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霧彦《きりひこ》
好き者
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帰路。阿諛は荷物を背負い、
最初の別れ道で、律儀に傅役を待っていた。
傅役が近づいてくる。
阿諛は、何気なく口を開いた。
「主(あるじ)、懇ろになるって、そういうことだったんですね。
確かにあれなら、心が通うこともあるかも知れません。
人から求められるのは、素直に嬉しいし」
傅役の足が、ぴたりと止まった。
「……きさま、今なんと言った」
阿諛は、はっとした。
「あ、いえ……お分かりでしょう。
でも主は少し、母君の面影を領主に見ているのではありませんか。
領主の女装は健康祈願のまじないとも取れますが……
もう虚弱体質でも何でもない。
びっくりする程お元気でしたよ」
しまった。これは逆鱗だった。
次の瞬間、拳が阿諛の顔面に飛んできた。
阿諛は不意を突かれて地面に倒れ、さらに足蹴りを浴びる。
「とうとう取り柄の阿諛も失ったか。
一度領主と寝たくらいで、くだらん妄言を。
その耳障りな舌、叩っ切ってくれるわ」
痛みで呼吸が苦しい。だが、阿諛は懐から剃刀を取り出し、無造作に差し出した。
「仰せのままに。剃刀なら、ここにあります」
傅役は、阿諛の首を掴み、上を向かせた。
「おい傅役。そこで何をしている」
――領主・小寿林しつり(こじゅりんのしつり)の声。
傅役の手と刃が、ぴたりと止まる。
「罰を与えているのです。
領主のお庭を汚して申し訳ありません」
しつりは、冷たく告げた。
「そんなに血が見たいのか。
ならば傅役、そなたの背中の皮をはいで、今すぐよこせ」
阿諛は慌てて身を起こし、しつりに膝をついた。
「おやめください領主、誤解です」
「馬鹿を申すな。その流血はなんだ」
「私は浅手ですし、替えもききます。
でも傅役は違う。かけがえのないお方です」
阿諛は、必死に言葉を紡いだ。
「例えば……夫が他所で子を儲け、
長年暮らした妻を捨てたら、どう思いますか。
本音がどうであれ、
傅役がずっと領主に尽くしてきたのは事実なのに。
その結末は、あんまりです」
しつりは一瞬だけ、目を眇めた。
傅役は、聞き捨てならなかった。
「……おい、その例え話はまさか――
あの色呆けジジイ、またよそに子をこさえたのか。
これで七人目だぞ。やはり乳母の今後を、あんな奴には任せておけぬ。
お望み通り、離縁を薦めてやるわ」
阿諛は慌てて首を振った。
「それは傅役の勘違いです。
変な邪推はやめてください。
今のは単なる例えです」
傅役は、ため息をついた。
「きゃつにそこまで庇う価値があるとは思えんが。
まあ案ずるな、代吏に累は及ばぬ。
こちらも傅役は降りるでな。
領主もいよいよ元服じゃ。
――領主。最後に名代として、王朝へ報告に参ります事をお許しください」
しつりは、吐き捨てるように命じた。
「許すも何も、当然だろう。
吾人の為にさっさと行って来い」
傅役は、ただ静かに頭を下げた。
「ありがたき幸せ、しかと承ります。
おい、帰るぞ阿諛。
これから王朝詣での支度だ。
お前も末席に加えてやる」
阿諛は痛みを堪えながら、立ち上がった。
「はい主。ぜひお伴させてください」
「なんじゃと!? 試したい事が山程あるんじゃ!
