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第一章 シャハルとハルシヤ
気苦労の種
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私は私、シャハルはシャハル。朝、顔を洗ったついでに鏡の前で繰り返す。
*
先日のクサンナの一言が、最後の最後で私に大事なことを気付かせてくれた。とっさに伝えては見たけれど、あれでもかなり手遅れだったのに。決意を感じて見逃してくれたんだろうか、まあとにかく、お咎めは一切無かったので、ありがたやありがたや。
「朝っぱらから何鏡を拝んでいるんだ」
「ぬああっ、ソピリヤ様。おはようございます。あの、いつから居ましたか」
「私は私、のところからかな。おはよう」
全部見られていたのか…恥ずかしい。ソピリヤ様はそれ以上何か言うことも無く、隣の洗面台を使い始めた。その間に、私は後ろの棚から拭く物を取り出して待ち、うがいと顔洗いが終わったソピリヤ様に手渡した。
「昨日は、ご学友の方々と、遠乗りにお出掛けされて良かったですね。どうでしたか、やっぱり男の子は苦手ですか」
「あいつらは、どこでも好き勝手に楽しめるから問題無い。それよりも、気付いていたのか。私の欠点に」
「いいえ。実はこの前、クサンナに教えて貰いました」
「そうだったか。まあ、積もる話は朝食の席でしよう」
毎回の食事はヨウゼン邸から運ばれてくるので、一汁三菜きちんと揃っていて、割と豪華だ。ちなみにイェラ尼だけは、いつも物凄く早起きして、私なんかまだ寝ている間に、台所で精進料理を作って先に食べているそうだ。
「父は息子が欲しかったに決まってる。だからシャハルをあんなに可愛がって、同い年の私は、シャハルを呼ぶ言い訳に使う。こうなったら意地でも父達の前では仲良くなどしてやるものか」
「ああ、だからシャハルとは、仲が良いのか悪いのか、よく分からない関係なんですね」
「そうだな。少なくとも私は、シャハルのことが嫌いではないよ。今思えば嫉妬もしたけれど、でも私は、彼とは違って、正真正銘父の子だ。今まで生きてきて、あの時ほど嬉しかったことは無い」
「あの時っていつですか」
「相続発表。姉のキオラの結婚披露宴でしたんだけど。シャハルからは聞いてないか、とても目立っていた筈なんだが」
「うーん、覚えが無いです」
「色々と姉達を見て考えて、別に女子としての人生に未練は無いんだ。ただ男子って良く分からないし、きもいし、馬鹿だし、うるさいし。もう本当に虫とかきもい、何が楽しくてあんなもの」
「えっと、私やシャハルも男子ですよ」
私はそう言いながら、つい先日、ラフェンドゥ様が学問所に持ち込んだ虫達で、相撲対決をして見せたことを思い出した。
朝食後、私が二階の自室に勉強道具を取りに戻っていると、学問所の外から車の音が聞こえた。道具を揃えて階段を降りていくと、私は廊下で丁度やって来たご学友方に鉢合わせ、挨拶して皆様の後ろに回った。
皆様の後ろ姿を見ながら、歩いて勉強部屋に向かっていると、私はソピリヤ様との朝の会話を思い出し、タワ家のラフェンドゥ様の肩をそっと叩いた。
「あのう、ラフェンドゥ様、ちょっと良いですか」
「何だ突然。何か用か」
「実は…ソピリヤ様は、虫が好きでは無いそうです」
「む、そうなのか。それは良いことを聞いたなー。皆の衆」
そして勉強部屋に入り、先に来て指定の席に座っていたソピリヤ様に挨拶すると、ラフェンドゥ様は自分の席に着く前にこっそりと、ソピリヤ様の背中に、今日隠し持って来た甲虫を留まらせた。
「うわあ何を」
それから私は口を、マヌ家のエリシュ様に手で抑えられてしまった。
「しーっ、いいから黙れ。本当にお嫌なら、治して差し上げないでどうする。ふふっ」
絶対ふざけているだけだ。その内ソピリヤ様も、背中を這い回る違和感に気付き、手を回して一瞬だけ甲虫に触った。
「何。何これ、きゃあああーっ、背中に何か居るっ」
ソピリヤ様が驚いて悲鳴を上げると、ご学友の皆様は楽しそうに笑い出した。その隙に私はエリシュ様の手から抜け出し、ソピリヤ様の背中から甲虫を捕まえた。
「もう大丈夫です。捕まえました」
「よくもこんな真似を…ラフェンドゥ、あんた待ちなさいっ」
ソピリヤ様は物凄く怒り、大爆笑しながら逃げて行ったラフェンドゥ様を、屋敷中追いかけ回した。
私は両手の中に甲虫を閉じ込めたまま、他のご学友方と走って探し、ウツ家のファティリク様が見付けて集まった先では、ソピリヤ様がラフェンドゥ様をぽかぽか殴り、ラフェンドゥ様が笑い涙を拭きながら我慢出来ずにまた笑っていた。
この日から、ラフェンドゥ様はソピリヤ様をからかって反応を見たり、怒りが爆発したソピリヤ様に追いかけられて、またぽかぽか殴られることを繰り返すようになった。それを見ていた他のご学友方も、少しずつ悪乗りするようになってしまった。
でも、仲良くするってこういうことなんだろうか。不安になった私はイェラ尼に相談したが、ソピリヤ様が皆様に慕われている証拠、という訳の分からない理屈で、まともに取り合っては貰えなかった。
「止めろと言っているだろうがああああっ」
