あやかし狐の身代わり花嫁

シアノ

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1巻

1-2

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 叔母は自分で自分の言ったことに腹を抱えて笑っている。馬鹿にされた怒りと羞恥しゅうちにカッと顔が熱くなるのを感じた。

「それになぁ、お前の父さんはワシらに借金があるからな。女工じょこうやなんかで働いたところで、簡単には返せない額だぞ」
「……そんなっ、嘘よっ!」

 私は愕然がくぜんとして叔父を見た。
 無理をして女学校に通わせてくれていたのは知っていたが、父との生活は質素そのもので借金の話など一度も出たことがなかった。なにより、真面目で堅実な父が、無闇に借金を作るはずがない。

「嘘なもんか。ワシは偉い弁護士様だぞ。ちゃーんとお前の父さんが書いた借用書だってある。お前は知らんだろうが、元治義兄にいさんはお前の縁談のためにあちらこちらに金をいていたのさ」
「そうそう。アンタにいいところにお嫁に行ってほしいって、義兄にいさんの親心じゃないのぉ」

 叔父は弁護士を自称していた。胡散臭うさんくさいことこの上ない叔父を、父は詐欺師まがいの代言人だいげんにんと言って嫌っていたことを覚えている。たとえ借金をするにしても、この叔父から借りるはずがない。
 しかし見せられた借用書には確かに父の名前が書かれていた。借金の額は一般的な女工じょこうの給料の二十倍以上。これから私が勤めに出たところで到底返せそうにない。

「いいか、これがあるってことは、小春が代わりに金を返さにゃならんってことだ。……それで小春や、元治義兄にいさんの葬式で集まった金はどうしたんだね?」
「そうそう。香典がいーっぱい集まったんじゃないかと思ってねぇ。それを渡してくれたら、ひとまず今日は帰ってあげるわよ。大体、姉さんの着物も地味な柄ばっかりで、ろくなのが残ってないしさぁ」

 その言葉に私の体がブルッと震える。
 続きの間のふすまを飛びつくようにして開けると、母の形見の箪笥だんすを物色した跡が見て取れた。それどころか父が細工さいくの仕事に使っていた道具まで荒らされている。

「な、なんてことを……! この家から出て行ってよ!」
「おうおう、凄んだところで何も怖くないぞ。香典はどうした」
「……そんなの、もうないに決まってるでしょ!」

 いただいた香典はお坊さんへのお布施や、葬式の手伝いに来てくれた近所の人への心付けなどで残っていない。

「ふうん、じゃあアンタ、おめかけになるしかないわねえ」
「え……?」

 叔母がニタリと笑う。

「だってアンタじゃ借金を返せっこないでしょうが。このボロ家なんて二束三文にしかなりゃしないし。それとも踏み倒す気かい? そんなことしちゃ、草葉の陰でアンタの父さんが泣くわよぉ」
「な、そんな親不孝はよくないだろう。……実は、知り合いにめかけを欲しがってるお大尽がいるんだよ。借金はその方が全部返してくれるぞ」

 叔父は猫撫で声で言う。
 二人が今日来たのは最初からそのつもりだったのだ。心臓が嫌な鼓動を立て始める。

「小春は器量もいいし、女学校にも通っていてしつけも行き届いておるだろう。そういうお嬢さんを是非とも側に置きたいってね」
「そうよぉ、とってもいいお話で。アタシがあと十歳若けりゃおめかけになりたいくらいのお人なのよぉ。すこーしお年がいってるけどねぇ、だからこそ、ほんの数年我慢するだけだから」

 叔父と叔母は顔を見合わせ、わざとらしい笑い声を立てた。そのおぞましさにぞわっと鳥肌が立つ。

「そ、そんなの……」
「月々お金ももらえるし、一等地にある家作かさくをお前にくれるそうだよ。たまーに旦那が来たら相手をするだけさ。どうだい楽なもんだろう」
「でも……私はこの家から出て行きたくないんです」

 古い家だが、私が生まれた時から住んでいる。両親の思い出が染み付いた大切な家なのだ。

「なんならさ、代わりにアタシらがこの家に住んであげようか。ちゃーんと管理してあげるわよぉ」
「そりゃいいな。小春は借金がなくなるし、生活のうれいもない。旦那もいいめかけを持てて大喜び、ワシらも家賃が浮いて万々歳ばんばんざいだ。三方良しで、いいことずくめだろう」
「い、嫌っ! お金は……なんとかしますから」