ええい、怪我人は置いてゆかぬか!」
しつりは慌てふためくが、傅役と阿諛の主従は一顧だにせず帰って行った。
✦
霧彦は湯浴みを終え、着替えながら、心中で呟いた。
(いや、そもそも怪我人に手を出すなよ……)
元領主・小寿林しつりは、少し離れたところで、ぼそっと呟いた。
「そう云うことか?! 出会ってすぐに迫ったから……
あやつ、吾人を好き者と勘違いしておるのでは……!?」
霧彦は思う。
確かにそれは、しつり様の言う通りかも知れない。
ただ世の中には、仮に思っても、
口に出さない方がいいこともある。
今が、まさにそれだ。
最初の別れ道で、律儀に傅役を待っていた。
傅役が近づいてくる。
阿諛は、何気なく口を開いた。
「主(あるじ)、懇ろになるって、そういうことだったんですね。
確かにあれなら、心が通うこともあるかも知れません。
人から求められるのは、素直に嬉しいし」
傅役の足が、ぴたりと止まった。
「……きさま、今なんと言った」
阿諛は、はっとした。
「あ、いえ……お分かりでしょう。
でも主は少し、母君の面影を領主に見ているのではありませんか。
領主の女装は健康祈願のまじないとも取れますが……
もう虚弱体質でも何でもない。
びっくりする程お元気でしたよ」
しまった。これは逆鱗だった。
次の瞬間、拳が阿諛の顔面に飛んできた。
阿諛は不意を突かれて地面に倒れ、さらに足蹴りを浴びる。
「とうとう取り柄の阿諛も失ったか。
一度領主と寝たくらいで、くだらん妄言を。
その耳障りな舌、叩っ切ってくれるわ」
痛みで呼吸が苦しい。だが、阿諛は懐から剃刀を取り出し、無造作に差し出した。
「仰せのままに。剃刀なら、ここにあります」
傅役は、阿諛の首を掴み、上を向かせた。
「おい傅役。そこで何をしている」
――領主・小寿林しつり(こじゅりんのしつり)の声。
傅役の手と刃が、ぴたりと止まる。
「罰を与えているのです。
領主のお庭を汚して申し訳ありません」
しつりは、冷たく告げた。
「そんなに血が見たいのか。
ならば傅役、そなたの背中の皮をはいで、今すぐよこせ」
阿諛は慌てて身を起こし、しつりに膝をついた。
「おやめください領主、誤解です」
「馬鹿を申すな。その流血はなんだ」
「私は浅手ですし、替えもききます。
でも傅役は違う。かけがえのないお方です」
阿諛は、必死に言葉を紡いだ。
「例えば……夫が他所で子を儲け、
長年暮らした妻を捨てたら、どう思いますか。
本音がどうであれ、
傅役がずっと領主に尽くしてきたのは事実なのに。
その結末は、あんまりです」
しつりは一瞬だけ、目を眇めた。
傅役は、聞き捨てならなかった。
「……おい、その例え話はまさか――
あの色呆けジジイ、またよそに子をこさえたのか。
これで七人目だぞ。やはり乳母の今後を、あんな奴には任せておけぬ。
お望み通り、離縁を薦めてやるわ」
阿諛は慌てて首を振った。
「それは傅役の勘違いです。
変な邪推はやめてください。
今のは単なる例えです」
傅役は、ため息をついた。
「きゃつにそこまで庇う価値があるとは思えんが。
まあ案ずるな、代吏に累は及ばぬ。
こちらも傅役は降りるでな。
領主もいよいよ元服じゃ。
――領主。最後に名代として、王朝へ報告に参ります事をお許しください」
しつりは、吐き捨てるように命じた。
「許すも何も、当然だろう。
吾人の為にさっさと行って来い」
傅役は、ただ静かに頭を下げた。
「ありがたき幸せ、しかと承ります。
おい、帰るぞ阿諛。
これから王朝詣での支度だ。
お前も末席に加えてやる」
阿諛は痛みを堪えながら、立ち上がった。
「はい主。ぜひお伴させてください」
「なんじゃと!? 試したい事が山程あるんじゃ!
ええい、怪我人は置いてゆかぬか!」
しつりは慌てふためくが、傅役と阿諛の主従は一顧だにせず帰って行った。
✦
霧彦は湯浴みを終え、着替えながら、心中で呟いた。
(いや、そもそも怪我人に手を出すなよ……)
元領主・小寿林しつりは、少し離れたところで、ぼそっと呟いた。
「そう云うことか?! 出会ってすぐに迫ったから……
あやつ、吾人を好き者と勘違いしておるのでは……!?」
霧彦は思う。
確かにそれは、しつり様の言う通りかも知れない。
ただ世の中には、仮に思っても、
口に出さない方がいいこともある。
今が、まさにそれだ。
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