無を言わせずその身体を軽々と持ち上げた。
礼儀が、風邪が、流浪の民達が――等と、尚も喚いてじたばたと足掻いていた子爵。
遠ざかって行くその影に、「皆さんにもちゃんと私がおもてなしをしますからご安心下さいましね!」と私が叫ぶと、観念したのかぐったりと動かなくなった。屋敷では父サイモンが手ぐすねを引いて待っている事だろう。
いっちょ上がり。一名様、地獄へご案なぁ~い!
先刻一瞬浮かべた笑み――聖女は太陽神の鳥たるカラスを介して全てを見通す(ということになっている)。夜なら聖女がカラスの助力を得られないと考えたのだろうが残念だったな、馬鹿め。
余談だが、実は夜に見えなくなるという所謂『鳥目』は、主にニワトリの目の事を指しているという。
ただ夜に活発に活動しないだけで、カラスは人間と同じ程度には夜でも見えているのだ。これは実際リーダーの視界を借りた時に判明した。
加えて、カラス達には屋敷の敷地内に不審者を見つけたら即騒いで通報するよう教えている。
彼らは、群衆が来た時からずっとこの周辺に居た。
門番を始めとする我が家の人間達が応対して招き入れていたからこそ騒がず様子を見ていただけであり、私の精神感応に反応した彼らは大挙してこちらへ飛んで来た、という訳だ。
私は立ち上がって微笑むと、両手をエスメラルダの方に差し向けた。
「……エスメラルダさん、そして皆さんも――お立ちなさい」
私がここに来て初めて発した声に、エスメラルダがはっと顔を上げる。他の者達も恐る恐るといった感じで顔を上げ始めた。
ティヴリー子爵の邪魔はあったが、当初の目論見通りになったと言えるだろう。
「皆さんの覚悟はよく分かりましたわ。あなた方流浪の民について、皆が納得する形に考えるつもりです。ただ、少し考える時間が必要なので今すぐどうこうとは言えませんの。
ティヴリー子爵、まずは貴方が纏めたという皆の署名を渡して下さらない? ――サイア」
名を呼ぶと同時に精神感応である指示を出す。
サイアは一瞬体を震わせたものの、「かしこまりました」とティヴリー子爵の方に向かっていった。
視界の端で前脚がちらりと私を見、後ろ脚の方からも視線を感じたので、考えがあると精神感応で伝える。
「せ、聖女様! これは大事な署名です、聖騎士殿ではいけないのでしょうか!」
おーおー、焦ってる焦ってる。
そうだよなぁ、本音ではまだ差別意識は抜けていない。サイアに触られたくない、さりとてリーダーが来た今は、元の計画通りに私に近付いて直接渡す勇気も無くなった。
「大事な署名だからこそ、ですわ。サイアは祝福されたコルボの民の長。これだけ大勢が注目している中、子爵は彼が信用ならないとでも仰るのかしら? 何か間違いを起こすと?」
「そ、それは……」
「署名を渡して頂こう」
サイアが手を伸ばす。その手がティヴリー子爵に触れるか触れないかの瞬間、署名の紙束が地に落ちた。
「――おや、大切な署名を落とされるとは」
冷ややかな笑みを浮かべるサイア。ティヴリー子爵は「さ、寒さのせいで手がかじかんで!」と後退り、署名を拾う気配が無い。
サイアはいやにゆっくりとした動作で署名を拾うと、土を払って踵を返した。
「聖女様、どうぞ」
「ありがとう、サイア。大事な大事な署名を拾ってくれて」
勿論私はわざとサイアの手に触れつつ署名を受け取る。
『扇動された人達に子爵の化けの皮を剥がす為とはいえ、嫌な思いをさせてしまってごめんなさいね、サイア』
「いえ、聖女様のお役に立てる事が私の喜びですので」
精神感応で謝罪をしつつ、ちらりと見た限りでは。
エスメラルダの他、年を取った者達が幾人か疑いの眼差しをティヴリー子爵に向けている。
「ティヴリー子爵は寒さで体調が優れないご様子ね、お風邪を召されたのかしら?」
「いえ、聖女様。私はそろそろお暇……」
「マリー、カレル様が来てる。スープの鍋も来たよ」
ティヴリー子爵の及び腰の言葉をぶった切ったグレイの言葉にそちらを見ると、夜会仕様でめかしこんだカレル兄。
背後にはカレル兄付きの隠密騎士、湯気の立つスープの鍋やバスケットやらを持った男達を従えている。
「あら、カレル兄様良いところに。大変なの、ティヴリー子爵がこの寒さでお風邪を引かれてしまったみたいで」
『……ていうのは勿論嘘で』
かくかくしかじか、この場から逃げようとしてるのでこいつ単体を早いとこ父の前にしょっ引いて行って欲しいと精神感応。
カレル兄は任せろ、とニヤリと笑った。
「おお、それは大変だな。ティヴリー卿、不本意とはいえこのような形で我が家にわざわざいらっしゃったのです。
我が父がポーで食事をご馳走になった卿に会いたいと申しておりました。丁度夕食会が始まるところ、料理も充分用意されています。
過日のお返しという事で是非とも邸内へおいで頂きたいのですが、ご同道願えますか?」
……カレル兄の嫌味炸裂の副音声。ティヴリー子爵は自身が不味い状況に置かれていることは感じ取ったらしく、首を必死に横に振っている。
「い、いえ……先程聖女様も仰ったように私は風邪を引いてしまったようです。
夕食会のご招待もされておらず、またキャンディ伯爵家の皆様に風邪を感染してはいけません。
ゴホッゴホッ、手足がかじかんで歩くのもままなりません。署名も既にお渡ししたことですし、彼ら流浪の民達と共に今日はやはり帰らせ――」
「それはいけない、体を冷やしては悪化しますよ! お帰りになるとしても、熱い食事と暖炉で充分温まってからの方が良いでしょう!」
「義弟の言う通りですよ、卿。大丈夫、風邪によく効く我が家の秘伝の薬もあります。ナシアダン、お連れしろ!」
「はっ。ティヴリー子爵様、失礼を」
グレイのナイスパス、それを受けたカレル兄が強硬手段に出る。大柄のナシアダンは巧みにティヴリー子爵に近付くと、有無を言わせずその身体を軽々と持ち上げた。
礼儀が、風邪が、流浪の民達が――等と、尚も喚いてじたばたと足掻いていた子爵。
遠ざかって行くその影に、「皆さんにもちゃんと私がおもてなしをしますからご安心下さいましね!」と私が叫ぶと、観念したのかぐったりと動かなくなった。屋敷では父サイモンが手ぐすねを引いて待っている事だろう。
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