 私は首を横に振って言った。誰とも知れない男のめかけになどなりたくもない。
 だが叔父は返事の代わりにちゃぶ台をバンと叩く。
 その激しい音に心臓がちぢみ上がり、両腕でかばうように胸を押さえた。叔母は黙って冷めた目をして私を見ている。

「まだ分かってねえのかっ! お前じゃ金を返せっこねえだろうが! ……花街はなまち娼妓しょうぎにでもなるってんなら話は別だが」
「このあたりなら千住せんじゅ遊郭ゆうかくが近いかしらねえ。別に、そっちのがいいってんならアタシらはねえ?」
「ああ、そうとも。めかけの方が楽だったって思い知るだけさ。どっちも嫌、で逃げられる話じゃないって分かってんだろうなぁ? 他に手があるなら一応聞くだけ聞いてやろうじゃないか、おい」
「――いやいや、お待ちを。旦那さんに奥さん。ちょいと私の話を聞いちゃあくれませんかね?」

 シャン、とどこからか鈴の音がして私は息を呑んだ。

「だ、誰……?」

 叔父ではない男の声。
 私は目をまたたかせながら声のした玄関へ視線を向ける。
 玄関扉が開いた音はしなかったはずなのに、男がひょっこりと三和土たたきに立っていた。
 紋付もんつきはかま、ボサボサの蓬髪ほうはつ。そして狐の面と尻尾しっぽ――尾崎の家の前で会った、あのあやかしの男だった。

「嘘……どうして、ここに……」

 せっかく家まで逃げたのに、追いつかれてしまった。私は恐ろしさのあまりその場に座り込んだ。

「いやあ、すみません。実は、たもとにね」

 そう言いながら男が己のたもとを指差した。
 それを見て慌てて自分の着物のたもとを探れば、一体いつ入れられたのか、鈴がコロリと転がり出てくる。おそらくは、さっきの花嫁行列で使っていた鈴錫杖しゃくじょうの鈴だ。

「……え、どうして」
「お嬢さんが逃げてしまうから、ちょいとね」

 狐面の男は飄々ひょうひょうとそんなことを言った。
 私はどう反応すればいいか分からず、手のひらの鈴を握りしめる。手の中で鈴が小さくチリリと鳴った。

「おい、なんじゃお前は。勝手に人ん家に入りよって」
「そうよぉ。どこのお大尽だか知りませんけどねぇ、今は取り込み中なんですよ」

 叔母夫婦は迷惑そうな素振りを隠そうともしない。けれど、ボサボサの髪も狐面も、これ以上ないほど怪しげだというのに、そこには何一つ触れない。まるで二人には、この男がごく普通の人間に見えているかのようだ。
 おかしいのは私の方なのだろうか。私はすっかり混乱していた。
 男は如何いかにも困ったように腕組みをした。面をかぶっていることもあり、芝居がかった動きに見える。

「実は、困ったことがありまして……。ああ、申し遅れました。私はこの松林の奥にある屋敷に住んでおります、尾崎と申します」
「誰がお前の名前なんぞ聞いてるんじゃ!」
「ちょっと、アンタ、少し黙って――尾崎さん……いえ、尾崎様とおっしゃいましたねぇ? お屋敷ってあの、林の奥に土塀が見える、あそこの?」
「ええ、ご存じでしたか。そこの屋敷の者ですよ」

 叔母の目がギラリと光り、獲物を狙う猫――いや狐みたいになった。

「まあまあ、それで、今日はどういったご用件ですの? アタシでよければお力になりますよぉ」

 叔母には尾崎が金満家きんまんかにでも見えているのか、急によそ行きの顔でシナを作る。あの松林の奥に大きなお屋敷があることを知っていたらしい。

「それはそれは、助かります。実は女中を探しているのです。急ぎでして、とにかくすぐにでも屋敷に来ていただきたい。それというのも、本日結婚をしたのですが、妻が連れてくるはずだった女中が急に都合が悪くなりまして」

 尾崎はペラペラと話し始めた。叔母はうんうんと真剣に頷いているが、それにしてもよく舌が動くものだと思ってしまう。

「結婚したばかりの、それはそれは可愛い新妻です。家事の苦労など一切させる気はございません! ですがどうにも手が足りんのです。とにかく広いばかりの屋敷でございまして、このままでは掃除も行き届かない。そんな環境に可愛い新妻を置いておけるはずございませんでしょう。そういうわけで早急に掃除が出来る女中が欲しいんですね。そんな折、たまたま屋敷の近くで、お可哀想に最近お父上を亡くされたお嬢さんがいらっしゃると小耳に挟んだものですから、もしよろしければしばらくの間お預かりできないものかと、まあそう思って伺ったわけです、はい」
「あらまぁ、そうですの。でも、この子にはいいご縁がございまして、先が決まっておりますの。ですが……どうしてもとおっしゃるなら、それ相応のモノが必要でございましょう?」

