【全年齢版】媛彦談《ひめひこだん》〜足掻手《アガデ》〜

テジリ

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あやぎり朝

物語

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 天媛の死を告げる鐘が、まだ朝霧の抜けきらぬ宮中に響いた。
 澄んだ鐘音はどこか濁り、誰の胸にも重く沈む。それは悲しみではなく、
 ――この国の“物語”がひとつ終わり、べつの“物語”が始まる音だった。

 ✦

 最初の合議は、崩御から半日も経たぬうちに開かれた。
 空の玉座の下、
 亡き天媛に代わって政務を取り仕切る重臣たちには、
 ひとつの共通認識があった。

 「天媛のまことの死因は、絶対に公表したらあかん」

 だが、沈黙は許されない。
 人々は常に、理由と意味を求める。
 王朝は物語で動く。
 もっともらしく騙らなくてはならない。

 議題は「どの物語で国を守るか」。

「――天媛にはご懐妊のきざしがあった。
 まずは、そこから繋ぐべきかと」

 重臣のひとりが、淡々と切り出した。
 夜比古は目を閉じたままだった。
 代わりに、長上がわずかに顔を上げる。

「……父親は、誰ということに?」

 その問いが会議全体の喉を凍らせた。
 天媛の遺体を抱えた夜比古の叫び声。
 寝所で起きた異常きわまりない暴行。
 世継ぎをめぐる派閥の思惑。
 すべてが、長上の質問ひとつで浮上する。

「――長上。あなたの子、ということで」

 最年長の重臣が静かに言った。
 声は震えていない。
 それだけ、この物語が“唯一の正解”であると皆が分かっていた。
 長上は、まばたきもしなかった。

「……私の……」

「そうだ。夜比古は、あらぬ疑いから身を守らねばならぬ。
 天媛の行動は……そうだな、
 最期に長上をお呼びになり、何事か語ったーーとでも、脚色しておこう」

 その瞬間、長上の背筋がひくりと震えた。
 天媛が最期に呼んだのは――誰でもない。
 誰も呼んでいない。
 ただ静かに、血に濡れて倒れていただけだ。
 その“無音の真実”は、誰の目にも明かせない。

「死因は?」
「流産。……その後の血の道の病で崩御なされた――それ以上は要らぬ」

 流産。
 便利で、誰も検証できず、誰も反論できない魔法の言葉。

 夜比古も救われる。
 重臣派閥も引き立て派閥も黙る。
 天媛の名誉も保護される。
 そして長上は――「後見人」にもっとも自然に座れる。

 これは真実ではない。だが、事実より強い“物語”だった。

 長上は、静かに頭を垂れた。

「……では、その芝居で」

 ひとつの国が、虚構に救われた瞬間だった。

 ✦


 宮中の公式発表が出るより早く、
 都の市井では、すでに噂話が咲き乱れていた。

 「天媛は、長上と深い仲だったんやろ」
 「いや、あの男は権力の鬼や。けったいなやっちゃ」
 「いやいや、こんなん恋やん。悲恋やん。
  たしか……ものごっつう美男子やろ?」
 「あれこそ天命の星の下にある方や。凡人やない」

 誰も事実を知らない。
 誰も真相を欲していない。
 人は、面白い物語だけを信じる。

 天媛の死の真実。
 夜比古の手の震え。
 英賀手を託されたあの日。

 何ひとつ、民は知らない。
 どれほど擦り切れ、歪められた物語でもーー
 国が安定するなら、それでいい。

 長上はふ、と微笑んだ。

「……天媛、あなたの望んだ形にはしてみせる」

 その声は、誰にも聞こえない。
 ただ雪のように静かに、宮中に落ちていった。


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