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第三話
張り巡らされた糸の中で(下)②
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〇本社棟 二階 人事部・女性活躍推進室
「こちらが私の所属する人事部と、女性活躍推進室の事務所です。」
金井戸に案内されながら、何事も無く一室に辿りついた。
その部屋では、パソコンが乗っかった机が向かい合う形で並んでおり、それぞれの席で十人ほどの社員達が作業をしていた。
「すみません皆さん。ちょっとよろしいですか?」
金井戸の声に、作業をしていた社員達の手が止まり、俺達に視線が集まった。
「本日から期間限定ですが、私の補佐についていただく小夜啼さんと空見君です。」
「小夜啼百合子と申します。よろしくお願いいたします。」
「あー、空見 凱と申します。よろしくお願いいたします。」
スタッフの前で紹介をされて挨拶をし、拍手で迎え入れてもらった。
殺害予告については、一部の偉い人達以外には知られていないので、俺達が警護として金井戸に付いているということは伏せていた。
「じゃあ、二人ともこちらに来てください。」
金井戸に促されて、俺達は彼女が普段仕事をしている一室に移動した。
会社の偉い人であっても、専用に部屋を用意されるというのは稀らしいが、金井戸には専用に一室あてがわれていた。
社員との面談や仕事の悩み相談を受け付けることもあって、社員のプライバシーを守るための配慮らしい。
「ここでは、この研究所に勤務する社員の管理業務全般をしているわ。
後は、その名の通りなんだけど、女性社員の社内地位の向上や働きやすい環境作りを進めることかしら……
私は一応、この人事部の部長と女性活躍推進室の室長を任されております。」
「え……金井戸様はまだ20代ですよね。それで部長は凄いです。」
百合子は世辞ではなく、普通に驚いているようだ。
俺は身近に、20代で社長になったというおばさんがいるので、驚きは無かった。
「いえいえ、全然よ。
恥ずかしい話、スタッフの皆に助けてもらわないと、全然ダメだし……
だから、お二人とも、そんな硬くならず楽にしてくださいな。」
緊張が顔に出ているのだろうか?
護衛対象に気を使われるとは、ちと情けない。
それに、言われた通り、楽にするわけにはいかない。
朱兄が事前にお願いしておいたらしいが、金井戸の席は窓から出来るだけ離れた位置に移動したらしい。
俺は室内の入り口側に、百合子は窓側に移動し、各々周囲を警戒しはじめた。
その矢先、俺が背中に背負っていた犬用リュックの中で、エイチがもぞもぞ動き出した。
「金井戸さん、犬は大丈夫ですよね?」
一応、エイチを出すことについて断りを入れる。
「ああ、警察犬?でしたっけ?大丈夫ですよ。」
朱兄は、魔具探知犬を警察犬みたいなものと補足を入れて説明していたが、やはりピンと来ていないらしい。
俺がリュックを開けると、エイチがのそのそと出てきて、大きなあくびをした。
「まぁ、可愛い子ね!」
金井戸はパッと笑顔になると、エイチの傍で腰を降ろした。
……可愛い?
こいつの本性を知っている俺からすれば、ヤバイ犬でしかないのだが……
「いくら犬用と言っても、リュックの中にいて、怖かったり苦しかったりしないのかしら?」
「普通の犬は長時間無理みたいですけど、こいつはこの中が、お気に入りの場所なんです。
俺に目的地まで運ばせて、その間はリュックの中で寝るのが好きみたいでね。
はしゃいで暴れまわるのは困りますが、出来る限り自分で歩けって思うんですけどねぇ……
おいっ!また入るんじゃねぇ!」
俺は、再びリュックに潜り込もうとしたエイチの首輪を掴んで、外に出した。
「がうっ!」
エイチは不機嫌そうに俺の手を振り払うと、金井戸に気付き、その顔をジッと眺めた。
そして、首を傾げるような仕草を見せた後、
「ふん……」
と鼻を鳴らすと、興味を失ったように体を丸めて寝てしまった。
……金井戸は好みでは無かったか?
犬に礼儀を期待しても仕方は無いが、失礼な奴だ。
しかし、興奮して飛びかかるよりはマシではある。
「明日、ワンちゃん用のおやつを持ってこようかしら?」
「ああ、お構いなく。
飯の類は、こちらで用意するんで……
あと、すみませんが、今週はスカートを履くのは、ご遠慮いただけると助かります。」
「え?……わかりました。
やっぱり、走ったりすることも多くなりますよね?
動きやすい服装や靴に変えた方が良いのかしら?」
俺がスカートを履かない方がいいと言う理由を、金井戸は『マトモな理由』からだと思っているようだ。
金井戸幸子は二十七歳の若い女性。
今の彼女は、スーツパンツを履いているからエイチは無反応なのかもしれないが、スカートから伸びる脚を見たら、どう反応するか分からない。
それにしても、この人……スタイルがスゲーいい人なのでは無いだろうか?
「あの、空見君?」
金井戸の呼びかけに、俺は咄嗟に彼女の体から視線を外した。
「ああ、そうですね。確かに動ける服装や靴が一番ですが、今の服装でも問題は無いですよ。
金井戸さんが無理に走るような事態にならないよう、こちらが努めますので。」
そもそも逃げ回るような事態になったら、俺が金井戸を抱きかかえて逃げるか、百合子の魔法で対処する事になると思っている。
「まぁ、頼もしいわね。」
金井戸は、俺のカッコつけた回答に感激したのか、両手を合わせて笑顔を浮かべた。
体を見ていたことが、金井戸本人にバレたと思ったが、大丈夫なようだ。
別に、いやらしい目で見ていた訳ではない……そもそも、そういう感情を覚えないのだ。
朱兄と今朝、話をした通り、鳥飛光の人間と表の世界の人間では、互いに異性の魅力を感じないのは確かな話のようだ。
しかし、エイチの場合はどうなのか?