 叔母はにんまりと笑う。
 叔父も合点がいったように太鼓腹をポンと叩き、手を揉んだ。

「ええ、ええ。そうですとも。この小春はとても気立てのいい娘です。女学校出で学もありますし、器量もこの通り。磨けばよぅく光ること間違いございません。私共が親代わりでございましてねえ」
「な、何が親代わりよ」

 叔父の言葉を否定しようとしたが、叔母にぺしんと叩かれる。

「馬鹿っ、黙ってなさい! あんなお屋敷の持ち主よ。お金持ちに決まってるじゃないさ!」

 叔母は小声でそう言い、私を居間の隅まで引き摺り、耳元でささやいた。

「フン、結婚したばかりだってのに助平な男だよ。あれはね、女中という名のめかけ奉公を求めてるんだ。奥様公認のおめかけってことだよ。奥様が不美人かそれとも不仲なのかは知らないけどねぇ」
「で、でも……」
「でもじゃないわよ! せめて若い方がアンタだっていいじゃないさ! 奥様より早く跡継ぎを産んじまえば、屋敷で大きな顔が出来るわよぉ」

 私は欲深い叔母に閉口した。
 そもそも私には、その男はどう見ても狐のあやかしに見える。しかも先程、私の目の前で花嫁に逃げられているのだ。男の言っていることの意味がまったく分からず、混乱するしかない。
 しかしその間も、叔父と尾崎の話は続いている。

「実は小春には先にお約束がございまして。それを反故ほごにして尾崎様の家に小春をやるとなると、それなりにかかるものがございます。元々小春の父親の借金を私が肩代わりしているもので……」
「ははあ、なるほど。支度金だけでなく返済金に違約金も必要と、そういうわけですね」

 その通りと示すように叔父はにんまり笑いながら揉み手をしている。

「分かりました。手持ちの紙幣で足りるでしょうか」

 尾崎はそう言うやいなや、たもとからごっそりと束を取り出して床へバラバラといた。
 それを見た叔父は床に目が釘付けである。私を押さえる叔母も、横で息を呑んだのが聞こえた。

「ああ、ちょいと古いですが小判でもよろしいですか? それならもーっとありますよ」

 更にたもとを探り、取り出したそれも床にく。床でぶつかり合い、カチャンカチャンと硬い音を立てた。

「まああ……き、金じゃないの……」
「はい。見ての通り本物の小判でございます」
「い、いやいや、まず本物の金かどうか。かじれば分かると言いますが……ちょっと失敬。ああ、本物だ! ほれ、見てみろ、噛んだ跡が付いただろう!」
「ほ、本物よぉ!」

 叔母夫婦は顔を見合わせ喜色満面だ。

「え……でも、それ……」

 言いかけた私に、尾崎は黙って狐面の口に人差し指を立てて見せる。私はおずおずと頷いた。
 叔父も叔母も、すっかり金に目がくらんだ顔で笑っている。
 ――しかし私には、彼らが床にいつくばって集めた紙幣は木の葉に、本物の金かどうかかじって確かめていた小判は瓦のかけらにしか見えなかった。もちろん歯形など付くはずもないのに、叔父はうっとりと瓦を撫でている。
 私は目をまたたかせて怪しげな狐面の男を見上げた。今気が付いたが、かなり上背がある。声の感じや、首や手のひらを見る限り、父さんよりずっと若そうだ。しかしあやかしだとすれば見た目通りの年齢であるはずもない。

「さて、これで足りますでしょうか? 私としましては、この小春さんの育ての親とのことで礼を尽くしているつもりですが」
「ま、まあ……これだけあれば……なあ?」
「ええ、アタシらは文句の付けようもございませんわぁ」
「そうですか。それはよかったです。それで、もしよろしければ、小春さんと少しお話しさせてもらえませんか? 出来れば二人きりで」

