38 / 65
第二章 雪けぶる町
予期せぬ再会
しおりを挟む
行方不明のシャハルを探し、使用人のアナンはその日、ポンチェト=プリューリ郊外の倡店街を彷徨い歩いていた。そこで目にしたのは、間違いなく、夢にまで見たその姿だった。
「待てっ、俺だ。シャハル…やっと見つけた」
「うわっ、何だお前は。先客はこっちだぞ」
「シャハルから離れろエフェボ野郎、この子は俺の身内だ。行方知れずで届けも出している。何なら一緒に来るか? 行き先は連れ込み宿じゃなく、警察署だがな」
客の男は手を振り払い、舌打ちして足早に去っていった。
「ああーっ、待ってよお客さんっ。もうっ、どうしてくれるのさ。全部アナンのせいだからねっ」
その不機嫌な表情は、亡きトビラスそっくりだった。シャハルとは年の頃も近く、そして何より、まだ名乗っていないのにアナンの名を知っている。やはりこの子がそうなのか。説得してスミドへ連れ戻さなくては。そう考えたアナンは、日がな一日中付き纏いを開始した。
「アナン邪魔。客引きにまで着いて来ないでよ 、ボクの商売上がったりになるじゃん」
「良いじゃないか、そのまま辞めちまえよ。今のお前の商売は、客の罪悪感から成り立っているだけだ」
「超ウケる。あんな奴らに罪悪感なんてあると思うの。大体昔と今でそんな変わらなくない、ただ自分でお金が取れるようになったってだけ」
「昼間働いて稼ごうって気は無いのか……考えてみろ、お前はいざって時に自分で身を守れんのか。金で揉めりゃあタダ働き、どんなヤバイ奴や病気に出くわすかも分かったもんじゃねえ。そんなの割に合わないと思うがな、俺は」
彼はアナンの話を聞いているのかいないのか、良く分からない表情で自身の髪をくるくると指で弄んだ。
「スミドに帰って、落ち着いたら勉強し直せば良い。知識は一生の財産だ。トビラスさんの遺産もあることだし、学費には困らない」
「アナンってさあ…マジメだよねー。ベンキョーなんかしたくないよ、つまんないし。遊ぶ金は欲しいけど、先の事なんかどうでもいい。ボク別に長生きなんて求めてないから。あちこち出稼ぎして食べ歩くのも楽しいよー、細かい事は気にせず遊んで暮らすのも。若いうちに肉体労働で稼いで、さっさと死んじゃえばいいじゃん。どうせ頑張ったって、皆いつかは死ぬんだから。オトーサンって可哀想。あれじゃ何のための人生だったんだか……」
✳
ソピリヤは、ある危機に直面していた。彼女は授業の合間時間を縫って、硬貨式のダイヤル電話の前に居たのだが、ここ首都教学院では、来客用の名目で置かれているこの電話が、忘れ物をした生徒達にとっては最後の頼みであり、大事な命綱となっていた。
「しかしこの電話、一体どうやって使うんだ」
その後、通り掛かった上級生による説明を受け、ソピリヤはまず電話に硬貨を投入すると、電話番号を入力するため、各数字が振られたダイヤルの穴に指を差し込み、引っ掛かりまで回す動作を繰り返した。
ロンシュク家の電話が鳴った。電話番の女中から取り次がれ、創立記念日を謳歌していたクサンナは受話器に耳を当てた。
「はい、クサンナです」
クサンナは、学校から電話を掛けてきたソピリヤとしばらく話した後、受話器を返しながら言った。
「ソピリヤ様、学内の水泳大会で使われる水着をお忘れになったそうです。大至急お届けに上がりませんと」
クサンナはソピリヤの部屋から水泳道具一式を見繕うと、ロンシュク家の車に飛び乗った。やがて車が学校前まで到着すると、運転手は守衛に事情を話した上でクサンナを降ろし、クサンナは守衛の指示に従って校内で来客手続きを済ませた後、意気揚々とソピリヤが待つ中等部の校舎まで歩いて行った――つもりが、高等部に入り込んでしまった。
「おかしいですね、ソピリヤ様のお姿が見当たらない。ハルシヤもアマンさんも居ないようだし…」
「やあ、君も見学かい」
声を掛けられ振り向くと、クサンナと同じ年頃の少年が立っていた。
「いえ。わたくしは忘れ物をお届けに…」
「片っ端から教室を覗いていた様だけど。ひょっとして君、ここは高等部の校舎だぞ」
お昼休憩に入り、駐車場にロンシュク家の車が停まっているのが見えたから、もうクサンナは来ているはずなのに教室へ現れない。迷うとしたら何処だろうか――私は彼女を探しに校舎を出た。
「ああ良かった、探しに来てくれたんですね」