こいつは鳥飛光生まれのはずだが、表の世界の女の太ももに反応するのだろうか?
これから廊下を歩く際には、『X』の捜索のため、エイチにリードを付けて歩かせることになるが、女性社員に気を取られて、感知が疎かにならないだろうか?
……と、心配事は絶えないのだった。
「あ、そうそう。今日の私の予定は、このホワイトボードに書いてありますので、部屋から出るときは声を掛けますね。」
金井戸が壁にかかっているホワイトボードの隣に移動し、文字が書いてあるところを指差した。
十時三十分から『資材課・面談』、場所は『試作工場』と書いてあった。
確かに、予め渡されていた金井戸の業務予定表を見ると、十時三十分から十一時まで資材課の鈴木という派遣社員と、面談をする予定となっていた。
「承知しました。
ミーティングでもあったように、予定の有無に関係なく、必ず部屋を出る時は、俺達に声をかけてください。」
まだ時間がある。
俺は再び室内の出入り口に移動すると、降魔の剣の入った袋を抱え、警戒をはじめた。
すると間もなく、ドアをノックする音が耳に入り、俺の体に少しだけ緊張感が走った。
「あ、ええっと…」
金井戸はどうしたら良いか、判断に困り俺の顔を見た。
「通して構いません。
知らない奴だったら、すぐ教えてください。」
金井戸にそう言いつつ、俺は扉に意識を集中しはじめた。
「はい、どうぞ。」
「金井戸室長、ちょっと相談なんですけどー……ヒッ!?
……え、なんで犬が?」
見覚えがある。隣の部屋にいた若い女性社員の一人だ。
女性社員は部屋に入るなり、自分にジッと視線を向けている俺と、寝ているエイチに気づいて、体をビクつかせた。
金井戸が狙われていることを大っぴらに出来ない分、ボディチェックをする訳にも行かない。不審な動きをしないか、そこに意識を集中した。
「あー、すみません。お気になさらずー。」
俺は笑顔で謝罪をしながら、エイチが起きて、彼女のスカートから伸びる脚に興奮して飛び掛かったりしないように、首輪を掴んで会釈をした。
女性社員は、単に仕事の相談に来ただけのようで用が済むと、すぐに出ていった。
部長かつ社員の管理業務をしているのだから、こういった社員の訪問は多そうだ。
また、ミーティングで事前に聞かされていたことだが、金井戸幸子の仕事は、デスクワークが中心かと思ったが、他部署の社員との打ち合わせ、人材会社との打ち合わせなどで部屋を出ることも多いらしい。
流石にこの一か月は出張を予定から外すように、朱兄達から事前にお願いをして、調整してもらっているようだが。
それと、金井戸幸子は周りによく気を配る人だった。
俺達に対して、喉が渇いていないかと、お茶を自分で準備しようとしたりする。
その度に俺達は、気は使わないでいいと断った。
ようやく、俺達が居ることに慣れた金井戸は、自分の席で書類を見ながらパソコンのキーボードをカタカタと打ったりして作業を続けていたが、しばらくして小さなアラーム音が部屋に響いた。
「あの、お二人とも、すみません。
これから資材課の方で、社員の方、一人と面談をします。」
金井戸は、自分の手首につけている腕時計を見ながら、俺達に声をかけてきた。
ホワイトボードに書いてある資材課での面談開始時間、十時三十分の10分前となっていた。
何の変わりも無く、少し気が抜け始めた頃だったから丁度いい。
「では、行きましょうか。
俺とエイチが前、金井戸さんはその後ろ、最後尾を百合子が固めます。
どちらに進むか、その都度、指示をお願いします。」
部屋を出ると、先ほど金井戸に相談をしていた女性社員と、別の女性社員が扉の近くに立っていた。
俺達を見ながらコソコソ何かを話をした後、自分の席に戻っていった。
ちなみに、金井戸の部下の社員は女性社員が七人、男性社員が三人。
女性社員はパソコンをいじっている人、何かの書類を書いている人と、電話の対応をしているといった人と様々で、生き生きと仕事をしているように見える。
しかし、男性社員の方はというと、若い社員の一人はパソコンとにらめっこをしながら必死に仕事をしているが、中年くらいの歳の一人は腕を組んで居眠りをしているし、もう一人は完全に机に突っ伏している。
しかし金井戸は、それを注意する様子も無かった。
「そうそう。会議室でも説明があったけど、このカードは特定の部屋の出入りに使うので、失くさないようにして下さいね。」
金井戸は廊下に出る前に、自分の首にかけて下げている顔写真入りのカードを指差した。
それは俺達も会議室で、それぞれ自分の顔写真の入ったものを配られて、既に首から下げているものだった。
「このドア、今は鍵がかかっているけど、カードをこの白い箱にかざすと、部屋のロックが解除されてドアが開くようになっているの。」
金井戸は、扉にあるドアノブを回して開けようとするが、確かに扉は開かない。
「空見君、試しにドアを開けてみて。」
金井戸に促されて、俺はドアの近くにある白い箱にカードをかざした。
するとキュインという小さな音がしてから、カチっという音がした。
「これで開きました。」
その後にドアノブを回してから押すと、扉が開いて俺達はそのまま廊下に出た。
「こんなので、ドアの鍵を外したりできるのか。」
「ええ。ちなみにドアが閉まってから五秒経つと、自動で鍵がかかります。」
鍵を開けたときと同じ機械音がしたあと、カチッという音がした。
試しにドアを開こうするが、ビクともしない。
