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番外編
【迦国5巻発売&完結記念番外編①】名前を奪われた女のその後の話
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5巻記念番外編今回は2個あります。
この話は莉珠の姉のその後の話です。
続きものではないので、この話は飛ばしても大丈夫です。
==========================
「林慈、俺と結婚してくれ」
林慈にそう言ったのは、この小さな村で一番の金持ちの男だった。
「ごめんなさい」
林慈は思案する間すらなく、反射的に頭を深々と下げてそう言う。
これまで、村一番の力自慢の男や、村一番の駿馬を持つ男、村一番の賢い男も、みな彼女に一言一句同じ言葉を放ち、そして同じ断りの言葉を返されていた。
「なぜダメなんだい?」
「……私には病の父母がおりますから」
それも林慈のお決まりの台詞だった。
林慈はどこからともなくやってきた流れ者の女である。
肝の病を持つ小柄な父と、足が悪く、認知に問題を抱えた癇の強い母がいる。しかし、彼女はとにかく美しかった。
辺鄙な小さな村には似つかわしくない若い女。本来なら余所者は村に住むことすら許されない。ただ、村長の知り合いであるという不思議な老人の頼みで、村の隅で放置された荒れた畑と、朽ちかけた荒屋を得て、ひっそりと暮らしていた。
「林慈、お前の父母の面倒も見てやると言ってもかい?」
それでも彼女は首を縦には振らない。
「お前の少ない取り柄は若さと顔だ。それらは有限で、そう長く保つものではないよ。それでも?」
男は林慈が選り好みをしているのだと思い、意地悪くそう尋ねた。
しかし、予想と違い、林慈はこくりと頷く。
「分かっています。ですから、お断りするのです」
「林慈は幸せになるつもりはないのかい?」
林慈はもう一度頷く。
それが私の贖罪です、と林慈は言った。
そこで男は林慈は罪人なのだと察した。
おそらく都会からやってきたであろう、若く美しい洗練された女。全てを諦めたように粛々と貧しい生活を送っているが、罪人なら納得だった。
罪人を娶ろうとする者はいない。林慈に言い寄る男は潮が引いたようにいなくなった。林慈は今日も黙々と荒れた畑を耕している。
ある日、そんな林慈の前に旅人が現れた。
それもこの辺りには珍しい若い娘である。
旅の娘は道を間違えたらしい。正しい道を教えたが、もう日が暮れる。今から出発しても次の村に着く前に夜になってしまう。
困り顔の旅の娘に、林慈は言った。
「我が家に泊まって明朝出るのはどうでしょう。狭い荒屋な上、老いた両親もおりますので、嫌でしたら他の家を紹介しても構いませんが……この村には若い女性は少ないのです。村の方は悪い方ではありませんが、きっとこのまま村にとどまり、嫁に来ないかと誘われるでしょう」
旅の娘は林慈の家に泊まることにした。
旅の娘は林慈にジロジロと、少しばかり不躾な視線を送った。
「あの、知州に親戚がいらっしゃいますか?」
林慈にはまったく覚えがなかったので、首を横に振った。
旅の娘は少し前、知州のとある村に逗留していたらしい。
「そこで、血のつながらない母と息子、それからぶちの犬がいる家にしばらく泊まらせてもらいました。星がとても綺麗に見える場所で」
「その母子のどちらかと私が似ているのかしら」
「いえ、実は……その家の息子と従姉妹だという娘さんと元々知り合いだったんですが、貴方がその娘さんに少し似ている気がして」
「それはきっと、無関係の方でしょう。私の方も……妹に貴方が少し似ていると思って懐かしく思いました」
林慈にはかつて妹がいた。
小柄な旅の娘と同じように小柄な妹。猫のようにくりっとした目をしていた。
林慈はそれ以上妹の話をせず、旅の娘も踏み込むことはなかった。
朝になり、旅の娘は感謝の言葉と共に林慈の家を出た。
「一晩の宿をありがとうございました。少ないですがお礼を……」
「いいえ、なんのおもてなしもしていないのに、受け取れません」
林慈は旅の娘からの謝礼を頑なに断った。
「じゃあ、せめて、この煎じ薬を受け取ってくれませんか? 泊めていただいて本当に助かりましたから」
「……それくらいなら」
押し問答の末、林慈は根負けして薬を受け取る。
旅の娘──潘恵と名乗った娘は、もう一度まじまじと林慈を見つめ、口を開いた。
「……あのう、朱莉珠という名前に聞き覚えはありませんか。あたしの知り合いの名前なんです。昨日、貴方に似ている人がいると言ったでしょう。その薬を作った娘です」
林慈は大きく目を見開いた後、ゆっくりと首を振る。
「いいえ。存じない名前です」
その瞳にキラッと光る涙を潘恵は見つけたが、それ以上問いただすことはしなかった。
旅立つ潘恵に、林慈は袖を翻して手を振った。逆の手には煎じ薬をしっかりと握っている。
振り返った潘恵の目に、林慈がありがとう、と小さく口の中で呟くのが見えた。
潘恵はもう振り返ることはなく、正しい道へ向かう。