程なくして、私は高等部の方から歩いて来たクサンナと合流し、無事ソピリヤ様の忘れ物を受け取った。
「まあそれとして。貴方いったいどちら様ですか、クサンナがお世話になったみたいですけど」
「へえ。君、クサンナっていうのか」
何だこいつ、私が聞いてるのに無視しやがって。しかも初対面だろうに、随分馴れ馴れしいな…クサンナに対して。
「はい、クサンナ・コシヌと申します。こちらはハルシヤ=イェノイェです。わたくし達二人共、スミドはヨウゼン家のソピリヤ様にお仕えしております」
「ハルシヤだと、まさかお前…いや、スミドのヨウゼンならもう確定か」
「だから何がですか。…あっ」
――おい貴様、ハルシヤとかいったな。まったく酷い目に遭った。もう二度とそなた等に会うのは御免だ。お前の主人にも然と伝えておけ
そうだ、私と彼は以前に一度だけ会った事がある。その後に色々とあり過ぎて、完全に記憶の彼方だったけど――彼はナルメの太守サペリ家の息子、ジズ・サペリだ。
「今の所、高等部からの編入学を予定しているが…最悪だ」
ジズ・サペリは今後の進路に頭を悩ませながら帰って行った。ざまあみろ。
なおソピリヤ様のお着替えは、無事学内水泳大会に間に合った。健康作りの一環として、地区の水泳倶楽部に所属されているソピリヤ様は、それに相応しい御活躍を披露した。
そしてちなみに本日は、私が楽しみにしている週一回の無料教室の日だ。私はここで外国人布教師のネイティブ会話に触れることで、辞書やテキスト偏重になりがちな、外国語表現を改善している。
一応そういうことになっている。
ボランティア講師を務める布教師の名前は、Ms. Marie=Luisa Birmingham.澄んだグレーの瞳が美しく、フォーマルドレスを身に纏い、いつも綺麗に結い上げられた彼女の髪は、まるで上質な絹糸の様だ。
「これ、染めてます。私の髪、元々ブルネットだから。でも、似合うでしょ?」
「Yeah, your hair is so cool.」
他にも社交倶楽部やら 写真愛好会、チェス愛好会や、各種競技の倶楽部などが、ポンチェト=プリューリの閑静な住宅地区ごとに点在しており、各学校の時間と金に余裕のある生徒達は、各々好き勝手所属していた。
「待てっ、俺だ。シャハル…やっと見つけた」
「うわっ、何だお前は。先客はこっちだぞ」
「シャハルから離れろエフェボ野郎、この子は俺の身内だ。行方知れずで届けも出している。何なら一緒に来るか? 行き先は連れ込み宿じゃなく、警察署だがな」
客の男は手を振り払い、舌打ちして足早に去っていった。
「ああーっ、待ってよお客さんっ。もうっ、どうしてくれるのさ。全部アナンのせいだからねっ」
その不機嫌な表情は、亡きトビラスそっくりだった。シャハルとは年の頃も近く、そして何より、まだ名乗っていないのにアナンの名を知っている。やはりこの子がそうなのか。説得してスミドへ連れ戻さなくては。そう考えたアナンは、日がな一日中付き纏いを開始した。
「アナン邪魔。客引きにまで着いて来ないでよ 、ボクの商売上がったりになるじゃん」
「良いじゃないか、そのまま辞めちまえよ。今のお前の商売は、客の罪悪感から成り立っているだけだ」
「超ウケる。あんな奴らに罪悪感なんてあると思うの。大体昔と今でそんな変わらなくない、ただ自分でお金が取れるようになったってだけ」
「昼間働いて稼ごうって気は無いのか……考えてみろ、お前はいざって時に自分で身を守れんのか。金で揉めりゃあタダ働き、どんなヤバイ奴や病気に出くわすかも分かったもんじゃねえ。そんなの割に合わないと思うがな、俺は」
彼はアナンの話を聞いているのかいないのか、良く分からない表情で自身の髪をくるくると指で弄んだ。
「スミドに帰って、落ち着いたら勉強し直せば良い。知識は一生の財産だ。トビラスさんの遺産もあることだし、学費には困らない」
「アナンってさあ…マジメだよねー。ベンキョーなんかしたくないよ、つまんないし。遊ぶ金は欲しいけど、先の事なんかどうでもいい。ボク別に長生きなんて求めてないから。あちこち出稼ぎして食べ歩くのも楽しいよー、細かい事は気にせず遊んで暮らすのも。若いうちに肉体労働で稼いで、さっさと死んじゃえばいいじゃん。どうせ頑張ったって、皆いつかは死ぬんだから。オトーサンって可哀想。あれじゃ何のための人生だったんだか……」