「へぇ……機械でよくやるもんだな。」
「凄いですね。」
大企業では、当たり前のように施されているセキュリティに、俺と百合子は田舎者丸出しで驚いた。
そんな俺達に、金井戸は声を潜めるようにして注意事項を付け加えた。
「あまり大きな声で言えないのだけれど、貴方達にお渡ししたカードは、この研究所の部長クラスと同じ権限が与えられているの。だから大抵の部屋は開けられるかな。
本来、研究開発棟、試作工場への出入りは関係者……研究員や設計者、工場で作業する社員しか出入り出来ないのよ。
だから、無いとは思うけど、鍵のかかっている部屋や工場には用が無い場合、入らないようにお願いしますね。」
ほとんどの鍵は、このカードで開けられるってことか。それは俺とエイチに与えらえた密命である『X』探しには都合が良い。
悪いな、金井戸さんよ。このカードキーは十二分に利用させてもらうぜ。
俺は心の中で、ほくそ笑んだ。
その後、俺と百合子は周囲を警戒しつつ、エイチに『X』の形跡を探らせながら、金井戸に案内で試作工場に向かう。
〇試作工場
本社棟の建屋を裏口から出て、高さが無い代わりに広さのある本社棟と同じ白塗りの建物、『試作工場』の中に入っていく。
途中、すれ違う社員の中には俺達、特にエイチを見て目を丸くする人もいたが、咎められることは無かった。
本社棟と違い、工場独特の、油と金属のにおいが漂っている。
少し奥の方には、大きな機械が並んでおり、その近くには材料の金属が整理されて置かれていた。
空調が強めに効いていて、スーツを着込んでいるにも関わらず、少し肌寒く感じるくらいだ。
入口近くにある階段を上り、二階にある工場事務所のある廊下に入ると、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「あの声は?」
俺の質問に金井戸は、困ったというように目を伏せ、深く息を吐いた。
「部長の吾太丘です。
あれで参ってしまう社員の方、結構多いのよ……」
一番奥の方に一部屋、左に二部屋、右には窓があり、工場内の様子が確認できるようになっていた。
「一番奥は、製造部の事務所で製造部部長の吾太丘が、左奥は購買課で、そこには購買課課長の吾太丘太郎丸がおります。
来週からは、こちらでのお仕事になりますね。」
これなら迷うことは無さそうだ。
しかし、あの吾太丘太郎丸に鉢合わせたら因縁を付けられそうなので、必要の無いときには近づかない方が無難だろう。
「この手前の一室が、資材課ですね。」
俺は先ほど教わったように、カードキーをドア横の白い箱にかざしてロックを解除し、先行して部屋の中に入ると、すぐにコーヒーの香ばしい香りが鼻に入ってきた。
入口近くに設置された棚の上には、白いポットと市販のインスタントコーヒーの粉の入った瓶が数種類と、スティックシュガーの入った袋が並べられており、その前に帽子をかぶった作業着姿の小柄な社員が、紙コップを持って立っていた。コーヒーの香りは、この人の持っている紙コップからくるものだろう。
資材課事務所は、工場内の事務所ということもあって鉄と油のにおいの漂った、汚い部屋を想像していたが、意外にも清潔感があり、人事部の事務所の倍は広かった。
また、部屋にいる人のほとんどは作業着を着ており、半分くらいの人は、忙しそうに動き回っていた。
「鈴木さん。一息ついているところだった?」
俺の後に部屋に入って来た金井戸が、入り口近くに居た、コーヒーを持った小柄な作業着姿の社員に声をかけた。
鈴木と呼ばれた社員は、金井戸を囲んでいる俺と百合子、それにエイチを見て一瞬、怪訝な顔をするが、被っていた帽子を取って軽く会釈をしてきた。
ウェーブのかかった茶髪を肩まで伸ばした、ギャルっぽい若い女性だった。
「こんちわ。
金井戸さん……今日はなんか、物々しいっすね。」
鈴木は、口調は軽いが、少し低めの声をしていた。
「この二人は新人さん。
研修がてら、一緒に来てもらったの。」
「……私の目の前で、涎を垂らしている犬もっすか?」
鈴木の目の前で、エイチが目をランランとさせて尻尾を振っている。
飛び掛からないだけマシだが、エイチの奴は目線を上から下、下から上と鈴木の体を舐め回すように見ていた。
「エイチ、一旦、リュックの中に戻っていいぞ!」
俺は、今にも鈴木に飛び掛かりそうだったエイチをヒョイッと持ち上げると、犬用リュックの中に戻した。
「キャウン!キャウン!」
エイチはいつも犬用リュックで寝る際には過度に光が入るのを嫌がるため、自分からリュックの口を閉じるのだが、今は閉じようとするとリュックの中で暴れ始めた。
「あら……なんか可哀想っすね。」
俺は、仕方なくエイチを静める為に頭を出したままの状態にして、犬用リュックを背負った。
金井戸は苦笑いを浮かべながら、鈴木に本題を切り出した。
「約束通り、これから面談だけど……」
「はい、大丈夫っすよ。」
鈴木はノートと筆記用具を持って軽く振った。
仕切られたスペースに、金井戸と鈴木が座る。
俺と百合子は金井戸と鈴木を視界に入れつつ、少し離れた位置に控えた。
『鈴木さん、考えてくれた?』『その気はないんで』
とか、会話が聞こえてくる。
プライバシーを考えれば、聞かない方が良いのだろうが、耳に入ってくるのだから仕方が無い。もちろん周囲に意識は配っているわけだが……
しかし、金井戸達を殺そうとダスク教に依頼したのは誰なのだろうか?
