鳥籠の中の執行者

蒼森丘ひもたか

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第三話

張り巡らされた糸の中で(下)⑥

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〇6月15日 鳳凰院自動車研究所 食堂  

「すげぇ人の数だな。」

護衛二日目。
俺達の前には、本社棟で仕事をしている課長以下の社員達が席に座っており、大抵の社員は周囲の人と雑談をしていた。
そのせいか朝の食堂はガヤガヤとしていた。多分、昼もこんな感じなのだろう。

俺達はその社員達と向き合う形で座っていた。
何故かと言えば、部長以上の席は社員と向き合う形でセットされており、仕事上、金井戸の近くに居なければならない俺達の席も、彼女の後ろに用意されたという訳だ。
俺達の目の前に座る社員の一部は、俺達を怪訝そうに見ていたが、気にしている場合ではない。
俺達は絶えず周囲を警戒し続けていた。

そもそも、こんな状況にあるのは、急に臨時で、朝9時から全体朝礼を行うという緊急の社内連絡が、朝一で入ったからだ。
昨日、俺達とオーク共の交戦を目撃してしまった社員が予想よりも多く、その事態に少なからず動揺が広がってしまったらしい。

ほんの10分程前だが、食堂に入る前、俺達は所長の原黒に呼び止められ、嫌味を言われた。

「金井戸君。
ただでさえ忙しい時期に、仕事を増やしてくれたものだね。
ええと、空見さんと小夜啼さんでしたっけ?
化物退治は、目立たないように対処出来ないものですかねぇ?」

「目立たないようにって……」

俺は思わず苦笑した。

「まぁ、まだお若いようですから、なかなか難しい対処は出来ませんかね。
こういうイレギュラーな全社朝礼は、私を始めとする優秀な管理職や、手足である社員の貴重な時間を使うんですよ。うちとしては損失なんですよ?」

原黒はネチネチと、俺と百合子に文句を言ってきた。
どんよりとした陰気なオーラが、こちらに纏わりついてくるようだ。
俺が不快さに眉間に皺を寄せていると、誰かが俺の腕をやんわりと撫でてきた。
その手は、もちろん百合子のものだ。
『怒りを抑えて』と言いたいのだろう。
原黒に不快感を覚えているのは確かだが、朱兄達だったら、もっと静かにスマートに対処出来たかもしれないと思うと、原黒に対してよりも自分の未熟さに怒りを覚えた。

「ちょっと原黒さん!お二人に凄く失礼ですよ!」

金井戸が原黒を嗜めるが、原黒は金井戸を無視して言葉を続けてきた。

「御宅様には、それなりの報酬を払うことになっているが、減額して欲しいくらいだ。
私の、権限で!……それはさせないようにしますけど。
それだけは覚えておいて下さい。では、失礼。」

原黒は、恩着せがましい言葉で文句を締めくくると、近くに控えていた社員を捕まえて、話をしながら去っていった。

「全く、あの人は……いっつも人の神経を逆撫でするような言い方をしてっ!
……ああ、ごめんなさい。原黒の話なんて二人とも気にしないでね。」

俺と百合子は顔を見合わせて、苦笑するしかなかった。
どうも金井戸と原黒の折り合いは、良くないのかもしれない。
あの調子だと、原黒の敵は多そうだ。

……そんな出来事があったのが10分前。
食堂にあった時計が9時を指すと、二つ離れた席で、原黒所長がマイクに向かい話を始め、

「アー、アー……工場の方、聞こえますか?
テレビの方は?……ああ、分かりました。」

遠くの方から、身振り手振りする社員を見て、受け答えをしていた。
どうやら、工場等で仕事をしている社員達は、別の場所で朝礼に参加しているようだ。

「では、急で申し訳ありませんが、これから全体朝礼を行います。
一同、起立!……礼!」

起立、礼の号令に全社員が倣うので、俺達もそれに合わせて起立、礼をした。
もちろん周囲への警戒を怠らずに。

「えー、では……山賀取締役、お願いいたします。」

原黒の隣の席に座っていた、白髪オールバックの小柄な初老の男が話を始めた。

「おはようございます。日々の業務お疲れ様です。
この研究所にお勤めになられている方々には、様々な形態はあれど、不慣れな地で特殊な業務に携わっていただき、深く感謝申し上げます。」