相変わらずソピリヤ様は怒り、走り回ってどたどたいう足音と、ご学友方の笑い声が学問所に木霊していた。
*
先日のクサンナの一言が、最後の最後で私に大事なことを気付かせてくれた。とっさに伝えては見たけれど、あれでもかなり手遅れだったのに。決意を感じて見逃してくれたんだろうか、まあとにかく、お咎めは一切無かったので、ありがたやありがたや。
「朝っぱらから何鏡を拝んでいるんだ」
「ぬああっ、ソピリヤ様。おはようございます。あの、いつから居ましたか」
「私は私、のところからかな。おはよう」
全部見られていたのか…恥ずかしい。ソピリヤ様はそれ以上何か言うことも無く、隣の洗面台を使い始めた。その間に、私は後ろの棚から拭く物を取り出して待ち、うがいと顔洗いが終わったソピリヤ様に手渡した。
「昨日は、ご学友の方々と、遠乗りにお出掛けされて良かったですね。どうでしたか、やっぱり男の子は苦手ですか」
「あいつらは、どこでも好き勝手に楽しめるから問題無い。それよりも、気付いていたのか。私の欠点に」
「いいえ。実はこの前、クサンナに教えて貰いました」
「そうだったか。まあ、積もる話は朝食の席でしよう」
毎回の食事はヨウゼン邸から運ばれてくるので、一汁三菜きちんと揃っていて、割と豪華だ。ちなみにイェラ尼だけは、いつも物凄く早起きして、私なんかまだ寝ている間に、台所で精進料理を作って先に食べているそうだ。
「父は息子が欲しかったに決まってる。だからシャハルをあんなに可愛がって、同い年の私は、シャハルを呼ぶ言い訳に使う。こうなったら意地でも父達の前では仲良くなどしてやるものか」
「ああ、だからシャハルとは、仲が良いのか悪いのか、よく分からない関係なんですね」
「そうだな。少なくとも私は、シャハルのことが嫌いではないよ。今思えば嫉妬もしたけれど、でも私は、彼とは違って、正真正銘父の子だ。今まで生きてきて、あの時ほど嬉しかったことは無い」
「あの時っていつですか」
「相続発表。姉のキオラの結婚披露宴でしたんだけど。シャハルからは聞いてないか、とても目立っていた筈なんだが」
「うーん、覚えが無いです」
「色々と姉達を見て考えて、別に女子としての人生に未練は無いんだ。ただ男子って良く分からないし、きもいし、馬鹿だし、うるさいし。もう本当に虫とかきもい、何が楽しくてあんなもの」
「えっと、私やシャハルも男子ですよ」
私はそう言いながら、つい先日、ラフェンドゥ様が学問所に持ち込んだ虫達で、相撲対決をして見せたことを思い出した。
朝食後、私が二階の自室に勉強道具を取りに戻っていると、学問所の外から車の音が聞こえた。道具を揃えて階段を降りていくと、私は廊下で丁度やって来たご学友方に鉢合わせ、挨拶して皆様の後ろに回った。
皆様の後ろ姿を見ながら、歩いて勉強部屋に向かっていると、私はソピリヤ様との朝の会話を思い出し、タワ家のラフェンドゥ様の肩をそっと叩いた。
「あのう、ラフェンドゥ様、ちょっと良いですか」
「何だ突然。何か用か」
「実は…ソピリヤ様は、虫が好きでは無いそうです」
「む、そうなのか。それは良いことを聞いたなー。皆の衆」
そして勉強部屋に入り、先に来て指定の席に座っていたソピリヤ様に挨拶すると、ラフェンドゥ様は自分の席に着く前にこっそりと、ソピリヤ様の背中に、今日隠し持って来た甲虫を留まらせた。
「うわあ何を」
それから私は口を、マヌ家のエリシュ様に手で抑えられてしまった。
「しーっ、いいから黙れ。本当にお嫌なら、治して差し上げないでどうする。ふふっ」
絶対ふざけているだけだ。その内ソピリヤ様も、背中を這い回る違和感に気付き、手を回して一瞬だけ甲虫に触った。
「何。何これ、きゃあああーっ、背中に何か居るっ」
ソピリヤ様が驚いて悲鳴を上げると、ご学友の皆様は楽しそうに笑い出した。その隙に私はエリシュ様の手から抜け出し、ソピリヤ様の背中から甲虫を捕まえた。
「もう大丈夫です。捕まえました」
「よくもこんな真似を…ラフェンドゥ、あんた待ちなさいっ」
ソピリヤ様は物凄く怒り、大爆笑しながら逃げて行ったラフェンドゥ様を、屋敷中追いかけ回した。
私は両手の中に甲虫を閉じ込めたまま、他のご学友方と走って探し、ウツ家のファティリク様が見付けて集まった先では、ソピリヤ様がラフェンドゥ様をぽかぽか殴り、ラフェンドゥ様が笑い涙を拭きながら我慢出来ずにまた笑っていた。
この日から、ラフェンドゥ様はソピリヤ様をからかって反応を見たり、怒りが爆発したソピリヤ様に追いかけられて、またぽかぽか殴られることを繰り返すようになった。それを見ていた他のご学友方も、少しずつ悪乗りするようになってしまった。
でも、仲良くするってこういうことなんだろうか。不安になった私はイェラ尼に相談したが、ソピリヤ様が皆様に慕われている証拠、という訳の分からない理屈で、まともに取り合っては貰えなかった。
「止めろと言っているだろうがああああっ」
相変わらずソピリヤ様は怒り、走り回ってどたどたいう足音と、ご学友方の笑い声が学問所に木霊していた。
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