 叔父と叔母は顔を見合わせてニタリと笑う。

「ええ、どうぞ。……ごゆっくり」

 ごゆっくり、の部分に力を込め、叔母夫婦はいそいそと荷物をまとめる。

「ああ、借用書は置いていってくださいね」
「か、鍵も! それから母さんの着物も返して!」

 叔父から借用書を、そして叔母から鍵と、ちゃっかり持ち去ろうとしていた亡き母の着物を取り返す。

「はいはい。アンタも目敏いねえ」

 叔母は大金を手にして気が大きくなっているらしく、緩み切った顔で大人しく返してくれた。
 叔母たちが去り、取り戻した母の形見の着物を抱きかかえてホッと息を吐く。
 けれどこれで済んだはずもない。
 私は顔を上げ、何を考えているのかまったく読めない狐面を見つめた。

「あ、あの……どうして助けてくれたんですか」

 私はおずおずと尋ねた。
 私は狐の嫁入りを邪魔してしまったのだ。責められこそすれ、助けられるとは思ってもみなかった。

「へえ、助けられたんですか?」

 しかし尾崎はとぼけた態度でそう言い、大袈裟おおげさな動きで首を傾げる。

「だって私、あの人たちに借金のカタでめかけとして売り払われるところだったんですよ」
「あれまあ、そうだったんですか。じゃあ、お嬢さんは、今は私のものってことですよね」
「えっ……⁉」

 狐の面からは尾崎の表情が分からないはずなのに、何故だかニンマリと笑っているみたいに思えた。

「ほら、これ。さっきあの人たちから買い取った紙切れ」

 尾崎はヒラヒラと借用書を振って見せる。

「た、助けてくれたんじゃないの……?」
「そりゃ、人間だってタダで人助けをしたりしないでしょう。結局、私が借金を支払ったようなものですし」
「で、でも叔母さんたちに渡したのは偽物のお金でしたよね? 私には木の葉と瓦のかけらに見えました」

 そう言う私に、尾崎はふふふと含み笑いをする。

「お嬢さん、やっぱり勘がいいねえ。それとも目がいいのかな。とはいえ、私が買い取ったのは事実でしょう。力尽くで奪ったわけではないですし、あの人たちも喜んで渡してくれましたよ」
「そんなの屁理屈だわ!」
「屁理屈で結構。そんなことより、私は困ってるんですよ。なにせお嬢さんのせいで花嫁に逃げられてしまったんですから」

 私は気まずさを感じて目を逸らす。

「た、確かに……それは……」

 わざとではないとはいえ、花嫁が怒ったのは私が嫁入りを邪魔してしまったせいなのは確かだ。

「実は私、どうしても早急に嫁を得なければならないんですよ」
「はあ……」
「三ヶ月後の親族会議に嫁を連れて行くと約束してしまいまして……もうね、海千山千の古妖こようばかりの会議です。私なんてあの中じゃ尻の青い若造扱いでねぇ……。それでお嬢さん、代わりに私の花嫁になってくれませんかね?」
「えっ⁉」

 私はその言葉に弾かれたように顔を上げた。

「いやっ、無理っ、無理です!」

 ブンブンとおさげが空を切る勢いで首を横に振った。いくら禁忌きんきを破って禁足地に入った自分のせいとはいえ、見ず知らずの、しかもあやかしに嫁ぐだなんて。
 しかし尾崎は身を小さくして拝み倒してくる。あやかしのくせに随分と腰の低い男だ。

「どうかこの通り! お願いしますよぉ。ほんの少しの間でいいんです!」
「……ほ、ほんの少し?」
「はい。言ったでしょう。親族会議があるって。そこで花嫁のフリをしていただきたいのです」
「本物の花嫁じゃなくて、フリだけ?」
「はい、フリだけです」

 私は少し考え込む。あやかしの花嫁はごめんだが、花嫁のフリをするだけならば、さっきの詫びにもなるだろう。何より、尾崎のおかげで叔母夫婦にめかけとして売り払われずに済んだのは事実だ。それに、あの欲深い叔父や叔母がいつくばって木の葉や瓦を拾い集める姿には、少しスッキリした。