山賀取締役と呼ばれた男は、穏やかな口調でそこまで話すと、軽く頭を下げた。
しかし……

「今回の朝礼の本題ですが、昨日、この研究所の敷地内で化物を見たという報告が私の元まで上がってきました。
しかし、この鳥飛光の研究所で働くにあたり『懸念される事項』について、我が社では十分なご説明を尽くしたうえで、別途契約を結ばせていただいていることは……
皆様、十分ご承知されているはずですよねぇ?」

そこで山賀は言葉を切り、社員達を見回した。
そして最後に、俺達の方に目を向けてきたのだが、つい目が合ってしまった。
山賀の目がギロリと険しいものに変わる。
『うちの会社で面倒事を起こしやがって』という無言の圧を感じ、俺は気まずくなって目を逸らした。
そこで、どこからか、

『俺達はどうなってもいいって言うのか!』

という、男性の大きな声が発せられた。
山賀はスッと視線を前方の一般社員達に戻し、机をバン!と叩いた。
その音をマイクが拾い、部屋に響き渡る。

「今のは誰だ!?
言いたいことがあるなら、正々堂々男らしく立って言え!」

山賀は声を荒げた。
百合子と俺の抱えていたエイチ入りの犬用リュックがビクッと反応する。
アンドラス達が襲撃してきたのかと勘違いしそうなので、派手な音を立てるのは勘弁して欲しい。
もちろん勇気を持って、名乗りを上げる者はいない。

「……まぁいい。誰かは察しが付くし、時間の無駄だ。
今一度、教えておきましょう。

いいですか?
ここで働く上で別途締結した契約も含めてですが、会社と雇用契約を結んだ以上、貴方達は会社の為に、株主の皆様の利益の為に、人生を捧げることに同意したのです。契約をしたのです。」

山賀というジジイは、スイッチが入ったのか熱弁を開始した。
俺からすればどうでもいい話なので、周囲の警戒を続けた。
話の内容に意識を向けたら、眠ってしまいそうだ。

「……というわけで、皆が一丸となり滅私奉公することで、会社を、株主の皆様を、ひいては国を豊かにし、いずれ貴方達や、それを支える家族を幸せにするのです。」

山賀は言いたいことを言い切ったのか、静かに着席した。
社員のある者は山賀を睨みつけ、ある者は諦めに満ちた表情で俯いている。
そんなに不満があるなら、別の会社に行けばいいのに……何か弱みでも握られているのだろうか?

「ふぅ……さて話を戻しましょうか。
……我々としては独自に訓練された警備員を十分に配置し、更に鳥飛光警察署にも出来る限り研究所周辺の巡回をしていただくようにお願いはしております。
ですから、化け物になど気を取られることなく、業務に邁進されることをお願いいたします。」

オークやオーガ、グレムリンなんかが出たとしても、騒がずに仕事に集中しろということか。それは無理だろう。

「現在、この研究所のほぼ全体で取り組んでいるプロジェクトは、鳳凰院家とも縁の深い黄龍寺おうりゅうじ神帝陛下より直々に享け賜った国家プロジェクトということは皆様、分かっておりますよね?
この成否が我が社の今後だけでなく、国の命運すら左右するということを肝に銘じていただきたい。

無論、会社に不利益を、ましてや裏切るような真似をすれば、どうなるかは……
まぁ、各々想像力を働かせて考えて下さい。
その想像の、二、三歩先を行く不幸が、あなた方やあなた方の家族に降りかかるということを、そして、あなた方の代わりは、いくらでもいるということをお忘れなく……」

凍てつくような空間とはこのことか……
社員達は一様に俯き、その顔は青ざめていた。
そこまで話すと、山賀は穏やかな表情に戻り、原黒に声をかけた。

「原黒君、ビデオを回しなさい。」

山賀に声をかけられた原黒は体をビクッと震わせ、

「ええー……ではここで、先日我が社に向け、黄龍寺神帝陛下より、お言葉を預かっておりますので、右側のモニターをご覧下さい。」

と促した。
すると、食堂に用意されていた大型テレビに一人の男が写った。
その男は派手な金色の着物で身を包み、顔にも金色の化粧を施していた。
更に表の世界の昔の住人のように、後頭部のあたりから『ちょんまげ』を伸ばしていた。
どこからどうみても、コメディアンを思わせるようなふざけた格好だったが、社員は誰一人として、その姿を見て笑うものはいなかった。