金井戸、吾太丘部長、太郎丸、それぞれ違う奴が頼んだ可能性もあれば、同一人物が頼んだ可能性もあるし、研究所の社員かもしれないし、そうでないかもしれない。
朱兄たちは、研究所の所長・原黒から金井戸達を殺すよう依頼した人物についても、水面下で探して欲しいと頼まれているらしい。
しかし、俺達はあくまで護衛に集中するのが仕事だ。気になることがあれば、朱兄の耳に入れておけばいい。
この鈴木さんは、金井戸と時折笑みを浮かべながら話しているところを見ると、ダスク教への依頼人では無さそうに見えるが……
そんな事を考えていると、
「もういいっすか?仕事も積まれているんで……」
鈴木の少し強めの声を出して、立ち上がった。
「……分かりました。でもね。よく考えて欲しいの。
派遣は長くは続けられないし、正社員なら結婚した後も……」
「だったらなんで、鳳凰院は派遣会社で人集めているんすか?
おたくの正社員と同じ仕事をしている私達とで、何で待遇に差があるんすか?
それに私、知っているっすよ?
おたくの会社、産休を取ろうとした社員を結局が辞めさせているの……」
「私は、それを許さないための改革を……」
「……実績を見せてから言ってくださいっす。
失礼します!」
鈴木は金井戸に一礼し、俺達に向かって軽く会釈をすると早足で去っていった。
話の内容は良く見えないが、あの様子だと良くない終わり方をしたようだ。
金井戸は溜息を着くと、苦笑いを浮かべ、
「それじゃあ、戻りましょうか?」
トボトボと、歩き出したので、俺達は来た時と同じ位置取りで金井戸の周りに着いた。
それから、何事も無く金井戸の仕事場に戻り、昼を迎えた。
この本社棟に、大きな社員食堂があるらしいが、人の出入りの激しいところに行くなど、リスクが大きすぎる。
なので、ひと月の間、金井戸達には弁当を準備して貰うよう、事前にお願いしてあるらしい。
念のため、金井戸の弁当に毒が仕込まれていないか、百合子が魔法で確かめた。
毒の検知魔法については、封じの対象では無い解毒魔法と同じ系統だから、なんとか使えるらしい。
「色々と、お手数かけて悪いわね……」
「いえ、気になさらないでください。」
そう言いながら百合子は、チェックした弁当を金井戸に返した。
俺は用意して貰った椅子に座り、ドアの方に注意しながら、朝早く起きて残飯で作った握り飯を食っていた。ちなみにエイチにも同じものを食わせている。
百合子も家から持ってきた弁当を窓際で、椅子に座りながら食べている。
しかし、百合子と金井戸の弁当箱は、えらく小さい。
あんなので、あと半日持つのだろうか?
「凱君、そ、それだけだと足りないのでは?」
百合子が遠慮がちに聞いてきた。
それはこっちの台詞だと思いながら、
「いや、大丈夫だ。」
自作の馬鹿でかい握り飯を突き出して見せた。
「ご、ご飯だけだとバランスが悪いですから、これ、どうですか?
あと、エイチさんにも……」
百合子は自分の鞄から、自分が食べている弁当箱よりも一回り大きな弁当箱と、少し高級なドッグフードの入った袋を出してきた。
な、なんだ、この俺には縁遠いと思っていたイベントは!?
不覚にも胸がドキュンと高鳴ってしまう。
「せ、折角だから、いただくとしよう。」
互いにドアと窓に注意をしつつ、一歩近づいて弁当とドッグフードの受け渡しを行う。
「あらあら、青春ねぇ。
お二人って、そういう関係なのかしら?」
金井戸が俺達を見ながらニヤニヤ笑っている。
「いや、ただ幼馴染ですよ。腐れ縁っていうか……」
俺は、少しあたふたしながら答えた。
「が、凱君、腐れ縁だなんて、酷いです!」
百合子は頬をぷくーと膨らませた。
「い、いや、思い出しても見ろ。俺が蒼錬のおっさんに殺されそうになったところを、お前に助けてもらったのが初めての出会いだったろ?
それからは、俺が蒼源のジジイに痛めつけられて死にそうになる度に、それを治療するのがお前。
腐れ縁って言っても間違いじゃねぇだろ?」
俺は思わず慌てて弁明をするが、金井戸の前でする話では無かった。
「こ、殺され…?
まぁ、でも、助けてもらっているんだから、腐れ縁とは違うんじゃない?
照れ隠しでも、お付き合いを腐れ縁だなんて、女の子に言うのはダメだと思うなぁ。」
と、金井戸に指摘された。ばつが悪くなった俺は、
「と、とにかく弁当、サンキューな。」
と百合子に礼を言い、エイチの飯の容器にドッグフードを入れ、俺は準備してもらった弁当箱を開けた。
定番の唐揚げ、少し焦げた卵焼きにタコさんウィンナー、それに不格好だが、うさぎを模したリンゴまでついている。
しかも、この弁当箱、新品じゃないか?
正直、見た目がいまいちの弁当だが、百合子から貰えたことは素直に嬉しい。
とりあえず、不安と喜びを胸にいただくとしよう。
「いただきます。」
まずは卵焼きを頬張る。
「う、うめぇ……!」
思わず声が出た。
焦げた部分は若干苦いが、それを差し引いても、俺好みの絶妙な甘さと塩加減の効いた卵焼きだった。
俺はその勢いで、若干油でネチョっとした唐揚げや、少し焦げたウィンナー等、全てのおかずとご飯を、あっという間に平らげてしまった。
普通に美味しかった!
「ごちそうさまでした!」
俺は百合子の弁当に続き、自分が準備していた握り飯も食べ終えた。
「お二人ともお茶、いれましょうか?
