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【3】届いた招待状

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 温人がここへ来て十日ほど経った。 
 体調も少しずつ戻っているらしく、とりあえず単発のバイトをしながら、ハローワークにも頻繁に通っているようだった。
 バイトの日当が入ると、その都度、勇士郎から借りていた食費をちゃんと返してくれる。止められていた携帯も復活したとかで、早速連絡先の交換をした。
 温人をここへしばらく置くと決めたときには、赤の他人を自分の最もプライベートな空間へ入れるのだから、当然、相当なストレスを抱えることになるだろうと覚悟していた。
 だがフタを開けてみれば、ストレスどころかむしろリラックスしている自分に気付き、勇士郎は内心ひどく驚いている。

 執筆の息抜きにつきあって貰うこともしばしばだった。
 ひと段落ついてリビングで一服していると、温人も就職情報誌を閉じて、「栗原屯所」から出て来てくれる。
 コーヒーを淹れるのは勇士郎の仕事だ。温人はまだ火を使うのが怖いようだった。
 だが温人も勇士郎といることに徐々に慣れてきたらしく、しばしば自分から話しかけてくるようになった。
 勇士郎は本を読む時は、自室ではなくリビングで読むことが多いので、リビングの隅には小型の本棚が置いてある。そこには一般書に加えて、今までの仕事で使った参考文献や専門雑誌なども数多く並んでいた。
 温人がここへ来た当初、興味深そうに見ていたので自由に読んでいいと言ったら嬉しそうな顔をしていた。
 以前勤めていた会社の休憩室にも本棚が置いてあって、自由に借りられたのでよく読んでいたそうだ。温人が本好きなのは、勇士郎にとっても嬉しかった。
 今、温人が開いているのは、映画やドラマの情報が幅広く載せられた月刊誌だ。
 温人が手にした号には勇士郎の脚本が収録されていた。二年ほど前に書いたスペシャルドラマのもので、作者紹介ページには勇士郎の写真も載っている。
 今は明るく染めた長めのゆるいパーマヘアを、後ろで軽く結んでいることが多いが、この頃は短い黒髪で、今よりもむしろ大人っぽく、落ち着いた雰囲気だ。
「ユウさん、俳優さんみたいです」
「ええっ、やめてぇな」
 温人が真面目な顔で言うので、ひどく照れ臭い。確かに子供の頃から綺麗な顔立ちだとよく言われてきた。
 たまにプロデューサーや演出家からも、出る方やってみない、と誘われることもあるが、それらはみな酒の席での冗談だ。
 自分程度の造作は、この業界ならどこにでも転がっているし、畑違いのことに手を出すべきではないとも思っている。
 だが温人から容姿を褒められるのは悪い気がしなかった。
「高岡勇士郎さんじゃなくて、タカオカ ツカサさん、なんですね」
 筆名を見て温人が意外そうな声を出す。
「せや。仕事はそれでやっとる」
「なんでツカサさん、なんですか」
「勇士郎てなんか仰々しいやろ。せやから、真ん中の「士」っていう字だけ取ってん。それで『ツカサ』って読むんや」
「へえ、そうなんですね。ぜんぶカタカナっていうのも、なんかかっこいいです」
「ほんまに? ありがとぉ」
「あ、このドラマ観たことあります」
 収録されていた脚本のタイトルとドラマの1シーンを写した写真を見て、温人が小さく声をあげた。単発のサスペンスもので、孤高の女性記者が主人公の、ハードボイルドタッチのドラマだ。
 骨太で重厚感のある展開が受け、業界内でも割と好評だったらしい。
「俺、これ録画して何回も観ました。この女性記者がタフでかっこよくて、すごく見応えがありました」
「ほんまに? 嬉しいわー」
 原作ものだが、自分でも主人公の女性記者の魅力を上手く出せたと思っていたので、温人の賞賛は嬉しかった。
「でもユウさんの脚本とは知らなかったです」
「脚本家が誰かなんて、普通の視聴者はたいてい気にせえへんよ。それよか作品を覚えとってもらえたほうが嬉しいわ」
「でもこれからは気を付けて見てます」
 温人が真剣な顔でページをめくっているのを、勇士郎はくすぐったいような気持ちで見つめた。
 温人はいつも、勇士郎が欲しいと思っている言葉をくれる。それらはピタリと心の隙間を埋めてくれるような気がするのだ。