✳
ソピリヤは、ある危機に直面していた。彼女は授業の合間時間を縫って、硬貨式のダイヤル電話の前に居たのだが、ここ首都教学院では、来客用の名目で置かれているこの電話が、忘れ物をした生徒達にとっては最後の頼みであり、大事な命綱となっていた。
「しかしこの電話、一体どうやって使うんだ」
その後、通り掛かった上級生による説明を受け、ソピリヤはまず電話に硬貨を投入すると、電話番号を入力するため、各数字が振られたダイヤルの穴に指を差し込み、引っ掛かりまで回す動作を繰り返した。
ロンシュク家の電話が鳴った。電話番の女中から取り次がれ、創立記念日を謳歌していたクサンナは受話器に耳を当てた。
「はい、クサンナです」
クサンナは、学校から電話を掛けてきたソピリヤとしばらく話した後、受話器を返しながら言った。
「ソピリヤ様、学内の水泳大会で使われる水着をお忘れになったそうです。大至急お届けに上がりませんと」
クサンナはソピリヤの部屋から水泳道具一式を見繕うと、ロンシュク家の車に飛び乗った。やがて車が学校前まで到着すると、運転手は守衛に事情を話した上でクサンナを降ろし、クサンナは守衛の指示に従って校内で来客手続きを済ませた後、意気揚々とソピリヤが待つ中等部の校舎まで歩いて行った――つもりが、高等部に入り込んでしまった。
「おかしいですね、ソピリヤ様のお姿が見当たらない。ハルシヤもアマンさんも居ないようだし…」
「やあ、君も見学かい」
声を掛けられ振り向くと、クサンナと同じ年頃の少年が立っていた。
「いえ。わたくしは忘れ物をお届けに…」
「片っ端から教室を覗いていた様だけど。ひょっとして君、ここは高等部の校舎だぞ」
お昼休憩に入り、駐車場にロンシュク家の車が停まっているのが見えたから、もうクサンナは来ているはずなのに教室へ現れない。迷うとしたら何処だろうか――私は彼女を探しに校舎を出た。
「ああ良かった、探しに来てくれたんですね」
程なくして、私は高等部の方から歩いて来たクサンナと合流し、無事ソピリヤ様の忘れ物を受け取った。
「まあそれとして。貴方いったいどちら様ですか、クサンナがお世話になったみたいですけど」
「へえ。君、クサンナっていうのか」
何だこいつ、私が聞いてるのに無視しやがって。しかも初対面だろうに、随分馴れ馴れしいな…クサンナに対して。
「はい、クサンナ・コシヌと申します。こちらはハルシヤ=イェノイェです。わたくし達二人共、スミドはヨウゼン家のソピリヤ様にお仕えしております」
「ハルシヤだと、まさかお前…いや、スミドのヨウゼンならもう確定か」
「だから何がですか。…あっ」
――おい貴様、ハルシヤとかいったな。まったく酷い目に遭った。もう二度とそなた等に会うのは御免だ。お前の主人にも然と伝えておけ
そうだ、私と彼は以前に一度だけ会った事がある。その後に色々とあり過ぎて、完全に記憶の彼方だったけど――彼はナルメの太守サペリ家の息子、ジズ・サペリだ。
「今の所、高等部からの編入学を予定しているが…最悪だ」
ジズ・サペリは今後の進路に頭を悩ませながら帰って行った。ざまあみろ。
なおソピリヤ様のお着替えは、無事学内水泳大会に間に合った。健康作りの一環として、地区の水泳倶楽部に所属されているソピリヤ様は、それに相応しい御活躍を披露した。
そしてちなみに本日は、私が楽しみにしている週一回の無料教室の日だ。私はここで外国人布教師のネイティブ会話に触れることで、辞書やテキスト偏重になりがちな、外国語表現を改善している。
一応そういうことになっている。
ボランティア講師を務める布教師の名前は、Ms. Marie=Luisa Birmingham.澄んだグレーの瞳が美しく、フォーマルドレスを身に纏い、いつも綺麗に結い上げられた彼女の髪は、まるで上質な絹糸の様だ。
「これ、染めてます。私の髪、元々ブルネットだから。でも、似合うでしょ?」
「Yeah, your hair is so cool.」
他にも社交倶楽部やら 写真愛好会、チェス愛好会や、各種競技の倶楽部などが、ポンチェト=プリューリの閑静な住宅地区ごとに点在しており、各学校の時間と金に余裕のある生徒達は、各々好き勝手所属していた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる