鳥籠の中の執行者

蒼森丘ひもたか

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第二話

張り巡らされた糸の中で(上)①

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鳥飛光市駅前


1993年5月半ば、ゴールデンウィークが終わって一週間が経ち、世間もすっかり日常を取り戻した頃のある朝。鳥飛光駅前の大通りを、白いスーツとスーツパンツに身を包んだ女性が、必死に走っていた。

「まずい、多分間に合わない。」

後ろで結んだ長い髪を揺らし、白い肌を紅潮させながら必死に走っていた。
コンプレックスでもある大きな胸がシャツを大きく揺らし、それを数人の男が鼻の下を伸ばしながら見送っていたが、そんなことを気にしている場合では無かった。

彼女の名は金井戸 幸子かないど さちこ
大手自動車メーカーである鳳凰院自動車に勤める27歳。
本社の総務部人事課に所属していたが、社長直々の辞令により、あるプロジェクトのリーダーとして、今日から鳥飛光市内にある研究所勤務となった。

この時代、製造業を営む企業で、女性に活躍の機会が与えられることの珍しい中での抜擢である。
幸子が走っている理由は、東京都内にある自宅から1時間かけてここまで来ていること、あとは単純に幸子が朝に弱いためだった。

ちなみに、東京のある『表の世界』から、この鳥飛光市の企業に通う労働者は、鳥飛光と東京を往復する鉄道・鳥飛光線6両の座席がほぼ埋まるくらいにはおり、その勤務先は、全て表の世界で名を馳せている鳳凰院自動車の技術開発研究所や、その関連企業だった。

鳳凰院自動車が鳥飛光に研究所を置いた理由は、技術開発に魔術を利用したいなどという、誰が聞いても正気とは思えない理由からである。
有用で新しい技術理論があっても、現行の設備技術では実現とその検証が難しいものが多い。
そこで、現・鳳凰院グループの総帥である鳳凰院誠一郎は、鳥飛光でのみ行使できる魔術の力を利用し、実現に30年はかかるところを5年、10年に短縮できればと考えたのである。

しかし、鳥飛光の存在自体、ミステリー好きの間では都市伝説の一つとして語られる程度のものであり、鳳凰院自動車の研究所が鳥飛光にあることを知っているのは、社内の上層部の人間と、実際に勤務している出向者達だけだった。
それに、鳥飛光で行う研究は極秘プロジェクトであり、そこでの研究についてはもちろん、勤めていることさえも話すことは禁じられていた。
それは、たとえ家族であっても例外ではない。

(こんな毎朝大変な思いをして、実は魔法の使える街に働きに出ているなんて話をしたら、お母さんに病院に連れていかれちゃうわ。)

幸子は心の中で苦笑しながらも、必死に走りバスの発着所に辿り着いたが、バスの出発時間は5分前。
乗ろうと思っていたバスが、既に研究所に向けて出発してしまったのは間違いないだろう。

「はぁはぁ……仕方ない。タクシーで行こう。」

バス乗り場に隣接しているタクシー乗り場に居れば、すぐにタクシーが来るだろう。
幸子は近くにあるベンチに腰を降ろし、息を整える。

会社は形ではフレックスタイムを導入しているが、社員達の一部は、未だに制度が理解できておらず、それどころか理解しようとしない頭の固い連中も多い。
そういう連中に、悪印象を抱かれないためには8時30分前には席に居たい。

「ん?そういえば……」

幸子は辺りを見回した。
家を出てからずっと、なんとなく視線を感じていたのだ。

「こんな、みっともない姉を、有希が見て笑っているのかしら。」

幸子は、どこか悲しげに呟いた。
有希ゆき』は、既にこの世にはいない弟の名だった。

弟の事は、就職して仕事をするようになってから、ようやく心の奥底に仕舞っておくことが出来るようになったのに、何故思い出しているのか……?
今日からの新天地での業務が楽しみではあるが、無意識にストレスがかかっているのかもしれない、と幸子は思った。

「しっかりしろ、私。
今日からは小言の煩いお局様と、私の胸をジロジロ見ながらイヤらしい事言ってくるセクハラ課長から離れて、仕事が出来るんだぞ。」

幸子はそう自分に言い聞かせて深呼吸をする。
そして、思い出したようにカバンの中から、一枚の紙を取り出した。

『対人関係による心の疲れ、ありませんか?』と強調された表題の下には、
『あなたの抱えている辛い苦しみ、共に解決します。』
『あなたに優しい夜の訪れを、咲夜黄昏クリニック』
と書かれている。