『はぁい!鳳凰院自動車のみなさぁん!仕事してますかぁ~!
皆の神帝・黄龍寺 金光おうりゅうじ かねみつでぃーす!』

そこで、山賀と原黒が立ち上がり、

「神帝陛下に敬礼!」

と、原黒が高らかに叫んだ。

すると、金井戸を含めた部長職の人、前方にいた社員が一斉に立ち上がり、ピシッとした姿勢で手を上げ『はいーる!おうりゅうじぃー!』と叫んだ。
俺は思わず、椅子から転げ落ちそうになった。
……一体なんなんだ?
俺と百合子は思わず顔を見合わせた。

今までも何度か出てきた言葉だが、鳥飛光において『表の世界』とは、かつての日本が8年前の1985年のクーデターによって崩壊し、新しく出来た国家である『暁聖大帝国あかつきせいだいていこく』のことを指す。
そのトップに君臨するのが、この黄龍寺 金光おうりゅうじ かねみつという男だ。
鳥飛光に住む俺達からすれば、テレビのニュースで名前と顔を見るくらいだ。
しかし、聞いた話では、未だに燻っている反乱分子を軍事力で捻じ伏せ、政権に批判的な人間を強制的に刑務所送りにするなど、徹底した力による支配体制を敷いているらしく、隣国の一部にもその支配の触手をも伸ばしているらしい。
特にクーデターで打倒した政権の、首相を始めとする閣僚らを公開処刑した時の凄惨さは、他国を震撼させたとか……
第三次世界大戦が勃発していないことが不思議なくらいだ。

しかし、鳥飛光からしても、暁聖大帝国は一部の食料品や工業製品の輸出入、テレビ放送などで密接な関係を結んでいるので関係を無碍には出来ないらしい。

「皆さんが作っているものはね、今後の我が国の在り方を超弩級に左右するものなんだね。
とは、言っても何を作っているかなんて、知らない人の方が超弩級に多いだろうけどさ!
そんでもさ~、いい加減にサッサと超弩級にちょっぱやで作ってもらわないと困っちゃうんだな~分かるぅ?」

黄龍寺の小馬鹿にするような話し方と、超弩級という言葉がしつこくて、なんかイラつく。
更に黄龍寺は、そこまで話すと鼻に指を突っ込んで、鼻毛を抜き始めた。
そこで、どこかから『続きをお願いします』と黄龍寺を促す言葉が聞こえてきた。

「アアン?俺に指図するんじゃあーねぇよ!ボケカスゥ!
あー……というわけで、早いところ作ってもらわないとぉ……

……全員、磔にして機関銃の的にしてやるからなぁ!」

最後はカメラに顔を近づけ、ドスの効いた声で恫喝してきた。
社員が不安そうな顔で隣の社員と顔を見合わせ始めた。

「ギャハハハハァ!それは半分冗談だけど、あー、とにかく超弩級にマジ頑張ってね!ばっははーい!」

そこでビデオは終わった。
あんなふざけた奴がトップにいるなんて、表の世界の人は、結構苦労が多いに違いない。
それを引き継いで、山賀がまた話を始めた。

「どうですか?
国のトップが、我々に大きな期待を寄せていることが、政治の事情に疎い貴方達にも分かったでしょう?
まぁ、そうは言っても……」

山賀のトーンダウンした声が食堂に響き渡る。

「気持ちにしこりを残したまま作業をいただいては、製品の品質や業務遂行に支障が出る恐れもあります。
皆さんは、世界に名だたる鳳凰院自動車に籍を置く一流のプロなのですから、そこは律していただきたい部分ではありますが、まだ未熟な若い社員には酷な話です。
ですから貴重な時間を割いて作って差し上げたこの場においてだけは、目を瞑る事に致しましょう。
では、質問のある方は、原黒所長に遠慮なく質問をして、疑問を解決していただきたい。」