空見君、その表情、ポイント高いわよ?」
金井戸がニヤニヤしながら、席の後ろにある棚からカップを出した。
確かに弁当が美味かったのと、なにより百合子が自分の為に弁当を用意してきてくれたことに、自然と笑みを浮かべてしまったかもしれない。
俺は照れを誤魔化すように、後頭部をポリポリかきながら、
「ああ、お願いします。」
お言葉に甘えることにした。
その時、百合子が窓の外を注意しながらも、ホッと胸を撫で下ろす姿が、俺の目に入ったのだった。
「こちらが私の所属する人事部と、女性活躍推進室の事務所です。」
金井戸に案内されながら、何事も無く一室に辿りついた。
その部屋では、パソコンが乗っかった机が向かい合う形で並んでおり、それぞれの席で十人ほどの社員達が作業をしていた。
「すみません皆さん。ちょっとよろしいですか?」
金井戸の声に、作業をしていた社員達の手が止まり、俺達に視線が集まった。
「本日から期間限定ですが、私の補佐についていただく小夜啼さんと空見君です。」
「小夜啼百合子と申します。よろしくお願いいたします。」
「あー、空見 凱と申します。よろしくお願いいたします。」
スタッフの前で紹介をされて挨拶をし、拍手で迎え入れてもらった。
殺害予告については、一部の偉い人達以外には知られていないので、俺達が警護として金井戸に付いているということは伏せていた。
「じゃあ、二人ともこちらに来てください。」
金井戸に促されて、俺達は彼女が普段仕事をしている一室に移動した。
会社の偉い人であっても、専用に部屋を用意されるというのは稀らしいが、金井戸には専用に一室あてがわれていた。
社員との面談や仕事の悩み相談を受け付けることもあって、社員のプライバシーを守るための配慮らしい。
「ここでは、この研究所に勤務する社員の管理業務全般をしているわ。
後は、その名の通りなんだけど、女性社員の社内地位の向上や働きやすい環境作りを進めることかしら……
私は一応、この人事部の部長と女性活躍推進室の室長を任されております。」
「え……金井戸様はまだ20代ですよね。それで部長は凄いです。」
百合子は世辞ではなく、普通に驚いているようだ。
俺は身近に、20代で社長になったというおばさんがいるので、驚きは無かった。
「いえいえ、全然よ。
恥ずかしい話、スタッフの皆に助けてもらわないと、全然ダメだし……
だから、お二人とも、そんな硬くならず楽にしてくださいな。」
緊張が顔に出ているのだろうか?
護衛対象に気を使われるとは、ちと情けない。
それに、言われた通り、楽にするわけにはいかない。
朱兄が事前にお願いしておいたらしいが、金井戸の席は窓から出来るだけ離れた位置に移動したらしい。
俺は室内の入り口側に、百合子は窓側に移動し、各々周囲を警戒しはじめた。
その矢先、俺が背中に背負っていた犬用リュックの中で、エイチがもぞもぞ動き出した。
「金井戸さん、犬は大丈夫ですよね?」
一応、エイチを出すことについて断りを入れる。
「ああ、警察犬?でしたっけ?大丈夫ですよ。」
朱兄は、魔具探知犬を警察犬みたいなものと補足を入れて説明していたが、やはりピンと来ていないらしい。
俺がリュックを開けると、エイチがのそのそと出てきて、大きなあくびをした。
「まぁ、可愛い子ね!」
金井戸はパッと笑顔になると、エイチの傍で腰を降ろした。
……可愛い?
こいつの本性を知っている俺からすれば、ヤバイ犬でしかないのだが……
「いくら犬用と言っても、リュックの中にいて、怖かったり苦しかったりしないのかしら?」
「普通の犬は長時間無理みたいですけど、こいつはこの中が、お気に入りの場所なんです。
俺に目的地まで運ばせて、その間はリュックの中で寝るのが好きみたいでね。
はしゃいで暴れまわるのは困りますが、出来る限り自分で歩けって思うんですけどねぇ……
おいっ!また入るんじゃねぇ!」
俺は、再びリュックに潜り込もうとしたエイチの首輪を掴んで、外に出した。
「がうっ!」
エイチは不機嫌そうに俺の手を振り払うと、金井戸に気付き、その顔をジッと眺めた。
そして、首を傾げるような仕草を見せた後、
「ふん……」
と鼻を鳴らすと、興味を失ったように体を丸めて寝てしまった。
……金井戸は好みでは無かったか?
犬に礼儀を期待しても仕方は無いが、失礼な奴だ。
しかし、興奮して飛びかかるよりはマシではある。
「明日、ワンちゃん用のおやつを持ってこようかしら?」
「ああ、お構いなく。
飯の類は、こちらで用意するんで……
あと、すみませんが、今週はスカートを履くのは、ご遠慮いただけると助かります。」
「え?……わかりました。
やっぱり、走ったりすることも多くなりますよね?
動きやすい服装や靴に変えた方が良いのかしら?」
俺がスカートを履かない方がいいと言う理由を、金井戸は『マトモな理由』からだと思っているようだ。
金井戸幸子は二十七歳の若い女性。
今の彼女は、スーツパンツを履いているからエイチは無反応なのかもしれないが、スカートから伸びる脚を見たら、どう反応するか分からない。
それにしても、この人……スタイルがスゲーいい人なのでは無いだろうか?
「あの、空見君?」
金井戸の呼びかけに、俺は咄嗟に彼女の体から視線を外した。
「ああ、そうですね。確かに動ける服装や靴が一番ですが、今の服装でも問題は無いですよ。
金井戸さんが無理に走るような事態にならないよう、こちらが努めますので。」
そもそも逃げ回るような事態になったら、俺が金井戸を抱きかかえて逃げるか、百合子の魔法で対処する事になると思っている。
「まぁ、頼もしいわね。」
金井戸は、俺のカッコつけた回答に感激したのか、両手を合わせて笑顔を浮かべた。
体を見ていたことが、金井戸本人にバレたと思ったが、大丈夫なようだ。
別に、いやらしい目で見ていた訳ではない……そもそも、そういう感情を覚えないのだ。
朱兄と今朝、話をした通り、鳥飛光の人間と表の世界の人間では、互いに異性の魅力を感じないのは確かな話のようだ。
しかし、エイチの場合はどうなのか?