先週、会社の自分の席の机に置かれていたチラシなのだが、カバンに入れたままになっていた。

「一応、鳥飛光市が主催しているのね。
今のうちにカウンセリングを受けて、対処方法を身に着けるのも悪くないかな。」

チラシの下の方には『鳥飛光市役所・健康推進課』とあり、連絡先が書いてあった。
たとえ魔法の街とはいえ、公のお墨付きがあるのなら、まず大丈夫だろう、と幸子は思った。
チラシをカバンに仕舞い、ベンチに座ったままタクシーが来ないか道路に目をやっていると、

「てめぇ、生意気なんだよ!」

怒鳴り声が耳に入った。
何事かと思った幸子は、声が聞こえたと思われる近くの裏路地に向かい、そっと顔を出して覗き込んだ。
詰襟の制服を着た、いかにも素行の悪い少年達が、同じ制服を着た小柄な髪の長い少年を取り囲んでいた。
そして、取り囲んでいる少年のうちの一人が、小柄な少年の胸倉を掴むと、乱暴に壁に叩きつけた。

「うっ……ご、ごめんなさい。や、やめてください。」

「はぁ?今更、謝ってんじゃねーよ!」

少年の胸倉を掴んでいた素行の悪そうな少年が、拳を振り上げる。
怯える少年の顔が、亡き弟と重なり、居てもたってもいられず、幸子は路地裏に入り込んだ。

「ちょっと貴方達、何をやっているの!?
警察を呼ぶわよ!」

拳を振り上げた少年は、舌打ちをすると、

「クソが!
おい、てめぇ、次にまた、なめたことしやがったら、容赦しねぇからな。」

背の低い少年に凄むと、他の少年を引き連れて、裏路地の奥へ姿を消した。

「君、大丈夫?」

幸子は少年に駆け寄ると、怪我が無いか確認した。

「あ、ああ、いえ、大丈夫です。」

改めて見ると、かなりの美少年だった。
長くてサラサラした黒髪を背でまとめ、艶のある白い肌はとても柔らかそうで、何よりその赤い瞳に吸い寄せられそうになる。
黒い学ランを着ていなければ、女の子に間違えてしまいそうだ。

(赤くて綺麗な瞳……この子は、鳥飛光で生まれの子なのね。)

幸子は、先日、打ち合わせのため最初に鳥飛光を訪れた際、歩いていたビジネスマンやOL達の髪、瞳の色が多種多様なことに、とても驚いたことを思い出した。
東京でも、カラフルな髪色をした人は、たまに見かけるが、スーツとネクタイ等、お堅い格好との組み合わせは、ほとんどお目にかかることは無かった。
これが彼らの地の髪色なのだという説得力もあって、自分が噂の『魔法の使えるおとぎの街』に来た実感が沸き、その時、幸子はちょっぴりワクワクした。

「お姉さんのお陰で助かりました。ありがとう。」

礼を言われて、鳥飛光生まれであろう少年の美しさに見とれていた幸子は、我に返った。

「ああ、いえいえ、私は何も……」

「……お姉さん、ちょっと疲れていませんか?
ちょっと失礼しますね。」

少年は、幸子に有無を言わせずに、彼女の胸の前にスッと手をかざす。
すると、少年の手の周りが黒いモヤに包まれ始めた。

これが魔法……
幸子は、体に何かが這い回るような感覚に襲われた。
不快という訳ではなくて、羽毛に包まれているような、心地いい不思議な感覚だった。
研究所に打ち合わせで訪れた際に見せてもらった魔法と言えば、簡素な機械に接続されたロッドから、雷を出すというものだった。
その後の研究員の難しい説明は全く理解できず、文系出身の幸子は『これが魔法なんだ』と無理やり納得をした。
あの時は、テレビのニュースで放送される、雷の怖さを知らしめるための実験でも見ているようで、大した驚きも感動も無かった。

しかし、今は自分に対して何か魔法が使われていることに少し感動を覚え、体を巡っている心地よい感覚にウトウトし始め……

「お姉さん……お姉さん!?」

幸子は、少年の呼びかけに、

「はえっ?!」

素っ頓狂な声を出しながら我に返った。

「どうやら、体を巡る気の働きが狂っているようですね。
寝つきがあまり良くないのでは?」

言い当てられた事と、少年の『それっぽい』言い方に、幸子は少し驚いた。

「え、ええ、確かに眠りに入るまで時間がかかるわね。」

「貴女は気づいていないようですが、症状は慢性的に続いているようですね。
根の深い問題を、ずっと抱えているのではないですか?