「それにタダでとは言いません。この紙だけでなく、お金でも小判でも……」
「いえ、それはいらないです。さっきみたいに木の葉と瓦のかけらかもしれないですもん」

 私の言葉に尾崎は蓬髪ほうはつをバリバリと掻き、声を上げて笑った。

「はは、確かに。では何か欲しい物はありませんか? 私に用意できる物なら用意します。まあそれも偽物だろうと言われてしまえばそれまでですが……」
「欲しい物……」

 私は首を傾げた。
 両親を安らかに眠らせる墓が欲しい。しかし、はいどうぞ、と墓石を渡されても困る。
 少し考えてから思い付く。

「欲しい物とは少し違うんですけど、叔父と叔母がまた戻って来たら困ります。もしかしたら、さっきのお金が偽物だって気付いて乗り込んでくるかもしれませんし。あの人たち、鍵がなきゃ、次は扉を壊しそうだから心配で」
「なるほど。うーん、じゃあ、この松林にあの人らが入れないようにしましょうか。ほら、よくあるじゃないですか。一本道なのに何やら同じところをぐーるぐるって。私は狐ですから、そういうの得意なんですよ」
「あの、貴方は本当に狐のあやかしなんですか?」

 私は尾崎のふさふさと揺れる赤茶色の尻尾しっぽを見て言う。普通の人間には思えないけれど、こうしてちゃんと会話が出来る。子供の頃に寝物語で聞かされていた怖いあやかしの話とは随分違うみたいだ。

「はい。私は狐ですよ。尻尾しっぽもほらこの通り。ですけどね、本当であれば私の尻尾しっぽは五本で、もっと強い力を持っていたんです。それがどうしたことか、今は一本しかないのですよ。よよよ……」

 どう見ても泣いているようには見えない。白々しい泣き声を上げて尾崎は狐面の目元をそでで押さえた。

尻尾しっぽって……増えたり減ったりするものなんですか?」
「ええ、そうですよ。力のある狐……九尾の狐ってご存じないですか? あやかしは、ながーく生きれば生きるほど力を増していくのです。尻尾しっぽも力と共に増えます。ま、その逆に、尻尾しっぽを失えば力も失いますが」
「ふぅん、やっぱり人とは違うのね……」
「はい。あやかしは人よりずっと長い時を生きています。この家も元は時川ときかわさんって爺さんの家でした。時川の爺さんはここに住む時、私と約束をしたのです。この松林の番人になるってね。ですが気が付けば、時川の爺さんは死んでしまい、お嬢さんのご両親が縁あってここに住み始めた」
「……確か、私が生まれる少し前に、父が師匠の知り合いから買ったそうです。ちょっと不便なところにあるけど、父は細工さいくだったので、毎日勤めに出るわけではありませんから」

 狐面が傾く。尾崎が首を傾げたのだ。彼は少し考え込んでから言った。

「そういえば、かれこれ二十年近く前、お嬢さんによく似た声を聞いた気がします。うちの屋敷の前でなにやら声を張り上げていたような……もしかしたら、お嬢さんのお母様だったのかもしれませんねえ」
「そうかもしれません。とはいえ、母が亡くなったのは私がまだ小さい頃なので、声は覚えてないんですが」

 もしかしたら、母も松林であやかしを見たことがあったのだろうか。父が松林の奥に行ってはならないと言ったのは、そのせいだったのかもしれない。

「分かりました。尾崎さん……でいいんでしたよね。フリだけですもんね。私、身代わりの花嫁になります!」
「いやあ、ありがたい!」

 尾崎はそう声を張り上げると私の手を握った。

「では、早速参りましょう。ああ、着物なんかはこちらでご用意いたしますから、手ぶらで結構ですよ。この家には、お嬢さん以外誰も入れないよう結界を敷いておきましょうね」
「ちょ、ちょっと待って! 三ヶ月後の親族会議で花嫁のフリをするだけじゃなかったの⁉」
「いやいや、まさか! 言ったでしょう、海千山千の古妖こようですよ。突然会議に連れてきた花嫁なんてすぐに偽りとバレてしまいます。それに、いつ親戚の古狐が屋敷に様子を見にくるかも分かりませんし。ああ、身代わりの花嫁以前に、貴方が人間であることはもちろんバレてはいけませんよ。私の屋敷にも、あやかしの奉公人からよく分からない居候いそうろうまでうじゃうじゃウロウロしていますから、お気を付けて。貴方だって人間とバレて、頭からかじられたくはないでしょう?」
「そ、そんな……待って、やっぱり、私……!」
「ふふ、もう約束しましたからねえ。古今東西、あやかしとの約束を破ってよかった試しはないですよぉ。いやあよかった! 貴方もほんの少し、たった三ヶ月だけ我慢をするだけでしょう?」

 尾崎はまたヒラヒラと借用書を私に向かって振って見せる。
 その狐面の憎らしいことといったら。
 一難去ってまた一難。その言葉が身に沁みた私は、尾崎に握られた手を振り払うことさえ出来なかった。


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