こいつは鳥飛光生まれのはずだが、表の世界の女の太ももに反応するのだろうか?
これから廊下を歩く際には、『X』の捜索のため、エイチにリードを付けて歩かせることになるが、女性社員に気を取られて、感知が疎かにならないだろうか?
……と、心配事は絶えないのだった。
「あ、そうそう。今日の私の予定は、このホワイトボードに書いてありますので、部屋から出るときは声を掛けますね。」
金井戸が壁にかかっているホワイトボードの隣に移動し、文字が書いてあるところを指差した。
十時三十分から『資材課・面談』、場所は『試作工場』と書いてあった。
確かに、予め渡されていた金井戸の業務予定表を見ると、十時三十分から十一時まで資材課の鈴木という派遣社員と、面談をする予定となっていた。
「承知しました。
ミーティングでもあったように、予定の有無に関係なく、必ず部屋を出る時は、俺達に声をかけてください。」
まだ時間がある。
俺は再び室内の出入り口に移動すると、降魔の剣の入った袋を抱え、警戒をはじめた。
すると間もなく、ドアをノックする音が耳に入り、俺の体に少しだけ緊張感が走った。
「あ、ええっと…」
金井戸はどうしたら良いか、判断に困り俺の顔を見た。
「通して構いません。
知らない奴だったら、すぐ教えてください。」
金井戸にそう言いつつ、俺は扉に意識を集中しはじめた。
「はい、どうぞ。」
「金井戸室長、ちょっと相談なんですけどー……ヒッ!?
……え、なんで犬が?」
見覚えがある。隣の部屋にいた若い女性社員の一人だ。
女性社員は部屋に入るなり、自分にジッと視線を向けている俺と、寝ているエイチに気づいて、体をビクつかせた。
金井戸が狙われていることを大っぴらに出来ない分、ボディチェックをする訳にも行かない。不審な動きをしないか、そこに意識を集中した。
「あー、すみません。お気になさらずー。」
俺は笑顔で謝罪をしながら、エイチが起きて、彼女のスカートから伸びる脚に興奮して飛び掛かったりしないように、首輪を掴んで会釈をした。
女性社員は、単に仕事の相談に来ただけのようで用が済むと、すぐに出ていった。
部長かつ社員の管理業務をしているのだから、こういった社員の訪問は多そうだ。
また、ミーティングで事前に聞かされていたことだが、金井戸幸子の仕事は、デスクワークが中心かと思ったが、他部署の社員との打ち合わせ、人材会社との打ち合わせなどで部屋を出ることも多いらしい。
流石にこの一か月は出張を予定から外すように、朱兄達から事前にお願いをして、調整してもらっているようだが。
それと、金井戸幸子は周りによく気を配る人だった。
俺達に対して、喉が渇いていないかと、お茶を自分で準備しようとしたりする。
その度に俺達は、気は使わないでいいと断った。
ようやく、俺達が居ることに慣れた金井戸は、自分の席で書類を見ながらパソコンのキーボードをカタカタと打ったりして作業を続けていたが、しばらくして小さなアラーム音が部屋に響いた。
「あの、お二人とも、すみません。
これから資材課の方で、社員の方、一人と面談をします。」
金井戸は、自分の手首につけている腕時計を見ながら、俺達に声をかけてきた。
ホワイトボードに書いてある資材課での面談開始時間、十時三十分の10分前となっていた。
何の変わりも無く、少し気が抜け始めた頃だったから丁度いい。
「では、行きましょうか。
俺とエイチが前、金井戸さんはその後ろ、最後尾を百合子が固めます。
どちらに進むか、その都度、指示をお願いします。」
部屋を出ると、先ほど金井戸に相談をしていた女性社員と、別の女性社員が扉の近くに立っていた。
俺達を見ながらコソコソ何かを話をした後、自分の席に戻っていった。
ちなみに、金井戸の部下の社員は女性社員が七人、男性社員が三人。
女性社員はパソコンをいじっている人、何かの書類を書いている人と、電話の対応をしているといった人と様々で、生き生きと仕事をしているように見える。
しかし、男性社員の方はというと、若い社員の一人はパソコンとにらめっこをしながら必死に仕事をしているが、中年くらいの歳の一人は腕を組んで居眠りをしているし、もう一人は完全に机に突っ伏している。
しかし金井戸は、それを注意する様子も無かった。
「そうそう。会議室でも説明があったけど、このカードは特定の部屋の出入りに使うので、失くさないようにして下さいね。」
金井戸は廊下に出る前に、自分の首にかけて下げている顔写真入りのカードを指差した。
それは俺達も会議室で、それぞれ自分の顔写真の入ったものを配られて、既に首から下げているものだった。
「このドア、今は鍵がかかっているけど、カードをこの白い箱にかざすと、部屋のロックが解除されてドアが開くようになっているの。」
金井戸は、扉にあるドアノブを回して開けようとするが、確かに扉は開かない。
「空見君、試しにドアを開けてみて。」
金井戸に促されて、俺はドアの近くにある白い箱にカードをかざした。
するとキュインという小さな音がしてから、カチっという音がした。
「これで開きました。」
その後にドアノブを回してから押すと、扉が開いて俺達はそのまま廊下に出た。
「こんなので、ドアの鍵を外したりできるのか。」
「ええ。ちなみにドアが閉まってから五秒経つと、自動で鍵がかかります。」
鍵を開けたときと同じ機械音がしたあと、カチッという音がした。
試しにドアを開こうするが、ビクともしない。