山賀はそこまで話すと一礼し、さっさと食堂から出て行ってしまった。

「え、ええ!?
そ、そんなの聞いていないよ。」

山賀からバトンタッチをされた原黒が、青ざめた顔をしながら呟いた。
それを皮切りに社員達から一斉に質問やヤジが飛び始めた。

「なんであんな化け物が研究所の敷地にいたんだ!?」

「警備の奴らは仕事してんのかぁ!?」

「あの化け物、金井戸室長に襲い掛かろうとしていたぞ!」

「所長!あんた、何か隠していないか?」

「安心して仕事なんてできねぇよ!」

「おい金井戸さんの周りにいる奴ら!
おまえらが昨日の化け物を倒したんだろ!?
なんとかしてくれよ!」

原黒はしどろもどろになりながら、

「あ、あの~質問は順番にぃ!」

と社員を制止しようとするが、収まる気配は無い。
大変だなとは思うが、さっきの嫌味もあって同情はあまり感じない。
中には俺達を指差して何か言ってくる奴らもいたが、応じてやる筋合いは無いので無視して周りの警戒に意識を割いた。

そこに別の社員が原黒の元に訪れ、何かを耳打ちした。
すると、原黒は、

「なにぃ?こちらに来ているのか!?」

こちらに聞こえるくらいの驚きの声を上げた。
そして慌てた様子で騒ぎ立てる社員達を静かにするように宥め始めた。

「皆さん、静粛に!静粛にしてください!」

「うるせぇ!質問に答えろ!」

構わずにギャーギャー喚く社員達。

「しゃっ、しゃしゃしゃッ!社長が来て……ああ!?社長!」

原黒の素っ頓狂な反応と共に、食堂の前の方のドアが開く。
罵詈雑言の中、一人の背広姿の男が、落ち着いた様子で原黒の方に歩いてきた。

その男の姿を目に留めた社員達は一斉に大人しくなり、静かに席に腰を降ろし始める。
今までの喧騒と混乱が嘘のように、食堂は静まりかった。
それとは対照的に、原黒と金井戸を含めた幹部社員や社員の一部が立ち上がり、その男に一礼し着席した。
男の年齢は、見た目から40代後半から50代と言ったところだろうか?
男は立ったまま、控えていた社員からマイクを受け取ると、

「おはようございます。日々の業務、お疲れ様です。
多忙の中、皆様に不安を抱かせるような事件が社内で起こってしまい、大変申し訳なく思っております。」

そこで、社員達に向かって深々と頭を下げた。

「警備員の増員配置、警察官の方の研究所周辺の見回り強化については、本日から既に実施をしております。
また、今後も鳥飛光警察署や専門の警備会社と、より一層の連携を図り、皆様の安全を第一に柔軟に対策を取らせていただき、皆様が安心して業務に携われるような体制を取らせていただきます。」

また、深々と頭を下げると、

「何かご意見、ご質問がございましたら、私の方から答えさせていただきます。
遠慮無く、どうぞ。」

そういいながら、社員達を見回す。
何かありませんか?と前の方にいる一部の社員に声をかけて回っているが、原黒の時と違い、誰も質問をしなかった。

「では、もし何かあれば、社長室の投書箱にお願いいたします。
必ず、迅速に回答するように努めます。」

男がそこまで話し終えた時だった。
俺がふと窓に目を向けると、そこには漆黒の羽の生えた人型で、鴉の頭を持つ姿に変化したアンドラスが下から上がってきた。
その右手には人間の……白髪の男の首根っこを掴んでいる。

「ぎょええええええ」

アンドラスに捕まった白髪の男は苦痛の呻き声を上げながら、自分の首を掴んでいるアンドラスの手を両手で必死に握りしめ、足をジタバタさせ藻掻いていた。
よく見ると、その男は山賀だった。

「百合子!金井戸さんを後ろに!」

俺は慌てて百合子に声をかけ立ち上がると、近くにあった窓を開けた。

「な、なんだあれ!?」

「化物!」

ようやく窓の向こうで起きている異常事態に築いた社員達が騒ぎ始めた。

「皆さん、食堂から出て下さい!」

今まで喋っていた男が大きな声で社員達に避難するよう指示をする。
社員達が悲鳴を上げながら、先を争って外に出ようとする。
再び巻き起こる混乱と喧騒の中、俺はアンドラスを怒鳴り散らした。