 夕食が終わってからも、二人はリビングに移動してそのまま話をした。めったに飲まないワインを開ける。自分では買わないので誰かに貰ったものだろう。
 温人はめっぽう強いらしく、いくら飲んでも全く顔色が変わらなかったが、飲み慣れない勇士郎は、グラス半分を空けただけでも、ふわふわといい気分になっていた。
 温人が聞き上手だからか、勇士郎はいつになく饒舌になる。執筆中はほとんど誰かと会うことも喋ることもなくなるので、こうして人と会話するのは、意外にも楽しい気分転換になった。


「じゃあ、原作とドラマって別物なんですか」
「完全に別物にしてまうと、原作のファンから非難浴びたりするやろ。せやからそのあたりの按配が難しいんやけど、オレが気を付けるようにしとるんは、その原作の本質を崩さんようにってことやろなあ。表現方法がちゃうから、どうしても一度解体して組み直す必要があんねん。原作を読みこんで、そのテーマやエッセンス、キャラの性質や、その物語における役割なんかを汲み取って、それを映像用に再構築するんや」
「再構築、ですか」
「例えば小説やったら地の文でいくらでも考えてることや感情なんかを説明できるけど、シナリオでは目に見えへんもんを書いたらあかんねん。せやから表に出た形、つまり言動でその感情を表すわけや。それも、より映像に映えるような形でな」
「なるほど」
「ある石を投げて、反応を見る。原作のキャラの本質をちゃんと掴んどったら、起こったことにどんな反応をするかは予測できるやろ。そこにはその人間の性格とか気質、ポリシーみたいなもんも反映されとるべきなんや。外に出るモンには必ず、その人物の内部が反映されとるもんや。せやからオレはいつも人を見て、人の心を考えるようにしとる」
 偉そうに語っているという自覚はあった。だが自分は元々見栄っ張りだ。それが好意を持つ相手なら尚更カッコつけたくなるのも当然だろう。
(――え……、)
 今自分が考えたことに大きく心臓が跳ねた。
 急に黙り込んだ勇士郎を、温人が不思議そうに見る。
「どうしました?」
「あ、いや……」
 慌ててグラスのワインを飲み干す。ふわあーっと顔が火照って、なんだか目に膜が張ったみたいにクラクラしてきた。
「ユウさん?」
「いや、……なんや、オレの話ばっかで、つまらんことない?」
「え、なんで、すごく面白いです」
「そ、そぉか?」
「でも、ユウさんの話も聞いてみたいです」
「オレの話? しとるやんか」
 意味が判らなくて首を傾げる。
「いや、そうじゃなくて、ユウさん自身の話というか。あなたは俺によく喋ってくれるけど、あなた自身のことはあまり話さないんだなぁと思って」
 勇士郎はハッとして思わず温人を見つめた。
「ユウさんの名前の由来とか、好きな食べ物以外のことも聞いてみたいなって思ったりもします。あ、もちろん無理にとは、言わないですけど、」
 温人は何気なく言ったつもりかもしれないが、勇士郎は温人の鋭さに内心舌を巻く。
 確かにこういう仕事の話や雑談なんかをするのは苦にもならないが、自分自身のことを語るのはあまり得意ではなかった。それよりは、相手を話題の中心に据えることの方が圧倒的に多いと思う。その方が自分にとってラクだからだ。
 温人は一見ぼんやりとしているようだが、実はとてもよく人を見ているのだと気付く。
 それが他の人間だったら負担に感じただろうが、何故か温人に自分のことを見抜かれるのは嫌ではなかった。むしろ気持ちがラクになるような気さえする。
 それは温人が曲がったものの見方をせずに、そのものをありのままに見ることができる男だと感じるからかもしれない。
 勇士郎は自分のグラスになみなみとワインを注ぎ、それをまた半分ほど飲んだ。
「ほな喋ったろかー。オレはこれでも剣道やってたんやで。ウチの親父、つよしいうんやけど、…フフッ、凄ない? 豪って。どんだけ強いのが好きやねん」
「ユウさん? …ちょっと酔ってるでしょ」
 温人が心配そうに言うのがなんだかおかしくて、わくわくするような楽しい気分になる。
「酔ぅてへんわー、んでなー、ウチの豪がな、男子たるもの言うて、無理やり剣道習わせてん、オレに。そんなんやりたなかったけど、うち一人っ子やし、その分、期待も大きかったんやろ? しゃあないわなー、頑張って竹刀振ったった。あははっ……、ぅん? あれぇ~」
 竹刀を振るフリをしたら、身体が急にぐらぐらと揺れ出した。
「ユウさん…、もしかして、すごく酒に弱いんじゃ?」
 さりげなく支えてくれる腕を払って、勇士郎はまたグラスの残りを飲み干す。
「弱ない! オレは強いんや! せや、自分左利きなんやろ、腕相撲しよや、な? オレ右利きやから、右やったら勝てるかもしらん」
 ほれ、と言ってユラユラしながら目の前のローテーブルの向かい側に移動し、右肘をつく。
「ユウさんが勝つと思いますよ、昔試合で右手首骨折してるんで、あんまり強くないと思うし」
「え……、ほんなら、まだ痛いん……?」
 心配になって眉を顰めると、温人はそんな勇士郎を優しげに見つめ、同じようにテーブルに右肘をついてくれた。大きな手がぎゅっと勇士郎の酒で火照った手を握る。
「今はもう全然痛くないですよ」
「ほんまに?」
 首を傾げて尋ねると、温人は目を細めて笑った。
「はい」
「ほな行くで? ええか」
「いいですよ」
「よーし! レディーー、ごうっ」
 勇士郎が合図してファイトが始まる。
 力は拮抗しているかのように見えたが、十秒ほどして温人を見ると、まったく力む様子もなく楽しそうに勇士郎の顔を見ている。
 えっ、と思った瞬間、もの凄い力で呆気なく勇士郎の手の甲がガラステーブルに触れた。
「ああーー、うそついたぁ! 弱ないやんかぁ、うそつきやあぁ~~!」
 立ち上がり飛びついていってポカポカと温人の胸を叩くと、温人は笑い声をあげて、勇士郎を優しく抱き留めてくれた。大きな身体に触れるとなんだかとても安心する。
「温人ウソつきや~最初っから勝つのわかっとったんやろ~、オレがちっこいからかぁ~」
 温人の胸に真っ赤に火照った顔を擦りつけると、温人がなおも楽しそうに笑った。
 それが嬉しくて勇士郎は文句を言いながら、ぐずぐずと大きな腕のなかで甘える。
 ちょっと…、可愛すぎるよ…、と小さく聞こえた気がしたが、勇士郎はあまりの心地よさにうっとりとして、フワフワした気分のまま、いつのまにか温人の腕のなかで眠ってしまった。
 