「へぇ……機械でよくやるもんだな。」
「凄いですね。」
大企業では、当たり前のように施されているセキュリティに、俺と百合子は田舎者丸出しで驚いた。
そんな俺達に、金井戸は声を潜めるようにして注意事項を付け加えた。
「あまり大きな声で言えないのだけれど、貴方達にお渡ししたカードは、この研究所の部長クラスと同じ権限が与えられているの。だから大抵の部屋は開けられるかな。
本来、研究開発棟、試作工場への出入りは関係者……研究員や設計者、工場で作業する社員しか出入り出来ないのよ。
だから、無いとは思うけど、鍵のかかっている部屋や工場には用が無い場合、入らないようにお願いしますね。」
ほとんどの鍵は、このカードで開けられるってことか。それは俺とエイチに与えらえた密命である『X』探しには都合が良い。
悪いな、金井戸さんよ。このカードキーは十二分に利用させてもらうぜ。
俺は心の中で、ほくそ笑んだ。
その後、俺と百合子は周囲を警戒しつつ、エイチに『X』の形跡を探らせながら、金井戸に案内で試作工場に向かう。
〇試作工場
本社棟の建屋を裏口から出て、高さが無い代わりに広さのある本社棟と同じ白塗りの建物、『試作工場』の中に入っていく。
途中、すれ違う社員の中には俺達、特にエイチを見て目を丸くする人もいたが、咎められることは無かった。
本社棟と違い、工場独特の、油と金属のにおいが漂っている。
少し奥の方には、大きな機械が並んでおり、その近くには材料の金属が整理されて置かれていた。
空調が強めに効いていて、スーツを着込んでいるにも関わらず、少し肌寒く感じるくらいだ。
入口近くにある階段を上り、二階にある工場事務所のある廊下に入ると、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「あの声は?」
俺の質問に金井戸は、困ったというように目を伏せ、深く息を吐いた。
「部長の吾太丘です。
あれで参ってしまう社員の方、結構多いのよ……」
一番奥の方に一部屋、左に二部屋、右には窓があり、工場内の様子が確認できるようになっていた。
「一番奥は、製造部の事務所で製造部部長の吾太丘が、左奥は購買課で、そこには購買課課長の吾太丘太郎丸がおります。
来週からは、こちらでのお仕事になりますね。」
これなら迷うことは無さそうだ。
しかし、あの吾太丘太郎丸に鉢合わせたら因縁を付けられそうなので、必要の無いときには近づかない方が無難だろう。
「この手前の一室が、資材課ですね。」
俺は先ほど教わったように、カードキーをドア横の白い箱にかざしてロックを解除し、先行して部屋の中に入ると、すぐにコーヒーの香ばしい香りが鼻に入ってきた。
入口近くに設置された棚の上には、白いポットと市販のインスタントコーヒーの粉の入った瓶が数種類と、スティックシュガーの入った袋が並べられており、その前に帽子をかぶった作業着姿の小柄な社員が、紙コップを持って立っていた。コーヒーの香りは、この人の持っている紙コップからくるものだろう。
資材課事務所は、工場内の事務所ということもあって鉄と油のにおいの漂った、汚い部屋を想像していたが、意外にも清潔感があり、人事部の事務所の倍は広かった。
また、部屋にいる人のほとんどは作業着を着ており、半分くらいの人は、忙しそうに動き回っていた。
「鈴木さん。一息ついているところだった?」
俺の後に部屋に入って来た金井戸が、入り口近くに居た、コーヒーを持った小柄な作業着姿の社員に声をかけた。
鈴木と呼ばれた社員は、金井戸を囲んでいる俺と百合子、それにエイチを見て一瞬、怪訝な顔をするが、被っていた帽子を取って軽く会釈をしてきた。
ウェーブのかかった茶髪を肩まで伸ばした、ギャルっぽい若い女性だった。
「こんちわ。
金井戸さん……今日はなんか、物々しいっすね。」
鈴木は、口調は軽いが、少し低めの声をしていた。
「この二人は新人さん。
研修がてら、一緒に来てもらったの。」
「……私の目の前で、涎を垂らしている犬もっすか?」
鈴木の目の前で、エイチが目をランランとさせて尻尾を振っている。
飛び掛からないだけマシだが、エイチの奴は目線を上から下、下から上と鈴木の体を舐め回すように見ていた。
「エイチ、一旦、リュックの中に戻っていいぞ!」
俺は、今にも鈴木に飛び掛かりそうだったエイチをヒョイッと持ち上げると、犬用リュックの中に戻した。
「キャウン!キャウン!」
エイチはいつも犬用リュックで寝る際には過度に光が入るのを嫌がるため、自分からリュックの口を閉じるのだが、今は閉じようとするとリュックの中で暴れ始めた。
「あら……なんか可哀想っすね。」
俺は、仕方なくエイチを静める為に頭を出したままの状態にして、犬用リュックを背負った。
金井戸は苦笑いを浮かべながら、鈴木に本題を切り出した。
「約束通り、これから面談だけど……」
「はい、大丈夫っすよ。」
鈴木はノートと筆記用具を持って軽く振った。
仕切られたスペースに、金井戸と鈴木が座る。
俺と百合子は金井戸と鈴木を視界に入れつつ、少し離れた位置に控えた。
『鈴木さん、考えてくれた?』『その気はないんで』
とか、会話が聞こえてくる。
プライバシーを考えれば、聞かない方が良いのだろうが、耳に入ってくるのだから仕方が無い。もちろん周囲に意識は配っているわけだが……
しかし、金井戸達を殺そうとダスク教に依頼したのは誰なのだろうか?