「おい、テメェ!ターゲット以外に手を出していいのかよ!?
お前ら、今週は金井戸さん以外には手を出さないんだろ?」

「んー……そんなルールでしたかな?
あくまで、今週は他のターゲットである吾太丘鼓舞一、太郎丸を始末するのがダメ、と私は捉えているのですが……」

アンドラスは嘴をニヤリと歪めた。
そういうルールなのか!?
背中に冷や汗が流れる。

「ひっ!こっ小僧!こいつをなんとかしなさい!」

山賀が俺を怒鳴りつけた。

「貴方達をどう襲ってやろうか外で考えを巡らせていたら、この男が偉そうに怒鳴りつけてきましてね。
コイツで遊んだら良い案が浮かぶと思い、こうしている訳ですねぇ。」

このジジイ、余計な仕事を増やしやがって……
しかし、この状態で俺がアンドラスに飛び掛かったら、山賀が死ぬ可能性が高いので手が出せない。

「ふむ……この男を殺してみるのも一興ですが、貴方の解釈の方が正しくて、悠様の身に何かあったら、私は主様の逆鱗に触れてしまう。」

こいつ、大物ぶっているが、結構小物なのか?
アンドラスはルールの把握に自信が無いようだった。

「ですから、一つ賭けてみましょうか。この男の頑丈さに!
ジジイ、死にたくなかったら、頭をしっかり守れ。」

アンドラスは脅すような低い声で山賀に命じた。
恐怖した山賀は、アンドラスに言われた通り頭を守るように両腕で抱え込んだ。
その瞬間、アンドラスが、こちらの窓に向かって。

「アンドラァ……スロォー!」

アンドラスは、ふざけた叫び声を上げながら、山賀を投げつけてきた。

「あびぃッ!」

ガラスの砕け散る音が食堂に響き渡り、まだ避難しきっていない社員達が悲鳴を上げた。
山賀は窓ガラスを突き破り、妙な声を発しながら床に転がった。
社員達に指示を出していた、謎の男が山賀に駆け寄るが、

「山賀さん!」

「しゃ……な、何をしているんです!は、早く逃げなさい!」

山賀は血だらけになりながらも逃げるよう、男を怒鳴りつけた。
あの調子なら、命に別状は無いか。

俺は降魔の剣を覆っていた袋から引き抜き、アンドラスに向けた。

「おっと、あなたの相手は私ではありませんよ!
下を御覧なさい!」

そう言いながら、アンドラスは下を指さした。

「ブヒィ!」

オーク二体が、それぞれご丁寧に、自分達が登っても大丈夫そうな太い木製の梯子を建屋の壁にかけて、こちらに登ってくるところだった。

「登らせるかよ!」

俺は、オークが登ってきている梯子を順番に蹴り上げ、オーク共を地面に叩き落とした。

「ブヒイイイイイ!」

悲鳴を上げながら、オークは落ちて行く。
オーク共を追撃したいが、百合子と金井戸を残して離れれば、アンドラスの奴が襲ってくるかもしれないので、それは出来ない。
俺は懐から親父から貰った札を取り出し、アンドラスに向けた。
鶯黒弥宵の腕を吹っ飛ばした『風刃』の魔法だ。
こいつは人間じゃないから、使うことに何の躊躇いも無かった。

「おっと……それを食らうのは御免ですね。
何故、魔力を持たない貴方が、札からあれだけの魔法を引き出せたのか、主様や悠様が気にしていましたがね……」

そこは俺も気にはなっているが、こいつに情報をくれてやるつもりは無い。
無いのだが、例えば父と子の絆でミラクルパワーが発揮されたとか、そういう奴だったらどうしよう……
あー……なんだか萎えてきた。

「まだ時間はある……
ここは一先ず、引き上げさせていただきましょうか。」

アンドラスは下に降りると、梯子から落ちてもがき苦しんでいるオーク達を叩き起こし、森の方に退却していった。

「これでひとまず、一難は去ったか。」

俺はホッと一息つくと、百合子と金井戸の近くに駆け寄った。
周りを見れば、食堂に居るのは、俺、百合子、金井戸、それに窓に突っ込んで血だらけの山賀、それに謎の男だけだった。