 その招待状が届いたのは、それから三日後のことだった。差出人の名を見た瞬間、勇士郎の心臓がギュウッと絞り上げられた。
『この度、私たちは結婚式を挙げることになりました。』
 その言葉だけが、グルグルと何度も頭の中を駆け巡る。
 新郎の名は「辻野泰典つじのやすのり」。かつてのバンド仲間であり、親友であり、出逢ってから今日までずっと、勇士郎が密かに想い続けてきた男だ。
 彼の名前の横に書かれた、佐々木紀子ささきのりこという新婦の名前を見た瞬間、深い悲しみが、みぞおちから喉奥までこみ上げてきて、勇士郎は咄嗟に招待状を封筒にしまってしまった。自室のデスクの一番下の引出しの奥にそれをしまう。
 しばらくはぼんやりとして、何も考えることが出来なかった。
 赤いチェアに座って、壁に貼ってある写真を見つめる。若き日の辻野と勇士郎が笑っている。
 辻野と出逢ったのは高校二年の時だ。同じクラスで、最初はさほど親しくなかったのだが、ある日クラスの何人かとカラオケに行ったとき、帰りに辻野から声を掛けてきた。
『なあ、一緒にバンドせえへん?』
『え?』
『俺、おまえの声すごい好きや。ボーカルやったらええと思う。絶対ウケるで』
 その言葉がきっかけだった。
 辻野がギターで、他に別のクラスからベースとドラムを集め、『Alison』が結成された。
 アリソン、は女性に多い名前だが、なんとなく響きが綺麗で、ボーカルを務める勇士郎の優しげな容姿にもよく似合うということで決められた。
 主に国内外のロックバンドのコピーをしつつ、辻野が作曲、勇士郎が作詞でオリジナルも作った。
 結成半年後から小さなライブハウスに出演し始め、次第にファンが付き始めると、もう少し大きな箱でやるようになった。
 ライブはいつも盛況だった。特に勇士郎と辻野は、そのルックスのせいもあり、人気はうなぎ上りだった。
 勇士郎は顔が小さく色白で、くっきりとした二重まぶたの大きな目がひときわ目を惹く、甘い顔立ちをしている。特に笑顔が可愛いと評判になり、勇士郎が笑うといつも大きな歓声があがった。
 反対に辻野は背が高く、理知的でクールな男前なので、対照的な二人はいつも良い意味で比較され、人気を二分した。
 勇士郎は早い段階から辻野に惹かれていた。おまえの声が好きだといった彼の涼やかな声が、その言葉が、その後もずっと忘れられず、自分を認めてくれた辻野のためにも、バンドを盛り上げたいといつも考えていた。
 自分の恋愛対象が男だということは、中学の頃から気付いてはいたが、辻野ほど勇士郎の心を捉えた男はいなかったし、ふとした接触ですら、身体が甘く痺れるようなことは、それまで一度もなかった。
 高校三年になると、進路の問題が出て来た。ベースとドラムは地元に残り、勇士郎と辻野は大学進学で上京することになったため、バンドは解散となった。
 その後、辻野とは大学は別になったが、東京で新たなメンバーを見つけて、再び同じバンド名でライブ活動を再開した。 
 ライブは盛況で、『Alison』と言えばちょっと知られた存在となった。
 ここでも勇士郎と辻野は大きな人気を得た。ファンサービスとして、よく二人でハグや頬へのキスなどをして、歓喜の悲鳴を浴びていたが、勇士郎は毎回胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
 この頃は本当に幸せだったと思う。恋人にはなれなくても、辻野の一番近い場所にいるような気がしていたからだ。
 『Alison』は大学二年の時にライブハウスでスカウトされたのだが、ベースとドラムの二人が抜けることになって、デビューではなく解散となってしまった。
 引き抜きの理由が、表向きは音楽性を買ってのことだと言いながらも、その実、勇士郎と辻野のルックスに目を付けたものだったと判ったからだ。
 そのせいでメンバー内の空気はぎこちないものとなり、ベースとドラムが脱退。残された勇士郎と辻野も、年齢や将来のこと、次のメンバーを見つける情熱が残っていなかったことなどを理由に、バンドの継続を断念した。
 バンドが無くなってしまったことは悲しくて寂しいことだったが、勇士郎はどこかホッとしてもいた。
 その頃、辻野が彼女と同棲を始め、勇士郎は辻野の傍にいることが、辛くて堪らなくなっていたからだ。
 バンド解散を機に、辻野とはめったに逢わなくなった。今では時々、共通の友人の結婚式などで会うくらいだ。
 今回の招待状に書かれていた新婦の名前は、当時辻野が同棲していた彼女の名前ではなかった。十二年も経てば、何もおかしいことではない。ただ勇士郎はなんだか身体中の力が抜けるような虚しさを感じた。
 辻野があの後、そうやって色々な人に出逢い、こうして人生のパートナーを見つけた今も、勇士郎は独りだ。恋人と呼べる存在がいたことは、一度もない。
 そしてきっと、これからもそうなのだろうと、勇士郎は思う。