かつて朱華と呼ばれた女は、潘恵を見送ると、ひっそりと静かな生活に戻っていった。
この話は莉珠の姉のその後の話です。
続きものではないので、この話は飛ばしても大丈夫です。
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「林慈、俺と結婚してくれ」
林慈にそう言ったのは、この小さな村で一番の金持ちの男だった。
「ごめんなさい」
林慈は思案する間すらなく、反射的に頭を深々と下げてそう言う。
これまで、村一番の力自慢の男や、村一番の駿馬を持つ男、村一番の賢い男も、みな彼女に一言一句同じ言葉を放ち、そして同じ断りの言葉を返されていた。
「なぜダメなんだい?」
「……私には病の父母がおりますから」
それも林慈のお決まりの台詞だった。
林慈はどこからともなくやってきた流れ者の女である。
肝の病を持つ小柄な父と、足が悪く、認知に問題を抱えた癇の強い母がいる。しかし、彼女はとにかく美しかった。
辺鄙な小さな村には似つかわしくない若い女。本来なら余所者は村に住むことすら許されない。ただ、村長の知り合いであるという不思議な老人の頼みで、村の隅で放置された荒れた畑と、朽ちかけた荒屋を得て、ひっそりと暮らしていた。
「林慈、お前の父母の面倒も見てやると言ってもかい?」
それでも彼女は首を縦には振らない。
「お前の少ない取り柄は若さと顔だ。それらは有限で、そう長く保つものではないよ。それでも?」
男は林慈が選り好みをしているのだと思い、意地悪くそう尋ねた。
しかし、予想と違い、林慈はこくりと頷く。
「分かっています。ですから、お断りするのです」
「林慈は幸せになるつもりはないのかい?」
林慈はもう一度頷く。
それが私の贖罪です、と林慈は言った。
そこで男は林慈は罪人なのだと察した。
おそらく都会からやってきたであろう、若く美しい洗練された女。全てを諦めたように粛々と貧しい生活を送っているが、罪人なら納得だった。
罪人を娶ろうとする者はいない。林慈に言い寄る男は潮が引いたようにいなくなった。林慈は今日も黙々と荒れた畑を耕している。
ある日、そんな林慈の前に旅人が現れた。
それもこの辺りには珍しい若い娘である。
旅の娘は道を間違えたらしい。正しい道を教えたが、もう日が暮れる。今から出発しても次の村に着く前に夜になってしまう。
困り顔の旅の娘に、林慈は言った。
「我が家に泊まって明朝出るのはどうでしょう。狭い荒屋な上、老いた両親もおりますので、嫌でしたら他の家を紹介しても構いませんが……この村には若い女性は少ないのです。村の方は悪い方ではありませんが、きっとこのまま村にとどまり、嫁に来ないかと誘われるでしょう」
旅の娘は林慈の家に泊まることにした。
旅の娘は林慈にジロジロと、少しばかり不躾な視線を送った。
「あの、知州に親戚がいらっしゃいますか?」
林慈にはまったく覚えがなかったので、首を横に振った。
旅の娘は少し前、知州のとある村に逗留していたらしい。
「そこで、血のつながらない母と息子、それからぶちの犬がいる家にしばらく泊まらせてもらいました。星がとても綺麗に見える場所で」
「その母子のどちらかと私が似ているのかしら」
「いえ、実は……その家の息子と従姉妹だという娘さんと元々知り合いだったんですが、貴方がその娘さんに少し似ている気がして」
「それはきっと、無関係の方でしょう。私の方も……妹に貴方が少し似ていると思って懐かしく思いました」
林慈にはかつて妹がいた。
小柄な旅の娘と同じように小柄な妹。猫のようにくりっとした目をしていた。
林慈はそれ以上妹の話をせず、旅の娘も踏み込むことはなかった。
朝になり、旅の娘は感謝の言葉と共に林慈の家を出た。
「一晩の宿をありがとうございました。少ないですがお礼を……」
「いいえ、なんのおもてなしもしていないのに、受け取れません」
林慈は旅の娘からの謝礼を頑なに断った。
「じゃあ、せめて、この煎じ薬を受け取ってくれませんか? 泊めていただいて本当に助かりましたから」
「……それくらいなら」
押し問答の末、林慈は根負けして薬を受け取る。
旅の娘──潘恵と名乗った娘は、もう一度まじまじと林慈を見つめ、口を開いた。
「……あのう、朱莉珠という名前に聞き覚えはありませんか。あたしの知り合いの名前なんです。昨日、貴方に似ている人がいると言ったでしょう。その薬を作った娘です」
林慈は大きく目を見開いた後、ゆっくりと首を振る。
「いいえ。存じない名前です」
その瞳にキラッと光る涙を潘恵は見つけたが、それ以上問いただすことはしなかった。
旅立つ潘恵に、林慈は袖を翻して手を振った。逆の手には煎じ薬をしっかりと握っている。
振り返った潘恵の目に、林慈がありがとう、と小さく口の中で呟くのが見えた。
潘恵はもう振り返ることはなく、正しい道へ向かう。
かつて朱華と呼ばれた女は、潘恵を見送ると、ひっそりと静かな生活に戻っていった。
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