「あ、あの、すぐに治療を……」

百合子が山賀に駆け寄ると、謎の男が百合子を制止した。

「それほどの傷ではないですし、刺さったガラスも取り除きましたから、小夜啼さんの手を煩わせるほどではないですよ。」

そう言うと、謎の男は懐から杖を取り出した。
もしかして、このおっさんは……
昨日、ここに来る前の朱兄との会話を思い出した。
ならば、小夜啼家の次期当主である百合子の事を知っていても不思議ではない。

「表の世界の人間なのに、魔法が使える?
もしかして、おっさん……鳳凰院の人?」

やべっ……思わず『おっさん』と言ってしまった。

「ええ、一応、訓練はしていたからね。」

男は俺の無遠慮な言葉に、少し照れたように笑うと、自分が鳳凰院であることを認めた。
そして目を瞑り、山賀に手をかざした。
山賀の体が光に包まれた。

その最中、おれの近くに金井戸が来ると小声で、

「コホン。このおっさんが、鳳凰院自動車の代表取締役社長、鳳凰院誠一郎です。」

と、おっさんと言ったことを当て擦りながら教えてくれた。
俺は苦笑いしながら頭を掻いて誤魔化した。
この人が鳳凰院家の現トップ・鳳凰院誠一郎か。

やがて、鳳凰院の治癒魔法により傷が癒えたのか、山賀は無言で起き上がった。
鳳凰院の治癒呪文の腕は、百合子には遠く及ばないが、山賀の傷が完治しているところを見ると、それなりの腕前と魔力を持っていることが分かる。
そんな山賀に鳳凰院が気遣いの言葉を投げかけた。

「山賀さん、気分はどうですか?」

「社長!何故、逃げなかったのです!
貴方の身に何かあったら、権一郎様に何と申し開きをすれば良いか……
多くの社員の人生を背負っている鳳凰院自動車の社長としての自覚はあるのですか!?」

山賀は助けてもらった相手に、説教を始めた。

「アンタさぁ、助けてもらったのに、そういう言い方は無いんじゃない?」

俺は思わず、山賀に突っかかった。

「ちょ、ちょっと、凱くん!?」

百合子が俺をなだめようと、腕を掴んできた。

「なんだ、貴様!?
この私に意見するか!陰人いんじんの出来損ないの小僧が!」

間髪入れずに、山賀が俺に詰寄ってくる。
陰人……表の世界の鳥飛光を良く思わない人間が、鳥飛光の人を呼ぶ際の蔑称の一つだ。
詫びを入れて引き下がろうとは思ったが、そういう気持ちも無くなった。
俺は小柄な山賀を、上から見下ろしつつ睨みつけた。
そこで、俺と山賀の間に、鳳凰院が慌てて割って入ってきた。

「二人とも、落ち着いて!
山賀さんの仰ったこと、肝に銘じますから!」

鳳凰院の言葉で幾分か冷静さを取り戻した山賀は、くるりと俺達に背を向けた。

「フン、ここは社長に免じて、許して差し上げましょう。
……吾太丘らが狙われていなければ、こんな小僧を伝統ある鳳凰院自動車にのさばらせる必要など無かったのに……失礼する!」