 その夜、温人が走りに行くというので、勇士郎は一緒に走らせて欲しいとお願いした。
 体力がかなり戻りつつある温人は、最近夜のジョギングを始めたのだ。これは元々の習慣だったらしい。
「いいですけど、……どうしたんですか、急に」
「いやなんか、家にこもってばっかやと、頭も鈍ってくんねん。ちょっとは運動したほうがええかな思て」
「そうですか」
 温人は頷いたが、意外に鋭い男のことだから、勇士郎の表情に何かを感じ取っているかもしれない。
 それでも温人は、それ以上は何も訊かずに、いつも走っているというコースを、一緒に走らせてくれた。例の公園の外周をぐるっと回るようなコースだ。
 勇士郎は何も考えずに黙々と走った。何も考えたくはなかった。
 夜になっても湿度が高いので、すぐにTシャツは汗だくになった。温人が時折振り向いて、勇士郎がついて来れているかを確かめてくれる。ペースもきっと、いつもよりずっと緩めてくれているのだろう。
 勇士郎は淀みのない走りを見せる温人の、広い背中を見つめた。大きくて、頼りがいのありそうな背中だ。
 けれどこの背中も、いつかこの先に温人が出逢う、可愛い彼女や、奥さんのためのものなのだ。
 そう思うと勇士郎はまた哀しくなった。


 
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