金井戸、吾太丘部長、太郎丸、それぞれ違う奴が頼んだ可能性もあれば、同一人物が頼んだ可能性もあるし、研究所の社員かもしれないし、そうでないかもしれない。
朱兄たちは、研究所の所長・原黒から金井戸達を殺すよう依頼した人物についても、水面下で探して欲しいと頼まれているらしい。
しかし、俺達はあくまで護衛に集中するのが仕事だ。気になることがあれば、朱兄の耳に入れておけばいい。
この鈴木さんは、金井戸と時折笑みを浮かべながら話しているところを見ると、ダスク教への依頼人では無さそうに見えるが……
そんな事を考えていると、
「もういいっすか?仕事も積まれているんで……」
鈴木の少し強めの声を出して、立ち上がった。
「……分かりました。でもね。よく考えて欲しいの。
派遣は長くは続けられないし、正社員なら結婚した後も……」
「だったらなんで、鳳凰院は派遣会社で人集めているんすか?
おたくの正社員と同じ仕事をしている私達とで、何で待遇に差があるんすか?
それに私、知っているっすよ?
おたくの会社、産休を取ろうとした社員を結局が辞めさせているの……」
「私は、それを許さないための改革を……」
「……実績を見せてから言ってくださいっす。
失礼します!」
鈴木は金井戸に一礼し、俺達に向かって軽く会釈をすると早足で去っていった。
話の内容は良く見えないが、あの様子だと良くない終わり方をしたようだ。
金井戸は溜息を着くと、苦笑いを浮かべ、
「それじゃあ、戻りましょうか?」
トボトボと、歩き出したので、俺達は来た時と同じ位置取りで金井戸の周りに着いた。
それから、何事も無く金井戸の仕事場に戻り、昼を迎えた。
この本社棟に、大きな社員食堂があるらしいが、人の出入りの激しいところに行くなど、リスクが大きすぎる。
なので、ひと月の間、金井戸達には弁当を準備して貰うよう、事前にお願いしてあるらしい。
念のため、金井戸の弁当に毒が仕込まれていないか、百合子が魔法で確かめた。
毒の検知魔法については、封じの対象では無い解毒魔法と同じ系統だから、なんとか使えるらしい。
「色々と、お手数かけて悪いわね……」
「いえ、気になさらないでください。」
そう言いながら百合子は、チェックした弁当を金井戸に返した。
俺は用意して貰った椅子に座り、ドアの方に注意しながら、朝早く起きて残飯で作った握り飯を食っていた。ちなみにエイチにも同じものを食わせている。
百合子も家から持ってきた弁当を窓際で、椅子に座りながら食べている。
しかし、百合子と金井戸の弁当箱は、えらく小さい。
あんなので、あと半日持つのだろうか?
「凱君、そ、それだけだと足りないのでは?」
百合子が遠慮がちに聞いてきた。
それはこっちの台詞だと思いながら、
「いや、大丈夫だ。」
自作の馬鹿でかい握り飯を突き出して見せた。
「ご、ご飯だけだとバランスが悪いですから、これ、どうですか?
あと、エイチさんにも……」
百合子は自分の鞄から、自分が食べている弁当箱よりも一回り大きな弁当箱と、少し高級なドッグフードの入った袋を出してきた。
な、なんだ、この俺には縁遠いと思っていたイベントは!?
不覚にも胸がドキュンと高鳴ってしまう。
「せ、折角だから、いただくとしよう。」
互いにドアと窓に注意をしつつ、一歩近づいて弁当とドッグフードの受け渡しを行う。
「あらあら、青春ねぇ。
お二人って、そういう関係なのかしら?」
金井戸が俺達を見ながらニヤニヤ笑っている。
「いや、ただ幼馴染ですよ。腐れ縁っていうか……」
俺は、少しあたふたしながら答えた。
「が、凱君、腐れ縁だなんて、酷いです!」
百合子は頬をぷくーと膨らませた。
「い、いや、思い出しても見ろ。俺が蒼錬のおっさんに殺されそうになったところを、お前に助けてもらったのが初めての出会いだったろ?
それからは、俺が蒼源のジジイに痛めつけられて死にそうになる度に、それを治療するのがお前。
腐れ縁って言っても間違いじゃねぇだろ?」
俺は思わず慌てて弁明をするが、金井戸の前でする話では無かった。
「こ、殺され…?
まぁ、でも、助けてもらっているんだから、腐れ縁とは違うんじゃない?
照れ隠しでも、お付き合いを腐れ縁だなんて、女の子に言うのはダメだと思うなぁ。」
と、金井戸に指摘された。ばつが悪くなった俺は、
「と、とにかく弁当、サンキューな。」
と百合子に礼を言い、エイチの飯の容器にドッグフードを入れ、俺は準備してもらった弁当箱を開けた。
定番の唐揚げ、少し焦げた卵焼きにタコさんウィンナー、それに不格好だが、うさぎを模したリンゴまでついている。
しかも、この弁当箱、新品じゃないか?
正直、見た目がいまいちの弁当だが、百合子から貰えたことは素直に嬉しい。
とりあえず、不安と喜びを胸にいただくとしよう。
「いただきます。」
まずは卵焼きを頬張る。
「う、うめぇ……!」
思わず声が出た。
焦げた部分は若干苦いが、それを差し引いても、俺好みの絶妙な甘さと塩加減の効いた卵焼きだった。
俺はその勢いで、若干油でネチョっとした唐揚げや、少し焦げたウィンナー等、全てのおかずとご飯を、あっという間に平らげてしまった。
普通に美味しかった!
「ごちそうさまでした!」
俺は百合子の弁当に続き、自分が準備していた握り飯も食べ終えた。
「お二人ともお茶、いれましょうか?
空見君、その表情、ポイント高いわよ?」
金井戸がニヤニヤしながら、席の後ろにある棚からカップを出した。
確かに弁当が美味かったのと、なにより百合子が自分の為に弁当を用意してきてくれたことに、自然と笑みを浮かべてしまったかもしれない。
俺は照れを誤魔化すように、後頭部をポリポリかきながら、
「ああ、お願いします。」
お言葉に甘えることにした。
その時、百合子が窓の外を注意しながらも、ホッと胸を撫で下ろす姿が、俺の目に入ったのだった。
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