山賀はサッサと食堂から去っていった。
それを見送ると、金井戸がへなへなと座り込み、百合子は俺の正面に立つと、困った顔で見つめてきた。

「凱君。気持ちは分かりますが、あの態度は良くないです。」

「いや~わりぃ……つい……」

俺は百合子に叱られ、目を逸らしながら、頭を掻いた。
その様子を見ていた鳳凰院がお腹を抱えて笑い始めた。

「いや~、気に入ったよ、空見君。あの鬼の山賀さん相手に、あの度胸。
朱明……鶴星社長から聞いた通りだ。」

この人、朱兄と親しいのだろうか?
何を聞いたのかは分からないが、朱兄から俺の事を聞いているようだ。
色々とバツが悪いが、とりあえず自己紹介をしておこう。

「え、ああ……どもです。色々と失礼をしました。
空見 凱です。よろしくお願いします。」

「私は鳳凰院誠一郎と申します。
鳳凰院自動車とこの研究所の社長をやらせてもらっています。」

鳳凰院は、自己紹介をすると、俺に名刺を手渡してきた。
次に、鳳凰院は、百合子に歩み寄ると、

「お久しぶりです。小夜啼さん。
初めてお会いした時は、お人形さんのように可愛らしいお嬢さんだったのに……
すっかり美しくなられましたな。」

百合子に世辞を並べ立て挨拶をした。

「い、いえ、そんな……
鳳凰院様、いつもお世話になっております。」

百合子は、照れと緊張で顔を真っ赤にしながら、鳳凰院に深々と頭を下げた。
なんか面白くない……

「それにしても、貴女自ら、当社の社員の護衛を引き受けて下さるとは……
誠に恐れ多いですが、よろしくお願いいたします。」

鳳凰院は百合子に向かって深々と一礼した後、俺と同じように名刺を手渡した。
二人のやりとりを見ていた金井戸は、呆気にとられたような表情をしていた。

「今日、ここに来たのは、社長として社員の不安を少しでも取り除くというのはもちろんだが、空見君と小夜啼さんに直接挨拶をしたいという希望もあってね。
妙な形となってしまったが、目的は果たせたよ。
特に、空見君とは、時間を取ってゆっくりと話をしたいところだが、今はそういう訳にもいなかいからね。」

鳳凰院はチラリと金井戸に目をやりつつも、言葉を続ける。

「今回の護衛に関して、我々に協力出来ることであれば何なりと言って欲しい。
その時は、私に直接連絡を入れて欲しい。
組織というのは、物事が決まるのに作法や順序があるが、私であれば、それをある程度は無視することが出来るからね。」

鳳凰院は、まだ世の中ではあまり普及していない小型の携帯電話を懐から取り出し、ニヤリと笑った。
その茶目っ気のある笑みに、何故だか朱兄を思い出した。

「社長……秘書さんが」

金井戸が社長に声をかけた。
食堂の入り口に、一人の女性が立っていた。

「そろそろ本社に戻らないといけないようだ。
金井戸君も不安も多くて大変だと思うが、今は業務よりも自分の身を第一に考えて彼らの指示に従って欲しい。」

「ありがとうございます。」

鳳凰院に労いの言葉をかけられた金井戸は、鳳凰院に向かって深々と頭を下げた。
最後に鳳凰院は、俺の方を向くと、

「凱君。繰り返すが、この件が落ち着いたら、ゆっくり話がしたい。
その時は、鶴星社長を通して連絡をさせてもらうよ。
……では、失礼します。」

最後に笑みを浮かべて、食堂から出て行った。
ゆっくり話がしたい……一体なんだ?
そこで、金井戸の興奮気味の声が、俺の頭に次々と湧き上がってくる疑問を塞き止めた。

「ねえ……空見君と小夜啼さんって、もしかして結構凄い人達だったりするの?
社長があんなに積極的に歩み寄る相手は、ビジネス上、連携が欠かせない企業の上役の方や政治家くらいよ?」

どうも、鳳凰院社長と俺達のやりとりの方に驚いているようだ。
俺と百合子は顔を見合わせた。

「どうする?百合子。」

「……金井戸さんになら、話しても問題無いかと。
信頼を得るという意味でも、多少は私達のことをお話しておいた方がいいかもしれません。」

俺と百合子は金井戸に対し、自分の素性をある程度、明らかにすることにした。
俺は鷹見家の分家筋とはいえ、鳥飛光の最高権力者・鷹見蒼源の孫にあたるということ、百合子は小夜啼家現当主の娘であることを打ち明けた。
もちろん流石に中学生と高校生であることは伏せた上で、だ。
打ち明けられた金井戸は、少し戸惑うような表情を見せた。

「私、鳥飛光で仕事を始めて一か月くらいだから、貴方達の素性を知ってもピンと来ないのだけど……」

「それで構いませんよ。
正直、俺も百合子も自分の生まれに、うんざりしている方なので……
なぁ、百合子。」

「ええ、今まで通り接していただけると嬉しいです。」

百合子は少し目を伏せ、かなしげな表情を浮かべた。
俺と違い、百合子は学校で嫌われたり、いじめを受けたりすることは無いが、恐れ多くて孤立することの方が多かったらしいからな。

「分かりました。
私、結構、図々しいところがあるみたいで、色々お願いしちゃうかもしれないけど、改めてよろしくお願いしますね。」

金井戸の浮かべた悪戯っぽい笑みに、俺と百合子はホッと胸を撫でおろした。
これならギクシャクすることもないだろう。

周囲を警戒しつつも、俺達は執務室に戻ることにした。
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