例えば昔……大切なご家族を殺されたとか?」

「……え?」

少年の言葉に、幸子は耳を疑った。
少年は更に続ける。

「貴女の弟、金井戸 有希さん…
10年前、13歳のときに、同級生からのいじめを苦に自殺されていますね。
通っていた中学校の体育倉庫の中で、首を吊って……
でも、あれは自殺では無く、事故……いや、ものは言いようだ。
あれは、自殺に見せかけた殺人事件だった。
貴女は今でもそう思っている。」

幸子は、たじろぎながら少年から後退る。
しかし、すぐに少年に対して怒りがこみ上げてきた。

「あ、貴方、もしかして、今のあれって、私の心を読んだの!?」

「いえいえ、そんな手間がかかる魔法は使っていませんよ。
……準備をすれば、出来ないことは無いけどね。天才である僕になら。」

少年はあっという間に、幸子と距離をつめると、幸子の顔に息のかかるくらいまで顔を近づけ呟いた。
幸子は、この少年の、不良少年に囲まれて、おどおどしていた姿が芝居だったことに、気が付いた。

「金井戸 幸子さん、10年前から心にある『黒く淀んだもの』を吐き出してスッキリしませんか?」

「ス、スッキリ……ですって?」

「貴女は、とても運がいい!
ちょうど今日は咲夜先生が『カウンセリング』をやっている日なんですよ。」

「さ、咲夜先生?
……もしかして、咲夜黄昏クリニック?」

「そうです。
そうそう、僕も通っているんですよ。
これから一緒に行きませんか?」

幸子はそこで、気が付いた。
この目の前の少年は、何者かの指示を受け、最初から自分を咲夜黄昏クリニックとやらに来院させるのが目的なのだろう。
あのチラシも、その仕込みの一つだった。
しかし、何故、そこまでして私を?

「一体、何が狙いで、私に近づいてきたの?
人の知られたくないことを調べて、更に貴方みたいな子供を使うなんて、最低の病院だわ。
どうせ、市役所の健康推進課主催というのも、嘘なんでしょ?」

「あちゃ~バレちゃったよ先生。」

少年が顔を押さえて舌をぺろりと出した。
この少年とは別に、人が居る。
危険を察知した幸子は、逃げようと踵を返し大通りに向かおうとするが、いつの間にか目の前に、白髪で褐色の肌をした黒いスーツ姿の男が目の前に現れ、行く手を阻んだ。

「本当に詐欺師のような三流芝居が好きですね。
あと、人の神経を逆撫でする物言いも、坊ちゃまの悪い癖だ。
おかげで彼女は、私の事まで警戒してしまった。
だから最初から私が話をしようと言ったではありませんか。」

穏やかな口調で、少年を窘める。
幸子は、目の前の男から禍々しい雰囲気を感じていた。

「貴女は選ばれた者なのです。
伝説の神器を使った儀式の『適合者』としてね」

男の目が光った瞬間、幸子の意識は、あっという間に深い闇の中に沈んでいった。

「おっと!重っ!」

「重いだなんて全く……女性に失礼ですよ。」

眠りに落ちた幸子を咄嗟に支えた少年は、白髪褐色の男に幸子を預けた。

「獲物を釣るためとはいえ、ダサい格好をしちゃった。」

そう言うと、制服が黒いモヤ包まれ、黒いローブに早変わりした。

「悠坊ちゃま、あちらに車が用意してあります。」

幸子を担いだ男が、大通りを指差した。

「さっさと行こう。
警官に見られたら面倒だからね。」

少年の名は鶯黒 悠おうぐろ ゆう
悪魔による世界の支配を目論む、ダスク魔道教団の一人だった。

「さぁて、小夜啼百合子と鷹空凱……
今度は本格的に遊ぼうじゃないか。」

車に乗り込んだ悠は、隣で眠る幸子を見ながら、邪悪な笑みを浮かべた。
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